今日は久しぶりに午後まで眠っていた。ゆっくりと起きあがり、遅い朝食、そしてのんびりと借りてきたDVDを見る。「まぼろし」には重たいテーマとは別に、日常を送る様々な所に快適さがあり、それはデザインによって支えられていることも伝わってくるシーンがある。快適なことを察知する姿勢とは、このような精神的くつろぎの時にこそ冴えてくるのかもしれない。
「easy traveler」という雑誌を購入し、久しぶりに快適さについて、のんびりと考えてみた。特集に「快適!」とある。確かに、わざわざ「!」をつけて気合いを入れてみないと僕らは快適さに近づけないのかもしれない。しかしこの雑誌は「!」とは打って変わって、いい感じに気の抜けたまとまりを持っている。
テーマに対するやわらかなアプローチ。それは少し物足りない程度なまとまりだ。けれどすんなりと読める程度の文字量と、一冊がまるごと快適というテーマで通している明快さには魅力を感じた。BURUTUSがフェティシズム的にテーマをこなす態度に比べると、とても身近な存在感だ。
内容も衣・食・住という基本的なアプローチを取りつつ、それぞれに日常よりも少し先に視点を置いた所がよい。デザイナーズマンションから、ソックスでできた快適な服まで、ターゲットとしては、きっと僕なんかよりも若い女性なのかもしれないが、そう思わなくても、そう思ってみても、興味はもてる。
そして全てこの様な言葉は、快適さを実感として持てているかもしれない、あるいは持ちたい、という心の余裕と渇望の中へ、共に出てくるのだろう・・。2003.06.15/k.m
果たしてデザインが「快適さ」を生むのかと言えば、必ずしもそうとは言えないながらも、ある程度そのように信じて仕事をしている。では最大公約数としての快適さをカタチに出来うるのかと言えば、一見民主的にも聞こえるそのようなカタチとは、やはり嘘っぽいではないか。最大公約数が民主的だとういスローガンが欺瞞でもあることは、政治的にも明らかなように、デザインでも同じだと思う。
まずは自分の快適さをカタチに出来ないと、人への提案も難しい。そのように身近な場所から語り始めることが重要でもある。そしてガランドウが心地よいという回答をも検討の先にはあり、デザインという行為自体が生む窮屈さへも意識的になることは、案外難しいのではないか。2003.06.16/k.m
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