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あらゆる場所に花束が…



ついに出た中原昌也の長編。しかも三島由紀夫賞をとりました!(青山真治もすごい)。それにしても装幀がまた・・・。文体に現れているユーモアをたっぷり含んだ不気味さをここにも表しています。インパクトあります。

この人の作品を読んでいる時間はとても楽しいのですが、感想を書こうとするとなにも浮かびません。まったく脈絡ないままに行くとこうなっちゃいます。


人間はどんなときに凶器と化すのか。すがすがしい朝の日差しが突然凶器を刺激する。そんな一見結びつかないような出来事がこの作品のベースには流れているようだ。

会話にだって連続性など無い。ひとは他人の話を聞き続けられるほどの余裕も能力もない。そこにすら自分の内面を投影しているだけなのだから。コミュニケーションも自分の思う方向性への確認作業だ。想像のつかない物語など求めてはいない。すべてが予測通りの展開。人生の大半を、決まり切ったルールに乗せることで築かれる安心。凶器のやどる隙間は沢山に存在する。きっかけを待っているそれらを意識することもない。他人への無関心さが鈍感な自分をもつくる。

残忍な衝動が不意に口元からあふれる。他者の声となったそれを耳にして、またしてもスイッチがはいる。

突然目の前で惨劇が繰り広げられる。映像に鍛えられた感覚からは、おおきな動揺すら生じない。蓄積された惨劇はいつしか僕らの原風景となって、懐かしさすら伴う。心の「ふるさと」となったそれら残忍さは、ハードディスクへと可能な限り保存され、引き出されるのを待ち望んでいる。

ストレスはもはやエネルギーでしかない。屈辱も侮蔑もみな保存される。余暇活動にカタルシスを持ち込む。浄化作業。すべてを真っ白に。たいらでむらのない世界へ。世界の惨事に胸をときめかせ、思考のパラダイスを生きる。商品化された浄化グッズはキャラクター化され、言動へと還元される。

お約束の「キャラ」を生きる時間を人それぞれに使い分けていく。カード対決は隠れキャラの数できまる。妄想されたそれぞれの物語を生きるために。邪魔する者へは、凶器の制裁。

お笑いは凶器と表裏を為す。ナンセンスは実践への知恵となる。笑いに学んだ凶器を人々は演じる。カットアップされた断片が笑いを生み、カリスマを生む。

中原の小説はまた一つ既成の事実となって、僕らのハードディスクへと保存されるのだろうか・・・。

その後色んな文芸批評で中原に対しての困惑的態度を見ることがある。これら冷静な分析を施すほどに、実体とはほど遠く、何かの代償では語り得ないものの評価について考えさせられる。2001.06.23k.m


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