ゼロの白猫 03


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 憤懣やるかたなかったが、一人でなんとか慣れない掃除を終わらせたルイズ。
しかしかなり時間がかかってしまい、現在昼食を食べられるかどうかが危うい時間帯である。
 この昼食を逃すことは、今日のルイズにとって非常にまずい。掃除によって疲弊した体は、貧欲に補給を訴えていた。要するに、とてもお腹がすいているのだ。
 だが貴族たる者、廊下で走ることはまかりならぬ。つまり彼女に今できることは、長い歩幅でできる限り速く足を前後に動かすことだ。
 そんな理由から、ずかずかずかと大股でルイズは大急ぎで歩いていた。

(ほんっとにレンの馬鹿! 主人が困ってるのに放って行くなんてどういうつもりなのよ!)

 急ぎの道中で考えるのはしかし昼食の事ではなく、レンの事。猫が掃除を手伝うことはできないことくらい承知しているルイズ。でもそんなの関係ねぇ、と自分だけ先に出て行った使い魔に怒りを滾らせていた。
 レンは他の使い魔と違い、人間並みの知性があるはずである。それなのに主人を見捨てていくなどひどいではないか。
 心の中で悪態を付きながら、食堂へ到着する。早くご飯にありつこうと食堂に入ろうとしたところで、白い毛玉が入り口付近にいることに気が付いた。レンである。

「レン! 何処行ってたのよあんた! 主人をほっぽって行くなんて使い魔失格よ!」

 ルイズは空腹のことも忘れてレンに詰め寄る。レンはルイズの怒鳴り声に動じる様子もなく、ついっと自分の口に咥えた物をルイズに差し出した。

「なによコレ? ……くれるの?」

 レンが咥えていた物を手に取ってみる。それは細工が施されたガラスの小壜だった。中には何か液体が入っている。
 蓋を開けると、ふわりと香りが漂ってきた。どうやらこれは香水のようだ。そして、香水と言って思い出す人物が一人。

「多分、モンモランシーの作ったものね、これ」

 モンモランシー。水のメイジであり、二つ名は『香水』。様々な水の薬品を作ることを得意とし、彼女の作る香水は女学生たちの間で流行っている。
 恐らく誰かが落とした物をこの猫は拾ってきたのだろう。主人へのお詫びのつもりだろうか。そう言えば猫は狩ってきた獲物を主人に見せる習性があったっけ、とルイズは思い出した。

「レン。コレは落とし物でしょ? なら元の持ち主に帰さないと」

 こん、とレンの小さな額に握った拳を当てる。無論優しく当てるだけ。

「ま、使い魔として主人のために動いたのは認めたげるわ、これからもがんばんなさい」

 ひとまず機嫌が直ったルイズ。さすさす、とレンの小さな頭を撫でてやった。猫の耳が彼女の手で折られるたびにピンと立ち上がる。うむ、愛い。
 入り口の前で佇むレンに見送られながら食堂へ入るルイズ。食卓に付く前にモンモランシーを探す。彼女の作ったものなら彼女に渡せばいいだろう。彼女から別の誰かに売られたものだとしても、制作者の手に戻るならそう問題はあるまい。
 すぐに食事中のモンモランシーを見つける。彼女の金髪縦ロールはよく目立ち、非常に発見しやすかった。

「モンモランシー。これ、あんたのじゃない?」
「え?」

 ルイズから差し出された香水壜を見て、モンモランシーの顔色が変わった。乱暴にルイズの手から壜を受け取ると、なにやら険しい顔で壜の底を確認する。

「……間違いないわ、印が付けてある! ルイズ、コレどうしたの!?」
「私の使い魔が拾ってきたのよ。何処かに落ちてたんじゃない?」
「あの馬鹿! 私がせっかく作って上げた物を……!」

 ガタンと音を立てて席を立つと、先程のルイズのようにずかずかと食堂内を歩いていく。

「一体何よ、あれ?」
「あ、ひょっとしてあれ、ギーシュにあげた香水壜だったんじゃない?」

 モンモランシーと相席していた女生徒がルイズの疑問に答える。

「今、いつになったらギーシュとくっつくのよって聞いてたんだけどね、どうやらモンモランシー、ギーシュにお手製の香水をあげたらしいのよ」
「何、あの二人って恋仲だったの?」
「まあ正式にお付き合いしてるんじゃないらしいけど、モンモランシーがギーシュに気があるのはバレバレだったじゃない。あの二人、幼なじみで付き合いも長いって言うし」

 ギーシュ・ド・グラモン。『青銅』のギーシュと呼ばれている。土のドットメイジで、青銅のゴーレムを操ることができる。しかも同時に7体。
ドットメイジでは中々の実力を持つと言えるだろう。

「けど、ギーシュの方がアレだからねえ。モンモランシーとしてはちょっと自分からは言いにくいんじゃない?」
「アレって……ああ、女癖?」

 ギーシュはかなりの気障男なのである。制服を胸元まで開いたデザインに改造したり、杖を薔薇の造花にしたり。自分を薔薇のように美しくしたい、ということらしい。
 そんな彼はかなりの軟派少年。今も複数の男性クラスメートに、

「ギーシュ、お前は今誰と付き合ってるんだよ!?」

 と面白がって聞かれているところである。
 ルイズからも確認できた様子にモンモランシーが気づかぬ訳はなく、ずしずしとギーシュに近づいていく。だがしかし、ギーシュはモンモランシーの接近に気づかず、こんな発言をしてしまったのた。

「いやいや君たち、薔薇は全ての女性のために美しく咲くものなのだよ。よって今僕が付き合っている女性はいないよ」

ぴたり。

 止まった。先程まで騒いでいた男性陣が。いや、食堂内のざわめきが。
 原因は、恐らくギーシュの後ろで止まっているモンモランシーだろう。
 モンモランシーが今どんな顔をしているのかは、ルイズの角度からは分からない。だがしかし、彼女は鬼のような形相をしているのではないかと思った。
 だってほら、あんなに男たちがガタガタ震えているんだもの――

「ん? どうしたんだね君たち? そんなに『僕が』『誰とも』『付き合っていない』のが意外かい?」

 嗚呼、ギーシュ・ド・グラモン。君が空気を読めない奴だというのはよく分かった。けど、わざわざ地雷原を簀巻きになってゴロゴロ転がるようなマネをしなくてもいいじゃないか。

ぱちゃぱちゃぱちゃ。

「うっ!?」

 自身の金髪に降ってきた水に驚き、ギーシュは辺りを見回す。
 そしてようやく気付くのだ。自分に香水を頭からかけているモンモランシーに。

「そう、ギーシュ、貴方今、『誰とも付き合っていない』のね?」
「も、モンモランシー……!?」

ぱちゃぱちゃぴちゃ。

「薔薇には私が作ってあげた香水なんて必要ないのよね。むしろ他の花を愛でるにはこの香りは邪魔よね? だからルイズの使い魔にあげちゃったんでしょ?」
「待ってくれ、モンモランシー」
「ええ聞くわ。この香水を貴方にかけ終わるまでね」

ぴちゃり、ぴちょ。

 ポケットに入るようなガラスの小壜には少ししか入れる容積が無い。もう既に香水は殆ど流しきられ、ぽたぽたと数滴垂れるのみになった。

「さっきのは言葉の綾なんだ! 僕が愛しているのは君だけだよ!」
「ギーシュさま!」

ぴちょん、ぽたり。

 空気を読めない人はギーシュの他にも居たらしい。二人だけの修羅場に入っていったのは、一年生と思しき女性だった。

「ケティ!? す、すまないが今は取り込み中なんだ……」
「ギーシュさま、以前私を馬に乗せていただいた時、『僕の瞳に映るのは君だけだよ』と言って下さったのは、嘘だったのですか!?」

 訂正。空気を読めなかったのではなく、彼女も当事者だったらしい。
 ざわ、とクラスメート達が騒ぎ出す。おいおいギーシュの奴二股かよ。え、モンモランシーが本命だったんじゃ? いやキツイ性格のモンモランシーから乗り換えたんじゃないのか? と、憶測を述べる貴族が一杯だ。
 そして騒ぎの中心たるギーシュの顔はひきつった笑顔を浮かべていた。

ぽた、っ。

 そうして、香水の最後の一滴が、壜から零れ落ちた。

「そう、その子が貴方が愛でる花なのね? 一年生の女子に手を出してるっていう噂は本当だったんだ」
「だから違うんだ! 彼女とはただ馬で遠乗りにいっただけで」
「さよなら」

 ギーシュに弁解の時間など与えず、きびすを返して食堂から走り去るモンモランシー。その時見えた表情は、鬼の如く怒っていたが、同時に目尻が光っていたようにも見えた。

「待ってくれ、話を聞いてくれモンモランシー!」
「ギーシュさま……」

 モンモランシーを追おうとしたギーシュだが、全ての女性を愛でるという自負から、女性に悲しげな声で自分の名を呼ばれては止まらざるを得なかった。

「やはり、モンモランシーさまとお付き合いをされていたのですね?」
「いや、違うんだよ僕と彼女は付き合っている訳じゃ」
「付き合っていなくても『僕が愛しているのは君だけ』と言うのですか!?」

 ギーシュの言い訳を遮って叫ぶと同時に、ケティの渾身の平手打ちが入った。ぱあん、と乾いた音が静まり返った食堂中に響き渡る。

「最低です!!」

 モンモランシーと同様、ケティも食堂から去っていった。そして、彼女の瞳からははっきりと涙が流れて頬を濡らしていた。
 ギーシュはぽたぽた頭から香水を垂らしたまま、真っ赤な紅葉の咲いた自分の左頬を押さえている。
 しばらくそのまま固まっていたギーシュだったがやがて立ち直ったのか、誰に向けて言うでもなく一言。

「彼女たちは薔薇の意味を理解していないようだ」

 おいおいそりゃあないだろう。
 食堂の皆の心が一人を除いて一つになった。とても素晴らしいことの筈なのに、虚しさしか感じないのは何故だろう。
 ルイズは気を取り直して食事をすることにする。自分はただ落し物を製作者に返しただけ。悪いことは何もしていない。それより腹の虫が鳴く前にご飯を食べることのほうが今は重要である。
 周囲の人間も気まずさを感じながら食事に戻る。できる限りギーシュに触れないような空気が形成されながらも、皆ちらちらとギーシュを伺わずにはおれないようだった。
 とにかくいつも通り始祖ブリミルへの感謝を感謝をささげ、いざ昼食にありつこうとしたところで、ふと気づく。
 食堂の入り口にまだレンがいたのだ。そして、ギーシュがなにやら険しい瞳でレンのことを睨んでいる。
 ギーシュが歯噛みして顔が醜く歪む。怒りに満ちた顔だ。モンモランシーやケティのように大股で食堂の入り口へと向かっていく。ルイズは慌ててギーシュを止めた。

「ちょっとギーシュ! あんた私の使い魔に何する気!?」
「別に何も! ただ僕を侮辱してくれた礼はせねばならないと思ってね!」

 ルイズには彼が何を言っているのか理解できない。要するにギーシュが落とした香水壜をレンが拾ってきたことに難癖をつけて八つ当たりをしようとしているだけではないか。

「あんたがモンモランシーから貰った香水を落とすのが悪いんでしょ! レンはただ拾ってきただけじゃない!」
「違う! それだけじゃない! あの猫は今僕のことを嘲笑ったんだ!」
「はあ?」

 二人に振られたショックで頭心が壊れたのか、それともモンモランシーの香水が目に入って幻覚でも見たのか、はたまたケティの平手打ちで頭がシェイクされすぎたのか? と疑いたくなる言動である。
 確かに昨日夢の中で見たレンなら、今のギーシュを見て冷笑の一つでもこぼすかもしれない。しかし今のレンは猫の姿。猫などの獣が笑うなんて事はない……筈だ。
 とにかく、今回の件はギーシュの二股が全ての原因。ルイズやレンが責められる謂れ等全く無い。

「元を正せばあんたが原因でしょ! モンモランシーがせっかくあんたに香水を作ってあげてるのに、あの一年生にまで手を出すってどういうことよ!」
「だから! 彼女とは街へ馬で遠乗りに出かけただけなんだ! それだけなのにどうしてこんな仕打ちを僕が受けなければいけない!?」
「それがモンモランシー達を傷つけたからでしょ!」
「第一何故君は僕じゃなくモンモランシーに香水を渡したんだね!? 壜の底には僕の為の印がついてあったんだから、それくらい察してくれても良いじゃないか!」
「あんたたちの取り決めなんて何で私が知ってなくちゃならないのよ!? いいかげん黙りなさいよ、あんた今すっごくかっこ悪いわよ! ほんと、モンモランシーもケティとか言う娘もあんたを捨てて正解ね!」
「格好悪い!? 僕が!? 言うに事欠いて、このゼロがあ!」

 衝動的にギーシュが手を振り上げる。ルイズは反射的に顔をかばって目を閉じた。
 ごん、とやたら大きい音が食堂内に響く。それ以降は何も聞こえず、ルイズが予想していたような衝撃もやってこない。

「……?」

 ルイズが恐る恐る目を開けてみると、そこにはぐったりと倒れたギーシュがいた。

「は?」

 食堂内、本日二度目の時間停止である。はらはらと二人のやり取りを見ていた野次馬も静まり返ってしまっていた。
 ルイズは何もしていない。そりゃ口論中はひっぱたいてやりたいとも思っていたが、今は反射的に自分の身を守ろうとしただけだ。彼に触れてさえいない。ましてや魔法を使ったわけも無い。

「ちょ、ちょっとギーシュ?」

 ゆさゆさと揺さぶってみるが反応は無い。傍目にはただ眠っているようにしか見えなかった。
 暫く時間が経って、ようやく生徒が騒ぎ出す。誰一人として何が起こったのか正確に把握している者は居ないようだった。

「だれか、水のメイジは居る? 一応診てみて」

 ルイズの呼びかけに何人かの生徒が寄ってきてギーシュを診断する。
 結果、どこにも体の異常は見られない。コブどころか擦り傷一つ確認することはできなかった。
 ただ、どうしていきなり倒れたのかが分からない。まるで誰かが『スリープ・クラウド』でも唱えたかのような突然の昏倒だったが、誰もそんなことをした様子は無い。それに『スリープ・クラウド』なら現れるべき眠りの雲も現れなかった。
 とにかく医務室へと運ぶことになった。コモン・マジックの『レビテーション』で彼を浮かべて何人かが食堂を出て行く。

「何だったのよ……あのばかギーシュ」

 本当についていない。教室の後片付けといい、今の理不尽な八つ当たりといい、今日はブリミル滅だろうか。
 そういえばいつの間にかレンの奴どっかいっちゃったな、と思いながら、ようやくルイズはチーズのたっぷりかかったハンバーグをほおばった。




「……はっ!?」

 意識が覚醒し、目が開く。呼吸は荒く、全身汗だくだ。熱い。体が熱い。肺には濁った空気が溜まって満足な呼吸もさせてくれない。

「がっは……うああ」
「ギーシュ? 目が覚めた?」
「うわあああああああああああああああああ!?」

 隣から聞こえた声に悲鳴を上げるギーシュ。その声は今まで優しく自分を責め立てていた彼女の声だったからだ。

「モモモンモモンモンランシー!?」
「何よ大声出して、人の名前くらいちゃんと言いなさいよ」

 ベッドの傍に置かれた椅子に座ったままジト目でモンモランシーは言う。

「わ、悪かった! 僕が悪かった! 謝るからもう踏むのは! せめて靴は勘弁してくれ……!!」
「まだ寝ぼけてるの? それともまだ調子が悪いの?」

 呆れたような声で答えるモンモランシーにギーシュは違和感を覚える。これはさっきの彼女ではない、普段のツンケンさが愛おしい元のモンモランシーだ。
 その事実に気づいたギーシュは気分を沈めて周りを見回す。見覚えのある部屋だが自分の部屋ではない。確か学院の医務室だ。様子のおかしかったモンモランシーと居た自分の部屋ではない。

「じゃあ、さっきのは夢、だったのか」
「一体どんな夢だったの? いえ、やっぱり言わなくて良いわ」

 そういってモンモランシーは何故かギーシュから目を逸らす。その様子にギーシュの背中に冷や汗が流れた。

「あ、あのだねモンモランシー、僕は寝言で何か言っていたかい?」

 できる限り笑みを取り繕って問うギーシュ。その質問に何故かモンモランシーの頬が朱に染まる。反対にギーシュは嫌な予感に顔を青くした。流石青銅だ、青くなってもなんとも無いぜ!

「えーっと、何か私の名前とごめんなさいって言葉を何度も……。それ以外にも色々……」

 その色々、という部分はごにょごにょと言葉を濁してしまうモンモランシー。もはや冷や汗が止まらないギーシュ。
 まずい、この空気は非常にまずい! と、何とか話題を変えるべく思考をめぐらせる。
 そして、自分がモンモランシーとケティに振られた後、ルイズを衝動的に叩こうとした後の記憶が無いことに気がついた。

「モンモランシー、僕はどうしてここに居るんだい?」
「分からないの? 私も聞いた話だけど、ルイズを殴ろうとして何故かあなたが倒れたみたいよ。だから医務室に運ばれたの。血圧を上げすぎたせいじゃないかとか言われてるけど」
「そうだったのかい? あの時行き成り目の前が暗くなって、その後は何も覚えてないんだ」
「浮気した上に無関係のルイズまで殴ろうとしたから、始祖ブリミルから天罰でも下ったんじゃない?」
「だから違うんだ! モンモランシー、彼女とは馬に遠乗りに行っただけだって! 僕の心に住んでいるのは君だけなんだ!」
「ギーシュ、あなたもし私とステファンが一緒に食事をしてたらどうする?」
「ステファンに決闘を申し込む!」
「そういうことよ」

 即答してからはっとなるギーシュ。自分の行動でモンモランシーが怒り、傷ついていたことがようやくほんの少しだけ理解できた。
 だがモンモランシーはもはやギーシュを意に介さずに、冷たい瞳で彼を一瞥しただけで立ち上がる。

「待ってくれモンモランシー! 待って……!」
「その様子ならもう大丈夫よね、それじゃさよなら」

 ベッドの上で必死に手を伸ばすも届かない。美しい縦ロールを翻してモンモランシーは医務室から退室してしまった。

「モンモランシー……」

 ギーシュは悔やむ。何故自分は出て行く彼女を引き止められなかったのか。
 だが、今彼はベッドから出ることはできなかった。自分にかけられているシーツをめくることはできなかったのだ。
 だって、そんな事をすれば、夢の影響での、下着が、ズボンが。

「ちくしょう……」

 シーツの隙間から、中に充満した栗の花のような青臭い臭いが漂ってくる。せめて、この惨状をモンモランシーが気づかなかったことをブリミルに祈る精童のギーシュであった。



「昼間は災難でしたわね、マスター」

 夜、ベッドに入り、気がつくと昨夜の雪原にルイズは居た。眼前では耳の長い人間の姿になったレンが微笑んでいる。
 ルイズとレンはテーブルを挟んで向かい合わせに座っている。広大な雪原にぽつんと存在する椅子に座る様は中々シュールだ。
 いきなり始まった会話に目を白黒させるルイズ。二回目とはいえ、まだこの変な空間には慣れない。

「何よ、あんたが壜を拾ってきたのも原因のひとつじゃない」
「まあひどい。私はマスターを元気付けようとしてやっただけですのに」
「拾ってきた他人の香水を喜ぶ貴族なんて居ないわよ」

 口調こそ悲しんでいるそぶりのレンだが、顔は相変わらず皮肉げに微笑んでいる。本気で言っているわけでは全くないようだ。
 ルイズもこんな事を言っているが、本当はレンを責めたりする気持ちは全く無い。だがこの生意気で口元に酷薄な笑みを貼り付けている幼女をみると、何か素直になるのが悔しくなるのだ。

「マスターに危険が及びそうになった時は助けたではありませんか」
「何よソレ? あんたが何時私を助けたっての?」
「あの優男に殴られそうになった時、眠らせたのは私ですのよ?」
「……それ、ホント!?」

 明かされる驚愕の真実に、ルイズは思わず机に身を乗り出してレンに詰め寄る。そんなルイズを手で制すると、自身の真紅の瞳を指差した。

「私の目。どうやら眠りの魔眼になっているようなの。魔眼としての格は高くないけど、夢魔の私にはうってつけね。眠らせてしまえば、後は夢の中で好きに料理できるわ」
「まがんって何?」
「え? 知らないの……って、そっか、こっちと向こうじゃ魔術とか超能力の常識が違うのよね。簡単に言うと、見ることで魔術的な効果を発揮する眼のことよ。相手を魅了したりする魔眼が有名ね」
「魅了って……本当なら凄いわね。魅惑の薬は禁制の品に指定されてるのに、見るだけでいいなんて」
「けど、目を合わせないと効果は無いわ。だから大人数の相手には向かないわね」
「でも、詠唱も杖も要らないってことでしょ? それって先住魔法!?」

 自分の使い魔のポテンシャルに興奮してルイズの鼻息が荒くなる。ぐぐぐと近寄ってくるルイズをぐぬぬとレンは押し戻していた。顔が近いし。

「何、その先住魔法って?」
「知らないの? って、さっきと逆ね。先住魔法って言うのは、エルフとかが使う、メイジの4系統魔法とは違った魔法のことよ。あんた、見た目エルフみたいだし使えてもおかしくないわよね?」
「聞くだけじゃ私の使う魔術と一緒かは判断できないわね。たぶん違うと思うけど。でも、この魔眼はそっちが私に与えたものでしょ? ならルイズの方が詳しいんじゃないの?」
「へ? 何の話よ?」
「私、魔眼なんて持ってなかったもの。使えるようになったのはこっちに来てから。貴方が私に刻んだルーンが関係してるみたいなんだけど」
「ふーん? そういえば、只の猫が使い魔になると喋れるようになるとかいう例もあったらしいわね」
「……随分ランダムな効果ね、召喚も契約も」
「良いじゃない。私の使い魔になって危険が去って、新しい力まで手に入れられたんだから」

 顔をしかめてレンは言うが、なにやらレンが役立ちそうなことに上機嫌になっているルイズにはあまり通じていない。

「ところでレン。あんた夢魔なのよね?」
「何を今更言ってるの? 夢の中でこうして話してるじゃない」
「さっき、『眠らせてしまえば好きに料理できる』って言ってたけど、あんたギーシュの夢に何かした?」
「ああ、その話?」

 医務室に運ばれたギーシュは、結局そのまま午後の授業に出てくることは無かった。ついでにモンモランシーもいなかった。どうやらギーシュに付き添っていたらしい。
 お別れしながら何故傍に居てやるのかは分からない。恋する乙女心は難解である。
 ギーシュの話題を上らせると、レンの笑みが深いものになった。あの、ルイズを『吸い尽くす』と脅してきた時に浮かべたものと同じだ。思わず椅子ごと後ずさルイズ。

「マスターに手を出そうとした罰として、踏んであげただけよ。優しく、ね」

 くすくすと実に楽しそうにレンは嗤う。この笑いを見るたび、ああ、こいつ性格悪いなー、とルイズは再確認するのだった。
 踏まれたというギーシュは、まあ自業自得だろう。女の子二人を泣かせた上にルイズにまで手を出そうとしたのだ。こんな小さな幼女に踏まれるくらいご愛嬌で済ませられるだろう、とルイズは判断した。
 もっとも。ルイズの解釈している『踏む』と、レンの実行した『踏む』が一致しているとは限らないのだが。

「役に立ったでしょう?」
「そうね。使い魔の仕事としてはまあまあの評価を上げてもいいわ」

 しっかり主人の身を護った使い魔に対してこの言葉。とことん素直でないルイズである。だが気にする様子も無くレンは主人に微笑を向け、こんなことを言い出した。

「ならご褒美をくださいな、ご主人様」
「ご褒美ぃ? 思ったより厚かましいヤツね、あんた」
「いい労働にはいい報酬が必要なのですわ」

 レンの言い分はもっともと言える。ルイズは年の近い姉が飼っている動物をよく褒めてやっていたのを思い出した。指示されたことを聞いたときは特に。
 何か喜ぶ物を与えれば、この生意気な使い魔ももっと主人を敬うようになるかもしれない。そんな打算も浮かぶ。

「まあいいわ。最初だけ特別よ? 優しいご主人様に感謝なさい。で、何が欲しいのよ?」
「そうねぇ。ここはやっぱり甘ぁ~~い物が欲しいかしら!」

 組んだ両手を頬に持っていって、屈託の無い満面の笑みを浮かべるレン。ぶりっ娘ポーズである。
 ルイズは驚いた。その仕草で初めてレンが年相応の幼女に見えたからだ。甘い物を欲しがるレン、それをちょっとだけ可愛いと思ってしまった。だがそんな思いはできるだけ顔に出さずに質問を続ける。

「甘いものって、あんた猫でしょ?」
「猫である前に乙女ですわ。あんな肉ではお腹は膨れても心が潤いませんの」
「贅沢な猫ねえ、あんた」

 しかしレンの言い分は理解できるルイズだった。しっかりご飯を食べても甘いものは別腹。これは全ての女性の総意と言っても良いだろう。
 甘い物、と聞いてルイズの脳裏に自分の好物が思い浮かんだ。そういえば最近あれを食べていない。この使い魔にやるのはちょっと勿体無い気もするが、この使い魔にあげるという名目で王都まで食べに行くのも悪くない。
 そこまで考えてルイズは大声で期待のこもった瞳でこちらを見ているレンに言う。

「レン! クックベリーパイを食べに行くわよ!!」

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