聖杯戦争 1日目
知らぬ間に、手にはべっとりと汗を掻いていた。
 目の前には夕焼けの色に染まった教会の扉。初めて入るその場所に士郎は緊張していた。
 なぜなら士郎にとって教会は避けるべき場所の一つであったからだ。だが今日、ここに入らなければ行けない用事があった。
 深い深呼吸のあと、意を決して重厚な扉のドアノブを回した。




ここ、冬木に怪しげな事件が舞い降りた。

五日ほど前の明け方、路上に三人の学生が昏倒状態で発見された。三人とも、真面目な男子学生で夜遊びするような輩ではなかった。
 そこで本人たちに問うと、そのときの記憶がほとんどっていうほど飛んでいたため、わからないとのことだったらしい。
……ここで事件が終わっていれば、季節はずれの怪談話として、人々の記憶から風化していくのだっただろう。
しかし、事件は被害者に増大という形で進展した。発生から次の日、ほぼ被害者の数はほぼ一、五倍で発見された。さらに日がたつにますます増えていき、当初の何倍にも膨れ上がった。
 おかげで、藤ねえはこの五日間、衛宮邸に足を踏み入れていない。
 警察も、この不可解な事件にどう対応したかわからず、集団帰宅や早期帰宅を呼びかけたり、見回りを強化したりすることしかできなかった。
 やがて事件は不穏な怪しさを帯びて行った。
 曰く、大陸の魑魅魍魎がこの冬木に巣くっている。
 曰く、その化生は若い男の精気を求め、夜な夜な男を誑かす。
 どれもバカらしく悪い冗談にしか思えなかったが、士郎は否定できずにいた。なぜなら自分の養父は魔法使い――――正確には魔術師だがであったためである。
 だがそれが化生でなく、特殊な術式を持った魔術師であったならば、それに気づくことが出来るのは魔術使いである自分だけではないのか。そんな思いから士郎はこの事件の調査に乗り出した。
 最初の被害者である三人が暈けていた記憶中で、どの学生も一人の女性に出会ったらしい。間違いなくこの事件に大きく絡んでいるだろう。
 その女性を捜すために士郎はその学生たちが住んでいる冬木教会の近郊にねらいをつけた。
 「その聞き込みの一環に訪れたんだがなあ」
  荘厳で静寂。その重苦しい空気を何とかしょうと呟いた言葉は見事にかき消された。
  二列に分かれた長椅子は幾重にも並び、懺悔と祈りの染みこんだ白い壁は士郎を圧迫した。
 士郎の脳裏に、紅そまった死の世界が蘇る。胸をぎゅっと押さえながら士郎は
改めて思ってしまった。ここは自分はいていられないと。
「何の用かね。教会の仕事が混みっているから、用がある早くしてもらいたいのだが」
 声のする方に目を遣ると一人の神父が立っていた。張り付いた見せかけのだけの微笑浮かべた神父はゆっくりと祭壇へと近づいていく。
 士郎はその男を見た瞬間、漠然とこいつとは分かり合うことはありえないだろうと感じた。




「ア、アンタは……」
「あんた、か。年長者に対する礼儀がなっていないな。まぁいい。私は言峰、言峰綺礼だ。
 で、少年。何の用だと聞いていている」
 士郎は素早く用件を伝える。教会で、さらにこの男と長居はしたくなかった。
「えっと、五日前にこの写真の学生をどこかで見かけませんでしたか?」
言峰という男の言葉で、口調を改めたと思われるのは癪ではあった。
 だが士郎は神父と初対面であったし、人にものを尋ねるのならそれ相応の態度を示さなければいけないと感じた。
 神父は写真を受け取り、ふむと頷いた。
「見かけていないな。…………五日前か。すると少年は男子学生連続昏倒事件の犯人を追っているのか。
 でなければ、教会にこんな事を尋ねに来る酔狂者はいるまい。
 だが、やめておきたまえ、この事件は不気味すぎる。下手な殺人鬼を相手にするよりも危険だぞ。
それにな少年。モノを尋ねるときは、自分から名乗りべきものだぞ」
「む、衛宮士郎です。別にそれほど深い追いなんてしません。ただ周りの人が苦しんでいるのに
自分だけなにもできないのがいやなだけです。
 では、これで失礼します」
 とんだ無駄足だったなと思いながら、一礼して出て行こうとしたが、顔あげた先には
 固まった言峰綺礼の顔があった。
「えみや、衛宮……だと」
 見開かれた目をみると本当に驚いているようだった。士郎は出て行くタイミングを逸してしまった。
「あの、どうかしました」
「いや、なんでもない。ではな衛宮士郎。最後に神父として忠告だ。
忘れてはいけない『何か』を見るという行為は『何か』に見られることと同義であることを」
士郎は言峰綺礼の不吉な予言を背中で聞きながら教会を後にした。



「ダメか。今度は新都の方へ言ってみようかな」
 教会を出たあとも何軒か聞き込みをしてみたが、
 それらしい情報は得られなかった。ふと辺りを見渡せばすっかり暗くなってしまった。
 今日は桜も家の用事で来られないといっていたし、
 藤ねえもおそらく来られないから簡単も物ですまそうなどと考えながら帰途につこうとした。
瞬間


うふ、ふふふふふふ


響き渡る艶やかな笑い声はどこからか聞こえてくる。
「!」
思わず士郎はばっと振り返った。
……………………………………………………………………。
が、そこにあるのは沈黙と民家から漏れる仄かな光。そして粘つくような濃い闇しかなかった。
汗を拭い、再び坂を下ろうとする。

『忘れてはいけない『何か』を見るという行為は『何か』に見られることと同義であることを』



 脳裏にあの神父の声が蘇った。
士郎は知らず知らずの内に後を振り返えていた。
……………………………………………………………………。
頭をふるう。それはきっと神父が言った悪い冗談だ。と士郎は腹から履き上がってくる不安共々、不吉な予言を押し殺した。
 足早に、教会の近くの坂を降りていく。
……………  …………………………………    …………………。
 降りていきながら、士郎から汗がさっと引いていった。自分の足音だけしか聞こえないのだ。どう考えても静かすぎる。その静けさは生き物の吐息が聞こえる森の静けさとは異質な荒野の静けさに近い。
 その瞬間、士郎は全速力で、走り出し―――――――――
「ちょっと、坊や。どこ行くの?」
 ―――しかし、その一言と肩にある掌の感触が、士郎の体を硬直させた。
 それは振り向いてはいけない。そんな本能の制止を振り払いながら、士郎はギチギチと首を後に向ける。そこには、楽しそうに笑った女性がいた。


「どうしたの? 固まっちゃって。あ、もしかして綺麗すぎて吃驚しちゃったかな? うふ、かわいい子だなぁ。
 あ、でもけっこう年喰ってそうだなとか思ったら、お姉さん、特別に爪切りもとい指斬りしてあげるわぁ。ふふ」
 まるで、久々に会った知人と話すような気軽さで現れた女は尋常でない色香を纏っていた。
 黄金律とも言える整った顔立ちに、薄い紫の長い髪を簪で持ち上げてそこから見られる白磁のような首筋は思わず触れてしまいそうなる。
 目を下に向けると金の刺繍の入った鮮やかな紅いチャイナドレス。
 大きく入ったスリットから覗く太股は見る者をその場にひざまつかせる相応しい魔力を秘めていた。
 士郎はこの女と知り合いではなかったが、何者であるかは判断することが出来た。
「むー、少しは喋りなさいよぉ。あなたが私を捜しているから、わざわざ出てきたのに」
その女はぶすうとほっぺを膨らませながら、柳眉逆立てた。しかしその可愛らしい行動とは裏腹に纏った魔力は士郎のような三流魔術師でもわかってしまう。
まるで、その女の周りが魔力のせいで歪んでいるようにみえるのだ。
 あれほどの魔力を人型に詰め込められるものなのか。明らかに人が持ってはいけない魔の領域到達していた。
 それは神話の世界で人々を蹂躙し、英雄と雌雄賭けて戦うような怪物。

――――曰く魑魅魍魎は若い男の精気を求め、夜な夜な男を誑かす。

そんな与太話が現実味を帯びてくる。目の前にいる女はおそらくこの事件の犯人。このままでは殺される。士郎はそう確信した。
 わざわざ女が自分の姿を晒したということは、生きたまま返さず、
もしくはそれに準ずる行為するということだ。頭をフル回転させる。武器はだた一つだけあった。
「どうして俺が捜しているって知ったんだ?」
「うふふふ、喋れるじゃなーい。えーとボク、風水って知っている? トイレを綺麗にすればうんぬんかんぬんの運が上がる。
 あれ。あれって別に運に限ったじゃないのよぉ。要するに」
その女の注意を反らしながら、こっそり右ポケットに、お目当てのものを捜す。
「歪曲でもない土地。つまり普通の地脈をね。魔術的な物の配置で、マナの操作し意図的に自分好みの歪曲を作り出す代物なの。凄いでしょ」
指先に、ヒンヤリとした感触。おそらく柄の部分だろう。こっそりとたぐい寄せる。
「此処一帯に作った歪曲を利用して、情報操作と情報収集の陣を組んでいるの」
 一、二、三回。親指と人差し指が上下した。ようやく武器が士郎の掌に収まる。
「まあ他にいろいろ効果はあるけど、内緒よぉ。そういうわけでボクが捜していることわかったのよぉ。――――で、ボクは何をしているのかな」
「!」
 士郎の体がビックと飛び跳ねる。武器を出そうとした矢先に掛けられた声だった。
 この女を欺くのは不可能だったようだ。



「ふーん、日常品に、何かしらの……強化、強化の魔術を付加しただけみたいねぇ。これで、ボクはどうするつもりだったのかな? これじゃ私はもちろん一般の魔術師も倒せないなぁ。うふ」
士郎の手にあったものをさっと引ったくり、女は手の中で遊ばした。
「んん? この出っ張り何かしら」
カチッと音と共に、世界は一変し、辺りは一瞬光に包まれた。
しめた、と思いながら、士郎は目を開け一気に走っていく。士郎の武器として持参したのは魔力で光を強化した懐中電灯だった。強化された懐中電灯はスタングレネードに匹敵する光量を発した。
運悪く電灯を望み込むようにスイッチをいれたあの女は光の強さに目を回しているだろう。これこそが士郎の狙いだった。
 半人前である士郎が成熟した魔術師に勝てるはずがない。ならば生存率を上げる工夫をすればいい。
 どこにでもある日常品に、簡単な魔術。持っていても警戒されないだろうし、逆に先ほどの女のように油断するかもしれない。
 士郎は一心不乱に走っていく。目指すはあの教会だ。この距離だと家は遠すぎるし、逆に自分がどこに住んでいるのかバレてしまう。教会ならば恐らくそれだけで結界の役目をはたしてくれそうだ。
 だが、それはあくまで希望的観測にすぎない。しかし、この絶望的な状況に生まれたわずかな可能性を捨てきれるほど士郎はあきらめの良い男ではなかった。

やばい、やばい。
止まってしまえば一巻の終わりだ。
そんな警告に似た焦燥がガソリンとなって、ただ足を速く回し続けた。
あれは、指一つで自分を殺させる生き物だ。
ならば、逃げ続けるしかない。
走る。全神経を足だけに集中させるかのようにただ、ただ速く走った。
「はぁ、はぁ、っく。はあ」
あ、見えた。体の中から、歓声が起こる。冬木の教会まで、あと数百メートルもない。
 鼓動を激しく打ちすぎて心臓が飛び出そうな感覚に襲われながらも、士郎はラストスパートを掛けようと、右足に力を入れた。

 ぼっと。

「はぁ、はぁ、え?」
世界が傾いた。一瞬何が起こったのか理解できなかったが、顔にかかった鮮血でわかった。ああ、自分の足が切れただけなのだ。
その女が、目の前に現れた。目の錯覚なのか女が何人もいて士郎を囲むようにしている。
その女達は士郎を見るとにぃぃと嗤った。
「ああああああああああああああああああああああ」


 呆然と立ちつくす少年にゆっくり、女が後から優しく抱きついた。
「もう、変な事するから、ヒック、シャックリが止、ヒック、まらないじゃん。むう、あ姉さん、罰として幻術の刑にします。しばらく苦しんでなさい」
女は楽しそうに、少年も耳元で囁いた。

「随分と楽しそうだな。キャスター」

そんな冷めた声が、教会の扉の方から聞こえた。キャスターと呼ばれた女は、玩具を取り上げられた子供のように顔を歪ませながら、忌々しく叫ぶ。
「教会の監督役が……! 何の用よ。今は聖杯戦争中よね」
「こちらとしても、こんな事で出向きたくわないがね。だが、教会の前で、そうもいかん。
 それに此処はな、聖杯戦争中は不可侵地区だぞ。本来ならマスターに罰則を与えてもおかしくない場所だ。貴様マスターは、何を……………ああ、成る程な。その魔力量を見ればわかる。貴様、マスターを傀儡してしまったな」
「さー、どうかしら。もしかしたら、ヒック、違うかもしれないなぁ」
「まあ、どちらでも良い。その少年の身柄を返したまえ」
綺礼は、手を前に突き出していう。
「ふふ、取ってみなさい」
「元よりそのつもりだ」



神父は片腕を水平に上げる。そして、神父の纏う空気がガラリと変わった。
殺すためだけのモノになるかのように、瞳には一縷の情もなく、殺意しか浮かび上がってこないように見えた。
槍のような殺意がキャスターに注がれた。しかしキャスターはほくそ笑んでいた。
洗礼詠唱か、それとも、黒鍵か。どちらにしてもキャスターは負ける気がしなかった。
前者は相性においては最悪だが、こちらは魔術の雄。神父が組み立てた術式に介入し、
逆に反撃に転じることだってできる。
後者は魔術に特化している『キャスター』のクラスであるため突破口かもしれないが、
このキャスターにとっては弱点ですらなかった。生前は敵と派手に打ち合ったこともあった。
神父の片腕から赤い燐光が上がり、莫大な魔力が迸った。
その魔力は術式に組み立てことなく、神父の体の中に入っていく。
身体強化か。そう思った瞬間。
「え」
目の前に神父がいた。ヤツがやってのけたのは、洗礼詠唱でも、黒鍵でも、まして代行者が使う怪しげな体術でもなかった。
それは中国拳法――八極拳の震脚。
接近戦で、絶大な威力を最大限発揮するために編み出された歩法。さらに『強化』された肉体を持ってすれば、
あの程度の距離などなきに等しい。
少年を抱いていたキャスターの手首が神父に捕まった。人間の頭蓋骨を叩き割ることのできるほどの腕力をもつ
キャスターが腕を引っ張り、
そこから体勢を崩させようとするが、神父はビクともせず、絶技を繰り出された。
名は六大開・頂肘
綺麗に決まった一撃が胸に槍を突かれたような激痛を走らせた。破れかぶれになりながらも、
崩れ落ちる体に鞭を打ち蹴りを繰り出す。が、そこに神父は居ていなかった。
居たのは先ほど神父が立っていた場所だった。恐らく技を決めた瞬間、少年を拾い上げ震脚で離れたのであろう。

「起きたまえ。エミヤシロウ。今は寝ているような場合ではないぞ」
 軽い痛みがほほを伝う。士郎を幻術から救ったのは、
 さも面倒臭さ気な低い声だった。ぼやけた視界一面現れたのは言峰綺礼の顔だった。
「ギャー!? テメェ何してやがる」
「フン、助けておかれておいて何という言い草だな」
その一言で士郎は状況を理解する。
「あの女は!?」
「ここよぉ。ボクちゃん」
地面に仰向けになっている女が手を挙げ、ふりふりと振ってみせた。
「フ、落としたと思っていたのだがな――――――衰えたな」
「いいえ、卑下する必要はないわぁ。けどここはもう私の庭。防御手段なんていくらでもあるわよ。それよりもぉ」
 女は足を勢いよく地面を叩きつけた。何かが砕ける大きなくぐもった音が響き渡り、
 見ればそこには小さなクレーターができていた。
「ふふ、うふふふ。騙された神父さん。まさか八極拳の使い手とは。改めてお相手してもらいたいわねぇ」
「――――禍々しさが増したぞ。キャスター。怪力か。やはり貴様は正規の英霊ではないな。
 そのあり方は亡霊や魔物に近いな」
 そう言いながら、言峰はキャスターの方に向き直る。左手には獣の鉤爪のように黒鍵が握られていた。
「エミヤシロウ、生きたいか? どんなことがあっても」
視線を変えずに言峰は、士郎だけに聞こえるように問うた。
そんなの当たり前だと頷く。
「よろしい。ではこれから言うことを実行してもらう。これを見たまえ」
 言峰は右手から黒鍵を出す動作をしながら、器用にかみ切れを士郎の前に落とす。
キャスターに気づかれないようしながら、士郎は紙を拾った。そこには、不可思議な図面と呪文が書かれていた。
「…………俺、召喚なんかしたことないぞ」
「この召喚は普通の召喚とは違う。必要なのは覚悟だ。それさえあれば大雑把であろうがいささか誤りがあろうが、構わん。ただ、急げよ。教会の書斎。
机の近くに赤色の筆がある。それを使いたまえ。その間、私がアレの足止めをする。
 といっても今の私なら十分も持てばいい方だ。
 だが、その間は絶対に死守しよう。
―――――頼んだぞ」

終。掲示板使いぬくっ。なんどもエラー出してしまった。