ゼロの白猫 04

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 虚無の曜日。それはハルケギニアの人間達が最も愛しているだろう曜日。全人類に与えられた休息のための日である。  よってトリステイン魔法学院も授業は休みとなり、教師も生徒も貴族も平民も分け隔てなく英気を養い、次の日に備えるのだ。  寮の自室で黙々と本を読み続けるタバサも、例外なく虚無の曜日を愛していた。誰にも邪魔されず気兼ねせず読書に没頭できるこの時間を。  そんな時間がノックの音に邪魔される。トントントンと部屋に響くノックの音。親愛を表すのはノック三回。  しかしタバサにとっては煩わしい事でしかない。とにかく彼女は干渉されることを嫌うのだ。なので相手が諦めるまで居留守を決め込むことにした。  とんとんとんとん。ノックの音はしかし止まない。ノックの主はタバサが部屋にいることを確信しているのだろう。中々帰る様子が無い。  タバサは彼女の身長よりも大きな杖を取り出し、魔法を使うことにした。誰にも邪魔されず本の虫になるために。  杖を振るうと、ノックの音が聞こえなくなった。彼女が使った魔法は風系統の魔法、『サイレント』。周囲の音を消してしまう魔法である。静けさを好み、風のメイジである彼女はこの魔法を愛用していた。  そうしてまた読書に戻るタバサ。ページをまくる音すら消えた無音の中で、眼鏡の奥の目を輝かせて紙の上を踊る文字に没頭していく。  数ページ本をまくったところで、タバサは自分の傍に誰かがたったことに気付く。顔を上げて確認すると、其処には褐色肌の長身女性が居た。キュルケだ。  ドアには『ロック』の魔法で鍵をかけていた。にもかかわらず部屋へ入ってきたという事は、『アンロック』の魔法で開錠してきたらしい。両方ともコモンマジックであるため、メイジなら誰でも使うことができる魔法だ。  ちなみに、『アンロック』を学院内で使用することは重大な校則違反なのであるが、キュルケにはそんなことは些細なことらしい。  不法侵入を果たしたキュルケはタバサに身振り手振り交えながら話しかけているようだが、『サイレント』の魔法の効果が未だ続いているためタバサに声は聞こえてこない。  仕方なくタバサは『サイレント』を解除した。読書の邪魔をする輩には『ウィンド・ブレイク』でも使って部屋から退場してもらうところだが、タバサの友人であるキュルケは数少ない例外だった。 「ターバーサっ♪ 出っ掛けっましょっ♪」 「虚無の曜日」  友人の誘いを短く簡潔な言葉で断るタバサ。簡潔すぎて意味が伝わりにくいが、キュルケには伝わったので問題ない。タバサは休日はとにかく本を読んで過ごしたいのである。  しかしキュルケは動じず、座っているタバサに後ろから抱きついた。ルイズより小柄で細いタバサの体はキュルケの長身に簡単に覆われてしまう。そしてキュルケのメロンのような乳房がタバサの青髪頭に乗りかかって形を変える。重い。   「あなたにとって虚無の曜日が読書の日であることは知ってるわ。けどたまには街までおいしいものを食べに行ったりしてもいいと思わない?」 「学院で十分」 「そういわないで。パイと紅茶のおいしい店があるのよ。奢ったげるから行きましょ?」  タバサは少し考えた。奢りでおいしいものが食べられるのは確かに魅力的だ。それに本は移動、食事の最中に読んでいれば今と読むスピードは変わるまい。なにより、この友人の誘いを断るのに消費するエネルギーは、承諾した場合に消費するそれより遥かに大きいと判断した。  小さく頷いて椅子から立ち上がり、窓を開ける。そして口笛を吹くと窓から身を躍らせた。タバサの行動の意味を察し、キュルケもそれに続く。  5階の窓から落下する彼女達を、口笛を聞いて飛んできた風竜が受け止めた。タバサの使い魔、シルフィードである。 「相変わらずあなたのシルフィードは惚れ惚れするわね」  キュルケが感嘆の声を漏らしているのを聞きながら、タバサはシルフィードに王都に飛ぶように指示を飛ばす。それが終わると先ほどの本の続きを読み出した。 「そういえばヴァリエールも何処かに出掛けてるみたいね。馬に乗ってるのを見たわ」  キュルケが何か言っているが、タバサにはどうでもいいことだ。高スピードで流れる風も気にせず、シルフィードの背びれにもたれながら本の世界に没頭していった。 「到着、と」  馬に乗って揺られること数時間。城下町のトリスタニアにルイズ達はやってきていた。目的は彼女の好物、クックベリーパイ。  しかしルイズ一人が食べるためにここまでやってきたわけではない。夢でレンに提案した通り、彼女の働きの報酬としてクックベリーパイを与えるために来たのだ。自分も久しぶりにパイを食べようと思っている。  レンは馬に固定した籠に入れていた。馬で走っている道中、少し鳴いていたが仕方あるまい。レンを抱いて乗馬はできないし、猫のレンが馬に乗れるわけも無い。 「さ、行くわよ」  ルイズは籠を開けてレンを掴み出そうとする。が、それよりも早くレンが籠から飛び出した。 「あ、ちょっとこら!?」  飛び出した勢いのままレンは走り出した。とととっと駆けるレンはすぐ傍の路地裏に入ってしまう。 「レン! 何処行く気よ!? これからクックベリーパイを食べに行くって言ってるでしょ!?」  慌てて猫に向かって叫びながらレンを追うルイズ。まずい。猫の動きは素早く機敏だ。こんな路地の多い城下町ではぐれた場合、うまく合流できるかは非常に妖しい。レンが入った路地に向かってルイズは急ぐ。 「お待たせしました、マスター」  角を曲がろうとしたところで、路地から出てきた人物に行く手を遮られた。  ルイズの足が止まる。完全にそいつに目を奪われていた。レンを追わなければ、という考えは吹っ飛んでいた。だって目の前に居るのだから。 「あ、あああ、あたあんあんたたたたた」 「北斗神拳ですか?」  むしろルイズはYOU『に』SHOCK!!  「あんた、何でその姿なのよぉ!?」 「似合いませんか? この帽子。マスターの様子からして耳は隠すべきだと思いましたので、用意しておいたのですが」  レンは真っ白で淵だけが黒い、大きなベレー帽のような帽子を着用している。成程、確かにすっぽり被されているそれは彼女の長耳まで覆い、帽子を被っている限りエルフと疑われることはまず無いだろう。  だが問題はそこではない。レンは今帽子を着用している、いやできる状態になっている。つまり、夢の中で見た銀髪の幼女の姿になっている、という事で――。 「あんた夢以外じゃ人型になれないんじゃなかったの!?」 「あら、そんなこと言った覚えはないけれど? 言わなかったかしら?」  そういった人間型のレンは、自分が仕掛けた取って置きの悪戯が成功した子供の笑いを浮かべていた。くすくすくすと実に楽しそうだ。  無論、ルイズが楽しいわけは無い。瞳と眉と肩をいからせてレンを糾弾する。 「言ってない! 絶対ゼッタイ聞いてないわよ私! っていうよりあんたわざと言ってなかったでしょ!?」 「落ち着いてくださいなマスター。周りの人の迷惑ですよ?」  確かに、大声で幼女に向かって叫ぶ貴族の姿は通りを歩く人々の視線を集めていた。そんな言葉でごまかされるルイズではなかったが、ひとまず声は抑える事にする。 「……つまり、あんたいつでも人型になれるのね?」 「代価無しに、というわけにはいかないわよ? この姿になるのは魔力、いえ精神力を消費するから」 「ならなんで今までは猫だったのに、今は人になるのよ?」 「猫の姿じゃお店に入れないじゃないの。今日は私にクックベリーパイを食べさせてくれるんでしょう?」 「それだけ!?」 「それ以外に理由が必要なの?」  いつもの不敵な笑顔で答えるレン。しかしルイズは納得できない。じーっとジト目でレンを睨む。 「ほらほら、そんな顔してると可愛い顔が台無しよ? 早く行きましょう」 「何よ、そんな言葉で誤魔化されないからね」  そう言ったものの、何時までもこんなところで口論していても意味が無いことくらいルイズも承知している。時間を無駄にする前に移動することにした。べ、別に可愛いって言われたのが嬉しかったわけじゃないんだからね!  未だぶすっとした顔で歩いていくルイズの後ろを楽しそうに笑いながらついていくレンであった。 「着いたわよ」 「へぇ、ここがそうなの」  少し歩いて二人は目的の場所へ着いた。パイの形をした看板が目を引き、一目で喫茶店の類と推察できる。レンはなにやら店名の書かれた看板をじっと見つめている。何かおかしなことでもあるのだろうか。   「店名がそんなに珍しいの?」 「そうじゃなくて。そういえば私、こっちの文字が読めないんだな、って」 「え、そうなの? その割りに流暢に喋るわね」 「私は向こうの言葉を喋ってる筈なのよ? 喋ったり聞いたりする言葉が勝手に翻訳されてるみたい。あの召喚ゲート、たいした物ね。ま、それは後。とにかく入りましょ」 「そうね。財布は持ってるわね?」 「勿論。落とすようなドジはしないわよ」 「スリも多いんだから気をつけなさいよ?私の今月分のお小遣いが入ってるんだから」 「それなら貴女が持ったら?」 「従者がいるときはそいつに持たせるのが貴族の基本なの」 「そういうものなの?」  そんな会話を交わしながら二人はお店へ入る。ドアを開けると、からんからんとベルの音がまず二人を迎えた。  店員に案内されて二人は席に着く。それなりに大きいテーブルに二人は向かい合って座っていた。昨夜の夢の位置と同じだな、とルイズは思った。 「ご注文はお決まりでしょうか?」 「クックベリーパイをワンホール。それと紅茶を二人分ね」 「かしこまりました。少々お待ちください」  注文も終わって、後はパイが届くのを待つのみだ。  となると、やることと言えば目の前の幼女と話すくらいしかない。つとレンの顔を見ると、彼女のほうから話しかけてきた。 「スリが多いって言ってたけど、この街治安が悪いの?」 「そんな事無いわ。トリステインの城下町よ? 一番治安は良いわよ。けど、魔法を使うスリもいるから、そういうやつに狙われると一瞬よ」 「メイジは貴族なんじゃなかったの?」 「貴族じゃないメイジもいるのよ。没落した貴族が仕事が無くて泥棒まがいの事に身をやつしたり、色々あるのよ」 「ふーん。そうそうルイズ。私、この姿で貴女の使い魔と紹介される気はないから、そこの所はよろしく」 「はあ!? 何勝手に決めてるのよ!」 「ルイズ、私はこちらでは珍しい使い魔なのよね?」 「そうだけど、それがどうしたのよ」 「こちらにも居るでしょ? レアな道具とか動物とかを見境無く集めるような人ないし機関は」  レンの言葉で、 自分の姉の一人、エレオノールが所属している魔法アカデミーの事を思い出す。正直あまり良い噂は聞かない。新しい魔法の為にはいかなる犠牲も厭わないとか、実験と称して珍しい生物を解剖してしまうとか。  身内の事を悪し様に言いたくは無いが、そんな所にレンの存在が気取られた場合、さっくり彼女を持っていかれてしまうかも知れない。もってかないでー。 「居るのね?」 「……ええ。良く知ってたわね」 「珍しい物を自分の物にしたがる人間は何処にでも居るという事よ。とにかく、そういうところに気取られると面倒でしょう?」 「せっかくクラスメイトたちに自慢してやろうと思ったのに……」    そんな会話をしているうちに、大皿に乗ったクックベリーパイがテーブルに運ばれてきた。パイから漂う爽やかな匂いにルイズの胸が躍る。レンも食い入るようにしてパイを見つめている。 「それではいただきますね」 「ちょ、レン!」  ルイズの声も聞かずにレンはクックベリーパイに手を伸ばすと、がぶっと齧り付く。その瞬間。ぴょこんと彼女の帽子から猫耳が飛び出した。 「!?」 「なかなかね。ショートケーキほどじゃないけど」  ルイズがパイを食べる前だったのは幸いだった。もし先にパイを食べていた場合、向かいに座るレンがパイまみれになっていたことだろう。 「……何よ?」  変な顔をして自分を見ているルイズに、咀嚼し終えたパイを飲み込んでレンは聞く。  ルイズはごしごしと自分の両目を擦って、改めてレンの頭を見る。相変わらず彼女の頭部には白い帽子が乗っかっているだけだった。 「い、いいえ、何でもないわ」 「ルイズは食べないの? 冷めるわよ?」 「食べるわよ! それより、あんたご主人様より先に食べるなんてどういうつもりよ。おまけに手掴みで食べるなんてマナーがなってないわよ」 「このパイは私の働きへの褒美でしょう? なら私が先に食べるのが道理というものよ。それにフォークやナイフで切るとパイの形が崩れるし、中身がはみ出るじゃない」  そう言いながらレンはまたパイを一口。さくりと小気味よい音がルイズの耳にまで届く。  確かにパイをナイフで切ると、綺麗に切れずにパイ皮が破れてしまうことは往々にしてある。それでも手掴みで食べる、なんてことは両親の躾が厳しかったルイズに許せるものではない。 「横倒しにしてから切れば良いのよ。ほら、こうやって」  ルイズも一片パイを取ると、自分の取り皿にパイを横に立ててナイフを入れた。成程、パイ皮が散らばることなく綺麗に切り取られる。そのパイにルイズはフォークを突き立てレンに見せた。 「ね? 綺麗に切れるじゃない。あんたのやり方だと手にクックベリーが付いちゃうわよ」 「横にするとお皿にソースが残って勿体無いわ。手に付いたのは舐めちゃえば……」 「だから行儀が悪いって言ってるの!」  ルイズの言葉も気にせずに、レンは親指に付いたジャムをぺろりと舐め取る。その仕草に愛らしさも感じたが、しっかり躾をしなおさねばとも思う複雑なルイズだった。  だがその前に、何は無くともクックベリーパイである。久しぶりに食べる好物をルイズも楽しみにしていたのだ。先程フォークで切ったパイを口に運ぶ。 「~~~っ♪」    ザクッとしたパイの歯ごたえのあと、プチュクチュと口の中で潰れていくクックベリー。パイの香ばしい風味とクックベリーの甘酸っぱさが渾然となって歓喜に震えるルイズ。  あっという間に一切れを食べ終え、大皿のパイへと再びフォークを伸ばす。その時、ふと自分の事をパイを齧りながら見ているレンに気がついた。相変わらず手掴みである。 「どうしたのよ?」 「別に。ただ幸せそうに食べているな、って」  笑いながら言うレンにちょっと恥ずかしくなり、俯いてしまう。何だ、自分だって美味しそうに食べているくせに。  二つ目を食べ終えたレンは右手にべっとりついてしまったクックベリーに赤い舌を這わせている。手首から指先までゆっくりと長い舌を蠢かせている様は、無邪気さと淫靡さの同居する矛盾した光景。  こんな風にパイとお茶に舌鼓を打って四方山話に花を咲かせる。それは楽しい時間だった。公爵家の産まれでありながら、落ちこぼれでしかもプライドは高かったルイズ。今まで親しい友達ができなかったのだ。  こうやって気の置けない相手とお喋りをしながら食事をする。学院の皆が普通にやっていることをルイズは生まれて初めて体験していた。  順調にパイを減らしながら会話を楽しむ二人。とても穏やかな時間が流れる。  そこでルイズはもっとこの使い魔自身の事について聞かねばならないと思い出した。何しろこの使い魔、性格が悪い。 「レン。あんたもう私に隠してることは無いわね?」 「嫌ですわマスター。私、今まで隠してた事なんて一つもありませのに」 「よく言うわ。人になれる能力は言わなかった癖に。他には黙ってることは無いの?」 「そうだ。これは言ってなかったわね。私が存在するためには、マスターまたは他の魔術師からの魔力が必要になるから」 「どういうことよ?」 「分かり易く言うと、私は誰かの精神力がないと生きていけない、と言う事よ」 「ちょっと! 大事じゃないそれ!」  思わず椅子から立ち上がってレンに向かって叫ぶ。自分の生死に関わることを何故最初に言わないのだ、この大馬鹿は!?  しかしそんなルイズに淡泊な口調でレンは言う。 「やっぱり知らなかったのね」 「あんたが言わなかったからでしょ!?」 「私が居た世界では当たり前のことだったからよ。こっちの使い魔が向こうと全然違うのを思い出したからひょっとして、と思ったの」  レンの落ち着き払った態度を見て、ひとまずルイズも椅子に座り直す。 「普段は貴女から精神力を貰ってるから別に問題ないわ」 「そう……って、それって私が魔法を使えなくなるって事じゃないの?」 「極僅かなものよ。一晩眠ればすぐに回復するわ。けど、大きな魔術を使ったりした場合は貴女に回復を頼むかも知れないわ。これは絶対に譲れないからね」 「分かったわ。生死に関わるんじゃ断れないわね。で、どうやったら回復できるの?」 「それは――」 「あら、ルイズじゃない。珍しいわね、あなたが誰かと一緒に居るなんて」  レンの言葉が来店した女性の言葉に遮られた。ルイズの顔が思いっきり不機嫌になる。つまり、彼女の仇敵キュルケだった。 「何? 何か用?」 「同級生を見かけたら声くらい掛けるじゃない。あ、店員さん? ミートパイワンホールと紅茶二つ、お願いね」 「ちょっと! 何で私たちのテーブルに座るのよ!」 「だって他は一杯じゃない。どうせ相席なら知り合いの居る所のほうがいいでしょ?」 「私は良くないわよ! せっかくのクックベリーパイをなんでツェルプストーと一緒に食べなきゃいけないのよ」  ごねるルイズだが、マイペースにキュルケは聞き流す。そして、ルイズと同席している白い幼女に目を向けた。   「初めまして。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーよ。こっちの娘はタバサ。あなたのお名前は?」 「アルク・ド・ブリュンスタッドと申します。以後お見知りおきを」  立ち上がってキュルケたちに会釈するレン。その自己紹介に眉をひそめたのは勿論ルイズだ。   「ちょっと、レ「良いじゃないルイズ。貴女のクラスメイトなんでしょう? 友情を深めるには良い機会じゃなくて?」  ルイズは二重の意味で渋面になる。一つは彼女がアルクと名乗ったこと、もう一つはルイズにキュルケ達との相席を促したことに。  片目を閉じてウィンクするレン。どうやら突っ込むな、という意思表示らしい。  レンの同意を得て、キュルケとタバサが椅子に座る。キュルケはレンに興味があるようで、隣のレンに話しかけ始めた。 「ブリュンスタッド……。聞かない家名ね?」 「無理もありませんわ。山奥の領地ですもの。知っている人の方が少ないでしょう」 (領地って何よ!? あんた猫でしょうが!?)  ルイズは即座に心の中で突っ込みを入れる。反応は良いが突っ込みの角度が甘い。吉本に入るにはまだまだである。 「あなた、魔法学院では見た事ないわね。まだ通える年齢じゃないのかしら? ……まあ、見た目通りじゃない年齢の娘もいるけど」 「キュルケ。何でこっちを見ながらそんなことを言うのかしら?」 「そんなの聞くまでも無いでしょ、ルイズ」 「なんであんたが答えてるのよレン!!」  怒鳴るルイズにけらけらとキュルケは笑う。レンも口に手を当てくすくすと笑っている。タバサは我関せずと本を読んでいた。 「ところで、その娘はアルクちゃんでしょう? なんであなたの使い魔の名前が出てくるの?」 「え、いや」 「ルイズ、確かに私は真っ白な服だけど、貴女の使い魔と間違えるのはひどいのではなくて?」  さらっとフォローを入れるレン。ルイズがレンの名前を言い間違える事は想定済みだったようである。  だがルイズは感謝の気持ちなど浮かばない。そもそもこの使い魔が勝手に自分の出自を捏造している事が原因なのだから。 「成程? ルイズったら随分自分の使い魔に首っ丈なのね」 「そうなのです。今日は随分彼女からレンのことを聞かされましたわ」 「あっはっは! まあ仕方ないかもね。ゼロのルイズが初めて魔法を成功して召喚した使い魔だもの。それにメイジにとって使い魔は大切なパートナー。ベタベタ甘やかすメイジも珍しくないしね」 「だ、そうよ? もっと貴女の使い魔の事、大事にしてあげなさいな」 「どの口が言うのかしらあんたは……」  ルイズはすらすらと出てくるレンの口上に呆れる。大事にしろ? ツェルプストーの人間と楽しく話すような奴なんて敵だ敵!  けしてこの恨み忘れぬ、と不機嫌にレンを睨みながらパイを口に放りこみ、お茶で流し込んだ。 「ルイズ、もっと味わって食べなさいよ。勿体無い」 「うっさい。あんたもとっとと食べなさい。これ以上ここに居ても不愉快なだけよ」 「出るの? もっと食べましょうよ。こっちに来るのって時間かかるじゃない」  ざくざくとクックベリーパイを齧りながらレンが言う。ツェルプストーと同席など御免蒙るが、ルイズもまだ食べ足りないというのは同感だ。 「なら何か買って帰ればいいわ。そこの店員。スコーン6つ、持ち帰り用に包んで」 「随分食べるわねえ。甘いものばっかり食べると太るわよ?」 「お生憎様、私は余分な肉なんて付かないの。あんたこそ肉ばかり食べてると今以上に脂肪の塊になるわよ」 「へえええ、言ってくれるじゃない、胸の脂肪もゼロのルイズ?」  一触即発。緊迫した空気が辺りに漂う。ルイズとキュルケは地獄の底から響くような不気味な笑い声を上げながら睨み合う二人。ふっふっふっと哂いながら目は憤怒に染まっている。タバサは相変わらず本を読んでいる。  そして、レンは。 「ルイズ」 「何よ!?」  視線を激しくぶつけていたキュルケからレンの方へ顔を向けると、目の前にレンの顔があった。その至近距離にルイズが反応する前に。 ぺろり。 「っ!?」 「ジャムが付いてたわよ。貴族ならもっと身嗜みに気を使いなさいな」  呆然とするルイズ。キュルケも少し驚いたらしく、今までルイズに向けていた敵意を霧散させてレンを見ている。そしてタバサはまだ読書にいそしんでいた。  何をしたのかといわれれば、ルイズの口についていたクックベリーのソースをレンが直接舌で舐め取った、それだけである。  しかし、レンが舌を這わせた場所はルイズの口の周り、つまり限りなく唇に近い場所だったわけで。遠目から見ると、まるでいきなり二人の少女が口付けをしたようにも見えたわけで。店の人間の視線は今、ルイズとレンに一点集中している。 「こ、こっここここの大バカぁあぁああああ!?」 「五月蝿いわね、綺麗に食べない貴女が悪いんでしょ」 「手掴みで食べてるあんたが言わない! だだ第一今あんたべろって、べろって!!」    レンの舌は肉食の猫ゆえか、自分のそれよりかなりザラザラしているように感じられ、舐められた瞬間、ぞわわっとルイズの背筋を何かが走った。  レンに舐められた場所を押さえながら真っ赤になって喚きたてるルイズと、意地悪な微笑を浮かべながら軽くあしらうレン。そんな二人を見てキュルケが堪え切れないとばかりに吹き出した。 「ぷ、あはっはっはは! さ、最高! あなた最高よアルクちゃん!」 「お褒めに預かり光栄ですわ」 「何普通に返してるのよ!? ああもう、さっさと出るわよ! お菓子出来てるわね!?」  レンの手を引っつかむとルイズは強引に立ち上がる。貴族の癇癪に怯えている店員からお菓子を引っ手繰ると、レンから渡された金貨をテーブルに叩きつけた。 「ほら行くわよレン!」 「またね~、アルクちゃん」 「はい、ごきげんよう」 「い・く・わ・よ!!」  ひらひらと手を振るキュルケに構わず店を飛び出すルイズに連行されるレン。ちなみに、ここに至ってもタバサは本から目を上げる事をしなかったとさ。 「もう、もっとゆっくり食べたかったのに」 「キュルケが傍に居るのにあんなところに居られるわけないでしょ! あんたもキュルケと馴れ馴れしくしない! ヴァリエール家とツェルプストー家の因縁は前に話したでしょ!?」 「さあ、どうだったかしら? 私、猫ですから憶えてませんわ」  道幅4~5メイルほどの大通りを大股で進むルイズ。その後ろを白い幼女のレンが続く。  憤って騒ぐルイズをレンは軽く笑いながらあしらう。只でさえ沸点の低いルイズ。この使い魔の自分のからかうような口調に血圧が許容量を超えて上昇していた。 「あんた、学院に帰ってからのお菓子抜きね」 「何でよ」 「ご主人様に隠し事をしてた罰、キュルケとお喋りしてた罰、ご主人様の顔を舐めた罰よ!」 「私へのご褒美だったんじゃないの?」 「もう十分食べたでしょ! これは私の分よ!」 「それを全部? 本当に太るわよ、マスター?」 「……あんた、お菓子だけじゃなくて食事も抜き!」 「ちょ、ちょっと私を飢え死にさせる気!?」  この使い魔もご飯抜きは辛いらしい。先ほどの余裕をなくしてルイズに詰め寄ってくる。  ぎゃあぎゃあ騒ぎながら街道を歩く少女二人。女三人集まらなくても姦しい。 「ひどいわルイズ!」 「どうしても欲しいのなら今から挽回しなさい。はいこれ持つ!」  店から持っていたお菓子の入っている袋をレンに押し付ける。しぶしぶと受け取るレン。ずんずん先行するルイズの後を付いていく。  歩きながらルイズは先ほどから疑問に思っていることをぶつけた。 「レン。さっきの自己紹介、あれ何? ブリュンスタッドって何よ?」 「ああ、あの名前は私の前の契約主の名前よ。言ったでしょ? この姿で貴女の使い魔と知られる気はないって」  確かに、あの場でレンと名乗るのは少しまずかったかもしれない。自分の白猫と目の前の幼女が同名なのは偶然とさせても、このレンの姿だとルイズの白猫は簡単に連想できてしまう。 「貴族の名前にしたのは貴女の為よ。ルイズは平民と一緒に食事してた、ってキュルケとかに知られるのは嫌なんでしょ?」 「まあ、そりゃそうね」 「そういうわけよ」 「……ねえ、どんなメイジだったの、そのアルクって人は?」 「あいつはメイジじゃないわよ」 「ええ? だってその人の使い魔だったんでしょ? 使い魔を持てるならメイジだったんでしょ?」 「あいつが人間だったならとっくに使い魔の契約なんて破棄してるわよ。もっとめんどくさい存在で、私もどれだけ契約破棄に苦労した事か……」  レンは何やら遠い目で昔を偲んでいるようである。口はへの字になっており、どう見ても楽しい思い出ではなさそうだった。  ルイズは理解できない。そのアルクとかいう奴は、メイジどころか人間でもない?ならいったいなんだと言うのか。想像力を働かせる彼女の脳裏に思い浮かんだのは、今は帽子で隠れているレンの長耳だった。 「人間じゃないなら、まさかエルフ……とか?」 「違うでしょうね。あいつは耳は普通の人の耳だったわよ。けど、エルフよりももっと強いと思うわ」 「エルフより強いって……!? 一体何なのよその人は!?」 「吸血鬼よ」  レンから簡潔に述べられた答えに、しかしルイズは顔に疑問符を浮かべる。 「吸血鬼? そりゃ吸血鬼は怖いけど、エルフより強いって言うのは言い過ぎでしょ」 「ルイズ、貴女が知ってる吸血鬼はどんな種族?」 「そうねー、知識でしか知らないけど、日の光が苦手で、エルフ程じゃないけど先住魔法を使える、狡猾で残忍、あとグールを使役する。これくらいかしら」 「あいつは、まず日光の下を自由に動けるわ」 「え゛!?」 「それと馬鹿力ね。キュルケの使い魔のフレイム、だっけ? あんなの素手で潰されるわね」 「えええ!?」 「あとこの前言った魅惑の魔眼持ちね。その瞳で見たならどんな相手でも意のままに操れるわ。他にも色々凄いわよ」 「……」  ルイズは言葉が出せない。なんだその吸血鬼は。日の光をものともせず、サラマンダーを潰せるくらいの怪力で、相手の目を見たら体の自由が利かなくなる? インチキの塊のような能力ではないか。  普通の吸血鬼でもメイジは苦戦するのに、そんな奴スクウェアクラスのメイジでも倒せるかどうか。見た事のないレンの元主人とやらに戦慄するルイズ。 「一番の違いだけど。あれは血を吸わないわ」 「は? それじゃ吸血鬼じゃないじゃない」 「言いたいことは分かるわ。けど吸血鬼なの。吸血鬼なのに血を吸わない。そんな変な奴よ」  ルイズの考えが混乱する。血を吸わない吸血鬼? そんなものいるわけないじゃないか。 「それ、やっぱり吸血鬼じゃないでしょ」 「別に信じなくて良いわよ。貴女が会う事は絶対ないから」 「そんな事言っても気になるわよ」  この生意気な使い魔が自分の前に仕えていたという吸血鬼。興味を抱くなと言うのは無理な話である。だがレンはその吸血鬼の事をあまり話したがっていないようだった。 「ルイズ。次は何処に行くとか決めてるの?」 「ちょっと、話の途中よ。……でもそうね、ここからなら服屋が近いかしら。ちょっと寄っていきましょうか」 「了解しましたわ、マスター」 「それで、他には特徴はないの、その吸血鬼」 「まだその話? そうねえ、あとは」  人差し指をあごに当ててレンは軽く考え込む。そして何かを思いついたのか、ルイズに向かって一言。 「色ボケね」 「さ、帰りましょうか」  大分日が傾いた王都トリスタニア。ルイズとレンは街の入り口までやってきていた。 「それじゃ、私は猫になってくるわね」 「そうね、荷物があるから二人乗りは厳しそうね、あんた小さいとはいえ」 「一言余計よ、ルイズ」  そう言って細い路地へと向かうレン。その後姿を見ていると、 「ねえレン。あんたその姿のままがいいとか言う事はないの?」  そんな疑問がルイズの口からこぼれた。その言葉にレンはルイズの方へ振り向いて答える。 「別にそんな事は思わないわね。猫の姿、この姿、どちらも私だもの。それに――」 「それに?」 「いえ、何でもないわ」  薄い微笑を浮かべながら言葉を切るレン。その顔がルイズは妙に気になった。 「言いなさいよ。それに、何?」 「だからなんでもないわ。もう暗くなるわよ。夜道は危ないわ、急ぎましょ?」 「あ、こら!!」  無理やり話を終わらせて路地へと入り込むレン。その後を追うルイズだが、そこは白猫になったレンが佇んでいるだけだった。 「……何よ、ほんと隠し事が多い奴ね」  不機嫌にしかめっ面になりながらレンを持ち上げる。睨んでやってもレンがは鳴きもせず、人の言葉をしゃべる事もなかった。  それ以上の追求はこの場では無駄だ、とルイズは判断すると、レンを持って馬へと歩き出した。  だからルイズは知らない。レンが徒に人型にならない一番の理由は、ルイズに下らない雑用を押し付けられないが為だという事に。  3時間ほど馬を走らせ、無事学院へルイズとレンはたどり着いた。家に帰るまでが外出である。  夕食の後、持ち帰ったスコーンを自室で頂く事にする。そわそわしながらお茶が運ばれてくるのを待つ。こういう時、まだかなまだかなと待つ時間も楽しみの一つだ。  そして待望のノックの音が響く。コンコンコンコンと4回、主に礼儀が必要な際に行う回数である。 「失礼します、紅茶をお持ちしました」 「ええ、入りなさい」  許可を出すと、トレイにティーセットを乗せた黒髪のメイドが入ってきた。それはこの前浴室で会ったメイド、シエスタだった。 「あら、あんただったの。奇遇ね」 「は、はい。それでは紅茶をお煎れします」 「お願いね」  お湯で温められた2つのティーカップに、数分間ポットの中で旨みが抽出された紅茶が注がれる。とぽとぽとぽ、という音と共に心が落ち着く香りが漂う。 「ご学友とお茶会でしょうか?」 「まあ、そんな所よ」 「それでは失礼致します」 「あ、ちょっと待ちなさい」  ルイズはお茶を煎れ終わったシエスタを呼び止める。  指示を待つメイドに、ルイズは買ってきたスコーンを一つ差し出した。 「あげるわ。とっときなさい」 「……よろしいのですか?」 「ちょっとしたお礼よ。遠慮する必要は無いわ」 「ありがとうございます! それでは頂戴します……?」  シエスタがルイズからスコーンを受け取ると同時、シエスタは自分の足下に目を向ける。そこにはシエスタの脚をはっしと両前脚で抱えているレンが居た。 「ど、どうしたのレンちゃん?」 「レン、はしたないわよ。さっさと放してあげなさい」  ルイズにはこの白猫の行動の意味が読めた。自分の分のスコーンが減ることを危惧しての行動だろう。  そのお菓子を持ってかないでー、という言葉は無くとも理解できる。思わずニヤニヤ笑ってしまうルイズだった。 「ほら、離れなさいっての」  ルイズはがしっとレンを掴みあげる。ルイズに拘束されてもレンはまだ諦められないらしく、じたばた手足を振って抵抗していた。シエスタはそんなレンを微笑んで見守っている。 「それでは失礼致します」 「ご苦労様」  使用したティーセットとお駄賃のスコーンを持ってシエスタが退室する。  ドアが閉まって彼女の足音が部屋から遠のくまで、レンはじっとルイズを見上げていた。そして足音が完全に聞こえなくなると、何の前触れも無く一瞬で人の姿になった。  ちょっとびっくりしたルイズだが、レンの不機嫌そうな顔を見て心に余裕が生まれていた。意地悪く笑いながらレンに言う。 「へえ、そういう風に変身するんだ。ほんとに一瞬なのね」 「ルイズ、なんであの娘にあげちゃったのよ」 「あら、私は全部私とあんたで食べるなんて言ってないわよ。それに全部はあげてないでしょ。数を減らしてあげただけのご主人様に感謝なさい」 「なんて、ひどい……! あれだけ荷物持ちをさせておいて……!」  初めて見るレンの怒り顔である。しかしルイズにはなんだかそれが見た目相応に子供っぽくみえて、恐れるより面白いと思ってしまった。  本当に、甘いものが絡むと素の反応になるんだな、とルイズは実感した。 「さ、紅茶が冷めるわよ。入れたてが一番おいしいんだから頂きましょ」 「食べ物の恨みは絶対忘れないからね!」  恨めしげに言いながらレンはスコーンを齧る。そんなレンを肴に、ルイズはシエスタの煎れた紅茶とスコーンを愉しむのだった。 「ん~~っ、眠い……」  お菓子を食べ終わり、風呂から上がったルイズは自室に戻ると着替え始めた。生地の薄いネグリジェになると、ベッドに倒れこむ。  レンは床の上に敷かれた毛布に寄りかかって丸くなっていた。ふて寝かもしれない。  毛布は、今日街で買ったものの一つである。色々と買い込んだので最後の方では小柄なレンが荷物持ちに四苦八苦していた。  布団の柔らかさに包まれながら、ルイズは呼吸に合わせて膨張、収縮を繰り返す毛玉を見つめる。そして今日の事を思い出していた。  従者ではない、使い魔と一緒の街の散策。一緒にお菓子を食べて紅茶を飲む。こんなのつい数日前までは想像もしなかった。 (結構いい使い魔じゃないの……私の使い魔は……)  キュルケに余計な邪魔をされたものの、今日はいい日だった、と思いながら、ルイズは押し寄せる睡魔に身を委ねる。深い眠りに落ちたルイズは、その日夢は見なかった。 ---- [[back>ゼロの白猫 03]] / [[ゼロの白猫]] / [[next>ゼロの白猫 05]]
#navi(ゼロの白猫)  虚無の曜日。それはハルケギニアの人間達が最も愛しているだろう曜日。全人類に与えられた休息のための日である。  よってトリステイン魔法学院も授業は休みとなり、教師も生徒も貴族も平民も分け隔てなく英気を養い、次の日に備えるのだ。  寮の自室で黙々と本を読み続けるタバサも、例外なく虚無の曜日を愛していた。誰にも邪魔されず気兼ねせず読書に没頭できるこの時間を。  そんな時間がノックの音に邪魔される。トントントンと部屋に響くノックの音。親愛を表すのはノック三回。  しかしタバサにとっては煩わしい事でしかない。とにかく彼女は干渉されることを嫌うのだ。なので相手が諦めるまで居留守を決め込むことにした。  とんとんとんとん。ノックの音はしかし止まない。ノックの主はタバサが部屋にいることを確信しているのだろう。中々帰る様子が無い。  タバサは彼女の身長よりも大きな杖を取り出し、魔法を使うことにした。誰にも邪魔されず本の虫になるために。  杖を振るうと、ノックの音が聞こえなくなった。彼女が使った魔法は風系統の魔法、『サイレント』。周囲の音を消してしまう魔法である。静けさを好み、風のメイジである彼女はこの魔法を愛用していた。  そうしてまた読書に戻るタバサ。ページをまくる音すら消えた無音の中で、眼鏡の奥の目を輝かせて紙の上を踊る文字に没頭していく。  数ページ本をまくったところで、タバサは自分の傍に誰かがたったことに気付く。顔を上げて確認すると、其処には褐色肌の長身女性が居た。キュルケだ。  ドアには『ロック』の魔法で鍵をかけていた。にもかかわらず部屋へ入ってきたという事は、『アンロック』の魔法で開錠してきたらしい。両方ともコモンマジックであるため、メイジなら誰でも使うことができる魔法だ。  ちなみに、『アンロック』を学院内で使用することは重大な校則違反なのであるが、キュルケにはそんなことは些細なことらしい。  不法侵入を果たしたキュルケはタバサに身振り手振り交えながら話しかけているようだが、『サイレント』の魔法の効果が未だ続いているためタバサに声は聞こえてこない。  仕方なくタバサは『サイレント』を解除した。読書の邪魔をする輩には『ウィンド・ブレイク』でも使って部屋から退場してもらうところだが、タバサの友人であるキュルケは数少ない例外だった。 「ターバーサっ♪ 出っ掛けっましょっ♪」 「虚無の曜日」  友人の誘いを短く簡潔な言葉で断るタバサ。簡潔すぎて意味が伝わりにくいが、キュルケには伝わったので問題ない。タバサは休日はとにかく本を読んで過ごしたいのである。  しかしキュルケは動じず、座っているタバサに後ろから抱きついた。ルイズより小柄で細いタバサの体はキュルケの長身に簡単に覆われてしまう。そしてキュルケのメロンのような乳房がタバサの青髪頭に乗りかかって形を変える。重い。   「あなたにとって虚無の曜日が読書の日であることは知ってるわ。けどたまには街までおいしいものを食べに行ったりしてもいいと思わない?」 「学院で十分」 「そういわないで。パイと紅茶のおいしい店があるのよ。奢ったげるから行きましょ?」  タバサは少し考えた。奢りでおいしいものが食べられるのは確かに魅力的だ。それに本は移動、食事の最中に読んでいれば今と読むスピードは変わるまい。なにより、この友人の誘いを断るのに消費するエネルギーは、承諾した場合に消費するそれより遥かに大きいと判断した。  小さく頷いて椅子から立ち上がり、窓を開ける。そして口笛を吹くと窓から身を躍らせた。タバサの行動の意味を察し、キュルケもそれに続く。  5階の窓から落下する彼女達を、口笛を聞いて飛んできた風竜が受け止めた。タバサの使い魔、シルフィードである。 「相変わらずあなたのシルフィードは惚れ惚れするわね」  キュルケが感嘆の声を漏らしているのを聞きながら、タバサはシルフィードに王都に飛ぶように指示を飛ばす。それが終わると先ほどの本の続きを読み出した。 「そういえばヴァリエールも何処かに出掛けてるみたいね。馬に乗ってるのを見たわ」  キュルケが何か言っているが、タバサにはどうでもいいことだ。高スピードで流れる風も気にせず、シルフィードの背びれにもたれながら本の世界に没頭していった。 「到着、と」  馬に乗って揺られること数時間。城下町のトリスタニアにルイズ達はやってきていた。目的は彼女の好物、クックベリーパイ。  しかしルイズ一人が食べるためにここまでやってきたわけではない。夢でレンに提案した通り、彼女の働きの報酬としてクックベリーパイを与えるために来たのだ。自分も久しぶりにパイを食べようと思っている。  レンは馬に固定した籠に入れていた。馬で走っている道中、少し鳴いていたが仕方あるまい。レンを抱いて乗馬はできないし、猫のレンが馬に乗れるわけも無い。 「さ、行くわよ」  ルイズは籠を開けてレンを掴み出そうとする。が、それよりも早くレンが籠から飛び出した。 「あ、ちょっとこら!?」  飛び出した勢いのままレンは走り出した。とととっと駆けるレンはすぐ傍の路地裏に入ってしまう。 「レン! 何処行く気よ!? これからクックベリーパイを食べに行くって言ってるでしょ!?」  慌てて猫に向かって叫びながらレンを追うルイズ。まずい。猫の動きは素早く機敏だ。こんな路地の多い城下町ではぐれた場合、うまく合流できるかは非常に妖しい。レンが入った路地に向かってルイズは急ぐ。 「お待たせしました、マスター」  角を曲がろうとしたところで、路地から出てきた人物に行く手を遮られた。  ルイズの足が止まる。完全にそいつに目を奪われていた。レンを追わなければ、という考えは吹っ飛んでいた。だって目の前に居るのだから。 「あ、あああ、あたあんあんたたたたた」 「北斗神拳ですか?」  むしろルイズはYOU『に』SHOCK!!  「あんた、何でその姿なのよぉ!?」 「似合いませんか? この帽子。マスターの様子からして耳は隠すべきだと思いましたので、用意しておいたのですが」  レンは真っ白で淵だけが黒い、大きなベレー帽のような帽子を着用している。成程、確かにすっぽり被されているそれは彼女の長耳まで覆い、帽子を被っている限りエルフと疑われることはまず無いだろう。  だが問題はそこではない。レンは今帽子を着用している、いやできる状態になっている。つまり、夢の中で見た銀髪の幼女の姿になっている、という事で――。 「あんた夢以外じゃ人型になれないんじゃなかったの!?」 「あら、そんなこと言った覚えはないけれど? 言わなかったかしら?」  そういった人間型のレンは、自分が仕掛けた取って置きの悪戯が成功した子供の笑いを浮かべていた。くすくすくすと実に楽しそうだ。  無論、ルイズが楽しいわけは無い。瞳と眉と肩をいからせてレンを糾弾する。 「言ってない! 絶対ゼッタイ聞いてないわよ私! っていうよりあんたわざと言ってなかったでしょ!?」 「落ち着いてくださいなマスター。周りの人の迷惑ですよ?」  確かに、大声で幼女に向かって叫ぶ貴族の姿は通りを歩く人々の視線を集めていた。そんな言葉でごまかされるルイズではなかったが、ひとまず声は抑える事にする。 「……つまり、あんたいつでも人型になれるのね?」 「代価無しに、というわけにはいかないわよ? この姿になるのは魔力、いえ精神力を消費するから」 「ならなんで今までは猫だったのに、今は人になるのよ?」 「猫の姿じゃお店に入れないじゃないの。今日は私にクックベリーパイを食べさせてくれるんでしょう?」 「それだけ!?」 「それ以外に理由が必要なの?」  いつもの不敵な笑顔で答えるレン。しかしルイズは納得できない。じーっとジト目でレンを睨む。 「ほらほら、そんな顔してると可愛い顔が台無しよ? 早く行きましょう」 「何よ、そんな言葉で誤魔化されないからね」  そう言ったものの、何時までもこんなところで口論していても意味が無いことくらいルイズも承知している。時間を無駄にする前に移動することにした。べ、別に可愛いって言われたのが嬉しかったわけじゃないんだからね!  未だぶすっとした顔で歩いていくルイズの後ろを楽しそうに笑いながらついていくレンであった。 「着いたわよ」 「へぇ、ここがそうなの」  少し歩いて二人は目的の場所へ着いた。パイの形をした看板が目を引き、一目で喫茶店の類と推察できる。レンはなにやら店名の書かれた看板をじっと見つめている。何かおかしなことでもあるのだろうか。   「店名がそんなに珍しいの?」 「そうじゃなくて。そういえば私、こっちの文字が読めないんだな、って」 「え、そうなの? その割りに流暢に喋るわね」 「私は向こうの言葉を喋ってる筈なのよ? 喋ったり聞いたりする言葉が勝手に翻訳されてるみたい。あの召喚ゲート、たいした物ね。ま、それは後。とにかく入りましょ」 「そうね。財布は持ってるわね?」 「勿論。落とすようなドジはしないわよ」 「スリも多いんだから気をつけなさいよ?私の今月分のお小遣いが入ってるんだから」 「それなら貴女が持ったら?」 「従者がいるときはそいつに持たせるのが貴族の基本なの」 「そういうものなの?」  そんな会話を交わしながら二人はお店へ入る。ドアを開けると、からんからんとベルの音がまず二人を迎えた。  店員に案内されて二人は席に着く。それなりに大きいテーブルに二人は向かい合って座っていた。昨夜の夢の位置と同じだな、とルイズは思った。 「ご注文はお決まりでしょうか?」 「クックベリーパイをワンホール。それと紅茶を二人分ね」 「かしこまりました。少々お待ちください」  注文も終わって、後はパイが届くのを待つのみだ。  となると、やることと言えば目の前の幼女と話すくらいしかない。つとレンの顔を見ると、彼女のほうから話しかけてきた。 「スリが多いって言ってたけど、この街治安が悪いの?」 「そんな事無いわ。トリステインの城下町よ? 一番治安は良いわよ。けど、魔法を使うスリもいるから、そういうやつに狙われると一瞬よ」 「メイジは貴族なんじゃなかったの?」 「貴族じゃないメイジもいるのよ。没落した貴族が仕事が無くて泥棒まがいの事に身をやつしたり、色々あるのよ」 「ふーん。そうそうルイズ。私、この姿で貴女の使い魔と紹介される気はないから、そこの所はよろしく」 「はあ!? 何勝手に決めてるのよ!」 「ルイズ、私はこちらでは珍しい使い魔なのよね?」 「そうだけど、それがどうしたのよ」 「こちらにも居るでしょ? レアな道具とか動物とかを見境無く集めるような人ないし機関は」  レンの言葉で、 自分の姉の一人、エレオノールが所属している魔法アカデミーの事を思い出す。正直あまり良い噂は聞かない。新しい魔法の為にはいかなる犠牲も厭わないとか、実験と称して珍しい生物を解剖してしまうとか。  身内の事を悪し様に言いたくは無いが、そんな所にレンの存在が気取られた場合、さっくり彼女を持っていかれてしまうかも知れない。もってかないでー。 「居るのね?」 「……ええ。良く知ってたわね」 「珍しい物を自分の物にしたがる人間は何処にでも居るという事よ。とにかく、そういうところに気取られると面倒でしょう?」 「せっかくクラスメイトたちに自慢してやろうと思ったのに……」    そんな会話をしているうちに、大皿に乗ったクックベリーパイがテーブルに運ばれてきた。パイから漂う爽やかな匂いにルイズの胸が躍る。レンも食い入るようにしてパイを見つめている。 「それではいただきますね」 「ちょ、レン!」  ルイズの声も聞かずにレンはクックベリーパイに手を伸ばすと、がぶっと齧り付く。その瞬間。ぴょこんと彼女の帽子から猫耳が飛び出した。 「!?」 「なかなかね。ショートケーキほどじゃないけど」  ルイズがパイを食べる前だったのは幸いだった。もし先にパイを食べていた場合、向かいに座るレンがパイまみれになっていたことだろう。 「……何よ?」  変な顔をして自分を見ているルイズに、咀嚼し終えたパイを飲み込んでレンは聞く。  ルイズはごしごしと自分の両目を擦って、改めてレンの頭を見る。相変わらず彼女の頭部には白い帽子が乗っかっているだけだった。 「い、いいえ、何でもないわ」 「ルイズは食べないの? 冷めるわよ?」 「食べるわよ! それより、あんたご主人様より先に食べるなんてどういうつもりよ。おまけに手掴みで食べるなんてマナーがなってないわよ」 「このパイは私の働きへの褒美でしょう? なら私が先に食べるのが道理というものよ。それにフォークやナイフで切るとパイの形が崩れるし、中身がはみ出るじゃない」  そう言いながらレンはまたパイを一口。さくりと小気味よい音がルイズの耳にまで届く。  確かにパイをナイフで切ると、綺麗に切れずにパイ皮が破れてしまうことは往々にしてある。それでも手掴みで食べる、なんてことは両親の躾が厳しかったルイズに許せるものではない。 「横倒しにしてから切れば良いのよ。ほら、こうやって」  ルイズも一片パイを取ると、自分の取り皿にパイを横に立ててナイフを入れた。成程、パイ皮が散らばることなく綺麗に切り取られる。そのパイにルイズはフォークを突き立てレンに見せた。 「ね? 綺麗に切れるじゃない。あんたのやり方だと手にクックベリーが付いちゃうわよ」 「横にするとお皿にソースが残って勿体無いわ。手に付いたのは舐めちゃえば……」 「だから行儀が悪いって言ってるの!」  ルイズの言葉も気にせずに、レンは親指に付いたジャムをぺろりと舐め取る。その仕草に愛らしさも感じたが、しっかり躾をしなおさねばとも思う複雑なルイズだった。  だがその前に、何は無くともクックベリーパイである。久しぶりに食べる好物をルイズも楽しみにしていたのだ。先程フォークで切ったパイを口に運ぶ。 「~~~っ♪」    ザクッとしたパイの歯ごたえのあと、プチュクチュと口の中で潰れていくクックベリー。パイの香ばしい風味とクックベリーの甘酸っぱさが渾然となって歓喜に震えるルイズ。  あっという間に一切れを食べ終え、大皿のパイへと再びフォークを伸ばす。その時、ふと自分の事をパイを齧りながら見ているレンに気がついた。相変わらず手掴みである。 「どうしたのよ?」 「別に。ただ幸せそうに食べているな、って」  笑いながら言うレンにちょっと恥ずかしくなり、俯いてしまう。何だ、自分だって美味しそうに食べているくせに。  二つ目を食べ終えたレンは右手にべっとりついてしまったクックベリーに赤い舌を這わせている。手首から指先までゆっくりと長い舌を蠢かせている様は、無邪気さと淫靡さの同居する矛盾した光景。  こんな風にパイとお茶に舌鼓を打って四方山話に花を咲かせる。それは楽しい時間だった。公爵家の産まれでありながら、落ちこぼれでしかもプライドは高かったルイズ。今まで親しい友達ができなかったのだ。  こうやって気の置けない相手とお喋りをしながら食事をする。学院の皆が普通にやっていることをルイズは生まれて初めて体験していた。  順調にパイを減らしながら会話を楽しむ二人。とても穏やかな時間が流れる。  そこでルイズはもっとこの使い魔自身の事について聞かねばならないと思い出した。何しろこの使い魔、性格が悪い。 「レン。あんたもう私に隠してることは無いわね?」 「嫌ですわマスター。私、今まで隠してた事なんて一つもありませのに」 「よく言うわ。人になれる能力は言わなかった癖に。他には黙ってることは無いの?」 「そうだ。これは言ってなかったわね。私が存在するためには、マスターまたは他の魔術師からの魔力が必要になるから」 「どういうことよ?」 「分かり易く言うと、私は誰かの精神力がないと生きていけない、と言う事よ」 「ちょっと! 大事じゃないそれ!」  思わず椅子から立ち上がってレンに向かって叫ぶ。自分の生死に関わることを何故最初に言わないのだ、この大馬鹿は!?  しかしそんなルイズに淡泊な口調でレンは言う。 「やっぱり知らなかったのね」 「あんたが言わなかったからでしょ!?」 「私が居た世界では当たり前のことだったからよ。こっちの使い魔が向こうと全然違うのを思い出したからひょっとして、と思ったの」  レンの落ち着き払った態度を見て、ひとまずルイズも椅子に座り直す。 「普段は貴女から精神力を貰ってるから別に問題ないわ」 「そう……って、それって私が魔法を使えなくなるって事じゃないの?」 「極僅かなものよ。一晩眠ればすぐに回復するわ。けど、大きな魔術を使ったりした場合は貴女に回復を頼むかも知れないわ。これは絶対に譲れないからね」 「分かったわ。生死に関わるんじゃ断れないわね。で、どうやったら回復できるの?」 「それは――」 「あら、ルイズじゃない。珍しいわね、あなたが誰かと一緒に居るなんて」  レンの言葉が来店した女性の言葉に遮られた。ルイズの顔が思いっきり不機嫌になる。つまり、彼女の仇敵キュルケだった。 「何? 何か用?」 「同級生を見かけたら声くらい掛けるじゃない。あ、店員さん? ミートパイワンホールと紅茶二つ、お願いね」 「ちょっと! 何で私たちのテーブルに座るのよ!」 「だって他は一杯じゃない。どうせ相席なら知り合いの居る所のほうがいいでしょ?」 「私は良くないわよ! せっかくのクックベリーパイをなんでツェルプストーと一緒に食べなきゃいけないのよ」  ごねるルイズだが、マイペースにキュルケは聞き流す。そして、ルイズと同席している白い幼女に目を向けた。   「初めまして。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーよ。こっちの娘はタバサ。あなたのお名前は?」 「アルク・ド・ブリュンスタッドと申します。以後お見知りおきを」  立ち上がってキュルケたちに会釈するレン。その自己紹介に眉をひそめたのは勿論ルイズだ。   「ちょっと、レ「良いじゃないルイズ。貴女のクラスメイトなんでしょう? 友情を深めるには良い機会じゃなくて?」  ルイズは二重の意味で渋面になる。一つは彼女がアルクと名乗ったこと、もう一つはルイズにキュルケ達との相席を促したことに。  片目を閉じてウィンクするレン。どうやら突っ込むな、という意思表示らしい。  レンの同意を得て、キュルケとタバサが椅子に座る。キュルケはレンに興味があるようで、隣のレンに話しかけ始めた。 「ブリュンスタッド……。聞かない家名ね?」 「無理もありませんわ。山奥の領地ですもの。知っている人の方が少ないでしょう」 (領地って何よ!? あんた猫でしょうが!?)  ルイズは即座に心の中で突っ込みを入れる。反応は良いが突っ込みの角度が甘い。吉本に入るにはまだまだである。 「あなた、魔法学院では見た事ないわね。まだ通える年齢じゃないのかしら? ……まあ、見た目通りじゃない年齢の娘もいるけど」 「キュルケ。何でこっちを見ながらそんなことを言うのかしら?」 「そんなの聞くまでも無いでしょ、ルイズ」 「なんであんたが答えてるのよレン!!」  怒鳴るルイズにけらけらとキュルケは笑う。レンも口に手を当てくすくすと笑っている。タバサは我関せずと本を読んでいた。 「ところで、その娘はアルクちゃんでしょう? なんであなたの使い魔の名前が出てくるの?」 「え、いや」 「ルイズ、確かに私は真っ白な服だけど、貴女の使い魔と間違えるのはひどいのではなくて?」  さらっとフォローを入れるレン。ルイズがレンの名前を言い間違える事は想定済みだったようである。  だがルイズは感謝の気持ちなど浮かばない。そもそもこの使い魔が勝手に自分の出自を捏造している事が原因なのだから。 「成程? ルイズったら随分自分の使い魔に首っ丈なのね」 「そうなのです。今日は随分彼女からレンのことを聞かされましたわ」 「あっはっは! まあ仕方ないかもね。ゼロのルイズが初めて魔法を成功して召喚した使い魔だもの。それにメイジにとって使い魔は大切なパートナー。ベタベタ甘やかすメイジも珍しくないしね」 「だ、そうよ? もっと貴女の使い魔の事、大事にしてあげなさいな」 「どの口が言うのかしらあんたは……」  ルイズはすらすらと出てくるレンの口上に呆れる。大事にしろ? ツェルプストーの人間と楽しく話すような奴なんて敵だ敵!  けしてこの恨み忘れぬ、と不機嫌にレンを睨みながらパイを口に放りこみ、お茶で流し込んだ。 「ルイズ、もっと味わって食べなさいよ。勿体無い」 「うっさい。あんたもとっとと食べなさい。これ以上ここに居ても不愉快なだけよ」 「出るの? もっと食べましょうよ。こっちに来るのって時間かかるじゃない」  ざくざくとクックベリーパイを齧りながらレンが言う。ツェルプストーと同席など御免蒙るが、ルイズもまだ食べ足りないというのは同感だ。 「なら何か買って帰ればいいわ。そこの店員。スコーン6つ、持ち帰り用に包んで」 「随分食べるわねえ。甘いものばっかり食べると太るわよ?」 「お生憎様、私は余分な肉なんて付かないの。あんたこそ肉ばかり食べてると今以上に脂肪の塊になるわよ」 「へえええ、言ってくれるじゃない、胸の脂肪もゼロのルイズ?」  一触即発。緊迫した空気が辺りに漂う。ルイズとキュルケは地獄の底から響くような不気味な笑い声を上げながら睨み合う二人。ふっふっふっと哂いながら目は憤怒に染まっている。タバサは相変わらず本を読んでいる。  そして、レンは。 「ルイズ」 「何よ!?」  視線を激しくぶつけていたキュルケからレンの方へ顔を向けると、目の前にレンの顔があった。その至近距離にルイズが反応する前に。 ぺろり。 「っ!?」 「ジャムが付いてたわよ。貴族ならもっと身嗜みに気を使いなさいな」  呆然とするルイズ。キュルケも少し驚いたらしく、今までルイズに向けていた敵意を霧散させてレンを見ている。そしてタバサはまだ読書にいそしんでいた。  何をしたのかといわれれば、ルイズの口についていたクックベリーのソースをレンが直接舌で舐め取った、それだけである。  しかし、レンが舌を這わせた場所はルイズの口の周り、つまり限りなく唇に近い場所だったわけで。遠目から見ると、まるでいきなり二人の少女が口付けをしたようにも見えたわけで。店の人間の視線は今、ルイズとレンに一点集中している。 「こ、こっここここの大バカぁあぁああああ!?」 「五月蝿いわね、綺麗に食べない貴女が悪いんでしょ」 「手掴みで食べてるあんたが言わない! だだ第一今あんたべろって、べろって!!」    レンの舌は肉食の猫ゆえか、自分のそれよりかなりザラザラしているように感じられ、舐められた瞬間、ぞわわっとルイズの背筋を何かが走った。  レンに舐められた場所を押さえながら真っ赤になって喚きたてるルイズと、意地悪な微笑を浮かべながら軽くあしらうレン。そんな二人を見てキュルケが堪え切れないとばかりに吹き出した。 「ぷ、あはっはっはは! さ、最高! あなた最高よアルクちゃん!」 「お褒めに預かり光栄ですわ」 「何普通に返してるのよ!? ああもう、さっさと出るわよ! お菓子出来てるわね!?」  レンの手を引っつかむとルイズは強引に立ち上がる。貴族の癇癪に怯えている店員からお菓子を引っ手繰ると、レンから渡された金貨をテーブルに叩きつけた。 「ほら行くわよレン!」 「またね~、アルクちゃん」 「はい、ごきげんよう」 「い・く・わ・よ!!」  ひらひらと手を振るキュルケに構わず店を飛び出すルイズに連行されるレン。ちなみに、ここに至ってもタバサは本から目を上げる事をしなかったとさ。 「もう、もっとゆっくり食べたかったのに」 「キュルケが傍に居るのにあんなところに居られるわけないでしょ! あんたもキュルケと馴れ馴れしくしない! ヴァリエール家とツェルプストー家の因縁は前に話したでしょ!?」 「さあ、どうだったかしら? 私、猫ですから憶えてませんわ」  道幅4~5メイルほどの大通りを大股で進むルイズ。その後ろを白い幼女のレンが続く。  憤って騒ぐルイズをレンは軽く笑いながらあしらう。只でさえ沸点の低いルイズ。この使い魔の自分のからかうような口調に血圧が許容量を超えて上昇していた。 「あんた、学院に帰ってからのお菓子抜きね」 「何でよ」 「ご主人様に隠し事をしてた罰、キュルケとお喋りしてた罰、ご主人様の顔を舐めた罰よ!」 「私へのご褒美だったんじゃないの?」 「もう十分食べたでしょ! これは私の分よ!」 「それを全部? 本当に太るわよ、マスター?」 「……あんた、お菓子だけじゃなくて食事も抜き!」 「ちょ、ちょっと私を飢え死にさせる気!?」  この使い魔もご飯抜きは辛いらしい。先ほどの余裕をなくしてルイズに詰め寄ってくる。  ぎゃあぎゃあ騒ぎながら街道を歩く少女二人。女三人集まらなくても姦しい。 「ひどいわルイズ!」 「どうしても欲しいのなら今から挽回しなさい。はいこれ持つ!」  店から持っていたお菓子の入っている袋をレンに押し付ける。しぶしぶと受け取るレン。ずんずん先行するルイズの後を付いていく。  歩きながらルイズは先ほどから疑問に思っていることをぶつけた。 「レン。さっきの自己紹介、あれ何? ブリュンスタッドって何よ?」 「ああ、あの名前は私の前の契約主の名前よ。言ったでしょ? この姿で貴女の使い魔と知られる気はないって」  確かに、あの場でレンと名乗るのは少しまずかったかもしれない。自分の白猫と目の前の幼女が同名なのは偶然とさせても、このレンの姿だとルイズの白猫は簡単に連想できてしまう。 「貴族の名前にしたのは貴女の為よ。ルイズは平民と一緒に食事してた、ってキュルケとかに知られるのは嫌なんでしょ?」 「まあ、そりゃそうね」 「そういうわけよ」 「……ねえ、どんなメイジだったの、そのアルクって人は?」 「あいつはメイジじゃないわよ」 「ええ? だってその人の使い魔だったんでしょ? 使い魔を持てるならメイジだったんでしょ?」 「あいつが人間だったならとっくに使い魔の契約なんて破棄してるわよ。もっとめんどくさい存在で、私もどれだけ契約破棄に苦労した事か……」  レンは何やら遠い目で昔を偲んでいるようである。口はへの字になっており、どう見ても楽しい思い出ではなさそうだった。  ルイズは理解できない。そのアルクとかいう奴は、メイジどころか人間でもない?ならいったいなんだと言うのか。想像力を働かせる彼女の脳裏に思い浮かんだのは、今は帽子で隠れているレンの長耳だった。 「人間じゃないなら、まさかエルフ……とか?」 「違うでしょうね。あいつは耳は普通の人の耳だったわよ。けど、エルフよりももっと強いと思うわ」 「エルフより強いって……!? 一体何なのよその人は!?」 「吸血鬼よ」  レンから簡潔に述べられた答えに、しかしルイズは顔に疑問符を浮かべる。 「吸血鬼? そりゃ吸血鬼は怖いけど、エルフより強いって言うのは言い過ぎでしょ」 「ルイズ、貴女が知ってる吸血鬼はどんな種族?」 「そうねー、知識でしか知らないけど、日の光が苦手で、エルフ程じゃないけど先住魔法を使える、狡猾で残忍、あとグールを使役する。これくらいかしら」 「あいつは、まず日光の下を自由に動けるわ」 「え゛!?」 「それと馬鹿力ね。キュルケの使い魔のフレイム、だっけ? あんなの素手で潰されるわね」 「えええ!?」 「あとこの前言った魅惑の魔眼持ちね。その瞳で見たならどんな相手でも意のままに操れるわ。他にも色々凄いわよ」 「……」  ルイズは言葉が出せない。なんだその吸血鬼は。日の光をものともせず、サラマンダーを潰せるくらいの怪力で、相手の目を見たら体の自由が利かなくなる? インチキの塊のような能力ではないか。  普通の吸血鬼でもメイジは苦戦するのに、そんな奴スクウェアクラスのメイジでも倒せるかどうか。見た事のないレンの元主人とやらに戦慄するルイズ。 「一番の違いだけど。あれは血を吸わないわ」 「は? それじゃ吸血鬼じゃないじゃない」 「言いたいことは分かるわ。けど吸血鬼なの。吸血鬼なのに血を吸わない。そんな変な奴よ」  ルイズの考えが混乱する。血を吸わない吸血鬼? そんなものいるわけないじゃないか。 「それ、やっぱり吸血鬼じゃないでしょ」 「別に信じなくて良いわよ。貴女が会う事は絶対ないから」 「そんな事言っても気になるわよ」  この生意気な使い魔が自分の前に仕えていたという吸血鬼。興味を抱くなと言うのは無理な話である。だがレンはその吸血鬼の事をあまり話したがっていないようだった。 「ルイズ。次は何処に行くとか決めてるの?」 「ちょっと、話の途中よ。……でもそうね、ここからなら服屋が近いかしら。ちょっと寄っていきましょうか」 「了解しましたわ、マスター」 「それで、他には特徴はないの、その吸血鬼」 「まだその話? そうねえ、あとは」  人差し指をあごに当ててレンは軽く考え込む。そして何かを思いついたのか、ルイズに向かって一言。 「色ボケね」 「さ、帰りましょうか」  大分日が傾いた王都トリスタニア。ルイズとレンは街の入り口までやってきていた。 「それじゃ、私は猫になってくるわね」 「そうね、荷物があるから二人乗りは厳しそうね、あんた小さいとはいえ」 「一言余計よ、ルイズ」  そう言って細い路地へと向かうレン。その後姿を見ていると、 「ねえレン。あんたその姿のままがいいとか言う事はないの?」  そんな疑問がルイズの口からこぼれた。その言葉にレンはルイズの方へ振り向いて答える。 「別にそんな事は思わないわね。猫の姿、この姿、どちらも私だもの。それに――」 「それに?」 「いえ、何でもないわ」  薄い微笑を浮かべながら言葉を切るレン。その顔がルイズは妙に気になった。 「言いなさいよ。それに、何?」 「だからなんでもないわ。もう暗くなるわよ。夜道は危ないわ、急ぎましょ?」 「あ、こら!!」  無理やり話を終わらせて路地へと入り込むレン。その後を追うルイズだが、そこは白猫になったレンが佇んでいるだけだった。 「……何よ、ほんと隠し事が多い奴ね」  不機嫌にしかめっ面になりながらレンを持ち上げる。睨んでやってもレンがは鳴きもせず、人の言葉をしゃべる事もなかった。  それ以上の追求はこの場では無駄だ、とルイズは判断すると、レンを持って馬へと歩き出した。  だからルイズは知らない。レンが徒に人型にならない一番の理由は、ルイズに下らない雑用を押し付けられないが為だという事に。  3時間ほど馬を走らせ、無事学院へルイズとレンはたどり着いた。家に帰るまでが外出である。  夕食の後、持ち帰ったスコーンを自室で頂く事にする。そわそわしながらお茶が運ばれてくるのを待つ。こういう時、まだかなまだかなと待つ時間も楽しみの一つだ。  そして待望のノックの音が響く。コンコンコンコンと4回、主に礼儀が必要な際に行う回数である。 「失礼します、紅茶をお持ちしました」 「ええ、入りなさい」  許可を出すと、トレイにティーセットを乗せた黒髪のメイドが入ってきた。それはこの前浴室で会ったメイド、シエスタだった。 「あら、あんただったの。奇遇ね」 「は、はい。それでは紅茶をお煎れします」 「お願いね」  お湯で温められた2つのティーカップに、数分間ポットの中で旨みが抽出された紅茶が注がれる。とぽとぽとぽ、という音と共に心が落ち着く香りが漂う。 「ご学友とお茶会でしょうか?」 「まあ、そんな所よ」 「それでは失礼致します」 「あ、ちょっと待ちなさい」  ルイズはお茶を煎れ終わったシエスタを呼び止める。  指示を待つメイドに、ルイズは買ってきたスコーンを一つ差し出した。 「あげるわ。とっときなさい」 「……よろしいのですか?」 「ちょっとしたお礼よ。遠慮する必要は無いわ」 「ありがとうございます! それでは頂戴します……?」  シエスタがルイズからスコーンを受け取ると同時、シエスタは自分の足下に目を向ける。そこにはシエスタの脚をはっしと両前脚で抱えているレンが居た。 「ど、どうしたのレンちゃん?」 「レン、はしたないわよ。さっさと放してあげなさい」  ルイズにはこの白猫の行動の意味が読めた。自分の分のスコーンが減ることを危惧しての行動だろう。  そのお菓子を持ってかないでー、という言葉は無くとも理解できる。思わずニヤニヤ笑ってしまうルイズだった。 「ほら、離れなさいっての」  ルイズはがしっとレンを掴みあげる。ルイズに拘束されてもレンはまだ諦められないらしく、じたばた手足を振って抵抗していた。シエスタはそんなレンを微笑んで見守っている。 「それでは失礼致します」 「ご苦労様」  使用したティーセットとお駄賃のスコーンを持ってシエスタが退室する。  ドアが閉まって彼女の足音が部屋から遠のくまで、レンはじっとルイズを見上げていた。そして足音が完全に聞こえなくなると、何の前触れも無く一瞬で人の姿になった。  ちょっとびっくりしたルイズだが、レンの不機嫌そうな顔を見て心に余裕が生まれていた。意地悪く笑いながらレンに言う。 「へえ、そういう風に変身するんだ。ほんとに一瞬なのね」 「ルイズ、なんであの娘にあげちゃったのよ」 「あら、私は全部私とあんたで食べるなんて言ってないわよ。それに全部はあげてないでしょ。数を減らしてあげただけのご主人様に感謝なさい」 「なんて、ひどい……! あれだけ荷物持ちをさせておいて……!」  初めて見るレンの怒り顔である。しかしルイズにはなんだかそれが見た目相応に子供っぽくみえて、恐れるより面白いと思ってしまった。  本当に、甘いものが絡むと素の反応になるんだな、とルイズは実感した。 「さ、紅茶が冷めるわよ。入れたてが一番おいしいんだから頂きましょ」 「食べ物の恨みは絶対忘れないからね!」  恨めしげに言いながらレンはスコーンを齧る。そんなレンを肴に、ルイズはシエスタの煎れた紅茶とスコーンを愉しむのだった。 「ん~~っ、眠い……」  お菓子を食べ終わり、風呂から上がったルイズは自室に戻ると着替え始めた。生地の薄いネグリジェになると、ベッドに倒れこむ。  レンは床の上に敷かれた毛布に寄りかかって丸くなっていた。ふて寝かもしれない。  毛布は、今日街で買ったものの一つである。色々と買い込んだので最後の方では小柄なレンが荷物持ちに四苦八苦していた。  布団の柔らかさに包まれながら、ルイズは呼吸に合わせて膨張、収縮を繰り返す毛玉を見つめる。そして今日の事を思い出していた。  従者ではない、使い魔と一緒の街の散策。一緒にお菓子を食べて紅茶を飲む。こんなのつい数日前までは想像もしなかった。 (結構いい使い魔じゃないの……私の使い魔は……)  キュルケに余計な邪魔をされたものの、今日はいい日だった、と思いながら、ルイズは押し寄せる睡魔に身を委ねる。深い眠りに落ちたルイズは、その日夢は見なかった。 #navi(ゼロの白猫)

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