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クロエ


  • 2001日本/サンセントシネマワークス
  • 監督・脚本:利重剛
  • 製作:塩原徹/長瀬文男/仙頭武則/松下晴彦
  • 脚本:萩生田宏治
  • 撮影:篠田昇
  • 音楽:今野登茂子
  • 出演:永瀬正敏/ともさかりえ/塚本晋也/松田美由紀/鈴木卓爾/福崎和広/西島秀俊

シアターイメージフォーラムへ来たのは初めて。高崎さんの設計した建築は、思ったほどこじんまりして、彼の作品であるのかも疑わしい。やはり都心の過密した与条件の中で個性を出すには、現代建築に許されたボキャブラリーはもはや狭いものなのかと思った。

小説「うたかたの日々」を利重監督は現代日本の架空都市に舞台を移して表現した。冒頭に「この映画は原作の忠実な再現ではない」といった「うたい」があったが、むしろ意匠を変え、舞台を変えたこの作品には、充分に原作のイメージを映画的に膨らませた魅力を感じた。たまたま今回はボリス・ヴィアンの原作を読んでから見たので、そのイメージ化という視点をまぬがれない。

コラン演じる(実際は一度消化されたイメージだと思うので、明確な置き換えにはならなと思うが。)永瀬正敏は、恋愛での幸せに対してどこか臆病で、友人との生活にむしろ安心感を抱いている青年。受け継いだ資産でなく貯金でためたお金という所や、雇われた料理人ニコラ(小説では僕はむしろ彼の存在が一番好きだった。)の存在がない所などが原作と違うが、現代日本という設定では当然の置き換えだろう。むしろこの映画で表現された仲間との屈託のないつき合いぶりや、プラネタリウムで働くというやや匿名的な世界には、不思議と共感を受けることが多かった。

反面、取り囲む仲間はとても原作に近く、キタノという架空のカリスマ(原作はサルトルのパロディー?、そして映画では青山真治が演じるパロディー。)に熱狂的な友人と、それに悩まされる恋人、陽気な牧師、おかまの二人。どれも小説の楽しいエッセンスをうまく映像化している。むしろ監督のなかでこれらの物語が、きれいに昇華しきったという充実感すらうかがえた。

さて、小説ではクロエが病におかされ、やがて悲劇の連続が「なしくずし」のように訪れるのだが、その中には常にユーモアがブラックのように混ざり込み、残酷さを増す。そこには、どんな希望も悲観も侮蔑も等価に並ばされ、突き放すように作者の冷徹な眼差しすら感じる。僕はこの描き方に戸惑い、最後までどこか分からない部分をのこして終わっていった。前半の恋愛物語など、何処に流れていったのかと不思議に思った。しかしそれは同時に不可解ながらも、この小説の魅力として読後に「じわじわ」とにじみ出てくるのでもあった。押しつけがましい教条的な部分もなく、おきまりの愛情劇でもなく、それこそ残った希望など、どこにも存在しなかった。けれどそこへ不条理な世界を見て、しかも軽い意匠に徹してそれらを語ろうとする作者の姿勢になんとも言えない魅力を感じた。

映画はそうは行かないと思う。そんなに希望のない意匠はイメージとして厳しすぎる。監督もそちらの方よりも、幻想的な部分を大切に表現していたのだと思う。僕もその描き方には共感した。またそれくらい幻想的な描写も多く、映画においてそれら細部が果たす役割は非常に大きいのだと思う。

鈴木卓爾が良い。彼の演じたおかま役はとても人間味があり、二人の幸せを取り囲む存在として印象に残る表現だった。塚本晋也もまた良かった。キタノに夢中になり、彼の哲学を自分の言葉のように語る姿には、空虚な日常を埋める対象を見つけた人間の盲目的なさまをとてもリアルに表現しているのだと思った。これら二人の監督達が、同時に優秀な演じ手でもあるのだということは、今回の作品をつくった監督が、魅力ある俳優でもあることにもあらわれている。

クロエ役のともさかりえ。僕は彼女に元々どこか「はかなさ」を抱いていたので、今回のような役柄にはぴったりだと思った。あの笑うとくちゃくちゃになる顔には、すぐに消えて無くなりそうな一回性を感じてしまう。どんどんと小さくなっていく部屋のなかで、なおも日常的な喜びを見つけていく姿は、なんとも感動的であった。

二十代前半の女性が多く、終盤には、はなをすする音なども聞こえた。土曜日とは言えほぼ満員の会場において、この物語に共感を寄せる現代女性の面々を見た気がした。2002.07.07k.m

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カテゴリー-映画


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