コンセント



物語に没頭するよりも、心理学と精神分析の違いについてや、科学的な世界とシャーマニズムなど精神世界の対比について書かれた所が面白かった。小説には知的教養を促す箇所が大抵入っているものだが、それが人物像を語る上で重要だったりもする。この小説の主人公には妙に分析的な面があり、上記のような精神構造の解析と、宗教的な衝動との対比は常に物語の軸となっている。以前読んだ著者のエッセイもそんな面が多かったと思う。 ただ著者のどこか冷静な文体には、物語のなかで起きている人間性の振動の大きさを打ち殺してしまうような感触を感じた。確かに自身を分裂病の症状と比較し、そのような自覚を分析することで、かろうじて病気でないことを言い聞かせながらも、衝動がそれを越えて破壊的に襲ってくる所など、迫力があり興奮させられる。

しかしそれをも越えて冷静に語る著者の視点はどこか遠くを眺めているようだ。その眼差しが没頭から客観的な視点へと引き留める働きをしているように思った。

冷静ながらも世界を言い当てる姿勢には共感をしてしまう。それは同時に、言い切られる事へ「弱い」自分を見せつけられているようでもあった。その様に、控えめながら確実に言い当てている「したたかさ」へ魅せられている人も多いのではないだろうか。それと、著者のように世界を発見する敏感な感覚を持つ人も多いだろう。田口ランディはそんな時代の持つ感覚へ、共鳴し代弁しているではないかと思った。

この作品は映画化されている。近々公開されるようだ。小説のなかで頻繁に出てくる幻想的な場面が、どのように映像化されているのかとても興味深い。現代小説は、映像文化の上にも立ち上がっているように思うので、映像による再解釈にはどこか必然性も感じる。より感覚的になっている言及には、映像の方が説得性があるのではないだろうか。もちろんそれらは、原作とは違った世界でもあるのだけど。 2001.12.16k.m

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最終更新:2008年04月11日 08:03