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宝財探偵所の迷宮事件


未解決事件を宝財探偵所が解決します。

著作権:宝財探偵所


宝財探偵所の迷宮事件    帝銀事件

●事件名
 帝銀事件

●事件の概要
 1948年(昭和23年)1月26日に起きた銀行員毒殺事件。豊島区長崎町にある帝国銀行椎名町支店に、閉店間際の午後3時すぎ、東京都防毒消毒部の腕章をつけた男がやって来た。支店長代理と名刺を交換した後(使われた名刺は犯人と違う人物のもの)「この近所の相田小太郎宅で赤痢が発生したが、この家の人間が、この銀行に金を預けに来たため、行員と金を消毒するので、消毒薬を飲んで欲しい」
と言いガラス瓶を取り出し、スポイトのようなものを使って「毒薬」を茶碗につがせた。歯のホーロー質を傷つけるおそれがあるので前歯を出し舌で巻きながら飲む、と言って見本を示し、自ら飲んで見せた。(この時犯人は自分で上ずみだけ飲んだ)疑いながらも行員全員が毒薬を飲み、苦しんでいるのを見届け、犯人はその場を去った。16人中12人が死亡し4人が助かった。

●事件の背景・動機
 容疑者として浮かんだのが、犯行前の予行練習の際に(帝銀事件の前に違う銀行で2件の未遂事件があった)使われた名刺の人物と名刺交換をしていた人物、平沢貞道であった。帝銀の時使われた名刺は、犯人が事件後持ち去ったため、現場からなくなっていた。
 平沢の職業は画家で、展覧会に無鑑査で出品できる「無鑑査の画家」で、画家の間では知っている人も多かった。
 しかし、決め手となる証拠がないまま逮捕され、それから39年間を刑務所で過ごし、死刑判決から32年後、95歳で獄中死した。
 当時の捜査は、毒物を使用していることから、731部隊(石井部隊)の関係者が調べられた。

●犯人は誰か 
 平沢は、北海道で逮捕され、駒込警察署にいったん寄ってから、警視庁に搬送された。
 なぜ駒込暑に寄る必要があったのか。
 平沢は、実は帝銀の実行犯ではなく、共犯者である。しかし、他の犯人たちは、逮捕できない理由があり、共犯者の中の平沢のみが唯一逮捕できる人物であった。警察は、全犯行を犯人を平沢にすりかえるために、わざと犯人にゆかりの場所に寄り、灰色容疑者をクロに見せたかったためと考えられる。
 犯行時に使われたスポイトのようなものは「駒込ピペット」と呼ばれる。
 駒込暑の近くに、都立駒込病院があり、ここでは、明治時代から、コレラや赤痢の研究を行っていた。そして、赤痢のA菌B菌を発見したのも、この病院である。
 東京都と駒込、そして、赤痢の研究。
犯人が、帝銀で犯行に使った毒薬を飲ませるまでの「経緯」が、網羅されている。
 「赤痢」という言葉を使っただけで、誰も何も言えないだろう、という犯人の自信が見えてきそうだ。
 駒込ピペットは、1920年代に、都立駒込病院がコレラや赤痢の研究が盛んだった頃に、始めて開発された。
 例えば、病院の臨時職員のような者がいて、勤めるうちに、731でやっていたことは本当なのだろうか・・・ためしてみよう。ここは赤痢に強い。それを利用して実際に人間を使って真偽のほどを確かめたい・・・。
 または、中国から帰ってきた石井四郎や石原莞爾という人物がそういう病院で働いていたことも充分に考えられる。
 病院からピペットの注文をしていた人物は誰なのだろうか。その男が真犯人ではなかろうか。
 特に石原莞爾は、オウムや赤軍派などと同じ思想があり、もし犯人であるとすると、この辺りに、これまでの東京都とオウムの関係がありそうだ。

 警察が調べたように、犯人は石井四郎かその部下か仲間の(無起訴になった石原莞爾も含む)で、10ヶ月後に控えた裁判の判決で裁かれないために、実験データの信憑性の結果を示し、引き換えに裁判を免除されたのだろうか。

 石原莞爾は、細菌学で有名な野口英男記念館の近くに今も住んでいる。現在の創価学会名誉会長・池田D氏か息子であると思われる顔がよく似ている自民党のT元首相である。
 石井は、読売新聞会長の渡辺T氏である。
 石原に便乗して戦犯の罪を逃れたかった東条英機(NTTや国鉄などを分割・民営化したN元首相・郵便局を分割・民営化したK元首相の祖父?でドイツ人と韓国人のあいの子)
 この3人の中国からの復員者が実行犯である。


 平沢の線があるとすれば、犯人が平沢氏に金を払い絵を描かせていた、ということであろうか。平沢は、共犯者だが、直接銀行強盗や殺人には関与せず、赤痢が発生したといわれる相田小太郎宅に侵入し、空き巣に入ったというような帝銀事件そのものより、それに付随する事件を起こしていた可能性がある。相田宅が赤痢なのではなく、空き巣に入った平沢が赤痢の持ち主だった、または、平沢が赤痢の研究を731部隊でしていた、ということが考えられる。そのために平沢の銀行強盗に関する証拠が出てこなかった、ということではないだろうか。
 実行犯は、東条英機で、無罪になりたかった彼は、石井が無罪になることを知っていて、その恩恵にあずかろうと、共に犯行を計画した。 

 当時の警察は石井を調べようとした際に「ロシア戦(対共産戦略)で使うから石井らを調べるのはやめてくれないか」と上(GHQ)から圧力がかかったという。
 石井は、東京裁判の前に偽装の葬式を行って罪を逃れている。

 この事件は、他の戦後の未解決事件と同様、第二次大戦の戦犯だが、後から無起訴になった者たちが、命乞いのためにアメリカの意を汲んで行った犯行であると思われる。
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