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「愛国」問答


  • 「愛国」問答 これは「ぷちナショナリズム」なのか
  • 香山リカ著
  • 福田和也著
  • \720
  • 中央公論新社
  • 2003.5

ナショナリズムという問題はじわじわと浸透している。言葉の定義からすれば本来のそれとすれ違っているのかもしれないが、とにかく話題に上っているし、日常生活で口にする言葉の中へも定着していく感もある。関連した本もたくさん出ている。大きな本から、比較的読みやすい新書まで様々だ。この状況はとにかくも日本で比較的タブー視されてきた領域への議論を色んなカタチで生産させる契機になっているのだろう。

この領域においてはかなり引き出しの差がある二人の対談だと思うが、一方でこういった状況こそがナショナリズムという言葉を取り巻く「今」をとても反映しているのだろう。香山氏の切り出しに対して福田氏の見せる視野の広さは思わず笑ってしまうくらいだ。そんな遠くから引用しなくたって、と思うくらいデータベースは迅速に動いている。

「ボウリング・フォー・コロンバイン」を見たときもそうだったが、恐らくいま一番の話題は「不安感」ではないだろうか。あの映画では政府と結託したマスメディアの「不安を募る戦略」にすっかりはまったアメリカ人というやや「極端な側面」を強調していたが、銃社会のない日本にだって不安が生んでいる事象はたくさんある。毎日TV(特に朝のワイドショーなど)を見ていると、謎の白い集団の驚異から、SARS、北朝鮮、金融危機、通り魔殺人、放火、ひき逃げ、井戸水、食べ物、教育、、。それらほとんどが「不安」をうながす見せ方をこれでもかと繰り返し叫んでいるようだ。

この対談でも一番多く出ていた、というよりも中心にそれら「不安感」があり、それに対処するなかで派生的にナショナリズムが語られているに過ぎない。もはや成熟しきった先進諸国は、「今」ある安全性・生活レベルを「守る」という意味で保守化はさけられない状況なのだろう。思考的レベルでの左翼思想にはじまって、趣味化した主義・主張では不安は救えない。それらはフィギュアやカードのように個人趣味化しているのでは。もはやサブカルチャーという分類すらなく、文化だけでなく全てがメインなどに向かえない、不安だけが中心を独占している時代なのだろう。

人々は大きな不安の周辺で、個人趣味化した様々な思想・政治意識を小さく消費しているに過ぎない。そんな風にも思えた。福田氏の迅速に回転するハードディスクのような語り様には、そんな趣味化した思想を「いかようにでも提供出来ますよ」と言われているようだった。そして香山氏の繰り返される憂いは、逃げ切れない人々の「すべてを不安材料」へと導かざるを得ない、追いつめられた、またはそう振る舞うことを強要されているような、現代人の代表を見ているようでもあった。2003-05-18/k.m


カテゴリー-社会思想新書政治


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  • k.m>上山達郎さんのレビュー2003-06-24 (火) 01:50:41
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