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カミュなんて知らない

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  • 監督:柳町光男
  • 脚本:柳町光男
  • 音楽:清水靖晃
  • 出演:柏原収史、吉川ひなの、前田愛、中泉英雄

劇中劇というスタイルを使って、見る側へ映画というものを考えさせるという点で、高橋伴明監督の作品である『光の雨』を思い出した。

あちらが、立松和平の同名長編小説を映画化しようとする「今の時代」を生きる人々の物語であるのに対して、こちらは愛知県豊川市で実際に起きた老婆刺殺事件と、その犯人である男子高校生の証言を手がかりに、大学生たちが事件の映画化に取り組むというドラマ。

連合赤軍事件と、不条理殺人。どちらも若者の起こした事件が、大きな社会問題となったもの。それを若者が映画化し、その過程で苦悩したり、ぶつかったりする様をドキュメンタリーのように映し出す。どちらも似たような構成ではないか。

「人殺しを経験してみたかった。人を殺したらどうなるか、実験してみたかったと言ってもいいです」(犯人のセリフ)。学生達は、殺害時に犯人である高校生の目つきが普通だったか、異常だったか、意識は正常だったかで議論しあう。それはカミュの小説「異邦人」によって、「太陽が眩しかったから」と殺人を犯した主人公ムルソーの不条理殺人が社会現象となる衝撃を生み出したことを劇中で反復させている。

ラストの殺害シーンでは、それが劇中なのか、現実なのか分からない演出となっている。殺意や殺害という行為が、それを演じる若者にとっても犯人と同じように興味深いことであり、説明の出来ない殺意、理解に苦しむ行為といったものの存在について触れているのだと思う。

あたかも異常者だけが殺害を起こし、正常な人物が突然豹変する可能性については、誰もが目をそむけてしまう。信じがたい現実とは、存在した事実とともに全て封印されたかのように。フィクションを描く映画は、その可能性についてもう一度向き合う機会を与えるのだと思った。

なかば強引にそれはドラマの体裁をとって見る側へなだれ込み、ショッキングな事件として脳裏に焼きつく。もはやフィクションだと言い聞かせても、写し出された映像が全て空想ではないことを、見る側は自覚している。2006-10-09/k.m

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カテゴリー-映画