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プレイ・タイム



コメディー映画だが、もっぱらその空間表現、超モダンな都市風景など、建築的要素の多い映像表現として知られているのではないか。

劇中が乾いた空気の中、繰り広げられる主人公ユロ氏の行動は、セリフが少ないせいかもっぱらそのモダンな風景の一部として見えてくる。描かれる建築空間の均質さと、コメディーとしての動きが、等価でヒエラルキーを感じない。それはユロ氏の行動の特異さを打ち消すほどに、周辺人物達の動きが、均質で秩序立てられているからだ。

それはねらいなのだろうか。空間を際だたせる効果としてはとても成功している様に思うが、コメディーとしてはどうだろう。あまりに人物のインパクトが弱く、気付くとその建築表現ばかりに気をとられてしまう。必要以上に反応する向きもあったが。

ちょっと物足りなかったので、再度見る。しかし今度は、細かいところがより見えてきて、ジャック・タチの周到に練られたギャグのディテールは、セットに見られる建築言語の緻密さと絡み合い、恐ろしく完成度の高い映像作品として浮かび上がってきた。


この映画のイントロで、われわれの意識は、すでにその物語り以前に<空間>へと向けられる。同一の空間でありながら、そこを横切る人物たちが 次々に発する<記号>によって、その空間の解読を観衆に自然に促すようにタチによって仕組まれているからだ。その空間は、まさに均質な<ユニヴァーサル・スペース>であるが故に、人物たちが発する記号によって、その意味は次々に変質する。究極のモダニズムとも言えるこの空港ロビーのセットから始まるこの『プレイタイム』は、監督タチのこの映画への意 識を明瞭に伝えている。敢えて言うなら、この作品の主役は建築や都市といった<空間>なのである。

(空間のシネマトグラフィー/鵜沢 隆/建築文化より)

99.10.03/k.m


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  • ものりs>この映画の見所は、雑多な人物のそれぞれの動きが纏まって全体として交響曲のような効果を得ていることだとおもう。私はアイヴズの交響曲を思い出した。2003-12-20 (土) 21:15:15
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