ついに観た!。といってもまだ先行ナイトだ。しかし先々行を逃した時点で既に焦ってもいた。2億を投入したメディア戦略にはまったとか言われようが、観なければ気が済まない。打ち合わせ途中でも抜け出して行った(そんな大げさな話でもないが)。さすがに大型の話題作だけあって、夜遅くの歌舞伎町ミラノ座を埋め尽くす勢いはあった。終電過ぎである次の回も、外まで行列を作っていた。
ちなみにネタという矮小な括りで、あたかも映画の魅力を半減させてしまう力があると思われている「ネタバレ注意」という宣言へは、ちょっと批判的な意見だ。なのでそこら辺お構いなしに行く(まったく、この言い方は、同じくらい矮小だぞ)。
テクノロジーの進化は行き着くところまでいった(?)。もう「笑ってしまう」くらいスゴイのだ。実際観客みんな大笑いだった。キアヌ・リーブスはマジ顔で迫真だったのに。こんな笑いは初めてだ。カメラワークが想像を超えたアングルを生みだし、いままでのカーアクションを全く違う角度で見せてくれた。パロディー的なカンフーアクションが、笑えないくらい迫力をもってしまった。そこに思わず笑いがでてしまうのだ。
僕らはコンピューターの複雑なシステムを「デスクトップ」とか「ゴミ箱」と言った、日常の世界に置き換えて理解している。さらにホストだとかクライアントだとか言ってネットワークというモデルを理解している。それらのメタファーが目に見えない複雑さに視覚的な明快さを与えている。
この映画はそれらメタファーをとても自在に操っている。終末的な危機感とは裏腹に、思わず「吹き出して」しまうのもそんな巧みな発想にあるのだ。執拗に使命感を持った「カギ屋のおじさん」も、無限に繁殖した「エージェント」も、みな複雑なシステムをうまく「たとえ」ている。どんなにSF映画がテクノロジーを追求しようとも、想像を超えたイメージは、むしろ存在していないのと同じなのだ。マトリックスのすごいところは、身近なメタファーを通して、果てしない複雑さへと表現を結びつけているところだろう。
僕らは常に肉体的なものを基盤にして非肉体的なものを概念化している。そして具体性に欠しい概念は、僕らの経験の中に直接基盤を持つ、より明確な輪郭をもつ概念に基づいて部分的に理解されるのだから・・。
すべての登場キャラがそれらコンピューター世界のメタファーであること、生真面目な正装ぶりや、その着飾った姿へスタイリッシュさを見出せてしまうこと、僕らの世界をイメージする紋切り型を逆手にとって、先回りしているその「あっけらかん」とした姿へ、思わず笑ってしまう。なんとも狡猾で周到な映画だ。恐ろしや。2003-05-31/k.m
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