ゼロの白猫 02

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 はっきりしない頭のまま瞼を開ける。ルイズの瞳に映ったのは自室の天井と、夢の中の幼女を止めようと伸ばした自分の手だった。 「……夢、だったわね」  そう、でルイズが見ていた物は正しく夢である。だが問題はそこではない。あの夢はルイズが作った幻か、それともあの幼女が作りだした物だったのか。 「あの子……!」  がばっと音を立ててベッドから跳ね起きる。部屋を見渡すが、昨日召喚したはずの白猫は見当らない。  その事実にルイズの肝が冷える。まさかあの雪原だけでなく召喚に成功したことまで夢だったのではないか、と。自分は未だゼロのルイズで、また周囲のメイジから嘲笑われる日々が続くのではないか、と。   「嘘よ! 絶対、絶対夢じゃないに決まってるわ!」  目の端に何かを滲ませる自分の弱気を叱咤するため、わざと大きな声を上げる。ベッドから飛び降り、物陰から部屋の隅までくまなく調べ続け、最後にベッドの下を覗きこんでようやく捜索は終わった。 「……い、たぁ~~~」  床に這い蹲った姿勢のまま安堵の呟きが漏れる。  レンはベッドの下でくるんと丸まって眠っていた。その様はまるで雪合戦で大きめに丸めた雪玉のようである。雪玉との違いは溶けて無くなったりしない所だろうか。  レンの姿を見て安心したルイズだが、次にご主人様が起きてるのに何で起きないんだこいつは、そもそも主人に要らない心配をさせて涙まで滲ませるなんて何様のつもりだ、いや泣いてないけど! と、ふつふつと怒りの感情が湧いてくる。 「こらレン! 起きなさい! ご主人様が起きてるんだからとっとと起きる!」  怒声を上げながら――ルイズは昨晩見たものが夢だろうともうこの猫はレンと呼ぶことに決めた――ベッド下の毛玉を引きずり出す。仔猫と人間では体格差は覆しようが無いほど開いており、成す術もなくレンはルイズの前に引っ立てられた。 「……」  ルイズの呼びかけにもレンは片目を開けただけで鳴き声もあげない。しかもその目つきたるや、『何よせっかく寝てたのに全く騒がしいマスターね』とでも言いたげな胡乱な瞳だった。 「だらしないわよ。使い魔たるもの主人より先に起きて主人を起こすのが基本なんだから。まあその姿じゃ着替えとかの身の回りの世話は無理だろうから大目に見てあげる」  正に貴族。強引グマイウェイ! そんな主人をどう思ったのか、レンは主人の腕から逃げ出して飛び降りる。 「あ、こら逃げるな!」  制止の声にも静止せず、とことこ床を歩くレン。何処へ行くのかと思えば、向かった先は再びベッドの下である。  びきり、とルイズのこめかみに怒りの四つ角が浮いた。 「だ・か・ら! おきなさぁああああい!」  朝早いトリステインにルイズの怒声が響きわたる。昨日の眠りが浅かったためか、ルイズの起床した時間はいつもより早い。そんな朝焼けが始まろうかという時間に構わず叫ぶルイズ。いつもの低血圧は何処へいったのだろうか。  そんな大声で喚き散らすマスターにようやく覚醒したのか、入った時と同じ速度でベッド下から出てくるレン。ルイズの足下でぴしっと構える。いわゆるスフィンクスの体勢である。ハルゲギニアにスフィンクスの像は無いだろうが。  レンの態度を見てようやく気を落ち着かせることができたのか、先程から荒げていた呼吸を整え始めるルイズ。レンはそんな自分の主人を紅くて丸い瞳で見つめている。じっと見上げてくる自分のレンを見ながら、ルイズはこの使い魔に問わねばならないことがあったと思い出す。 「ねえレン。昨日見た夢って……現実なの?」  夢を現実だったのかと聞く。文章にすると中々おかしな話である。胡蝶の夢の話を思い起こさせるような主人の問いかけに、レンはただ首を傾げる。 「昨日、夢であんたが月が一つしかない雪原で耳が長いエルフみたいな女の子になって自分は夢魔のレンだとか言ってきたのよ。アレはあんたが見せた物だったの? ねえ?」  ルイズの級友達が聞いたら爆笑しそうな台詞である。だがルイズにとっては紛れもない真実。そんな質問をぶつけられたレンは再度逆方向に首を傾げる。  更に詰問を続けようとしたルイズだが、ふと気づいた。こちらの質問の度に首を傾げる仕草をした、と言うことは……まさかこの猫、今も自分の言うことを理解している? 「……レン、あんた、私の言うこと分かってとぼけてない?」  ルイズが顔をひきつらせてそう言うと、レンはふいっと横を向いて視線を逸らした。  ギルティ。有罪確定である。ルイズの怒りの四つ角は四つに増えた。ルイズはこみ上げる激情のままに罵声を張り上げようとした。が。 どバン!! 「うるっさいわよルイズ!」    ノックもせずドアを蹴破るような勢いで入ってきた仇敵に、躾はいったん止めざるを得なかった。 「ツェルプストー! 中の人の返事も待たずに部屋に入ってくるなんてどういうつもり!」 「どういうつもりはこっちの台詞よ! 朝っぱらからごそごそぎゃあぎゃあ喧しいの! そんなに人の安眠を妨げて楽しいわけ!? 寝不足はお肌の天敵なのよ!」  いきなり入ってきた無礼を正そうとするルイズに負けじとがなり立てる寝間着姿の長身の褐色肌。ルイズのライバル、『微熱』のキュルケ嬢である。  そんなキュルケの寝間着姿はワンピース型の寝具、ネグリジェ。昨晩は一人だったのか異性に見せるための下着ではないようだが、ふわふわした生地とあしらわれているレースが安物ではないことを証明している。  うむ、なんだまあ、キュルケのけしからん程盛り上がっている胸部とかRを描いて自己主張する臀部とかむっちりと肉が付いている太腿とかその他諸々と相まって、その、十分工口い。  そんな扇情的な格好も、寝起きで顔も洗っておらず、まだ手入れがされていないぼさぼさの長髪では魅力半減だが。 「私は使い魔の躾をしてただけよ! あんたの安眠なんて知ったこっちゃ無いわ! そんな寝具のままで出歩くような恥知らずのことなんかね!」 「出歩かせてんのはそっちでしょうがゼロのルイズ! 後自分の体が貧相だからって嫉妬は見苦しいわよ凹凸ゼロのルイズ!」 「あんですってえええええええええ!?」  言い合いは留まることを知らず、むしろヒートアップの様相を見せている。そんなマスターと侵入者の漫才のようにも見えるやりとりをレンはじっと見つめているのだった。 「第一躾っていっても、怒鳴りつけるだけじゃ躾なんていえないわよ? 主人たるもの、自分の事から気にかけなくちゃ。まずは自分の事から始めなさいな!」 「ネグリジェ姿で出歩いてるあんたに言われたくないわ! 私の何処が躾られてないってのよ!?」 「自分の感情の沸点が低すぎること! 時間も何も関係なく騒ぐところ! しかも昨日から着替えてないでしょ!? 服もマントもしわくちゃじゃない! まだそこにいる猫の方が身繕いをきちんとしてるわよ!!」  びし、とレンを指さして吠えるキュルケ。痛いところを指摘されて言葉に詰まるルイズ。  確かに昨日は寝間着に着替えることもなく、ベッドに倒れてそのまま眠ってしまったのだ。言われてみると自分の服は所々皺が寄ってしまっている。貴族の証であるマントも同様だ。  正論で説き伏せられそうになるルイズだが、この程度で自らの非を認めるルイズではない。持ち前の負けん気を発揮してキュルケに反論する。逆ギレとも言う。 「こ、これは身繕いしないとどうなるのかと言うことを教えているのよ! 自分の体を張ってまで使い魔を教育するなんて私ったら主人の鏡ね!」 「ルイズ、その言い分じゃ貴方が着替えもせずに寝たことも朝からぎゃあぎゃあ騒いでたことも言い訳できないわよ?」  墓穴である。キュルケはもう怒りも冷めたのかむしろ呆れたような眼差しをルイズに向けていた。熱しやすく冷めやすいのが彼女の性分なのだ。 「せっかく早起きしたならお風呂にでも入ってきたら? 確か昨日のお風呂入りに来なかったでしょ、あなた」  その言葉にルイズの顔が炎のように赤く、熱くなる。ツェルプストーなどに自分の身だしなみを窘められるなんて!  そんな主達の声をよそに、レンはせっせと自分の舌で毛繕いをしていた。猫は綺麗好きなのである。  普段なら美徳である猫の習性だが、このタイミングで行われるのはルイズにとって非常にまずい。毛繕いをしているレンを見てニヤリとキュルケが笑みを浮かべる。 「ホラ、使い魔も自分でしっかり綺麗にしてるじゃない。主の成すべき事を示してくれるなんてその子、使い魔の鏡ね」 「それ以上愚弄するなら先祖代々の恨みも含めてここで晴らしてあげるわよツェルプストー……!!」 「あら怖い。まあゼロのルイズができる事なんてたかが知れてるでしょうけど。ま、とにかくさっさと綺麗になってきなさいな。静かにねー」  入ってきた時とは打って変わって颯爽と去ってゆくキュルケであった。逆にルイズの機嫌は最悪である。 「あああぁあ~~~ムカつくぅぅぅ! 何なのよキュルケの奴人の部屋にいきなり入ってきて言いたい放題~~~!!」  この場合悪いのは隣に聞こえる程騒がしかったルイズなのだがそんな理屈はルイズには通じない。『ツェルプストーの人間に論破された』ということは『ヴァリエール家のメイジであるルイズ』には耐え難い屈辱なのだ。  だがトリステイン魔法学院寮で、隣の部屋に聞こえる程騒がしかったというのは、それはそれはすごい大声であるはずである。  何故このような話になるか? それは『ルイズの部屋』と『キュルケの部屋』が『隣同士』であることから考えられる。  ルイズはよく言えば潔癖、悪く言えばお子様な思考回路を有している。そしてキュルケは恋多き人物であり、頻繁に異性を部屋に連れ込んでいる。それなのにルイズは毎夜『熟睡できている』のである。以上の事から作者が連想したことを察してほしい。  閑話休題。  地団太を踏むのに疲れたのか、ルイズがからかわれる要因となったレンをギロリと睨むが、そんなものレンには何処吹く風。小首を傾げて主人であるルイズを見つめている。 「レン! お風呂に行くから付いてきなさい!」  朝風呂には入ることにしたらしい。レンに命令し、鼻息も荒く入浴の準備を済ませるルイズ。未だ不機嫌な彼女の後をレンはトコトコついて行く。  浴場に行く道すがら、レンが自分の後ろにいることをルイズは何度も確認する。確認する度に、自分は召喚に成功した、魔法を成功させたのだと言うことを実感してニヤニヤと機嫌良さげに頬がゆるんでだらしない顔になる。  昨夜、夢の中で脅された恐怖など吹っ飛んでしまっていた。このような顔、家族や級友にはとても見せられない。特に家族に目撃されたなら折檻ものである。  そして浴場へと一人と一匹は辿り着いた。誰もいない着替え場で淡々とルイズは衣服を脱ぐ。その場にはルイズとレンしかいないためか、恥じらう様子はない。一糸纏わぬ姿になり、年不相応なあまり起伏のない肢体が晒される。   制服を頭から脱ぐと、長くてふわふわした桃色がかったブロンドが踊る。服の下から表れたのは矮躯とも言える小さな肢体だが、これはキュルケとは別の意味で暴力的な肢体である。  細い。細いのだ。何処がと言うわけではなく、首、腕、指、腿、ふくらはぎ等、体のパーツ全てが。  あばら骨が透けて見えそうな程薄い肉付きが一層それを強調している。腰回りなど成人男性の両手で覆えてしまいそうではないか。これは僅かな贅肉に一喜一憂する数多の女性からすれば羨望の的であろう。  繊細な芸術品のような儚げな肢体と、十人中九人が美人と答えそうな容貌――ツリ目嫌い等がこの一人に入る――を持ちながらも、本人がそれを正しく理解していないのが悲しいことだ。  ルイズの柳のように細い腕が浴場への扉を開け、浴室へと向かうのだが、レンは動かずじっとしている。大抵の猫は濡れることを嫌うのである。レンもそうなのだろう、とルイズは結論づけた。 「じゃあレン、ここでおとなしくしてるのよ」  例えレンが入りたがったとしても使い魔を貴族が使う浴場へ連れ込むわけには行かない。理由としては、使い魔はメイジのパートナーであるが、一緒の湯船に浸かるのはまずい生物が少なくないからだ。  粘液に覆われた爬虫類、そもそも湯船に入る事のできない巨体など実に様々。猫のレンは抜け毛が大変なタイプである。  それを分かっていながらルイズがレンを連れてきたのは、この白くてもふもふした物体とできる限り一緒にいたかったからに他ならない。それにしてもこのルイズ、主人バカである。  自分の使い魔に待機を言い渡し、ぴしゃりとルイズは扉を閉める。  ざんねん! さくしゃのにょたいかんさつはここでおわってしまった! (……浴場へ行って石鹸の補充。それからお洗濯して干して。マルトーさんのところでお手伝いしたらご飯食べて……)  廊下を歩きながらこれから自分の行う仕事の予定を確認しているのは、このトリステイン魔法学院にて奉公に来ているメイド。名をシエスタと言う。  メイドなので無論のこと貴族ではない。貴族のようなきらきらしい美しさはないが、人を落ち着かせるような素朴さを持っている。  落ち着くと言っても暗いと言うわけではない。自己主張の激しすぎない、それでいて周囲へ自己を認識させるたおやかさも持ち合わせている。  黒い髪は肩上で切り揃えられ、うっすらとそばかすのある顔の両側でちらちら揺れている。瞳も髪と同じく黒曜石のような漆黒で、欧州と言うより東アジアの人間を思い起こさせる容姿だった。 そんな彼女が行く先は貴族の浴場である。無論彼女が入浴するわけではない。先程のシエスタの回想にあるとおり、石鹸の補充に行くところなのである。  普段は利用者の少ない昼過ぎ等に行うことだが、昨夜のある貴族から『石鹸が切れそうだったわ。新しいの入れといて』との指示からこの時間に行動しているのである。希ではあるが、朝に入浴する貴族もいるからだ。できる限り叱責の可能性は減らしておきたい。  そしてシエスタは浴場に到着する。脱衣場に入る前にノックをして誰も居ないことを確認するとドアを開ける。浴場へと続くガラス戸へ目を向けると、シエスタは自分の間の悪さを呪った。  誰か居る。こんな早朝から風呂に入る貴族が。  お風呂に入っている貴族の扱いは非常にデリケートでなければならない。  トリステインの貴族は羞恥心や貞操観念が高いので、同性や平民という垣根があっても素肌を見られることを嫌う女性は珍しくない。ましてや迂闊にコンプレックスを刺激するような発言でもあればどうなることか。  貞操観念が強い風習がありながらあの短いスカートはどうなんだ、と言うツッコミは入れないでほしい。たぶん学院長の趣味なんだよ。  できれば誰も居ないでほしかったのに、と思うが仕方ない。できる限り中の人間を刺激しないようにさっさと終わらせるだけだ。シエスタは意を決して浴場への戸をノックする。   「誰?」 「ご入浴中に失礼いたします、石鹸の替えを持ってきたので入ってもよろしいでしょうか?」 「分かったわ、入りなさい」  ノックの答えに従って「それでは失礼いたします」とシエスタは戸を開ける。湿度の高い空気がむわっと入ってくるが、そんな空気よりもシエスタにとって一番の懸念事項は入浴中の貴族のことだった。  その貴族は香り付けのフルーツが浮いた湯船に浸かっていた。湯船に浸からぬよう桃色がかったブロンドは結い上げられており、普段は見れないであろううなじは濃い桜色に染まっていた。惜しむらくはルイズの基礎的な色気がまだ少ないことだろうか。  できる限り刺激しないようシエスタはさっさと仕事を進める。大したことではない。少なくなった石鹸を新しい石鹸に取り替えるだけだ。すぐに仕事は終わる。 「それでは、失礼いたしm「ねえ」  退室の言葉を述べようとしたところで呼びかけられた。シエスタの心臓が凍り付く。私は何かマズいことをやってしまったのか、それとも何か新しい用事を言いつけられるだけ――?   「な、何かご用でしょうか」 「脱衣所に白い猫は居た?」   意味が良く分からない問いを貴族は投げかけてきた。戸惑いながらもシエスタは先程の脱衣所の記憶を探る。  貴族が居ることに気づいて浴場の方に気を取られていたが、確か自分の見た限りでは―― 「いいえ、猫なんておりませんでしたが」 「なんですってええええええええ!?」 「ぴいっ!?」  有らん限りの怒声を張り上げてブロンドの少女が立ち上がる。全裸で。  悲鳴を上げながら恐怖に身を竦めたシエスタには、 まさか貴族に「はしたないですよ」と言うこともできず、心の中で残される家族にただ謝っていた。 (あのバカ使い魔! 大人しく待ってなさいって言ったのに……!)  ルイズは湯船から飛び出すと、濡れた体を隠そうともせずにすぐ脱衣所へ突入する。  ぎらぎらした目で辺りを見回すが、あの白猫は見つからない。 「こらレン! 何処行ったのよ! 待ってなさいって言ったんだから待ってなさいよ! 返事しなさい!」  怒声を張り上げながらルイズは片っ端から脱衣所内を探し始める。部屋の隅っこを調べ、数ある洗濯籠を調べ続け、白い洗い物が入っている籠を覗きこんだ時、 「見つけたっ!!」  ようやくルイズは勝ち鬨をあげる。洗い物に見えたのはレン自身だった。全身真っ白なのでタオルか何かだと見間違えていたのである。籠の中でぐるりと丸まり、前足、後足、尻尾を器用に収納して目を閉じ、やすやすやと睡魔に意識を委ねていたのだった。 「レェェェェン……あんた二度も主の手を煩わせるなんて……これは徹底的な躾が必要なようねえ……!」  未だに籠の底で毛玉になっている相手に凄むルイズ。今の彼女の背景には『ゴゴゴゴゴ』という文字が似合いそうだった。 「あ、あのう、ミス」 「なによ!?」 「お体をお拭きになられないと、冷えてしまいますよ……?」  おそるおそる言うメイドの声に少しだけ頭が冷える。間違っても目の前のメイドが某魔王少女と言うわけではない。  指摘されるまで気にしなかったが、自分は今全裸だ。スッパだ。丸見えだ。生まれたままの姿だ。  しかも湯船からそのまま飛び出たので全身びしょびしょだ。濡れ鼠だ。水も滴るいい女だ。  ちなみにびしょびしょというのは美少女二人が濡れていることを略してびしょびしょという語源になったのda、ってタイガーが言ってた。  確かに早く体は拭いたほうがいい。メイドが差し出しているタオルをひったくるように受け取ると、ルイズはごしごしと乱暴に自分の体を拭き始めた。   「あんた」 「はいい!」 「私はルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ。あんたの名前は?」 「し、シエスタと申します」 「そう、ならシエスタ。そこに私の着替えがあるから着せて」 「かしこまりましたぁ!」  まだ先程のルイズの怒号の恐れが消えていないのか、堅さを残したまま、しかし素早く行動するシエスタ。妙な失敗をしないよう、細心の注意を払って貴族の着替えを行う。そしてその間もレンは籠から出てくることはなく、ルイズもレンから目を逸らすことはなかった。  最初ルイズはこの白猫にどんな折檻をしようか考えていた。しかしこの猫が眠っている姿を見ている内に少しずつ怒りも冷めてきた。  そう、確かにこの使い魔は大人しくここで待っていたではないか。未だにぐーすか寝ていることは許し難いが、そこはこれから躾ることだ。怒ることと躾は違う。むやみに怒鳴り散らすだけでは躾とは言えない。  それにこの使い魔の食事も考えなければ。主人は使い魔の食事に責任を持たねばならないのである。 (それに……昨日の夢)  あの夢の中で自分は『レンを養う』と契約したのだ。ならば食料の確保をせねばなるまい。  そこまで考えをまとめている内に着替えは終わった。制服姿になったルイズは着替えを手伝わせたメイドに向き直る。   「シエスタ」 「ハイッ」 「そこの私の服、洗濯しておいて。そ・れ・と!」  気合い一閃! 籠からレンを掴みあげる。両脇を掴みあげられたレンはだらーんと縦に延び、じたばた手足を動かしている。 「この猫、私の使い魔でレンっていう名前なんだけど」 「わあ! 可愛らしい猫さんですね」 「でしょう? この子用の食事を用意してほしいのよ」 「かしこまりました」  こういう貴族の頼みは珍しくない。使い魔と一口に言っても実に様々な種類が居るのは前述の通り。  だが餌に関しては実は大きく二種類に分けることができる。使い魔が勝手に調達するタイプと、主人が用意せねばならないタイプだ。  レンは微妙な判定だが、元飼い猫と言う経歴から食事の供給が必要だろうとルイズは判断した。まあ元飼い猫でなくともルイズが食事を用意させた可能性は高い。 「肉食の使い魔用のお肉でよろしいでしょうか?」 「ええ、それでお願い」  そんな二人の遣り取りが成される中、レンは相変わらず手足をじたばたさせていた。先程よりジト目になっているのは不安定な姿勢で固定されている所為だろうか。  薄目の子猫をシエスタは微笑ましく見つめながらもさっさとルイズの洗濯物を集める。 「それでは失礼いたします。レンちゃんの料理も用意しておきますので」 「ええ」  脱衣所の入り口で二人と一匹は別れた。シエスタは水場へ洗濯に、ルイズは食堂へ朝食を採りに行きました。  すたすたと食堂へと向かう道中、ルイズはずっとレンを抱いたままである。レンも諦めたのかルイズの腕の中でじっとしている。  もしかしたら先ほど怒らせたことへのご機嫌取りかもしれない。それとも気紛れでただ抱かれてやっているだけかも知れない。真実はぬこのみぞ知る。   「あらルイズ。お風呂には入ったみたいね」  食堂へ行く道すがら、キュルケと出会った。彼女の足元には尻尾に炎が灯った大型の真っ赤なトカゲらしきものが居る。決して真っ赤な誓いではないっつーか誓いは見えない。 「おかげ様でね。それでまだ何か用なの?」 「いやねえ、あなたの使い魔を見せてもらったのにこっちの使い魔を見せないのも悪いじゃない?」  キュルケが不敵に笑う。主の意図を読んでか、足元の火蜥蜴が前に進み出た。  「どう!? この子が私が召喚した使い魔、サラマンダーのフレイムよ!」 「名前以外見れば分かるわよ」  キュルケに言われるまでも無くそいつの存在には気づいていた。口からちろちろと炎が迸り、そこに居るだけで周囲の気温が上がっているのだから。これで気づかなければ水のメイジの診断が必要だ。   「見なさいよ、この鮮やかな尻尾の炎! 間違いなく火竜山脈に居た子よ? 火属性の私に相応しい使い魔よね~」 「あ゛ーはいはい良かったわね」  内心の羨望を隠しながらキュルケからさっさと離れようとする。  そう、確かに羨ましかったのだ。レンは確かに夢の中に入り込んでくる特異な能力を持っているようだが、とても主であるメイジを守る、という大役は果たせそうに無い。  さっさと食堂に向かおうとするも、しつこくキュルケは絡んでくる。 「あなたの使い魔も悪くないけど、ちょっと力強さに欠けるわよね~」 「うるっさい! ってちょっとレン。そこまで警戒しなくても大丈夫だってば」  腕の中にいるレンは毛を逆立たせてフレイムを睨んでいる。明らかにキュルケの使い魔を警戒している様子だ。 「へー。主人を守るって意思表示かしら? 中々立派な心がけじゃない。どう、私の使い魔も兼ねてみない?」 「ツェルプストー! あなたどうあっても私と決闘したいみたいねえ!?」  眉をこれでもかと逆立たせてルイズが吠える。いつも携帯している杖にまで手が掛かり、今にも抜き放たれようとしていた。 「冗談よ、じょ、う、だ、ん。でももしあなたがその気なら飼って上げても良いからね、子猫ちゃん?」 レンにぱちりとウインクを飛ばしてキュルケは去っていった。主人に続いてフレイムもぶふっと火炎を吹きながら退場する。ルイズといえば、   「レン! いい!? 金輪際キュルケには近づいちゃダメよ!! 私のヴァリエール家とキュルケのツェルプストー家にはアルビオンよりも高く降り積もった因縁があるんだから!!」  朝から高まっているテンションが更に上昇中だった。彼女の血管が切れないか少々心配である。両手でわっしとレンを掴み、子猫の小さな顔と自分の顔を付き合わせて口角泡を飛ばしていた。  そう、確かに二人の家には浅からぬ因縁があるのである。  まず、ルイズの生家のヴァリエール領とキュルケの生家のツェルプストー家は隣接しているのである。隣接している国の最接近領。  近所の者同士、仲良くできればいいのだがそうも行かなかった。両家は長い歳月において紛争が繰り広げられてきた。お互いに降り積もったわだかまりは易々と拭えるものではない。  またそれだけでなく、ヴァリエール家はツェルプストー家に幾度も婚約者や恋人を奪われてきたのである。このような経緯から、ルイズにしてみればツェルプストーには例え領地の石ころだろうと渡すまいという思いだった。  ルイズはこのような経緯をぜいぜいと息が乱れるまで躍起になって説明していた。そんなルイズを冷めたような瞳で見るレン。聞いてやるだけ良い猫だよ、うん。 「……そうそう、さっき私を守ろうとしてたのは良かったわよ。その調子で頑張りなさいね」  先程のレンの警戒を、ルイズもキュルケと同様に主人を守ろうとしているのだと判断したのだ。お陰で高ぶり続けていた怒りが少しだけ収束に向かう。自分が呼んだ使い魔はなかなか当たりじゃないか、と口元を綻ばせて朝食の席へ向かうルイズだった。 「じゃあ、此処で一旦お別れよ、レン」  貴族用の食堂、アルヴィーズの食堂までメイジと使い魔は辿り着いた。ここも浴室同様、使い魔が入ることはできない。レンは使い魔用の食事へ赴くこととなる。 「使い魔はあっちね。食べ終わったら此処で待ってなさい。それじゃね」  使い魔の食事が置いてある広場への方向を示して自分は食堂へ入る。目に入るのはいつもと変わらぬ贅の尽くされた食卓。それが今日は余計に輝いているように見えて、始祖ブリミルへの感謝を捧げ、普段より多めに食事を採るルイズであった。  食後の満足感を味わいながらレンと合流して教室へと向かう。大分機嫌の良くなったルイズの後ろをレンはとことこついてゆく。程無く教室へと辿り着き、自分の席へと座る。  今日は各々が召喚した使い魔を連れての授業。かなり壮観である。キュルケが召喚したサラマンダーに始まり、バグベアー、ジャイアントモール、果てに風竜など実に多彩だ。  大丈夫、うちのレンだって負けちゃいない……とレンに視線を転じてみると、なにやらかなり周りの使い魔たちを警戒している。体毛は逆立ち、ばっしばっしとせわしなく動く尻尾。 「大丈夫だってば。主人の指示がない限り襲ってきたりなんかしないから」  そう言ってレンの背中を撫でるも、身をよじってレンは避ける。更に座っているルイズから手の届かない位置に座り込んでしまった。  む、と不機嫌になるルイズ。主人が気を使ってやっているというのになんだその態度は。一言文句を言ってやろうと席を立とうとしたところでタイムアップ。今日の授業を担当するミセス・シュヴルーズが教室に入ってきた。 「皆さんおはようございます。昨日の使い魔召喚は無事終わったようですね。先生、毎年生徒の皆さんがどんな使い魔を召喚したのか楽しみにしておりますのよ」 (ああもう。タイミングの悪い……)  教師が入ってきてから席を立つのは行儀が悪い。そんなことを立派な貴族を目指すルイズが出来ようはずもない。胸の中にくすぶりを抱きながら座り直す。  ちらっとレンの様子を横目で見ると、未だに他の使い魔たちへの警戒は解いていないようだった。大丈夫だって言ってるのに、と思いながらルイズは開始された授業へ耳を傾けた。 今日の授業は魔法の属性についての復習だった。誰でも共通して使えるコモン・マジックから始まり、火、水、風、土の4属性。更に現在は失われ、今は伝説となっている系統もあるのだが、6000年も使った人間の記録がないためにこの授業では軽い解説だけで終わった。  そこからメイジのランクについて。メイジの技量は、ドット、ライン、トライアングル、スクウェアとレベルが上昇していき、ランクが上がる度に魔法行使に必要な精神力が上昇し、強力な魔法が使えることの解説だった。  今日の授業内容は、座学の優秀なルイズには、いや他の生徒も皆理解していることだろう。この程度のことはとメイジにとっては常識だ。シュヴルーズ先生も新年度初授業の今日はウォーミングアップのつもりなのだろう。  そんなルイズは授業を真面目に受けるも、頭は他のことを考えていた。考えるのは自身の使い魔のこと。今朝起床したときの様子を考えると、猫の姿の今も人並の知性を有していると見ていいだろう。  今は土のトライアングルとしての力を披露するため、『錬金』の魔法を実演している『赤土』のシュヴルーズのことをじっと見つめている。錬金で石ころが真鍮に変わったときは只でさえ大きい瞳が真ん丸になっていた。そんなに錬金が珍しかったのだろうか。  とにかくレンに関しては聞きたいことが多すぎる。夢魔と言う種族のこと、彼女の使い魔としての力量のこと、そして彼女が居たという世界のこと。これからじっくり聞き出してやろう、とその横顔をじっくり見ていた。それが悪かったのだろう。 「ミス・ヴァリエール。喚んだばかり自分の使い魔が気になるのは分かりますが、授業に集中してくださいね?」 「は、はい!すみません」  先生からの指摘に慌てて答えるももう遅い。周りの生徒がくすくすと忍び笑いを漏らすが、それにも耐えるしかない。今のはどうしようもない自分の失態だ。 「丁度良いですね。ミス・ヴァリエール。貴方に錬金の実践をして貰います。前へ出てきて下さい」 「え!?」  え、その声はルイズが発した物だったが、クラスメイトたちの発したかった言葉も正に同じだった。 「シュヴルーズ先生!」 「なんですか? ミス・ツェルプストー」 「先生は……ルイズの授業を受け持つのは初めてですよね?」 「ええ。ですが彼女の学習態度については聞きいております。とても勉強熱心なメイジだと」 「いや、それは間違っていないんですが……」 「彼女の魔法は危険なんです!」  キュルケの後に言葉を繋げたのは、太っちょの男性メイジ、マリコルヌだった。どうでも良いがマリコルヌって言いにくいし書き難い上誤字りやすい。とある菌糸の人の天敵になれそうだ。 「ちょっと風っぴき! 危険って言うのはどういう事よ!」 「誰が風っぴきだ!? 僕は『風上』のマリコルヌだ! キミの魔法が危険なことはクラスメイト全員がよく分かってるんだ!」 「そうよルイズ。今まで貴方が魔法を使ってきた時のことを思い出してみなさいな」 「ミスタ・グランドプレにミス・ツェルプストー。やる前から否定してはいけません。少々言い過ぎではありませんか?」 「「貴方はルイズの魔法を知らないんです」」  期せずしてハモった二人の声にうんうんと頷くクラスメイトたち。一部我関せずと本を読んでいる奴も居たが。 「実演なら私が「私、やります。やらせて下さい!」  ルイズの代わりにやろうと申し出ようとしたキュルケだったが、他ならぬルイズ自身によってそれは遮られた。クラスメイトたちの怯えるような態度が、ルイズの負けず嫌いの精神を刺激してしまったようだ。 「ルイズ、やめてちょうだい。お願い」  キュルケの制止の言葉ももはや火に油でしかない。ルイズは発火しやすいという意味では正に油だ。ずんずんと壇上へと赴くルイズ。そんなルイズを見ながらクラスメイトたちはそそくさと座席の下へと退避し始めていた。 「ミス・ヴァリエール。貴方が変えたいと思う物を強く心の中に思い浮かべるのです」  シュヴルーズの説明を聞きながら、ルイズは机の上の真鍮を親の敵のように固く見つめていた。   (大丈夫。今日の私は大丈夫。だって……)  ちらりとルイズは後ろを振り向く。視線の先には、こちらを見ている赤い双眸が。 (昨日までの私とは違う。サモン・サーヴァント、コントラクト・サーヴァントという魔法を成功してるんだから。できるって信じるの。信じるのよルイズ!)  自分を見てくれている使い魔の視線を感じ、彼女のテンションはMAX最高潮。生涯三回目の魔法成功を成し遂げるべく、呪文を唱えて真鍮へ杖を振り下ろす――! 「――錬金っ!!」  雄叫びのような詠唱と共に、真鍮が光る。  そして、爆発が起こった。  爆発付近にいたシュヴルーズは、爆風に吹き飛ばされて壁に激突。人事不肖に陥った。 「うわ、落ち着けリコ!」 「僕のクヴァーシルが食われたー!」 「またかよ『ゼロ』! ゼロのルイズ!」 「だからあいつに魔法を使わせるなと言ったんだ!」  クラスのメイジたちは爆発を察していたので無事だったが、使い魔たちは突然生じた爆発にパニックを起こしていた。大小様々な動物が暴れ回る中、ルイズへの罵声まで合わさって正に阿鼻叫喚の風景である。  そんな中、爆発を起こしたルイズ本人は煤にまみれているものの無傷である。けほっと咳を一つ吐いて、一言。 「……ちょっと失敗したみたいね」 「「「「「どこがちょっとだ!!!!!」」」」」  『ゼロ』のルイズ。ゼロの所以は成功率ゼロからきている。メイジでありながら魔法の全く使えぬメイジ。それが彼女だった。  爆発により教室はしっちゃかめっちゃか。とても授業が続けられる状態ではない。シュヴルーズも保健室へと連れて行かれ、午前中の授業は中止と相成った。そんな誰もいなくなった教室で、ひとり掃除を行う者が居る。それは、メイド。いいえ、ルイズです。  爆発を起こした罰として、ルイズは教室の掃除を命じられていた。メイジられたと言っても魔法を使って掃除をしろという意味ではない。むしろ魔法を使えば惨劇が再びである。そのことを重々承知している教師は『掃除に魔法の行使禁止』と厳命していた。  眉を吊り上げた不機嫌100%の顔でルイズは掃除をしている。そんな主人を見ているのは言わずもがな、彼女の使い魔のレンだった。 「……なんで、また失敗なのよ」  手を止めて、誰に聞かせるわけでもなくルイズは呟く。視線は床に固定されたまま。声には隠しようのない悔しさが滲み出ていた。 「やっと、昨日魔法が成功したのよ? もう私はゼロじゃない。ゼロじゃないのに……なんで爆発するのよ!?」  手にしていたモップを癇癪のままに叩きつける。そんなことをしても魔法が成功しない事も、教室が片づく訳でないことも分かっている。気分が良くなるわけでもなく、むしろぐちゃぐちゃとした想いが吐き気をもよおす程膨れあがるばかりだ。  それでも、歯を食いしばって泣くのは堪えた。だって、自分の使い魔が見ているのだ。夢の中で見た時は、可憐としか言いようがない外見のクセに、冷たい目でこちらを見ていた幼女。不遜な態度で主人を敬わない使い魔。   それでも、蔑まれるばかりの日常でようやく得ることができた自分の味方。弱みを見せられるわけが無いではないか。  体の中で暴れまわる激情に必死で耐えていると、かたんと足元から物音が。音の方へ目を向けると、レンがモップの柄を咥えてこちらへ差し出していた。 「レン……!!」  使い魔の優しさに今までとは違う感情が沸きあがってくる。最高じゃないか、私の使い魔は! 感極まって自分の使い魔を抱きしめ――ようとして、するっと白猫は抱擁から逃れた。 「ふぇ?」  白猫はそのまま教室の扉へ突撃。教室外へと移動し、あっという間にルイズの視界から消えた。   「……」  ルイズは空気を抱きしめたまま固まっている。その硬直が徐々に憤怒で解けてゆく。ぶるぶると震えながら、先ほどとは違った激情のまま、叫ぶ――! 「あんの、バカ猫ぉーーーー!!!」 ---- [[back>ゼロの白猫 01]] / [[ゼロの白猫]] / [[next>ゼロの白猫 03]]
#navi(ゼロの白猫)  はっきりしない頭のまま瞼を開ける。ルイズの瞳に映ったのは自室の天井と、夢の中の幼女を止めようと伸ばした自分の手だった。 「……夢、だったわね」  そう、でルイズが見ていた物は正しく夢である。だが問題はそこではない。あの夢はルイズが作った幻か、それともあの幼女が作りだした物だったのか。 「あの子……!」  がばっと音を立ててベッドから跳ね起きる。部屋を見渡すが、昨日召喚したはずの白猫は見当らない。  その事実にルイズの肝が冷える。まさかあの雪原だけでなく召喚に成功したことまで夢だったのではないか、と。自分は未だゼロのルイズで、また周囲のメイジから嘲笑われる日々が続くのではないか、と。   「嘘よ! 絶対、絶対夢じゃないに決まってるわ!」  目の端に何かを滲ませる自分の弱気を叱咤するため、わざと大きな声を上げる。ベッドから飛び降り、物陰から部屋の隅までくまなく調べ続け、最後にベッドの下を覗きこんでようやく捜索は終わった。 「……い、たぁ~~~」  床に這い蹲った姿勢のまま安堵の呟きが漏れる。  レンはベッドの下でくるんと丸まって眠っていた。その様はまるで雪合戦で大きめに丸めた雪玉のようである。雪玉との違いは溶けて無くなったりしない所だろうか。  レンの姿を見て安心したルイズだが、次にご主人様が起きてるのに何で起きないんだこいつは、そもそも主人に要らない心配をさせて涙まで滲ませるなんて何様のつもりだ、いや泣いてないけど! と、ふつふつと怒りの感情が湧いてくる。 「こらレン! 起きなさい! ご主人様が起きてるんだからとっとと起きる!」  怒声を上げながら――ルイズは昨晩見たものが夢だろうともうこの猫はレンと呼ぶことに決めた――ベッド下の毛玉を引きずり出す。仔猫と人間では体格差は覆しようが無いほど開いており、成す術もなくレンはルイズの前に引っ立てられた。 「……」  ルイズの呼びかけにもレンは片目を開けただけで鳴き声もあげない。しかもその目つきたるや、『何よせっかく寝てたのに全く騒がしいマスターね』とでも言いたげな胡乱な瞳だった。 「だらしないわよ。使い魔たるもの主人より先に起きて主人を起こすのが基本なんだから。まあその姿じゃ着替えとかの身の回りの世話は無理だろうから大目に見てあげる」  正に貴族。強引グマイウェイ! そんな主人をどう思ったのか、レンは主人の腕から逃げ出して飛び降りる。 「あ、こら逃げるな!」  制止の声にも静止せず、とことこ床を歩くレン。何処へ行くのかと思えば、向かった先は再びベッドの下である。  びきり、とルイズのこめかみに怒りの四つ角が浮いた。 「だ・か・ら! おきなさぁああああい!」  朝早いトリステインにルイズの怒声が響きわたる。昨日の眠りが浅かったためか、ルイズの起床した時間はいつもより早い。そんな朝焼けが始まろうかという時間に構わず叫ぶルイズ。いつもの低血圧は何処へいったのだろうか。  そんな大声で喚き散らすマスターにようやく覚醒したのか、入った時と同じ速度でベッド下から出てくるレン。ルイズの足下でぴしっと構える。いわゆるスフィンクスの体勢である。ハルゲギニアにスフィンクスの像は無いだろうが。  レンの態度を見てようやく気を落ち着かせることができたのか、先程から荒げていた呼吸を整え始めるルイズ。レンはそんな自分の主人を紅くて丸い瞳で見つめている。じっと見上げてくる自分のレンを見ながら、ルイズはこの使い魔に問わねばならないことがあったと思い出す。 「ねえレン。昨日見た夢って……現実なの?」  夢を現実だったのかと聞く。文章にすると中々おかしな話である。胡蝶の夢の話を思い起こさせるような主人の問いかけに、レンはただ首を傾げる。 「昨日、夢であんたが月が一つしかない雪原で耳が長いエルフみたいな女の子になって自分は夢魔のレンだとか言ってきたのよ。アレはあんたが見せた物だったの? ねえ?」  ルイズの級友達が聞いたら爆笑しそうな台詞である。だがルイズにとっては紛れもない真実。そんな質問をぶつけられたレンは再度逆方向に首を傾げる。  更に詰問を続けようとしたルイズだが、ふと気づいた。こちらの質問の度に首を傾げる仕草をした、と言うことは……まさかこの猫、今も自分の言うことを理解している? 「……レン、あんた、私の言うこと分かってとぼけてない?」  ルイズが顔をひきつらせてそう言うと、レンはふいっと横を向いて視線を逸らした。  ギルティ。有罪確定である。ルイズの怒りの四つ角は四つに増えた。ルイズはこみ上げる激情のままに罵声を張り上げようとした。が。 どバン!! 「うるっさいわよルイズ!」    ノックもせずドアを蹴破るような勢いで入ってきた仇敵に、躾はいったん止めざるを得なかった。 「ツェルプストー! 中の人の返事も待たずに部屋に入ってくるなんてどういうつもり!」 「どういうつもりはこっちの台詞よ! 朝っぱらからごそごそぎゃあぎゃあ喧しいの! そんなに人の安眠を妨げて楽しいわけ!? 寝不足はお肌の天敵なのよ!」  いきなり入ってきた無礼を正そうとするルイズに負けじとがなり立てる寝間着姿の長身の褐色肌。ルイズのライバル、『微熱』のキュルケ嬢である。  そんなキュルケの寝間着姿はワンピース型の寝具、ネグリジェ。昨晩は一人だったのか異性に見せるための下着ではないようだが、ふわふわした生地とあしらわれているレースが安物ではないことを証明している。  うむ、なんだまあ、キュルケのけしからん程盛り上がっている胸部とかRを描いて自己主張する臀部とかむっちりと肉が付いている太腿とかその他諸々と相まって、その、十分工口い。  そんな扇情的な格好も、寝起きで顔も洗っておらず、まだ手入れがされていないぼさぼさの長髪では魅力半減だが。 「私は使い魔の躾をしてただけよ! あんたの安眠なんて知ったこっちゃ無いわ! そんな寝具のままで出歩くような恥知らずのことなんかね!」 「出歩かせてんのはそっちでしょうがゼロのルイズ! 後自分の体が貧相だからって嫉妬は見苦しいわよ凹凸ゼロのルイズ!」 「あんですってえええええええええ!?」  言い合いは留まることを知らず、むしろヒートアップの様相を見せている。そんなマスターと侵入者の漫才のようにも見えるやりとりをレンはじっと見つめているのだった。 「第一躾っていっても、怒鳴りつけるだけじゃ躾なんていえないわよ? 主人たるもの、自分の事から気にかけなくちゃ。まずは自分の事から始めなさいな!」 「ネグリジェ姿で出歩いてるあんたに言われたくないわ! 私の何処が躾られてないってのよ!?」 「自分の感情の沸点が低すぎること! 時間も何も関係なく騒ぐところ! しかも昨日から着替えてないでしょ!? 服もマントもしわくちゃじゃない! まだそこにいる猫の方が身繕いをきちんとしてるわよ!!」  びし、とレンを指さして吠えるキュルケ。痛いところを指摘されて言葉に詰まるルイズ。  確かに昨日は寝間着に着替えることもなく、ベッドに倒れてそのまま眠ってしまったのだ。言われてみると自分の服は所々皺が寄ってしまっている。貴族の証であるマントも同様だ。  正論で説き伏せられそうになるルイズだが、この程度で自らの非を認めるルイズではない。持ち前の負けん気を発揮してキュルケに反論する。逆ギレとも言う。 「こ、これは身繕いしないとどうなるのかと言うことを教えているのよ! 自分の体を張ってまで使い魔を教育するなんて私ったら主人の鏡ね!」 「ルイズ、その言い分じゃ貴方が着替えもせずに寝たことも朝からぎゃあぎゃあ騒いでたことも言い訳できないわよ?」  墓穴である。キュルケはもう怒りも冷めたのかむしろ呆れたような眼差しをルイズに向けていた。熱しやすく冷めやすいのが彼女の性分なのだ。 「せっかく早起きしたならお風呂にでも入ってきたら? 確か昨日のお風呂入りに来なかったでしょ、あなた」  その言葉にルイズの顔が炎のように赤く、熱くなる。ツェルプストーなどに自分の身だしなみを窘められるなんて!  そんな主達の声をよそに、レンはせっせと自分の舌で毛繕いをしていた。猫は綺麗好きなのである。  普段なら美徳である猫の習性だが、このタイミングで行われるのはルイズにとって非常にまずい。毛繕いをしているレンを見てニヤリとキュルケが笑みを浮かべる。 「ホラ、使い魔も自分でしっかり綺麗にしてるじゃない。主の成すべき事を示してくれるなんてその子、使い魔の鏡ね」 「それ以上愚弄するなら先祖代々の恨みも含めてここで晴らしてあげるわよツェルプストー……!!」 「あら怖い。まあゼロのルイズができる事なんてたかが知れてるでしょうけど。ま、とにかくさっさと綺麗になってきなさいな。静かにねー」  入ってきた時とは打って変わって颯爽と去ってゆくキュルケであった。逆にルイズの機嫌は最悪である。 「あああぁあ~~~ムカつくぅぅぅ! 何なのよキュルケの奴人の部屋にいきなり入ってきて言いたい放題~~~!!」  この場合悪いのは隣に聞こえる程騒がしかったルイズなのだがそんな理屈はルイズには通じない。『ツェルプストーの人間に論破された』ということは『ヴァリエール家のメイジであるルイズ』には耐え難い屈辱なのだ。  だがトリステイン魔法学院寮で、隣の部屋に聞こえる程騒がしかったというのは、それはそれはすごい大声であるはずである。  何故このような話になるか? それは『ルイズの部屋』と『キュルケの部屋』が『隣同士』であることから考えられる。  ルイズはよく言えば潔癖、悪く言えばお子様な思考回路を有している。そしてキュルケは恋多き人物であり、頻繁に異性を部屋に連れ込んでいる。それなのにルイズは毎夜『熟睡できている』のである。以上の事から作者が連想したことを察してほしい。  閑話休題。  地団太を踏むのに疲れたのか、ルイズがからかわれる要因となったレンをギロリと睨むが、そんなものレンには何処吹く風。小首を傾げて主人であるルイズを見つめている。 「レン! お風呂に行くから付いてきなさい!」  朝風呂には入ることにしたらしい。レンに命令し、鼻息も荒く入浴の準備を済ませるルイズ。未だ不機嫌な彼女の後をレンはトコトコついて行く。  浴場に行く道すがら、レンが自分の後ろにいることをルイズは何度も確認する。確認する度に、自分は召喚に成功した、魔法を成功させたのだと言うことを実感してニヤニヤと機嫌良さげに頬がゆるんでだらしない顔になる。  昨夜、夢の中で脅された恐怖など吹っ飛んでしまっていた。このような顔、家族や級友にはとても見せられない。特に家族に目撃されたなら折檻ものである。  そして浴場へと一人と一匹は辿り着いた。誰もいない着替え場で淡々とルイズは衣服を脱ぐ。その場にはルイズとレンしかいないためか、恥じらう様子はない。一糸纏わぬ姿になり、年不相応なあまり起伏のない肢体が晒される。   制服を頭から脱ぐと、長くてふわふわした桃色がかったブロンドが踊る。服の下から表れたのは矮躯とも言える小さな肢体だが、これはキュルケとは別の意味で暴力的な肢体である。  細い。細いのだ。何処がと言うわけではなく、首、腕、指、腿、ふくらはぎ等、体のパーツ全てが。  あばら骨が透けて見えそうな程薄い肉付きが一層それを強調している。腰回りなど成人男性の両手で覆えてしまいそうではないか。これは僅かな贅肉に一喜一憂する数多の女性からすれば羨望の的であろう。  繊細な芸術品のような儚げな肢体と、十人中九人が美人と答えそうな容貌――ツリ目嫌い等がこの一人に入る――を持ちながらも、本人がそれを正しく理解していないのが悲しいことだ。  ルイズの柳のように細い腕が浴場への扉を開け、浴室へと向かうのだが、レンは動かずじっとしている。大抵の猫は濡れることを嫌うのである。レンもそうなのだろう、とルイズは結論づけた。 「じゃあレン、ここでおとなしくしてるのよ」  例えレンが入りたがったとしても使い魔を貴族が使う浴場へ連れ込むわけには行かない。理由としては、使い魔はメイジのパートナーであるが、一緒の湯船に浸かるのはまずい生物が少なくないからだ。  粘液に覆われた爬虫類、そもそも湯船に入る事のできない巨体など実に様々。猫のレンは抜け毛が大変なタイプである。  それを分かっていながらルイズがレンを連れてきたのは、この白くてもふもふした物体とできる限り一緒にいたかったからに他ならない。それにしてもこのルイズ、主人バカである。  自分の使い魔に待機を言い渡し、ぴしゃりとルイズは扉を閉める。  ざんねん! さくしゃのにょたいかんさつはここでおわってしまった! (……浴場へ行って石鹸の補充。それからお洗濯して干して。マルトーさんのところでお手伝いしたらご飯食べて……)  廊下を歩きながらこれから自分の行う仕事の予定を確認しているのは、このトリステイン魔法学院にて奉公に来ているメイド。名をシエスタと言う。  メイドなので無論のこと貴族ではない。貴族のようなきらきらしい美しさはないが、人を落ち着かせるような素朴さを持っている。  落ち着くと言っても暗いと言うわけではない。自己主張の激しすぎない、それでいて周囲へ自己を認識させるたおやかさも持ち合わせている。  黒い髪は肩上で切り揃えられ、うっすらとそばかすのある顔の両側でちらちら揺れている。瞳も髪と同じく黒曜石のような漆黒で、欧州と言うより東アジアの人間を思い起こさせる容姿だった。 そんな彼女が行く先は貴族の浴場である。無論彼女が入浴するわけではない。先程のシエスタの回想にあるとおり、石鹸の補充に行くところなのである。  普段は利用者の少ない昼過ぎ等に行うことだが、昨夜のある貴族から『石鹸が切れそうだったわ。新しいの入れといて』との指示からこの時間に行動しているのである。希ではあるが、朝に入浴する貴族もいるからだ。できる限り叱責の可能性は減らしておきたい。  そしてシエスタは浴場に到着する。脱衣場に入る前にノックをして誰も居ないことを確認するとドアを開ける。浴場へと続くガラス戸へ目を向けると、シエスタは自分の間の悪さを呪った。  誰か居る。こんな早朝から風呂に入る貴族が。  お風呂に入っている貴族の扱いは非常にデリケートでなければならない。  トリステインの貴族は羞恥心や貞操観念が高いので、同性や平民という垣根があっても素肌を見られることを嫌う女性は珍しくない。ましてや迂闊にコンプレックスを刺激するような発言でもあればどうなることか。  貞操観念が強い風習がありながらあの短いスカートはどうなんだ、と言うツッコミは入れないでほしい。たぶん学院長の趣味なんだよ。  できれば誰も居ないでほしかったのに、と思うが仕方ない。できる限り中の人間を刺激しないようにさっさと終わらせるだけだ。シエスタは意を決して浴場への戸をノックする。   「誰?」 「ご入浴中に失礼いたします、石鹸の替えを持ってきたので入ってもよろしいでしょうか?」 「分かったわ、入りなさい」  ノックの答えに従って「それでは失礼いたします」とシエスタは戸を開ける。湿度の高い空気がむわっと入ってくるが、そんな空気よりもシエスタにとって一番の懸念事項は入浴中の貴族のことだった。  その貴族は香り付けのフルーツが浮いた湯船に浸かっていた。湯船に浸からぬよう桃色がかったブロンドは結い上げられており、普段は見れないであろううなじは濃い桜色に染まっていた。惜しむらくはルイズの基礎的な色気がまだ少ないことだろうか。  できる限り刺激しないようシエスタはさっさと仕事を進める。大したことではない。少なくなった石鹸を新しい石鹸に取り替えるだけだ。すぐに仕事は終わる。 「それでは、失礼いたしm「ねえ」  退室の言葉を述べようとしたところで呼びかけられた。シエスタの心臓が凍り付く。私は何かマズいことをやってしまったのか、それとも何か新しい用事を言いつけられるだけ――?   「な、何かご用でしょうか」 「脱衣所に白い猫は居た?」   意味が良く分からない問いを貴族は投げかけてきた。戸惑いながらもシエスタは先程の脱衣所の記憶を探る。  貴族が居ることに気づいて浴場の方に気を取られていたが、確か自分の見た限りでは―― 「いいえ、猫なんておりませんでしたが」 「なんですってええええええええ!?」 「ぴいっ!?」  有らん限りの怒声を張り上げてブロンドの少女が立ち上がる。全裸で。  悲鳴を上げながら恐怖に身を竦めたシエスタには、 まさか貴族に「はしたないですよ」と言うこともできず、心の中で残される家族にただ謝っていた。 (あのバカ使い魔! 大人しく待ってなさいって言ったのに……!)  ルイズは湯船から飛び出すと、濡れた体を隠そうともせずにすぐ脱衣所へ突入する。  ぎらぎらした目で辺りを見回すが、あの白猫は見つからない。 「こらレン! 何処行ったのよ! 待ってなさいって言ったんだから待ってなさいよ! 返事しなさい!」  怒声を張り上げながらルイズは片っ端から脱衣所内を探し始める。部屋の隅っこを調べ、数ある洗濯籠を調べ続け、白い洗い物が入っている籠を覗きこんだ時、 「見つけたっ!!」  ようやくルイズは勝ち鬨をあげる。洗い物に見えたのはレン自身だった。全身真っ白なのでタオルか何かだと見間違えていたのである。籠の中でぐるりと丸まり、前足、後足、尻尾を器用に収納して目を閉じ、やすやすやと睡魔に意識を委ねていたのだった。 「レェェェェン……あんた二度も主の手を煩わせるなんて……これは徹底的な躾が必要なようねえ……!」  未だに籠の底で毛玉になっている相手に凄むルイズ。今の彼女の背景には『ゴゴゴゴゴ』という文字が似合いそうだった。 「あ、あのう、ミス」 「なによ!?」 「お体をお拭きになられないと、冷えてしまいますよ……?」  おそるおそる言うメイドの声に少しだけ頭が冷える。間違っても目の前のメイドが某魔王少女と言うわけではない。  指摘されるまで気にしなかったが、自分は今全裸だ。スッパだ。丸見えだ。生まれたままの姿だ。  しかも湯船からそのまま飛び出たので全身びしょびしょだ。濡れ鼠だ。水も滴るいい女だ。  ちなみにびしょびしょというのは美少女二人が濡れていることを略してびしょびしょという語源になったのda、ってタイガーが言ってた。  確かに早く体は拭いたほうがいい。メイドが差し出しているタオルをひったくるように受け取ると、ルイズはごしごしと乱暴に自分の体を拭き始めた。   「あんた」 「はいい!」 「私はルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ。あんたの名前は?」 「し、シエスタと申します」 「そう、ならシエスタ。そこに私の着替えがあるから着せて」 「かしこまりましたぁ!」  まだ先程のルイズの怒号の恐れが消えていないのか、堅さを残したまま、しかし素早く行動するシエスタ。妙な失敗をしないよう、細心の注意を払って貴族の着替えを行う。そしてその間もレンは籠から出てくることはなく、ルイズもレンから目を逸らすことはなかった。  最初ルイズはこの白猫にどんな折檻をしようか考えていた。しかしこの猫が眠っている姿を見ている内に少しずつ怒りも冷めてきた。  そう、確かにこの使い魔は大人しくここで待っていたではないか。未だにぐーすか寝ていることは許し難いが、そこはこれから躾ることだ。怒ることと躾は違う。むやみに怒鳴り散らすだけでは躾とは言えない。  それにこの使い魔の食事も考えなければ。主人は使い魔の食事に責任を持たねばならないのである。 (それに……昨日の夢)  あの夢の中で自分は『レンを養う』と契約したのだ。ならば食料の確保をせねばなるまい。  そこまで考えをまとめている内に着替えは終わった。制服姿になったルイズは着替えを手伝わせたメイドに向き直る。   「シエスタ」 「ハイッ」 「そこの私の服、洗濯しておいて。そ・れ・と!」  気合い一閃! 籠からレンを掴みあげる。両脇を掴みあげられたレンはだらーんと縦に延び、じたばた手足を動かしている。 「この猫、私の使い魔でレンっていう名前なんだけど」 「わあ! 可愛らしい猫さんですね」 「でしょう? この子用の食事を用意してほしいのよ」 「かしこまりました」  こういう貴族の頼みは珍しくない。使い魔と一口に言っても実に様々な種類が居るのは前述の通り。  だが餌に関しては実は大きく二種類に分けることができる。使い魔が勝手に調達するタイプと、主人が用意せねばならないタイプだ。  レンは微妙な判定だが、元飼い猫と言う経歴から食事の供給が必要だろうとルイズは判断した。まあ元飼い猫でなくともルイズが食事を用意させた可能性は高い。 「肉食の使い魔用のお肉でよろしいでしょうか?」 「ええ、それでお願い」  そんな二人の遣り取りが成される中、レンは相変わらず手足をじたばたさせていた。先程よりジト目になっているのは不安定な姿勢で固定されている所為だろうか。  薄目の子猫をシエスタは微笑ましく見つめながらもさっさとルイズの洗濯物を集める。 「それでは失礼いたします。レンちゃんの料理も用意しておきますので」 「ええ」  脱衣所の入り口で二人と一匹は別れた。シエスタは水場へ洗濯に、ルイズは食堂へ朝食を採りに行きました。  すたすたと食堂へと向かう道中、ルイズはずっとレンを抱いたままである。レンも諦めたのかルイズの腕の中でじっとしている。  もしかしたら先ほど怒らせたことへのご機嫌取りかもしれない。それとも気紛れでただ抱かれてやっているだけかも知れない。真実はぬこのみぞ知る。   「あらルイズ。お風呂には入ったみたいね」  食堂へ行く道すがら、キュルケと出会った。彼女の足元には尻尾に炎が灯った大型の真っ赤なトカゲらしきものが居る。決して真っ赤な誓いではないっつーか誓いは見えない。 「おかげ様でね。それでまだ何か用なの?」 「いやねえ、あなたの使い魔を見せてもらったのにこっちの使い魔を見せないのも悪いじゃない?」  キュルケが不敵に笑う。主の意図を読んでか、足元の火蜥蜴が前に進み出た。  「どう!? この子が私が召喚した使い魔、サラマンダーのフレイムよ!」 「名前以外見れば分かるわよ」  キュルケに言われるまでも無くそいつの存在には気づいていた。口からちろちろと炎が迸り、そこに居るだけで周囲の気温が上がっているのだから。これで気づかなければ水のメイジの診断が必要だ。   「見なさいよ、この鮮やかな尻尾の炎! 間違いなく火竜山脈に居た子よ? 火属性の私に相応しい使い魔よね~」 「あ゛ーはいはい良かったわね」  内心の羨望を隠しながらキュルケからさっさと離れようとする。  そう、確かに羨ましかったのだ。レンは確かに夢の中に入り込んでくる特異な能力を持っているようだが、とても主であるメイジを守る、という大役は果たせそうに無い。  さっさと食堂に向かおうとするも、しつこくキュルケは絡んでくる。 「あなたの使い魔も悪くないけど、ちょっと力強さに欠けるわよね~」 「うるっさい! ってちょっとレン。そこまで警戒しなくても大丈夫だってば」  腕の中にいるレンは毛を逆立たせてフレイムを睨んでいる。明らかにキュルケの使い魔を警戒している様子だ。 「へー。主人を守るって意思表示かしら? 中々立派な心がけじゃない。どう、私の使い魔も兼ねてみない?」 「ツェルプストー! あなたどうあっても私と決闘したいみたいねえ!?」  眉をこれでもかと逆立たせてルイズが吠える。いつも携帯している杖にまで手が掛かり、今にも抜き放たれようとしていた。 「冗談よ、じょ、う、だ、ん。でももしあなたがその気なら飼って上げても良いからね、子猫ちゃん?」 レンにぱちりとウインクを飛ばしてキュルケは去っていった。主人に続いてフレイムもぶふっと火炎を吹きながら退場する。ルイズといえば、   「レン! いい!? 金輪際キュルケには近づいちゃダメよ!! 私のヴァリエール家とキュルケのツェルプストー家にはアルビオンよりも高く降り積もった因縁があるんだから!!」  朝から高まっているテンションが更に上昇中だった。彼女の血管が切れないか少々心配である。両手でわっしとレンを掴み、子猫の小さな顔と自分の顔を付き合わせて口角泡を飛ばしていた。  そう、確かに二人の家には浅からぬ因縁があるのである。  まず、ルイズの生家のヴァリエール領とキュルケの生家のツェルプストー家は隣接しているのである。隣接している国の最接近領。  近所の者同士、仲良くできればいいのだがそうも行かなかった。両家は長い歳月において紛争が繰り広げられてきた。お互いに降り積もったわだかまりは易々と拭えるものではない。  またそれだけでなく、ヴァリエール家はツェルプストー家に幾度も婚約者や恋人を奪われてきたのである。このような経緯から、ルイズにしてみればツェルプストーには例え領地の石ころだろうと渡すまいという思いだった。  ルイズはこのような経緯をぜいぜいと息が乱れるまで躍起になって説明していた。そんなルイズを冷めたような瞳で見るレン。聞いてやるだけ良い猫だよ、うん。 「……そうそう、さっき私を守ろうとしてたのは良かったわよ。その調子で頑張りなさいね」  先程のレンの警戒を、ルイズもキュルケと同様に主人を守ろうとしているのだと判断したのだ。お陰で高ぶり続けていた怒りが少しだけ収束に向かう。自分が呼んだ使い魔はなかなか当たりじゃないか、と口元を綻ばせて朝食の席へ向かうルイズだった。 「じゃあ、此処で一旦お別れよ、レン」  貴族用の食堂、アルヴィーズの食堂までメイジと使い魔は辿り着いた。ここも浴室同様、使い魔が入ることはできない。レンは使い魔用の食事へ赴くこととなる。 「使い魔はあっちね。食べ終わったら此処で待ってなさい。それじゃね」  使い魔の食事が置いてある広場への方向を示して自分は食堂へ入る。目に入るのはいつもと変わらぬ贅の尽くされた食卓。それが今日は余計に輝いているように見えて、始祖ブリミルへの感謝を捧げ、普段より多めに食事を採るルイズであった。  食後の満足感を味わいながらレンと合流して教室へと向かう。大分機嫌の良くなったルイズの後ろをレンはとことこついてゆく。程無く教室へと辿り着き、自分の席へと座る。  今日は各々が召喚した使い魔を連れての授業。かなり壮観である。キュルケが召喚したサラマンダーに始まり、バグベアー、ジャイアントモール、果てに風竜など実に多彩だ。  大丈夫、うちのレンだって負けちゃいない……とレンに視線を転じてみると、なにやらかなり周りの使い魔たちを警戒している。体毛は逆立ち、ばっしばっしとせわしなく動く尻尾。 「大丈夫だってば。主人の指示がない限り襲ってきたりなんかしないから」  そう言ってレンの背中を撫でるも、身をよじってレンは避ける。更に座っているルイズから手の届かない位置に座り込んでしまった。  む、と不機嫌になるルイズ。主人が気を使ってやっているというのになんだその態度は。一言文句を言ってやろうと席を立とうとしたところでタイムアップ。今日の授業を担当するミセス・シュヴルーズが教室に入ってきた。 「皆さんおはようございます。昨日の使い魔召喚は無事終わったようですね。先生、毎年生徒の皆さんがどんな使い魔を召喚したのか楽しみにしておりますのよ」 (ああもう。タイミングの悪い……)  教師が入ってきてから席を立つのは行儀が悪い。そんなことを立派な貴族を目指すルイズが出来ようはずもない。胸の中にくすぶりを抱きながら座り直す。  ちらっとレンの様子を横目で見ると、未だに他の使い魔たちへの警戒は解いていないようだった。大丈夫だって言ってるのに、と思いながらルイズは開始された授業へ耳を傾けた。 今日の授業は魔法の属性についての復習だった。誰でも共通して使えるコモン・マジックから始まり、火、水、風、土の4属性。更に現在は失われ、今は伝説となっている系統もあるのだが、6000年も使った人間の記録がないためにこの授業では軽い解説だけで終わった。  そこからメイジのランクについて。メイジの技量は、ドット、ライン、トライアングル、スクウェアとレベルが上昇していき、ランクが上がる度に魔法行使に必要な精神力が上昇し、強力な魔法が使えることの解説だった。  今日の授業内容は、座学の優秀なルイズには、いや他の生徒も皆理解していることだろう。この程度のことはとメイジにとっては常識だ。シュヴルーズ先生も新年度初授業の今日はウォーミングアップのつもりなのだろう。  そんなルイズは授業を真面目に受けるも、頭は他のことを考えていた。考えるのは自身の使い魔のこと。今朝起床したときの様子を考えると、猫の姿の今も人並の知性を有していると見ていいだろう。  今は土のトライアングルとしての力を披露するため、『錬金』の魔法を実演している『赤土』のシュヴルーズのことをじっと見つめている。錬金で石ころが真鍮に変わったときは只でさえ大きい瞳が真ん丸になっていた。そんなに錬金が珍しかったのだろうか。  とにかくレンに関しては聞きたいことが多すぎる。夢魔と言う種族のこと、彼女の使い魔としての力量のこと、そして彼女が居たという世界のこと。これからじっくり聞き出してやろう、とその横顔をじっくり見ていた。それが悪かったのだろう。 「ミス・ヴァリエール。喚んだばかり自分の使い魔が気になるのは分かりますが、授業に集中してくださいね?」 「は、はい!すみません」  先生からの指摘に慌てて答えるももう遅い。周りの生徒がくすくすと忍び笑いを漏らすが、それにも耐えるしかない。今のはどうしようもない自分の失態だ。 「丁度良いですね。ミス・ヴァリエール。貴方に錬金の実践をして貰います。前へ出てきて下さい」 「え!?」  え、その声はルイズが発した物だったが、クラスメイトたちの発したかった言葉も正に同じだった。 「シュヴルーズ先生!」 「なんですか? ミス・ツェルプストー」 「先生は……ルイズの授業を受け持つのは初めてですよね?」 「ええ。ですが彼女の学習態度については聞きいております。とても勉強熱心なメイジだと」 「いや、それは間違っていないんですが……」 「彼女の魔法は危険なんです!」  キュルケの後に言葉を繋げたのは、太っちょの男性メイジ、マリコルヌだった。どうでも良いがマリコルヌって言いにくいし書き難い上誤字りやすい。とある菌糸の人の天敵になれそうだ。 「ちょっと風っぴき! 危険って言うのはどういう事よ!」 「誰が風っぴきだ!? 僕は『風上』のマリコルヌだ! キミの魔法が危険なことはクラスメイト全員がよく分かってるんだ!」 「そうよルイズ。今まで貴方が魔法を使ってきた時のことを思い出してみなさいな」 「ミスタ・グランドプレにミス・ツェルプストー。やる前から否定してはいけません。少々言い過ぎではありませんか?」 「「貴方はルイズの魔法を知らないんです」」  期せずしてハモった二人の声にうんうんと頷くクラスメイトたち。一部我関せずと本を読んでいる奴も居たが。 「実演なら私が「私、やります。やらせて下さい!」  ルイズの代わりにやろうと申し出ようとしたキュルケだったが、他ならぬルイズ自身によってそれは遮られた。クラスメイトたちの怯えるような態度が、ルイズの負けず嫌いの精神を刺激してしまったようだ。 「ルイズ、やめてちょうだい。お願い」  キュルケの制止の言葉ももはや火に油でしかない。ルイズは発火しやすいという意味では正に油だ。ずんずんと壇上へと赴くルイズ。そんなルイズを見ながらクラスメイトたちはそそくさと座席の下へと退避し始めていた。 「ミス・ヴァリエール。貴方が変えたいと思う物を強く心の中に思い浮かべるのです」  シュヴルーズの説明を聞きながら、ルイズは机の上の真鍮を親の敵のように固く見つめていた。   (大丈夫。今日の私は大丈夫。だって……)  ちらりとルイズは後ろを振り向く。視線の先には、こちらを見ている赤い双眸が。 (昨日までの私とは違う。サモン・サーヴァント、コントラクト・サーヴァントという魔法を成功してるんだから。できるって信じるの。信じるのよルイズ!)  自分を見てくれている使い魔の視線を感じ、彼女のテンションはMAX最高潮。生涯三回目の魔法成功を成し遂げるべく、呪文を唱えて真鍮へ杖を振り下ろす――! 「――錬金っ!!」  雄叫びのような詠唱と共に、真鍮が光る。  そして、爆発が起こった。  爆発付近にいたシュヴルーズは、爆風に吹き飛ばされて壁に激突。人事不肖に陥った。 「うわ、落ち着けリコ!」 「僕のクヴァーシルが食われたー!」 「またかよ『ゼロ』! ゼロのルイズ!」 「だからあいつに魔法を使わせるなと言ったんだ!」  クラスのメイジたちは爆発を察していたので無事だったが、使い魔たちは突然生じた爆発にパニックを起こしていた。大小様々な動物が暴れ回る中、ルイズへの罵声まで合わさって正に阿鼻叫喚の風景である。  そんな中、爆発を起こしたルイズ本人は煤にまみれているものの無傷である。けほっと咳を一つ吐いて、一言。 「……ちょっと失敗したみたいね」 「「「「「どこがちょっとだ!!!!!」」」」」  『ゼロ』のルイズ。ゼロの所以は成功率ゼロからきている。メイジでありながら魔法の全く使えぬメイジ。それが彼女だった。  爆発により教室はしっちゃかめっちゃか。とても授業が続けられる状態ではない。シュヴルーズも保健室へと連れて行かれ、午前中の授業は中止と相成った。そんな誰もいなくなった教室で、ひとり掃除を行う者が居る。それは、メイド。いいえ、ルイズです。  爆発を起こした罰として、ルイズは教室の掃除を命じられていた。メイジられたと言っても魔法を使って掃除をしろという意味ではない。むしろ魔法を使えば惨劇が再びである。そのことを重々承知している教師は『掃除に魔法の行使禁止』と厳命していた。  眉を吊り上げた不機嫌100%の顔でルイズは掃除をしている。そんな主人を見ているのは言わずもがな、彼女の使い魔のレンだった。 「……なんで、また失敗なのよ」  手を止めて、誰に聞かせるわけでもなくルイズは呟く。視線は床に固定されたまま。声には隠しようのない悔しさが滲み出ていた。 「やっと、昨日魔法が成功したのよ? もう私はゼロじゃない。ゼロじゃないのに……なんで爆発するのよ!?」  手にしていたモップを癇癪のままに叩きつける。そんなことをしても魔法が成功しない事も、教室が片づく訳でないことも分かっている。気分が良くなるわけでもなく、むしろぐちゃぐちゃとした想いが吐き気をもよおす程膨れあがるばかりだ。  それでも、歯を食いしばって泣くのは堪えた。だって、自分の使い魔が見ているのだ。夢の中で見た時は、可憐としか言いようがない外見のクセに、冷たい目でこちらを見ていた幼女。不遜な態度で主人を敬わない使い魔。   それでも、蔑まれるばかりの日常でようやく得ることができた自分の味方。弱みを見せられるわけが無いではないか。  体の中で暴れまわる激情に必死で耐えていると、かたんと足元から物音が。音の方へ目を向けると、レンがモップの柄を咥えてこちらへ差し出していた。 「レン……!!」  使い魔の優しさに今までとは違う感情が沸きあがってくる。最高じゃないか、私の使い魔は! 感極まって自分の使い魔を抱きしめ――ようとして、するっと白猫は抱擁から逃れた。 「ふぇ?」  白猫はそのまま教室の扉へ突撃。教室外へと移動し、あっという間にルイズの視界から消えた。   「……」  ルイズは空気を抱きしめたまま固まっている。その硬直が徐々に憤怒で解けてゆく。ぶるぶると震えながら、先ほどとは違った激情のまま、叫ぶ――! 「あんの、バカ猫ぉーーーー!!!」 #navi(ゼロの白猫)

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