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フィラメント



すぐに見境のつかなくなるため「切れやすい電球」と呼ばれている主人公の今日太(大沢たかお)と、写真館を営み女装癖のある父親(森村泰昌)、ヤクザと離婚したバツイチで夢遊病癖の妹(井川遥)。今日太の母親はパチンコ屋で知り合った若い 男と駆け落ちしてもう十年になる。不良仲間とオヤジ狩りを続けていた今日太だが、最近は興味を失い、まともに働くよう心掛けてた。しかし、持ち前の切れやすい性格が災いし、何をやっても長続きがしない。

そんな今日太に次々と事件が襲いかかる。ヤクザから拳銃を奪い、酔っ払いのオヤジを射殺してしまった不良仲間の死。駆け落ちした男に棄てられ突然家に帰ってきた母親とそれを寛大に迎える篤次郎。そして、一線を超えてしまいそうな妹との関係..。

辻仁成はこの作品で、家族の再生を描いているという事だが、はたして、この家族は再生は可能だろうか?そもそも家族だったのだろうか? キレやすい主人公は自分の性格を家族のせいにし、妹は本心を内に秘め夢遊病のふりをし、家庭生活のストレスからなのか、父親は女装癖、母親は若い男と駆け落ち。家族がこの様な状況で何年間か過ごす事ができている時点で「家族」ではなく、同居人である。

この映画で、家族再生をテーマとするならば、家族だった頃を少しでも描く必要があったのでは?元の形(本来の家族)が不明なため、この映画からは、再生が可能、不可能がみえてこない。全体的にぼやけてしまっている。妹が特にそのぼやけ感が出てしまっている。キャラとして弱い。こんなにめちゃめちゃな家族の中で夢遊病はどうなのだろうか?もう少し、傷(病<やまい>)が強く出ていてもよかったのでは・・・。だから、兄である今日太との関係もいまいち軽薄に感じられしまった。

しかし、そもそも作家として名のある辻仁成は登場人物のセリフに家族再生のヒントをばらまいていたかもしれない。そう思える程、心に引っかかるセリフが、色々な場面に存在していた。この作品はセリフを逐う作品といえるかもしれない。2002.03.27i.m


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カテゴリー-映画