四 章


彼女に始めて研究所に招待されてから、1ヶ月が経とうとしていた。放課後だけではなく、
休みの日にも僕は研究所に赴き、彼女の手助けをした。
手伝いといっても、最初のうちは、体液の提供(今では尿を採取している)だけだったが、
ただそれだけの為に電車を使い、往復一時間の長い道のりを歩いて通うのも、勿体無い感じがして、
今では彼女の助手として活躍している。まぁ、実験結果をパソコンに打ち込んだり、機材の清掃をするくらいだけど。
それに一度だけ、僕は突発性過発酵エネルギー『ヨーグルト』を目の当たりにしている。
形のないものだが、確かに物質がエネルギーに変換され、消費される様をこの目で見たのだった。
それは先週のこと。

ビーカーを洗面所で洗う僕に、彼女が
「あなたから採取した体液より抑制物質の摘出に成功したのでこれより過発酵の実験を行います。」
と、相変わらず抑揚のない声で手短に告げ、奥の実験室に消えていった。
僕は、ついにこの時が来たのだと、心躍った。彼女によると、僕の体液から抑制物質を摘出するのは、
そんなに難しいことではないらしい。問題は、抑制物質の無限増殖なのだそうだ。
なので、ある程度の抑制物質が集まれば、「取り敢えず」くらいの実験は可能らしい。
しかし、その実験に用いる抑制物質は、僕の体液5リットル分くらいは必要になるそうだ。
彼女は、過発酵の実験には最初、承諾はしなかった。まずは、抑制物質の無限増殖が優先らしい。
しかし、どうしても見たいと僕が頼んだ結果、彼女は渋々了承をした。その願いが、どうやら今、叶うようである。

厚手のガラスに囲まれた二畳くらいの部屋がある。
そのガラスは、防弾ガラスで出来ているため、万が一に実験道具が暴発しても、安全な設計になっている。
今回の過発酵の実験はここで行われるらしい。
ガラス部屋の中で、真ん中に無造作に置かれた実験道具や、
内側のガラス壁に取り付けられた衝撃を測定する装置を、念入りに点検する彼女。
その、いつもと変わらない無表情が、僕を少し緊張させた。
点検が全て終わった彼女は、一つのシャーレを僕の前に差し出した。
その中には、ほんの一摘みのご飯が入っていた。
「この白米には既に麹菌が腐食してあり発酵状態にあります。
しかしあなたから摘出した抑制物質が麹菌による発酵を抑えこんでいます。」
そして、今度はガラス部屋内に置かれた実験道具を指差す。
無骨な鉄製のメカニックと言った風貌。ここから見てもわかるが、ピストンや筒が無数についた装置だった。
「現在のそれとは大分造形がことなりますが自動原動機付二輪車のエンジンです。」
どうりでどこかで見たことがあると思った。
小さい頃、市の中心部にある、昔の機械を展示した博物館にあったそれを、思い出した。

数十年前は確か「バイク」と呼ばれていた、二輪車の原動部品だった。
現在で二輪車と言えば、電動式で原動部は、もっとコンパクトに出来ているはずである。
「あれを駆動させるにはこの程度で事足りるでしょう。」と言うと、
彼女はその「エンジン」の中に、白米を丁寧に流し込み始めた。
なかなかシュールな光景はずだが、僕は自分の胸が、今までにないくらいに鼓動しているのを、感じていた。
彼女のいうところの「可能性」というものが、「現実」というものに昇華する瞬間が迫っている。
準備を終えた彼女は、
「それでは始めます。予想ですが実験は一瞬で終わるかもしれません。」と、
細かい説明は一切省き、諸注意だけ促した。
そして、それだけを言うと、手元のレバーやスイッチを操作し始めた。
僕は彼女の隣で、無数のスイッチを珍しげに眺めていたが、突如、視界の端で轟音と共に爆発が起きた。
いきなりの破裂音に心臓が一瞬止まったかと思いきや、
爆破した無数の実験道具「エンジン」の破片が、ガラス壁に叩きつけられた。

僕は条件反射でその場に頭を抱えしゃがみ込んでしまったが、彼女は微動だにせず、
冷静に手元のスイッチを操作し、傍らにあったバインダーに何やら記入をしていた。
僕はしばらくその場で放心状態になり、やっと少し正気を取り戻した。
彼女に今の状況を説明してもらおうとしたが、あまりの衝撃だったのか、声が出ず、口をパクパクするしかなかった。
そんな僕に気付いた彼女は、いつもの無表情で凝視した後、何かを理解したのか、説明をし始めた。
「抑制物質と分解因子の量があまりに不明瞭でした。
更に科学反応が起きた際に燃料庫を真空状態にしたのも失敗だったようです。
やはりある程度の空気が必要なようです。しかし、予想以上のエネルギー数値が記録出来ました。」
いつもは、よくわからない科学用語や数式を織り交ぜて説明をする彼女だが、
今回は僕が頼んだ実験だったからか、少しは分かりやすく講義をしてくれた。
つまり、実験は失敗だったが得たものもあった、ということだろう。
「それにしても、凄い衝撃だったよ。ご飯でエンジンが爆発するなんて…。今でも信じらんない。」
「調整次第では先ほど用いた白米10gでガソリン30リットルに匹敵するエネルギー量を確保出来ます。」
「そんなに!?」
「低資源で高熱量。それが『ヨーグルト』の他に類を見ない特性です。」
その日から、ご飯を食べる前に軽い違和感を覚えたことは、言うまでもない。

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最終更新:2008年03月04日 14:04