久しぶりの黒沢映画。しかも劇場で見る。そんな場面でメガネを忘れた。最近多いこの忘れ物。仕方なく一番前で見た。確かにプロジェクターを上回るにはこの手段が一番わかりやすい。新宿テアトルはそれほど首いたくならなかったし。
最終の7時スタート。半分も埋まっていない。都内2箇所くらい。これが黒沢評価だ。きっと勤め先で名前上げても何人も反応しないだろう。感想も言い合えないむなしい関係。阿部も中原も保坂も知らない(小説だけど)。そんな中で「何か映画みました?」、って聞かれても・・。
観終わって。確かにメジャー作品にはなれないなぁ。素直に「面白い」って言いにくいし。『カリスマ』以降、その継続るす思い切りの良さはスゴイのだけど、トータル的によく分からない作品ばかりになって来た。
相変わらず変なシーンが多い。西島秀俊演じる編集者のインテリアが妙だ。中谷美紀が住み始めた家のつくりも変。ゴミを焼却する装置も妙な迫力。豊川悦司がたまに来る大学の研修施設、なんで同じ敷地に建っているの。大学の同僚、大杉漣は金もうけにはまっている。市場主義化する教育機関?。安達祐実は死んでいるの?幽霊なの?。加藤晴彦の妙な軽さはいったい・・。
何よりも変なのは演技だ。あれだけの名優達が集まっているのに、あれだけ乾いた棒読み的な台詞回しは空間をとても平坦なものに見せる。極めつけはホラーの描き。もはやホラーであることが形式でしかないように、半ば馬鹿にされた気分になってくる・笑。お約束の幽霊登場も、驚いたこちらが恥ずかしくなるくらい、一瞬で忘れ去られている。なんの恐怖も引きずらない演出。
風が吹いたり、抱き合ったり、走ったり(それらはホントにスバラシイ)。それなりの「盛り上がり」はあるのだけど、ベースが徹底して平坦な渇きに支配されているものだから、今更気分は変わらない。コレも何かのフリだな・・。って先回りしたくなる。ラストのアン・ハッピーエンドなんて、思わず笑ってしまった。
文学界の対談で阿部和重は、「(黒沢監督は)現代の映画作家として今、一体何ができるのかということをまず熟慮しながら、(ジャパニーズ・ホラーという)ジャンルをベースにした上で撮るという二重の困難を引き受けている」と言っていた。そうとも見れる、と思う。けれど好き勝手やって、そんな風に批評される黒沢清って幸せだ。2006-09-23/k.m
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