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「ヴェネツィアの宿」

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エッセイ旅行


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イタリア文学者。デビュー作からたった8年、69歳で病死されました。没後に刊行されたものを入れても著作は10冊に満たないのですが、静かでしなやかな筆使いでつづられた作品に、惹かれていくファンは多いようです。またしても、猛暑のなか心安らぐ思いをさせてもらったエッセイ小説。

自分探しの旅にでる若者は今日でこそ多いのだと思いますが、はたしてそこで見つかったのものは何なのでしょうか。日本のそれも生まれ育った土地からほとんど出たことのない人にも、しっかりと自分というものを持っている方は大勢います。

あの時代、海外での生活を送ることにどれほどの勇気と決断が必要だったのかは、先日まで海外にへ行ったことのなかった自分には想像もつかない大きさだと思う。反面、コンテクストの関係ない、全てが横並びになった現代消費世界の中で、海外の旅になにか新しい自分を探すなんて、何かの「うたい文句」程度にしか思えない気もします。

「しばらくパリに滞在して、宗教とか、哲学とか、自分がそんなことにどうかかわるべきかを知りたい。いまここでゆっくり考えておかないと、うっかり人生がすぎてしまうようでこわくなったのよ。」作中の、須賀さん本人のそれとも取れるような、カディアというドイツ人女性の言葉。

その人生に居場所を求め、彷徨い悩み苦しむこと、それ自体に大きな意味はありません。その繰り返しのみが、僕らへかせられた宿命なんだと思います。辛いことも、楽しいことも、忘れることなく自分の中へしまっておくこと。ふいにその引き出しが開けられ、自分でも操作できないような行動をおこさせる記憶。

蓄積されたモノの大きさに気づかず、自分の来た道に疑いの思いも抱かず、ただ前を向いて進む事が出来れば、それはそれで迷いのない人生といえるのでしょう。

けれど、屈折した思いの中から、何とか糸口をみつけること、あるいはただ何気なく日常を通り過ぎていく日々を、夜な夜な焦る思いで繰り返すこと、外にも内にも当たることが出来ず、なんだか分からないうちに神経がおかしくなっていくこと、生活をしていく中には、そんな一見どうにもならない迷いがたくさんあります。

この著作では、人生の途上に現れていった人々と織りなした、様々なエピソードが物語られています。

父や母へのまなざしには、個人として描かれていることを感じさせます。それは家族ですら、人生の中での出会いの一つとして語られている気がしました。

全ては精神なんだと思う。その生活を支えるものは・。 僕らのような世代には、ちょっと歯が立たないような精神の強さを感じました。

2000.08.14k.m


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