漫画の手帖


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「漫画の手帖」

「漫画の手帖」39号(1995年8月20日)に掲載された文の中に

(森由岐子についての記述の後)唐沢俊一による『森由岐子の世界』でも読めるが、
「大いなる蛇足以外の何物でもない」ので、あまりお勧めはしない。

という記述があった。

これに唐沢俊一が激怒し、「SFマガジン」のコラムで「漫画の手帖」を批判。以下に引用する。

「SFマガジン」1995年11月号「とても変なまんが」第十回:『謎の大衆派…永松健夫』

 同人誌まがいの、読む気にもならない三文誌なのでまだ実物を見ていないが、僕の
『まんがの逆襲』や『森由岐子の世界』を”大いなる蛇足”と決めつけているマンガ
批評誌があるそうである。なんでも、神田森莉などを僕が”笑いものにしている”のが
けしからん、と言っているらしい。
 およそマンガファンたるものであれば、作者の創作意図をキチンと理解し(神田森莉と
いえど、読者をこわがらせようとして作品を描いているのだろうから)、それに沿った
読解をしなければいけないという、恐れいった教条主義である。
 彼らはおしなべて、自分の位置を作家の下方においてテンとして恥じない。糟粕を舐める
という言葉があるが、読者の仕事は作者の作り出した作品のカスを舐めることであり、
評論家はそのカスを皿に盛って差し出すのが仕事、とでも心得ているようなところがある。
 これは実は非常に危険なことなのである。作者は常に作品の中に本心を語るわけでは
ないからだ(これは創作経験のある者にならわかる筈である)。空虚なものの回りによって
たかって、その本質を求めようとしている姿は、ハタから見ればコッケイ以外の何物でもない。
かつて、つげ義春の『ねじ式』で、単なる誤植結果の「メメクラゲ」というネーミングに
批評家たちが意味を求めようとやっきになった愚を、彼らがまた犯さなければいいと思う
ばかりだ。
 僕が行う作品の読み替えという作業は、読者を作者の思惑というカセから解放し、もっと
作品に自由な読み方をしてみよう、という一種の思考実験なのである。エド・ウッドの怪奇
映画に恐怖するのでなく、大笑いして楽しむすべを知っているSFマガジンの読者なら、この
あたりの機微はわかってくれる筈だ。
 思えば、僕がマンガにはこういう読み替えという楽しみ方がある、と初めて知ったのは、
昭和五十年に桃源社から復刻された、永松健夫の『黄金バット』の復刻版を買ったときだった。

<<以降、黄金バットの解説が延々と・・>>

 作者至上主義では、こういう楽しい作品を発掘してくることはほとんど不可能なのである。
 わかったか、『漫○の手帖』!


それに対する再反論が「漫画の手帖」40号(1996年8月20日)に掲載された。以下に引用する。
(太字は引用者による。)

「漫画の手帖」1996年40号より

169 :11年前のこんなのを見つけた :2007/09/11(火) 03:28:38
●まあ、どうでもいいちゃどうでもいい話なんだけどさ、何か商業誌に「漫画の手帖」を
批判する文が載ったんだってさ。日本に唯一の空想科学小説雑誌に。それがどうも俺ら白
川夜舟舎が企画したページが原因らしいの。発行者の藤本さんも、そんなことがあった
なんてこの文読むまできっと知らなかったと思いますが、どうもすみませんでした(私信)。
俺らもまわりの人間も全然知らなくて、たまたま図書館で古い雑誌(去年の一一月号)を
読んでた友人が教えてくれたの。「この人どうしてこんなに威張ってるの?」という質問
と一緒に。さあねえ、俺にもサッパリわかんない。面倒臭くて調べてないんだけど、どう
やらその文を書いた奴、「漫画の手帖」39号で自分について4行ほど書かれたちょっと
した皮肉に怒り狂っちゃって、トンチンカンな事書いてるらしいんだ。 この男、普段から
他人の褌で相撲をとったり、マイナー文化での流行を後追いして、さも自分はハジメから
やってましたって顔してる。何て言うか大味で薄い薄ういライター の一人なんだけど、ま
さか読まずに批判したなんて事はないよねえ、一応自称プロだもんねえ、まさかねえ。新
鮮みも何もないつまんない定義を打ち出すのが得意なこの男、怒りにまかせてヤボテンぶ
りを発揮してなきゃいいけど。奴が言うには、俺らが「怪奇マンガは怖がらせるために描
かれたものだから、怖がるべきで笑うべきではない」って書いたらしいんだけど、書いて
ねえよそんなバカな事。作者の意図なんて、それほど興味ないもん。ただ「怖がるべきか
笑うべきかは読者が決めるもので、ヘタにその方法を教えるような事をするより、作品を
生のまま見せる事のほうが大切じゃないか」というような事は38号で書いたけどね。奴
の作った森由岐子に関する本では、森氏の作品の真横に、笑わせるための書き込みがして
あり、その蛇足どころか蛇羽まで付いた強烈なヤボぶりは、そりゃ俺らにとってはお薦め
できないって。ほらほら、こうやってヤボについて語る行為自体が既にヤボでしょ、感染
すんだよヤボはさ。そういうことが言いたかったんだけどね。まあ、そんなことよりとに
かく悔しかったんだろうねえ。ごめんねえ。

170 :11年前のこんなのを見つけた :2007/09/11(火) 03:31:01
それから俺らの事を、『ねじ式』に出てくる「メメクラゲ」という言葉が、つげ義春が適
当に書いた「××クラゲ」の誤植であると知らずに論じてしまった評論家と並べてくれた
らしい。俺らがやりたいのは、「メメクラゲが××クラゲだと知りながら、メメクラゲを
論じる」事なんだけどね。当然、奴はこの評論家を蔑んでるワケだけど、それもどうかね。
だって、その評論行為って結構面白いじゃんね。奴のやってる、「マジメな意志で創作さ
れたちょっとおかしな作品を笑ったり小馬鹿にしたりする」というセンスは、今やヒネリ
が弱過ぎて、人にものを説く人間としてはズレてるんじゃないの。かつては確かにその程
度で高見に立てる時代があったけど、まだそんな十年以上前の気分じゃあねえ。モノを裏
返して喜んでいるレベルで「わかったか」と言われても、どうすりゃいいのか困るよなあ。
目を点にして「は?」とか言ってりゃいいのかな。もしかして、SFファンってまだそん
な感じなの?その辺の分かって無さが、奴が(一方的に)ライバル視しているM氏との大
きな差だと思う。でも俺らは奴の事を、●●●●●●●●●●のように「オタクの立ち腐
れ」だなんて言うつもりは無いんだ。「いつまでも少年のような心を持ち続ける人」とで
も呼ぶかな。言い換えりゃ「ガキオヤジ」ってとこだけど。こういう奴は必要だよ。せい
ぜい皆さん利用できるとこだけ頂くといいと思いますよ。知識と素材だけは持ってそうだ
もんね。こんなこと書かれてると知ったら、またトレードマークのヘンな帽子に隠された、
奴の充血しやすいトサカに血が上るといけませんね。お年寄りは大切にしなくちゃね。

172 :11年前のこんなのを見つけた :2007/09/11(火) 03:31:50
「同人誌まがいの三文誌」が「評論家きどりの三流ライター」に噛みつかれたという目糞
が鼻糞を笑ってたら耳糞に説教されたようなショボい話題ですみませんでした。でも、ち
ょっとでも楽しんでもらおうと思って、この件に関してクイズを出します。さて、このオ
トナゲのないライター、いったい誰でしょう?

【ヒント1】弟はマンガ家。妻はエロ劇画家です。弟とも組みますが、現在は妻と組み、
やけに文字の多いマンガを発表しているようです。
【ヒント2】「滑舌がよい」「声がでかい」「しゃべり始めると止まらない」という特性
を生かし、トークショーもやってるらしいです。
【ヒント3】頭がカラです。

※出典「漫画の手帖」40号(1996年8月20日発行)
 執筆=白河夜船舎

179 :11年前のこんなのを見つけた :2007/09/11(火) 03:48:54
ちなみに唐沢が激怒した元の文章は、「漫画の手帖」39号に載った、たったこれだけのもの。

(森由岐子についての記述の後)唐沢俊一による『森由岐子の世界』でも読めるが、
「大いなる蛇足以外の何物でもない」ので、あまりお勧めはしない。

↑「漫画の手帖」39号1995年8月20号より

これに唐沢はSFマガジンの自分のコラムで激怒して反応し、白河夜船舎が「漫画の手帖」
40号で169-170の再反論をした。


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