たとえば主人公が殺されるシーン。70年代映画に見られた不条理。恍惚とした臨場感。やがて訪れる鳥肌の立つ思い。そして吐き気のするようなうんざり感。
洪水のように畳み込むイメージの連鎖は脳内ドラッグのようか。覚醒を経験していない体へ疑似体験させるマインドゲーム。世界をメタファーで覆いつくした90年代映画を乗り越えるものはここにあるのではないか。
意味のない世界。そこへ感じ入ることが出来るのならば、画面の中へ走りこめるのではないか。日常は妄想だ。病的であることはそれを問うことの出来ない思考停止から生まれる。ならばこの運動をみることで自分の立つ位置が少し分かるのかも。 2005-04-17/k.m
カテゴリー-映画