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問題1


第二次世界大戦の前後での日本の学校教育の変化について

<戦前>
  • 学制の教育課程(明治5年)
①明治5年。「学制」の公布
国民皆学の方針
③近代化と富国強兵の政策や実学的教養が重視
下等小学校、上等小学校ともに4年間の教育。
⑤下等小学校では、主に読み書きそろばんの学習を実施
⑥学習内容は、数学28%、理科14%程度であり、理系の科目が4割強を締める

  • 改正教育令(明治13年)
修身科が一躍筆頭科目に
②小学校初等科(3年)と中学科(3年)では、週6時間、高等科(2年)では、週3時間を修身に充てる
儒教主義に基づく徳育を重視
④初代文部大臣である森有礼は、修身重視の教育を批判し、暗殺される

  • 教育勅語体制下の教育課程(明治23年)
①「教育ニ関スル勅語」が発布される
天皇制国家主義教育が確立される
③教科書国定制(明治36年)の影響が強く、小学校教科書の国定制度が確立される
④教科書神聖視⇒教科書絶対主義の教育観
⑤戦前:教科書を学ぶ⇒教科書の内容を丸暗記
⑥戦後:教科書で学ぶ⇒教科書を利用しての授業

  • 大正自由教育
①子供の個性自発性の尊重を旗色とする(デューイの考え)
大正自由主義教育運動沢柳政太郎が1917年に成城小学校を設立
長野県の自由教育。県全体で自由な教育を行う。
生活綴方教育。日本独自の教育。子供たちの作文を集めた文集の刊行。
鈴木三重吉が雑誌『赤い鳥』を創刊し、子供の内面の解放をめざした。初めて生活指導という言葉が使われる。
1929年(昭和4年)、雑誌「綴方生活」の発刊。

  • 昭和初期の教育
1938年(昭和13年)、「国民科」(修身国史国語物語)の設置。
1940年(昭和15年)、「国民学校令」の発布。


<戦後>
  • 米国教育使節団報告書の思想
1946年、「米国教育使節団報告書
②これからの教育⇒出発点は個人生徒である。
③「子供の持つ測り知れない資質は、自由主義という日光の下においてのみ、豊かな実を結ぶものである。」

  • 新教育」の児童中心主義
①文部省の「新教育指針」、1946年(昭和21年)
②「児童の生活活動に重きをおく新しい教育においては、興味が選択の標準でなければならない」

問題2

新学習指導要領に於ける「生きる力」の意味について


問題3

ホルノーのいう「対話」における「話す能力」・「聞く能力」について