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過防備都市

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昨年から「自由を考える」東浩紀・大澤真幸(著)とか、「不自由」論 仲正昌樹(著) とか「プチナショナリズム症候群」香山リカ(著)など、9・11前後のセキュリティー社会の動きや、愛国心を謳歌する若者へのズレなどを憂う著作の延長線上にあると思う。

これはもともと建築系の雑誌「10+1」などで連載されていたものだ。セキュリティ意識が恐怖を再生産するという悪循環を分かりやすくまとめている。

建築の設計をしていてもセキュリティの問題はここ1年くらい関心が高い。周辺でも泥棒などの被害に合う人が多くなった。一方で、この本に象徴されるような「恐怖をあおる社会」なるものが、近年顕著になっていることを痛感する。

もうひとつ象徴しているのは、このような著作のように「情報のパッケージ」を最大の売りにしている本が多く売れている。この本は9割がたがデータベース的な情報で、著者の個性はその組み合わせと、情報をつなぐ言葉に多少表れている程度だ。

それは「モノの消費」から「情報の消費」へ大きくシフトしている社会を顕著にあらわしてもいる。マイケルムーアのドキュメント映画へ代表されるように、事実を元にしながら、パッケージングを恣意的に行った戦略的作品は多い。

そしてそのような情報戦略は、必ずしもだまされている訳ではなくて、知っていて楽しんでいる人が多いのではないか。

今ほど環境問題とか安全とか、人々が避けがたい部分を材料にして政治的な利害を循環させることが出来る社会はないのではないか。そして同時に今ほどインターネット内のように、それら全てを暴き出してナナメに見ている人が多い時代はないのではないか。

どこまでもメディア間(TVとネットとか)の格差は激しくなっていると思う。それは世代間の格差にも通じるし、一部の保守的な人と革新的な人の格差にも通じる。そして面白いのは、一方でみんなは両者を俯瞰的に見渡してもいるということだ。

そのように情報の消費とかマーケティングでは表現できない部分へ今後の関心はシフトしていくのではないか。それはカルトとかマニアックなものばかりでなく「全体を俯瞰できる」という視点が生み出していく動きではないか。そんな動きを追いかけてみたい。2004-08-01/k.m

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カテゴリー-社会建築新書