※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

まぼろし


  • 監督・脚本:フランソワ・オゾン
  • 共同脚本:エマニュエル・バーンハイム/マリナ・ドゥ・ヴァン/マルシア・ロマーノ
  • 出演:シャーロット・ランプリング/ブリュノ・クレメール/ジャック・ノロ
  • 2001年/フランス/95分/原題:Sous le sable
  • 配給:ユーロスペース

死とは、その不在を受け入れることなのかもしれない。しかしこの映画では、まずその不在があって、後に死の知らせがくる。ながい不在だけの期間が、死を受け入れることを拒む妻をつくっていた。まぼろしという幻影を見続けながら、妻は夫の不在をやり過ごしていた。やがて訪れるだろう死をまちながら。

ここであらためて死とな何なのかと問われているような気がした。不在は既に始まっていて、死はそれを永遠のものとして告知されたに過ぎない。戻ってくるかの希望を断ち切る契機と見るよりも、不在を受け入れる手続きとしての対面としたほうが素直だ。そして妻はそれを選んだのだろう。永遠に続く不在を受け入れるために死体との対面を望む。しかしそこでも妻は受け入れることを拒んだ。

もはや永遠の不在は、戻ってくるかも知れないという希望とともに受け入れるしかないのである。この映画はそれを示している。そしてそれは、どんなケースにもあてはまり、どんなに明瞭な死を前にしても、不在という経験を受け入れることは、同様に時間を要する手続きなのかもしれない。そんな風に思った。

「失踪という真実が最も残酷である」という夫の母の言葉は、妻を攻め傷つけるものとして重くのし掛かっていたが、既に妻はその経験と闘っていた。残された人が何度もセレモニーを開くのも、受け入れる手続きのためなのだ。不在とはその様にして、繰り返し言い聞かせ続けないと見えてこないことなのだろう。「死」は残された者達に課せられた永遠の試練として、突然に訪れる出来事なのだ。

この作品、予算が無かったり、脚本が書き直されたりと二点三転して完成したようだが、実際にはとても趣のある良い完成度に至っていると思った。2003.06.15/k.m


カテゴリー-映画


関連リンク