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「青年躍進の年」の言葉の意義

何故、今年が「青年躍進の年」か分かる人はいますか?
実は45年前の昭和36年のは「躍進の年」でした。この年の学会の動きと今年の学会とビビるくらい似ている点が多々
あります。詳しくは「新人間革命3巻」の「仏法西還」の章にあります。大きく分けて2点。
昭和36年元旦の会合で先生は断言されます。「力の限り、戦いましょう!私は、この一年で百年分の歴史をつくります」
そしてもう一点。今年の大白蓮華の一月号の座談会御書は{諫暁八幡抄」でした。そして百年分の戦いをするとおっしゃっ
た先生が引かれた御書も「諫暁八幡抄」でした。
ではまず「諫暁八幡抄」から研鑽したいと思います。 

45年前の躍進の年

45年前、百年をこの一年で決すると先生はいわれました。それは計算でいくと2061年までです。我々はこの五年でその50年
先の2111年までを決めなければなりません。なかんずくこの一年で50年間を決します。ただ、この一年戦い、あと四年間戦
わなくてもいい訳ではないのは明白です。2011年になった時に戦い抜いていればそれから50年先、100年先が決まるという
意味です。
つまりはこの一年死ぬきで戦う事が2011年から50年後の2061年、先生が仏法西還を証明されてから100年の2061年までが決
するということです。まさに師弟共戦の戦いを繰り広げられる大チャンスが今年です。

総区男より

  • 責任感
  • 実践力
  • 対話力
  • 創価学会原理主義

人間革命、10巻水滸の誓い

人間革命、10巻水滸の誓いで、山本伸一によって再結成された
水滸会のメンバーに戸田先生は次のように指導されました。
「この忙し最中になぜ水滸会という会合を月2回も開くかとい
うと、それはいうまでもなく、わが学会の目的とする尊い大使命を
必ずや遂行したいがためです。広宣流布ということは、未聞の
宗教革命だが、他州を撲滅すればそれでよいという簡単なもの
ではない。
なるほど宗教は、人間社会の底流であり、もっとも不快土壌で
す。これが革命されれば、社会総体の革命の源泉となりうるこ
とは当然の理であろう。
したがって、宗教革命は必然的に、政治革命ともなり、経済革
命ともなり、教育革命、社旗革命、文化革命ともなっていかざ
るを得ない。それを宗教だけの
範囲に限定してしまうことは、広宣流布を偏頗なものにしてし
まう恐れがある。日蓮正宗という日蓮大聖人の仏法が興隆する
事によって、人間社会がの平和と平和と反映という現象を生む
ことが必然である以上、それは社会のあらゆる分野の改革が断行
されるということでもあるわけです。
私がいま、諸君に望むことは、信心はあくまでも根本だが、そ
れだけに執着して、広い社会に対する目を自ら塞いではならな
いということです。
われわれは、いわゆる宗教屋になんかなる必要はないし、また
なってはならない。宗教だけの道ならば、これほど気楽で安全
な道はないといっていい。
あくまでも社会に貢献する有能なな社会人、妙法という偉大な
哲学に目覚めた正真正銘の社会人に成長し、思う存分に活躍し
てもらいたいのです。
これが乱れきった末法における民衆救済の大道なのです。この
道だけが、大御本尊の慈悲に通じているいってよい。この大道
を先駆を切って進むのは誰か。
それは、ここにいる諸君なのだ。先駆者はどこにいるのでもな
い。今、ここにいるのです。ここから大きく巣立つのだ。」

池田先生が、戸田先生の広宣流布への全構想を自分の生命に刻
みつけたように、我々は総区男が言われた、自らが
広宣流布をやっていく決意を胸に、社会に貢献する人材となっ
ていく使命を自覚していくことに、大きな責任があると思いま
す。