オープニングから城は動いていた。いきなりクライマックスな演出かと思ったが、もっとすごい場面はそこではなかったのだ。ソフィーという垢抜けない主人公が愛と冒険を繰り広げていくなかで成長していくドラマだった。ハウルという城の家主は「はかなげ」だった。そしてこれは擬似家族が形成されていくドラマでもあった。
舞台はほぼワンシチュエーションだ。まるで三谷幸喜が演出したかのようにシンプルな場面構成の中で人物のキャラクターを立たせた群像劇のようだ。戦争が描かれていた。ハウルは常に戦いのなかで消耗しきっていた。けれどその戦いは何故起こっているのか、また終わりはあるのか。それらは全く明らかにされなのだ。ただ殺戮は繰り返され、擬似家族へ深い影をおとしていくばかりだ。
ハウルは初めキザな紳士のように登場した。荒地の魔女はいきなり襲いかかった。けれど城の中で前者は「少年」となり、後者は「おばあちゃん」となった。マルクルはやんちゃな坊や。カルシファーは一家団欒の象徴。ソフィーはお母さんであり、おばあちゃんであり、娘であった。彼らは城のなかでまるで失われた家族像を追い求めるかのように急接近していくのだった。
ソフィーは荒地の魔女にのろいをかけられた。そして「老人」となった。容姿がいっきに変化して精神は元のままだった。けれどすぐにソフィーは「老人らいく」なってしまった。初めからそうであったかのように。まるで老人というエクリチュール(社会的慣習の中で作られていった存在領域)によって自らを縛りつけていくかのように。これはソフィーが自らの精神的老いを克服し、個の愛の力で世界平和までをも獲得しうるといった壮大なスケール感をもったドラマではないか。2004-11-20/k.m
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