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短編42」(2006/05/31 (水) 17:43:16) の最新版変更点

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 「僕が生きている価値はある」 眼前のパソコンに視線を注いだまま、ヒッキーは呟いた。 「何も生み出さず、ただ資源を消費する。それだけでも十分、僕は生を満喫しているよ」  部屋の中を、パソコンが駆動する音だけが満たしていた。見渡すと、大小様々なHDDが、室内のあちらこちらで電源ランプを灯しているのが見える。ヒッキーの部屋にパソコンがたくさんあるというよりも、パソコンの倉庫に、メガネをかけはちきれんばかりにぶくぶくと太った、油のにおいのする青年が、スナック菓子片手にちょこんと居座っていると表現したほうが正しいかもしれない。こ れら全てを駆使して、彼はいったい何を行おうというのか。皆目検討もつかなかった。  「お前はここで、ずっと生きているのか」 削除人が、重たい口を開いた。ローブの下でぎらりと光るまなこが、その背中に注がれる。ヒッキーは目を向けずとも、その男のただならない気配を感じたのか、乾いた笑いを漏らし、「怖いね」とまず小さく呟いた。  「五年になるかな」そして飄然と、そう答える。「恥ずかしながら、高校も卒業出来ずじまいだった」  「よく生きてこれたものだ」感心に皮肉を交え、削除人は目を細める。「何も聞かず、何も見ず、何も感じずに」  「僕もそう思う」 言われなれているのか、青年は微塵の動揺も見せずに肯定の意を示した。 「でもねえ、それが成立する世の中に、今はなったんだと思うよ。大抵のものは、こいつで手に入るしね。食材も、本も、トイレットペーパーだって格安で売ってる」 愛しそうに、眼前に広がる液晶ディスプレイの枠を撫でさする。本とかを読む時も、蛍光灯が要らないんだ。こいつだけで十分明るいから。彼にそう言わしめた、二十インチほどの薄型TFT液晶が放つ青白い光線は、不摂生極まりない生活をしているであろうヒッキーの顔色を、さらに不健康的なものにさせていた。  「金はどうしている」  「アフィリエイトで充分稼げるよ。僕が運営しているブログ、見るかい?」 削除人からの返事はない。あ、そう、興味ないのね。と、ヒッキーは軽口を叩いたが、それ以前にアフィリエイトという言葉を、削除人が理解していたかどうかは定かではない。  「友人にもこと欠かないし、ね。会ったことはないけど、イタリアにフィアンセもいる」  「フィアンセだと?」  「ごめん、これ自慢」 ヒッキーは初めて削除人に面と向かい、しし、と歯の間から息を漏らした。彼の顔のパーツを、頬についた脂肪で隠すような満面の笑みだ。少しも可愛らしくない。  「お互い、顔も知らないんだけどね。相談に載ってあげてたら、ある日突然求婚された」  「理解し切れん世界だ」  「だろうね」  「お前のやっていることは、なんというか、詐欺に近いんじゃないか」  「なんとでも言ってくれていいよ」 ヒッキーの、眼鏡の奥にかすかに見える瞳が、ディスプレイが放つものとはまた別の、優しく温かい光をたたえている。「そういう世界なんだ」  「わからんな。それだけの社会性があってなぜ、このような小さな世界に閉じこもる必要がある?」 削除人がその無垢とも言える疑問を口にしている間に、ヒッキーは再びパソコンに向き直りキーボードの操作を再開し始めた。んー。と間延びした返事を一つおいたあとに、ゆっくりと喋り始める。  「その答えになるのは三つ」マウスを操作していたソーセージのような右手が三本、立てられた。 「一つは指摘。あんたの言っているのは『プールでは大丈夫なのにどうして海だと溺れるの』と言っているのと同じだ」薬指が一つ、不器用に折りたたまれる。  「二つめ。時代は、生活全てをリモートで行う方向に進んでいる。僕が行っている生活は、これからの社会が指標としているものに近い。この点を、僕は自負する」 ヒッキーの声に、誇らしさが混じる。社会が、お前を目標に?笑わせてくれる。自らの正統性をとうとうと語る、不純物をたっぷり含有した肉の塊を目の前にして、削除人はそう感じたが、黙っていた。 その男に、えもいわれぬ自信と、説得力を感じていたのも事実だ。  「三つめ。…これが一番大きい」 ヒッキーは、最後に一本残った人差し指を、そのままパソコンのディスプレイに、指を差すように向け、削除人に笑いかけた。  「わざわざ外に出なくとも、ここには無限の広がりがある」 プラスチックを爪で引っかくようなせわしない音が、示し合わせるかのように部屋中のハードディスクドライブから流れてくる。下手糞な鼻歌を混じらせ、ヒッキーはキーボードを叩き続けた。削除人にはどう耳を澄ましてもノイズにしか聞こえない雑音でも、彼にとってはまさに、世界が息づく、心臓の鼓動のようなものであるに違いない。  「うちに僕以外の人間が入るのは、三年ぶりだよ。親は僕が金を仕送り始めてから、すっかり連絡も寄越さなくなった」 立ち竦む削除人に、ヒッキーが改めて声をかけた。  「だからね、勝手に思ってた。次にこの部屋に入ってくる奴は、きっと僕を救いに来るか、殺しに来るか、どちらかなんだろうって」 こう見えてもロマンチストなんだ。と、己がたたく軽口にしししと笑ってみせる。まるで感情を見せない削除人に、いいかい笑うっていうのはこうやってやるんだぜ、とレクチャーしているかのように見える。実に不愉快だ。  「さて、あんたは、どっち?」 ヒッキーはそれきり、口をつぐんだ。部屋は再び、パソコンがうなる音で染まる。削除人は何も答えず、黒いローブで隠された顔からは一切の感情も汲み取ることができない。  数分のあいだ、二人の中に、不思議な時間が流れた。  「…どちらでもない」 口を開いたのは、削除人のほうだ。地の底から這い上がってくるかのような低く重い声が、部屋内によく通る。  「知っているか?お前の棲むこの世界のほかに」 その黒いローブの袖から、骨張った細く白い腕が生えてきた。鋭く伸びた爪を帯びた指がゆらりと妖しげにうごめき、己の胸を差す。  「ここにも一つ、無限がある」 その発言の意図を、汲み取ることが出来なかったのか、怪訝な顔をして、ヒッキーは削除人に向き直る。  「唯一、お前に賛同できることがある」 ローブの下から、鳩が鳴くような冷笑が聞こえた。「お前には価値がある」
 「僕が生きている価値はある」 眼前のパソコンに視線を注いだまま、ヒッキーは呟いた。 「何も生み出さず、ただ資源を消費する。それだけでも十分、僕は生を満喫しているよ」  部屋の中を、パソコンが駆動する音だけが満たしていた。見渡すと、大小様々なHDDが、室内のあちらこちらで電源ランプを灯しているのが見える。ヒッキーの部屋にパソコンがたくさんあるというよりも、パソコンの倉庫に、メガネをかけはちきれんばかりにぶくぶくと太った、油のにおいのする青年が、スナック菓子片手にちょこんと居座っていると表現したほうが正しいかもしれない。これら全てを駆使して、彼はいったい何を行おうというのか。皆目検討もつかなかった。  「お前はここで、ずっと生きているのか」 削除人が、重たい口を開いた。ローブの下でぎらりと光るまなこが、その背中に注がれる。ヒッキーは目を向けずとも、その男のただならない気配を感じたのか、乾いた笑いを漏らし、「怖いね」とまず小さく呟いた。  「五年になるかな」そして飄然と、そう答える。「恥ずかしながら、高校も卒業出来ずじまいだった」  「よく生きてこれたものだ」感心に皮肉を交え、削除人は目を細める。「何も聞かず、何も見ず、何も感じずに」  「僕もそう思う」 言われなれているのか、青年は微塵の動揺も見せずに肯定の意を示した。 「でもねえ、それが成立する世の中に、今はなったんだと思うよ。大抵のものは、こいつで手に入るしね。食材も、本も、トイレットペーパーだって格安で売ってる」 愛しそうに、眼前に広がる液晶ディスプレイの枠を撫でさする。本とかを読む時も、蛍光灯が要らないんだ。こいつだけで十分明るいから。彼にそう言わしめた、二十インチほどの薄型TFT液晶が放つ青白い光線は、不摂生極まりない生活をしているであろうヒッキーの顔色を、さらに不健康的なものにさせていた。  「金はどうしている」  「アフィリエイトで充分稼げるよ。僕が運営しているブログ、見るかい?」 削除人からの返事はない。あ、そう、興味ないのね。と、ヒッキーは軽口を叩いたが、それ以前にアフィリエイトという言葉を、削除人が理解していたかどうかは定かではない。  「友人にもこと欠かないし、ね。会ったことはないけど、イタリアにフィアンセもいる」  「フィアンセだと?」  「ごめん、これ自慢」 ヒッキーは初めて削除人に面と向かい、しし、と歯の間から息を漏らした。彼の顔のパーツを、頬についた脂肪で隠すような満面の笑みだ。少しも可愛らしくない。  「お互い、顔も知らないんだけどね。相談に載ってあげてたら、ある日突然求婚された」  「理解し切れん世界だ」  「だろうね」  「お前のやっていることは、なんというか、詐欺に近いんじゃないか」  「なんとでも言ってくれていいよ」 ヒッキーの、眼鏡の奥にかすかに見える瞳が、ディスプレイが放つものとはまた別の、優しく温かい光をたたえている。「そういう世界なんだ」  「わからんな。それだけの社会性があってなぜ、このような小さな世界に閉じこもる必要がある?」 削除人がその無垢とも言える疑問を口にしている間に、ヒッキーは再びパソコンに向き直りキーボードの操作を再開し始めた。んー。と間延びした返事を一つおいたあとに、ゆっくりと喋り始める。  「その答えになるのは三つ」マウスを操作していたソーセージのような右手が三本、立てられた。 「一つは指摘。あんたの言っているのは『プールでは大丈夫なのにどうして海だと溺れるの』と言っているのと同じだ」薬指が一つ、不器用に折りたたまれる。  「二つめ。時代は、生活全てをリモートで行う方向に進んでいる。僕が行っている生活は、これからの社会が指標としているものに近い。この点を、僕は自負する」 ヒッキーの声に、誇らしさが混じる。社会が、お前を目標に?笑わせてくれる。自らの正統性をとうとうと語る、不純物をたっぷり含有した肉の塊を目の前にして、削除人はそう感じたが、黙っていた。 その男に、えもいわれぬ自信と、説得力を感じていたのも事実だ。  「三つめ。…これが一番大きい」 ヒッキーは、最後に一本残った人差し指を、そのままパソコンのディスプレイに、指を差すように向け、削除人に笑いかけた。  「わざわざ外に出なくとも、ここには無限の広がりがある」 プラスチックを爪で引っかくようなせわしない音が、示し合わせるかのように部屋中のハードディスクドライブから流れてくる。下手糞な鼻歌を混じらせ、ヒッキーはキーボードを叩き続けた。削除人にはどう耳を澄ましてもノイズにしか聞こえない雑音でも、彼にとってはまさに、世界が息づく、心臓の鼓動のようなものであるに違いない。  「うちに僕以外の人間が入るのは、三年ぶりだよ。親は僕が金を仕送り始めてから、すっかり連絡も寄越さなくなった」 立ち竦む削除人に、ヒッキーが改めて声をかけた。  「だからね、勝手に思ってた。次にこの部屋に入ってくる奴は、きっと僕を救いに来るか、殺しに来るか、どちらかなんだろうって」 こう見えてもロマンチストなんだ。と、己がたたく軽口にしししと笑ってみせる。まるで感情を見せない削除人に、いいかい笑うっていうのはこうやってやるんだぜ、とレクチャーしているかのように見える。実に不愉快だ。  「さて、あんたは、どっち?」 ヒッキーはそれきり、口をつぐんだ。部屋は再び、パソコンがうなる音で染まる。削除人は何も答えず、黒いローブで隠された顔からは一切の感情も汲み取ることができない。  数分のあいだ、二人の中に、不思議な時間が流れた。  「…どちらでもない」 口を開いたのは、削除人のほうだ。地の底から這い上がってくるかのような低く重い声が、部屋内によく通る。  「知っているか?お前の棲むこの世界のほかに」 その黒いローブの袖から、骨張った細く白い腕が生えてきた。鋭く伸びた爪を帯びた指がゆらりと妖しげにうごめき、己の胸を差す。  「ここにも一つ、無限がある」 その発言の意図を、汲み取ることが出来なかったのか、怪訝な顔をして、ヒッキーは削除人に向き直る。  「唯一、お前に賛同できることがある」 ローブの下から、鳩が鳴くような冷笑が聞こえた。「お前には価値がある」

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