全米を震撼させたというコロンバイン高校銃乱射事件。その1時間前にアメリカはコソボへの大爆撃を行った。9・11後、国内の社会問題はほとんどがうやむやのまま軍事費増大の右傾化へ向かう。アメリカのこの状況に疑問や危機感を抱く世界中の声があふれている。
この映画の登場はタイミング的にもすばらしかった。マイケル・ムーアはアメリカ銃社会を皮肉に、そして批判的に、時に大爆笑させるギャグとして描く。大笑いしたあと、心のスキマにグサっと切り込む。これはエンターテイメントの常套手段でもある。
彼はアメリカの陥った現状を分析し追跡していく記録映画としてこれを提示し、「なぜなのか」を常にインタビューイへぶつけ、誰の答えも的を得ていないことを示す。そして自ら導いた結論を徹底的にアピールする。それは「消費者・市民」を洗脳する「メディア・政治家」の恐怖心を煽る「戦略」だった。ほとんど無自覚に押し進められるそれは資本原理の追従にほかならない。成るべくしてなった「行く末」にも見える。あまりにも明快で分かりやすい結論だ。
ただ見終わって思うのは、この映画はマイケル・ムーアが批判した「偏ったメディア」そのものだったと言うこと。アメリカ人をある極端で一面的なカタチに加工し、彼が見つけた結論へ強引なまでに導く洗脳映画でもある。そして使われた手法はアメリカの得意とするエンターテイメント。娯楽性だ。批判対象の姿そっくりに似せてそれを上回るインパクトを獲得しようとしている。とても「あざとい」そして良くできた作品だと思った。今の時代なにか政治的な意見を用意するのならば、自らもそれと分からない素振りで徹底的に政治的であるべきだ。そんな風に言われているようでもあった。2003.03.02k.m
カテゴリー