ぼくを葬る


  • 監督:フランソワ・オゾン
  • 脚本:フランソワ・オゾン
  • 製作:オリヴィエ・デルボスク、マルク・ミソニエ
  • 出演:メリヴィル・プポー、ジャンヌ・モロー、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ

フランソワ・オゾン監督作品。余命三ヶ月と宣告された写真家の「死」をテーマにしたもの。これは(最近はやりの)約束された感動をおいかける安っぽいドラマではないと思う。

そもそも「死」ってなんだろうか。苦しいこと、痛いこと、なくなること。どれもしっくりこない。言葉で表せないもの・・。たとえばこの映画は80分くらいだけど、その時間全部(カットの構成から音楽のタイミングまで)をつかっておぼろげながら「死」というものに近づこうとしている。

たしかに「死」という言葉がなければそれを表徴できない。けれどそれが何かの「しるし」でしかなくって、「死」そのものを表せているわけではないことを僕らはすぐに忘れてしまう。映画のコピーには余命三ヶ月で何が残せるか、みたいなことがあったけど、確かに主人公は何かを残そうとしていた。それは自分の子孫なのか、家族の写真なのか、恋人の肌のぬくもりなのか。

「死」というものが、何かの終わりであって自分の痕跡を残すチャンスが余命なんだろうか。映画には陰影の深い街の映像や、空気の重たい森の映像など、それ自体で美しさと時間を感じさせる場面がたくさんあった。何かの答えを探るような主人公の行動は、それらの映像をさまよう中で目的や意味を超えたものへと変わっていくようだった。

自分が存在しなくなった後も街の陰影は深く、森の佇まいや空気感は同じように続いていく。そんな「動かなさ」を了解していく作業を主人公は果たしていったような気がした。やすらかな表情と海に沈んでいく太陽がそれを伝えていた。2006-10-22/k.m

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最終更新:2008年04月11日 08:00