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プロトタイプ

「設計思想の一貫性を支える条件」/奥山 信一さんの文章を読んで、思ったこと。

抽象的な議論から建築へアプローチするときに、敷地との折り合いの付け方をいったん保留にして、プログラムそのものへの、問題意識を探る事がある。常に与件からスタートする設計において、回答はすでに決まってしまったかの様な錯覚に陥ってしまう時もあるので。

だが抽象的な議論から、具体的なシーンを抽出する事は難しい。いつもその矛盾と飛躍とを不思議に思い、ふたつの距離感が気になる。抽象さのなかには、個別の建築を、都市計画まで拡張してしまう危険性がある。人の動きを、ゲームの駒の様に扱い、あたかも動線をぶつけ合う事が、新たな発見を促す最前の手段であるかの様な。

身体的な規制を与えることは、時にその活動意識へ、なにかしらの影響を及ぼし、それがきっかけで新鮮な感覚を覚醒させる事もあるだろう。ただしその決定根拠の透明度を高めて行かなければ、説得性は弱くなってしまう。そうして行く内に、常に社会のプロトタイプとなる様な回答を模索していくのではないか。

ただし、うつり変わっていくのが人間の感情であり、その集積としての社会だろう。建築の耐用年数に釣り合うよな、プロトタイプ的回答など、実際に存在しているのだろうか。プログラムの議論、市民ワークショップ、それらソフトへの問題と、最終的に提出されるカタチとの距離感とは、受け取る人によって様々だ。そして建築のながれを作ってしまうのは、両者の関係ではなく、常に作り出されたカタチではないか。

優れた建築が、その後の流れを左右するのは、その空間の作り出す新鮮なイメージが、ビルディングタイプを越えた、汎用性を秘めているからではないか。建築に求められる新しさとは、結局ソフトの問題とは別の次元で存在してしまうし、カタチで提案する事が、建築家に求められる最大限の姿なのだろう。99.10.30/k.m

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