冬木市郊外の森の中に、唸り声が響き渡る。
「■■■■■……■■■……■……」
着背長を身につけた武者がいた。
太刀を手に持ち、唸り声を上げるその姿は、正に狂戦士―――バーサーカーのクラスに違いない。
武者の足下の地面にぽつりと一滴の雫が滴り落ちる。
赤色のそれは、武者の両眼が『あった』場所から流れ落ちていた。
黒い二つの陥没。
眼球があったはずの場所からは滝のような血涙が流れ続けている。
鎧武者の表情には悲嘆があった。しかしそれ以上に何かへの怒気があった。血涙は―――止まる様子さえない。
「■■■■■■■―――!!!!!!」
火線のマズルフラッシュが殺到し、鎧武者の身体に着弾する。
銃撃に加え、放り込まれる物体が爆発し、轟音と振動で地面を振るわせる。
やがて銃口が沈黙し、投擲する手投げ弾も投げ尽くしたらしい男が姿を現した。
顔中に傷を持ち、英霊につきものの修羅場をくぐり抜けたある種の空気を身に纏うこの男も、流石に投げやりな調子で、目前で微動すらせず太刀を構える荒武者を見た。
「あの程度で死んでるわけねえよな……やっぱり」
銃撃の奇襲は蚊が刺した程度の効果しか与えていないらしい。
とどのつまり、神秘の密度が赤陣営のアサシンでは薄すぎるのだ。本人が死んで五十年も経過していないのだから当然だが。
「当然でしょ。何度も言うけどあんたの神秘は無いも同然なんだから、サーヴァント相手じゃ文化包丁で大木切り倒すようなものよ」
赤のアサシン、ラッキー・ルチアーノとそのマスター、遠坂凛は突進してくる黒のバーサーカーに向かって、ガンド撃ちとサブマシンガンの銃口を構えた。
「■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!」
「やかましい犬っころ!!」
トンプソンが再び火を噴こうとした時、

「お待ちなさい」

鈴を転がすような声がその場を制止した。突進していたバーサーカーでさえも停止する。


その御髪は夜の海のような黒、儚げな瞳も黒。
ただ束帯だけが春の海のような明るい水色に染め上げられていた。
その手には身の丈程の宝剣が握られている。
その横に立つ赤毛の少年は、遠坂凛とアサシンの無事を確認すると僅かに安堵したように表情をゆるめた。
しかし、その表情はすぐに引き締められ前方のサーヴァント、黒のバーサーカーを見やる。
「衛宮君、バーサーカー、貴方達じゃあいつの相手は荷が重すぎるわ」
「凛」
衛宮士郎が召喚した存在、この国最高の幻想たる存在だった赤のバーサーカーは、決意の表情を形作り、言葉を紡いだ。
「それでもやらねばならないのです。他でも無いこの朕(わたし)が、やらねばなりません」
「……済まん、遠坂。無茶は承知だ。ここは少しの間退いてくれ」
「死ぬ気か?まあ、競争相手が共倒れしてくれりゃ楽でいいけどな」
ルチアーノの問いかけに、士郎は首を振った。
「死ねない。まだ死にたくない。でもあいつだけは俺達が倒さないといけない」
そこまで聞くと、ルチアーノは凛を担ぎ上げて戦場に背を向けた。
「なっ、ちょっとアサシン!?」
「仕方ねえさ。運があればまた会おうぜ。Arrivederci!!」
そう言い残し暗闇に消えたアサシンの主従を見送り、士郎とバーサーカーは黒のバーサーカーを前にした。

「■■……■■■……■■……」
唸り声を上げるバーサーカーも太刀を向ける。敵を見逃したところから見て、決して元の人格は非情な人物では無いらしい。或いは『仇討ち』のためにも無駄な力は使いたくないのか。
「救われなさ過ぎる……」
赤のバーサーカー、安徳天皇は、悲痛な表情でかつての臣下だった黒のバーサーカーを真っ直ぐに見た。

一門が滅び、主家が消滅しても敵将の首を一人取りに行った忠義の侍。

それが理性を剥奪された“彼”の姿だ。だが、安徳天皇も士郎も知っている。
“彼”のマスターを殺したのは同盟を結んでいた黒の陣営の別のマスターだと言うことを。
黒の陣営勝利のためにはバーサーカーの強化が必要で、支払うべき魔力も要らず、しかも強化できるメリットと、制御が殆ど効かなくなるデメリットが秤にかけられ、黒の陣営はメリットを取った。
そして黒のバーサーカーは仇を求める殺戮機械となった。

「……■■■■■……■■■……■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!!!!」

狂獣の咆吼が響き渡り、太刀を大上段に振りかぶった荒武者が一足で安徳天皇の眼前に移動する。
「水天宮草薙剣(すいてんぐうくさなぎのつるぎ)!」
神話の一撃。水の蛇。
振り抜いた刀身から爆発するような勢いで噴出した鉄砲水が黒のバーサーカーに襲いかかる。その身の豊富な魔力を高い霊格を誇る宝剣に注ぎ込み、その全てを放水に利用する殲滅の斬撃。
並の英霊ならば塵芥となるのは確実であろうその攻撃に対し、黒のバーサーカーは―――耐えていた。
両脚で大地を踏みしめ、歯を食いしばり両目からは相変わらず血涙を流し続けている。
その貌は憤怒に染まり、太刀を振りかぶった。

両断。

紅海を割ったモーゼの如く、大水の攻撃は縦に切り裂かれ、バーサーカーのいる場所だけが真空状態となった。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!!」
水蛇を切り裂き、道を確保した黒のバーサーカーは、そのままの勢いで突進した。
「!!」
安徳天皇も水の障壁を出現させ、正面から迎え撃つ。

一閃。

黒のバーサーカーの大太刀は暴風を巻き起こし、水の盾はその形を残したまま安徳天皇ごとその身を吹き飛ばした。
「言仁!」
その姿に士郎は思わず諱を叫んだ―――返事は返ってこなかった。


上空でクルクルと木の葉のように舞いながら安徳天皇は思考していた。
強い。そう思った。戦いの最中に戦い以外のことを考える事は死に繋がると本能的に分かっていたが、それでも考えてしまう。“彼”の強さの源を。
それは力でも知略でも武功でもなく、精神にあるのだろう。
仕えるべき主を失い、一族が滅び、それでも鎌倉まで敵将の首を取りに行った彼の奥底にあったのは、怒りだ。
血涙を流し続けていることからもそれが分かる。怒りは悲しみを呼ぶものだから。
だが、その怒りを持続し続けたのは間違いなく彼のある種の心の強さだ。

それは主君を守れなかった怒りだろうか。

それは一族を守れなかった怒りだろうか。

考える。彼の怒りの対象は何なのか。
思考する。
「■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!!!」
その叫声は、あの壇ノ浦(せんじょう)で聞いた怨嗟の声と良く似ている。
彼等の怒りの対象は、敵であり、神仏であり、世の全てであり、そして―――
―――そして、安徳天皇は判った。判ってしまった。

「―――そうなのですね」

そして彼女は再び顔を憂いに曇らせた。悲しみが身を引き裂く痛みに耐えるような表情だった。


見えない。
何も見えない。
源氏に支配された世を見ないために自らの目を抉った逸話を保つ“彼”に視覚は無い、だが、“彼”にとってはこれこそが全盛期。
圧倒的な武力と戦績を持つ己にとって、目視が出来ぬ程度が何の不都合があろうか。
故に、太刀を振りかぶり―――

「もういいのです。景清。自分を怒らなくても」

―――凍り付いたように斬撃が止まる。

かつてバーサーカーだった英霊は全てを思い出していた。


笑っている。

武士、公家、坊主、民百姓にいたるまで笑っている。

戦が終わったと、驕った一門が滅び、平和な時代がやってくると。

笑え、笑いたければ笑え。その平和は弑殺と戮殺の果てに手にしたものだ。

―――覚えている。例えその尊顔を拝謁する機に恵まれずとも、天から地に降りた太陽の威光、野に咲く名も無き花を育むが如き後光は、一門全てが知っていたものだ。
我等全てが共有した大義。それはあの光をお守りし続けること。

だが、全ては終わった。
最早あのお方は―――我等の天子様はいない。波の下の浄土において眠りにつかれている。

自分に剛力はあれど、将器は無かった。それがあれば、あるいは、あの波間に消えた一門全てを救うことも出来たかもしれない。
後悔があった。悲嘆があった。憎しみがあった。
そして怒りが生まれた。
一門全てが戦い抜いた結果のあの光景を自らのみで覆せると一瞬でも思った己の傲慢に。
怒る。
ただただ怒る。
怒りのままに太刀一つを身に帯び、逆賊の首をかっ切りに旅に出る。
そうすれば、この身を苛む灼熱が消えると信じた。
それは、既に単なる私心と私怨に過ぎぬと理解していながら足を止めることは無かった。
そして、失敗し捕らえられ、挙げ句情けをかけられる始末。
最早これまで。己にできる事は自裁しかなく、やがて全ては忘れ去られた。

己に怒り、世を憎み、運命全てを悲嘆した英霊は、どこでもなくいつでもない場所で声を聞く。
怒りに目を曇らせた者よ来たれ、気の触れた狂獣よ来たれと。
怒りしか無かった魂に、初めて歓喜が生まれた。いいだろう。この魂を掻き毟るが如き痛みを、世の全てに訴えることができるというのならば―――そして、自らが抉った虚ろな眼窩を剥き出しにした狂戦士が顕現した。

光無き暗闇に、日輪の如き輝きが生まれた。太刀を取り落とす。膝をついた。
「■……■■■……■■■……」
後光差し込むその姿はゆっくりと立ち上がり、何でも無いように微笑する。
「そなたは自分が許せないのかも知れない。ですが、それでも許します。朕(わたし)が許します。景清、もう怒らずともいい。貴公は紛う事なき一門の英雄なのですから」
「■■……」
一つ一つの言葉を噛み締めるように、安心するように、狂戦士の身体の震えが静かになっていく。
狂戦士の武者は面を上げ、一度も見せなかった静かな笑顔を見せた。
安徳天皇と平景清の間に、大戦中とは思えない程の静かな空気が流れ―――
「■■■???」
取り落とした太刀が拾われ、再び景清が吠えた―――だがその叫声は絶望に満ちていた。



―――これでいい。
再び顔前の敵サーヴァントを攻撃するバーサーカーを確認すると、黒陣営の魔術師は結果に下衆な笑みを浮かべた。
その掌にはマスターを謀殺する前に取り去っておいた令呪があった。
都合良く三画全てが残っていたそれを、黒の陣営の魔術師は単純な使い方をした。
―――相対しているサーヴァントを殺せ。
令呪を用いた命令。これであの狂犬は誰かを殺すまで絶対に止まらない。
魔術師である以上、血も涙も無い行為が平然と出来ることが魔術師の強みであり―――そこが限界でもある。

「やっぱり近くにいたか。そりゃそーだ。あのサムライの攻撃の方向性をある程度操作するためには『仇』のテメーが近くにいないといけない筈だからな」

眼前に出現した男に慌てて魔術を行使しようとする。それよりも早く男―――ルチアーノの右手が一閃した。
ナイフで切り落とされた片手から鮮血が噴出し、周囲の木々を赤く染め上げる。悲鳴を上げる前に口を押さえ込まれた。
「相手が悪かったな。あの二人なら命は助けたかもしれねえ。俺のマスターなら再起不能にして死ぬより辛い目に遭わせただろうな。
だがあの二人はサムライとの戦いで手一杯、俺のマスターは家まで宝石を取りに行っている……つまりはそういうこった。運が悪かったんだよお前。さっさと舞台から退場しろや」
魔術師が最期に聞いた音は、ゴキリという自分の首骨がへし折れる音だった。

人の死体を塵紙を見るような目で、さっさと視界と思考の外に追いやったルチアーノは遠方を見る。
まだ令呪で操られた平景清は攻撃をやめていない。
ルチアーノはそのまま傍観を決め込むことに決めた。ファミリーの一員ならともかく、最近知り合った連中のために命を張る程清潔な生き方はしなかったつもりだ。大体自分が加わっても結果に大した変化は無いだろう。
「それに、だ」
現世で買った安物の煙草に火をつける。不味い紙巻きだが悪くない。紫煙を吹き出し、そのまま観戦と洒落込んだ。
「手え出しちゃいけねえ喧嘩もあるよな。せめて俺を魅せてくれや」



「■■■■■■■■■!!!!!」
血涙を流しながら太刀を振り回す景清に剛力はあれどそれしかない。悲嘆と絶望の叫びを上げながら太刀を振りかぶる。
安徳天皇は、その姿を前に必死で攻撃を防ぎながら、それでもこちらから攻撃は仕掛けなかった。
「鎮まれ悪七兵衛!一門の武者よ!自らを見失ってはならない!」
「■■■■■■■■■!!!!!」
平景清は、全身を痙攣させ、ひときわ叫びを大きく上げた。

殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。
……幾度も思い浮かべる。罪科からは程遠く、怨念を捨て去り入水したあのお方を。
世に平和をもたらすために自ら命を絶っていった一門の者達を。
落人に身をやっしたかつての仲間達を。
……死して尚、蔑まれる己自身を。
殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。
意識が遠くなり、思考が殺意の命令で埋め尽くされる。この身は令呪などという痣一つにも抗えないらしい。
前におわす方の表情は見えない。だが、悲しんでくれているのだと思いたい。
せめて、できる事ならばその宝剣でこの身を引き裂いてくれればこれ以上の喜びは無い。
そんな愚考をしながら、景清は愛刀を突きの形に構えた。頭では拒否しても、肉体は首級を上げる事以外には動かない。踏み出そうとした瞬間。
「待てよ。テメエ」
最初に相対した時、サーヴァントの前に立ちはだかった少年が再び前に立った。


衛宮士郎が召喚したバーサーカーには願いがある。
ただ与えられた人生しか歩まなかった自分が何かを手に入れたという証がほしいという願いが。
勝てる。
勝つことは出来るのだ。
安徳天皇が最終宝具を使えば、黒と赤のサーヴァント全てを鏖殺し、そしてこの街全てを破壊し尽くして聖杯に手が届く。最後に令呪で正気を取り戻せば聖杯を手に入れることは出来る。

だが、そんな形での勝利を、子供を守る優しい神様は望まなかった。
自分の願いはある。だけど他の生きている人々を犠牲にしてまで願いを叶えることはできないと。
そしてバーサーカーは正義の味方を目指す少年と共に戦場を駆けた。一人でも誰かの涙を止めるために。
未熟なマスターと、基本ステータスが低い英霊では、戦い全てを収めることは出来なかった。
騎馬に追い回され、爆弾に吹き飛ばされ、銃で撃たれ、剣で切られた。
多くの人々が犠牲になり、不幸になっているこの聖杯大戦で自分達の為したことが大きな事だとは思わない。

それでも、魂喰いから何の罪も無い人々を助けることが出来た
子供を守るために命を張って死にかけた大人を助けることが出来た。
崩れた建物では二人して泥だらけになって救助を行い、ほんの少しだが助けることが出来た。

その小さな偉業は、確かに誇れる安徳天皇の掴んだ何か。

そこまで優しく多くの人を助けた優しい神様を、よりにもよってかつて守ろうとしたお前が傷つけるのか。
それが勝つための正しさならば、俺はそんな正しさはいらない。誰かの味方にしかなれないというのであれば、

「俺は俺の相棒の味方になる……!!」

トレースオンの呪文と共に、利き手に宝刀が顕現する。
「士郎……その剣はセイバーの」
「あんたが止まれないのなら俺があんたの歩んでいる最悪の道を止める!俺達が止める!!いくぞ!」
「……わかった!一緒に征きましょう!」
宝刀の効力を目にしたことのあるバーサーカーは、士郎の為そうとしていることに察しがついた。
そのまま自らの宝具を『地面』に突き刺す。

「はあああああああ!!!!!!!!!!!!!」

気合いの咆吼と共に地面に八条の地割れが走る。それはすべて景清の足下に広がり、奇しくも八岐大蛇が獲物を喰おうとしている姿にも似ていた。
「■■■■■■!!」
景清が疾駆するために地面を踏み込む―――瞬間、白煙が周囲全てを覆い、足下から出現した水の流れが全てを呑み込んだ。
水天宮草薙剣(すいてんぐうくさなぎのつるぎ)の権能、水を操る力が、地中の地下水を爆発させたのだ。
景清が離れた瞬間、次に士郎が宝刀を振りかぶった。
それは、抜けば玉散る氷の刃、邪を退け、妖を治める天下の宝刀。

「村雨(むらさめ)!!」

斬撃と共に細氷が雪となり、そして全てを白く染め上げる。ことごとくを凍結させる閃光はそのまま体勢を崩した景清に襲いかかった。
「―――■■■■■■!!■■■■■■■■……………」
見る間も無く周囲の水分ごと凍結する身体は、それでも前に進み、進む度に身体の一部分が欠けていく。
その執念を前にした士郎は無理矢理強化させた身体で安徳天皇の前に立った。
「士郎」
「油断するな。こいつはまだ動いている」
「―――いえ、もういいのです」
静かに言う安徳天皇の前で、景清は唯一残っている無事な片腕に太刀を持ち、振り上げ―――


「……マジか」
この男には似つかわしくない呆然とした声色で、ルチアーノは眼前の光景を見ていた。
「……ったく。どうしろっつうんだよこの状況」
そこで再び紫煙を乱暴に吹き出した。
「似合わねえ、全然似合わねえ、殺し合いはもっと凄惨で、救いの無いもんだろうが」
そこまで頭をかきながらぼやくと、再び視線を『戦場跡』に戻した。


景清の太刀は自らの心臓―――霊核に当たる部分を貫いていた。血は流れない。死者に血は流れないのだから。
血涙は流れるのを止め、武者の貌はいまはただ静かな微笑を浮かべていた。
「景清……」
「天子様……」
景清の口からは流暢な言葉が出てくる。自決の一撃は狂気の呪いを打ち砕いたのだ。
「私は己が許せませぬ。主君を守れなかった無念と仇討ちも果たせなかった後悔、そして弱き自分に対する怒りが我が身を蝕み、とうとうこの身を狗畜生にまで落としました。しかしそうなって初めてここで天子様を拝謁できるとは……死した後に私心を越えた悲願が叶うとは……全くままなりませぬ……」
苦笑する景清に対し、静かに安徳天皇は未だに刀を握りしめている手を握りしめた。
「そなたの願いは」
「天子様に幸を」
生真面目に一言だけ願いを口にする景清に、かつての主君は困ったように微笑んだ。
「朕(わたし)は充分幸せです。死した後、時代を超えてまで思ってくれる臣下と、今の時代においても朕(わたし)と共に戦ってくれる相棒がいるのですから」
その言葉に、景清は安心したとでも言うように首を士郎の方へ向けた。
「少年よ……頼んだぞ」
「まかせろ」
迷い無く言い切った士郎の言葉を聞いた直後、景清の姿が透けていく。
死者があるべき場所に帰るだけの光景に、しかし光の粒子と成り消えていくそれは確かに美しかった。

「―――おすこやかに」

その言葉だけを残し、黒のバーサーカー、平景清は消えて失せた。
後に残された安徳天皇と士郎は、しばらく黙っていたが、安徳天皇が口を開いたことでその沈黙は破られた。
「―――行きましょう。士郎、まだ苦しむ民草はいます。非道な所業を行う者達もいるでしょう。私達は行かねばなりません」
そう言って、動こうとする安徳天皇の手を士郎が掴んだ。
「士郎?」
「……無理するな」
士郎は静かに、しかしはっきりと口に出した。そのまま安徳天皇の顔を身体で隠す。
「俺が隠しておくから、我慢はしなくて良い」
その言葉に、安徳天皇は戸惑いながらも答えた。
「……士郎は困った人です。これではやせ我慢などできぬではありませんか」
「良く言われるよ。言仁はよく頑張った。だからいいんだ」
彼女は顔を深く士郎の胸に押しつける。
「かげきよ」
散華した臣下の名前を呟き、安徳天皇の声が涙声に変わる。
「……かげ、きよ、朕(わたし)を知る人、それなのに、それなのに……うわあああああああ!!」
「良いんだ。泣きたければ泣いて良い。言仁は神様だけど人間なんだから、誰かのために泣けるのは優しい人間の筈だから、良いんだ」
幼帝と正義の味方、二人しかいない場所で、誰かのための泣き声はいつまでも響いていた。

「こういう結末か」
全てを傍観していたルチアーノは、短くなった煙草を地面に捨て、足で踏み消した。
「ジャパニーズはわかんねえなあ。まあ、わかりたくねえが」
だが、と独り言を区切った。
「悪かなかったぜ」
ルチアーノは夜空を見上げた。既に月は群雲に隠れていた。