経歴・年譜


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■1958(昭和33)年:00歳

  • 1958年05月22日:唐沢俊一:北海道札幌市に誕生
  • 札幌駅近くの薬局の長男として誕生(現在その店は義弟が経営)


■1959(昭和34)年:00〜01歳



■1960(昭和35)年:01〜02歳



■1961(昭和36)年:02〜03歳

  • 1961年10月21日:弟・直樹(唐沢なをき)誕生。


■1962(昭和37)年:03〜04歳



■1963(昭和38)年:04〜05歳

  • 1963年10月20日:アニメ「鉄人28号」放送開始


■1964(昭和39)年:05〜06歳



■1965(昭和40)年:06〜07歳(小学1年生)



■1966(昭和41)年:07〜08歳(小学2年生)

  • 1966年1月2日:特撮番組「ウルトラQ」放送開始〜7月3日
  • 1966年5月25日:アニメ「鉄人28号」放送終了


■1967(昭和42)年:08〜09歳(小学3年生)



■1968(昭和43)年:09〜10歳(小学4年生)



■1969(昭和44)年:10〜11歳(小学5年生)



■1970(昭和45)年:11〜12歳(小学6年生)

  • 夏休みの読書感想文でジェロームKジェロームの『ボートの三人男』獅子文六の『てんやわ
んや』『朝鮮童話集』など(「カルトな本棚」より)


■1971(昭和46)年:12〜13歳(中学1年生)

  • 星新一「妄想銀行」を読み、もの書きになりたいと思う。
  • 友人たちに星新一を啓蒙し、ガリ版刷り同人誌を友人と作り始める
  • 読書委員に任命され星新一などを学校図書館に置こうと運動


■1972(昭和47)年:13〜14歳(中学2年生)



■1973(昭和48)年:14〜15歳(中学3年生)

  • 中学の時に蔵書がすでに1000冊を超えていた


■1974(昭和49)年:15〜16歳(高校1年生)

  • 1974年10月「宇宙戦艦ヤマト」放送開始。〜1975年3月


■1975(昭和50)年:16〜17歳(高校2年生)

  • ドイツの大長編SF「ペリーローダン」ファンクラブを結成。雑誌「SFマガジン」にファンクラブ結成の広告を出し、ドイツ「ペリーローダン」の出版元にまで許可を得る
    • 当時の「SFマガジン」にはそのような広告が一切なく、この発言は虚言と考えられる。
  • 自分の読書傾向は特殊らしい、と気がつく(「カルトな本棚」より)


■1976(昭和51)年:17〜18歳(高校3年生)

  • 1976年:高校3年で「宇宙戦艦ヤマト」と出逢う(本放送の時、人気無くて...と先見の明がある事を何度も語る)
  • 1976年:高校時代に「スターウォーズ」のファンクラブを作ろうと画策するが、会員があまり活動しないのでポシャる
  • 札幌テレビSTVに古本屋「リーブルなにわ」で出来たサークルで「ヤマト再放送嘆願書」を送り、再放送される(唐沢曰く、その後ヤマトが評価されたのはこの活動が大きい)
    • 実際には1974年に「宇宙戦艦ヤマト」が放送された直後から雑誌『SFマガジン』内では「ヤマトはSFか?」という議論が熱く交わされており、その直後から兵庫県などで「ヤマト再放送運動」のサークルが立ち上がっている。唐沢のサークルはかなりスタートが遅い。もしかしたら唐沢は再放送を見てファンになったクチかも知れない。
  • 北海道でヤマトの再放送率が高い、ヤマト関連のレコードが異常に売れるという事で、古本屋リーブルなにわの上にあるレコード店が発売元コロムビアレコードでも話題になる。
  • 角川書店の営業マンが古本屋のサークルの伝言板に書かれた密度の濃い伝言を見て「これそのまま出版すれば売れますよ」と興奮するが、その伝言板の書き込みは捨てているというので、意気消沈して帰る。その営業マンが現在の角川書店社長、角川歴彦。
  • 1976年12月:ヤマトのプロデューサー西崎義展がオールナイトニッポンのパーソナリティを務めており、この段階ですでに宇宙戦艦ヤマトが大ブームになっており、アニメとしては異例のアルバム『交響組曲宇宙戦艦ヤマト』が発売され、翌年TV版の再編集映画が公開されることが決定していた。

注記

上の赤字コメント(2007-12-26に加筆されたもの)に対してmk2という方からメールによる指摘がありましたので以下に転記しておきます。
唐沢氏の「経歴・年譜」に関しまして、すでにご存知の内容かも知れませんが、時期(年代)的な
記述に気になる個所がございましたので、今回、下記ご連絡いたします次第です。

<記>
1・>1976年12月:ヤマトのプロデューサー西崎義展がオールナイトニッポンのパーソナリティを
  >務めており、

確か、西崎氏が『オールナイト・ニッポン』のパーソナリティを担当されたのは、1976年ではなく
1980年か81年だったと思います。

2・>この段階ですでに、すでに宇宙戦艦ヤマトが大ブームになっており、

1976年12月時点では、まだまだマニアやファン達による「知るひと(達)ぞ知る」的レベルのブーム
でした。翌77年夏に劇場版が公開されて以後、マニアやファン以外の(『ヤマト』を含めアニメに興味
なかったり、馬鹿にしていた)人たちにもその名前~存在が知られるようになり、まさに社会現象として
大ブームとなりました。

3・>アニメとしては異例のアルバム『交響組曲宇宙戦艦ヤマト』が発売され、翌年TV版の再編集映画
  >が公開されることが決定していた。

『交響組曲宇宙戦艦ヤマト』(のLP)は、劇場版が公開された1977年の12月、クリスマス商戦用にリリ
ースされたものです。ちなみに、同年同時期に『オールナイト・ニッポン』でオンエアされた4時間生放
送ラジオドラマ版『宇宙戦艦ヤマト』で使用されたBGMは『交響組曲~』の収録作品です。
尚、その前年の76年の年末時点で、劇場版の公開が決定していたか、どうか・・・については判りませ
ん(編集作業は行っていたのでしょうけれども)。

つまるところ、1976年12月時点における『宇宙戦艦ヤマト』とは、たいへんマイナーな存在だったと
いうことです。
(2010-01-07 まとめwiki管理人記)


■1977(昭和52)年:18〜19歳(浪人時代)

  • 1977年:1浪:札幌で「宇宙戦艦ヤマト」のファンクラブを運営。本人曰く「ファンクラブ活動をするためにワザと1浪した」
  • ヤマトのプロデューサー西崎義展を札幌に呼ぶなど活動
    • 西崎義展は当時、編集版映画の公開を控えており、日本各地のイベントに顔を出しており、特別な事でもなかった。
  • 東映「長靴をはいた猫」「大陽の王子ホルスの大冒険」自主上映会
  • 1977年8月6日「宇宙戦艦ヤマト」映画版1作目が封切り。日本の映画で実写・アニメを含め公開初日に徹夜組が出た最初の作品となった。


■1978(昭和53)年:19〜20歳(青学1年目)

  • 1978年:1年浪人後、青山学院大学へ入学・下宿は阿佐ヶ谷
  • 実家の仕送りは月7万円(かなり裕福な学生)
  • 入学式の日、紀伊国屋ホールで「紀伊国屋アニメフェス」でベティーブープなどを見る。海外アニメに感動し、代表者の並木孝に長文の感想を送り「アニドウ」に入会
  • 上京して初めて「ぴあ」という情報誌の存在を知る。この時期「年間365本以上映画を見る」を目標に映画館めぐり


■1979(昭和54)年:20〜21歳(青学2年目)

  • 1979年:池袋の文芸座などにかかるB級映画館に入り浸る。
  • この時期、志水一夫とニアミスしていたかもしれないと
  • 1979年4月「機動戦士ガンダム」始まる


■1980(昭和55)年:21〜22歳(青学3年目)

  • 1980年:雑誌『ぴあ』12月19日号 (12/5 発売) の投書欄「YOUとPIA」に山賀龍一という人の書いた「望怪獣論」という投稿が載る。内容は、昔のゴジラやラドンみたいな、大人のための怪獣映画を望むというもの
  • 雑誌『ぴあ』1月16日号 (12/27 発売) の投書欄に、唐沢の投稿「新怪獣論」が載る。内容は、「怪獣ファンたちが揃いも揃ってゴジラの復活だけを望んでいるのはいかがなものか」「我々が望むのはまったく新しい怪獣でなくてはいけない」とか。


■1981(昭和56)年:22〜23歳(青学4年目)

  • 雑誌『ぴあ』1981年2月13日号 (1/30 発売)
  • 『ぴあ』投書欄に、DSC-桜井という人の「今もよくある、『怪獣は子どものため』論の典型」(by 唐沢) の投稿が載る。「リアリズムもファンタジーも、子どもの、邪心のない目で感じ取れればそれでいい」「大人だって子どもの頃に戻りさえすれば」「楽しめる映画なのです。」
  • 唐沢の下宿に、差出人『東京ゴジラ団』の封書が届く。安全カミソリの刃が入っていて、「『2月号の桜井氏の言う通りだ。貴様に怪獣映画を語る資格はない』というオドシ文句が書かれた紙が一枚。」「これで、僕はキレた。これ以降、僕の『ぴあ』への投稿の筆致はどんどん嫌味になり、皮肉になり、攻撃的になっていく。」
  • 雑誌『ぴあ』1981年3月13日号 (2/27 発売)
  • 『ぴあ』投書欄に、唐沢の再反論が載る。「子供向けの作品が大人に面白くないのは仕様のないことなのでしょうか。いや、それより田中小実昌氏の名言があります。“僕はガキだからガキ向けの映画は面白くない”。ガキが、いや子供が、本当に面白がって見るのは大人向けの作品なんですよ」「そして、かのゴジラが問題意識を売り物にした最大の弊害が、そう言った思想とかテーマをもった作品こそが本当に優れたSF(!)なのだという誤謬をファンに与えたこと。センス・オブ・ワンダーもへったくれもあったものではない。第一、この誤謬はかなり危険なものであるのです。」んで、ここから『機動戦士ガンダム』の、批判というか罵倒に「横すべり」、と。
  • 「今度映画化されるという、あの『機動戦士ガンダム』、あれくらい日本のSFファンの気質を嫌らしく具現化した作品を僕は知りません。」「ストーリーはハインラインの『宇宙の戦士』のエピゴーネン、お定まりの美形キャラ、ハデハデしいメカの行列、SF用語の羅列、反吐をつきそうな気障ったらしいセリフ。」「これだけなら単に陳腐というだけで別に取り立てて騒ぐ程のものでもありませんが、それを“戦争とは? 人類とは?”といったいかにもそれらしそうなテーマで飾って高級そうに見せかけているのが中・高生のSFファンにああまで奉られている理由です。」「こういった作品にファンが集まることが日本SFファンの思想好き、テーマ好き、深刻好みの性癖を如実に表しています。そしてその元凶とでもいうものがゴジラであるとするならば、桜井さん、僕がいいたいこともわかっていただけますまいか」
  • 雑誌『ぴあ』1981年4月10日号 (3/27 発売)5月22日号 (5/8 発売)6月19日号 (6/5 発売)
  • 『ぴあ』投書欄には、ガンダムファンによる擁護は載らず、日本SF映画に希望はあるかないかの話が「以前とほぼ同じ論調で」続いた。
  • 雑誌『ぴあ』1981年7月17日号 (7/3 発売)
  • 『ぴあ』投書欄に、ガンダムファンの投書が一挙2通掲載。その1通が「横浜の鴨打大輔という人」の『ガンダムへの誤解・一SFファンとして一言』。「思えば、ガンダムの不幸は、西崎義展に踊らされた“ヤマト”ブームとの酷似、さらには俗悪高千穂遥(この点はあなたに賛成)を筆頭に、アニメ誌や一部のファンの馬鹿騒ぎにあると思います」「とにかく見て下さい。『ガンダム』はもともとTV用ですからTVのガンダムを見て下さい。ご一報くだされば、私のところでご覧にいれます。見た上で、けなすなり何なりして下さい。しかし、そんな風にはならないはずです。自信を持って言えます」
  • 雑誌『ぴあ』1981年7月31日号 (7/17 発売)8月14日号 (7/31 発売)8月31日号 (8/14 発売)
  • 『ぴあ』に、唐沢の反論、唐沢への他の人からの反論や同意論などが掲載。ちなみに、唐沢の反論は「TV版ガンダムの、動画と呼ぶのもためらわれるような動きの極端にない場面を指摘して、“こういうのを優れたアニメとはどうしても呼べない”ことを再度提唱した」もの。
  • 当時のぴあの編集長だった増淵氏が「あれは唐沢という人が最初にゴジラとガンダムの比較論を投書してき、“ゴジラはいいがガンダムはダメ”ということになっちゃって」という「いい加減な要約をしていた(笑)」(by 唐沢) とのこと。「論争があると、投書の数は増えるが、一般の読者のお便りを載せるスペースがなくなりますからね」
  • 雑誌『ぴあ』1981年8月28日号 (8/14 発売)9月11日号 (8/28 発売)
  • 『ぴあ』に、論争総括のコーナーが組まれる。“特集「YOUとPIA」”という題名で、2号連続で見開きページを取っていた。「どういう特集かと言うと、プロのアニメ関係者に話を聞いて、『ガンダムは是か非か』という回答をあおぐ、というものである。」
  • 「アニドウ代表のなみきたかしは、『ぴあ』からの電話に唐沢という名前が出た途端に『ああ、あの男はうるさいですから相手にしないほうがいいです』と電話を切ったと言う」
  • 「大森・森のお二人は、今のテレビアニメは面白くない、と口を揃え、『ケバケバしいリアリティのないロボットはやりたくない』(大森)『ガンダムには悪いけど、血が通っているのかどうかわからない』(森)と僕の意思に賛同してくれている」
  • 「松本氏は、『(筆)言っていることはわかるけど、アニメを作るのは本当に大変なんだ。文句言うなら自分で作ってからにしてほしい』」
  • 「手塚氏に至っては、『見る側にあれこれ要求はしたくないが、マニアというのはどうしてあんなに圧力をかけたがるのか。こういう場を借りて、自分の意見を押し付けようとしている』」
  • 「そして、いちばん老獪だったのは、やはり当事者の富野氏だった。彼は、『極端な意見というのは、他人の意見として聞く場合には決して悪いことじゃないと思います。わかりいいからです。私見なんていうのは、独断と偏見という風なまやかしの言葉で飾るんじゃなくて、当然持ってしかるべきなんじゃないかと。むしろ、状況論は半分以上は事実でこれは中庸なことなんである、って示し方をすることの方がよほど危険だと思う』と、こちらの本当に言いたいことを先取りしてしまっている。このとき、心のどこかで『待てよ』と踏みとどまらねば、僕は大学卒業後、富野氏の門を叩いたかもしれない。」


■1982(昭和57)年:23〜24歳(青学5年目)



■1983(昭和58)年:24〜25歳

  • 1983年3月(6年いたとされる話より)卒業


■1984(昭和59)年:25〜26歳



■1985(昭和60)年:26〜27歳



■1986(昭和61)年:27〜28歳



■1987(昭和62)年:28〜29歳

  • 1987年頃:文筆業としてデビュー(地域ICT未来フェスタのHPによると)


■1988(昭和63)年:29〜30歳

  • 1988年01月07日:唐沢商会「鋼鉄人間28号」平凡パンチ掲載}
  • 1988年5月:唐沢商会「諸国怪態物語・河童の味」月刊ガロ
  • 1988年6月:唐沢商会「ミミヅク小僧のバウケン」月刊ガロ
  • 1988年6月9日:唐沢商会「漫才バスカビル家の犬」平凡パンチ
  • 1988年6月18日:唐沢商会「新撰組始末記」月刊少年キャプテン
  • 1988年7月:唐沢商会「諸国怪態物語・段吉の怪」月刊ガロ
  • 1988年8月:唐沢商会「電気傾城」月刊ガロ
  • 1988年9月:唐沢商会「大塚署長自身の事件」月刊ガロ掲載}
  • 1988年11月:唐沢商会「原子馬鹿襲来」月刊ガロ掲載}
  • 1988年11月5日:唐沢商会「しのびのもの」週刊漫画サンデー


■1989(昭和64〜平成元)年:30〜31歳

  • 1989年1月3日:唐沢商会「2001年宇宙の正月」週刊漫画サンデー
  • 1989年3月28日:唐沢商会「宗田村殺人事件」週刊漫画サンデー掲載}
  • 1989年10月:唐沢商会「ぐるっと回ってジャガーの眼」月刊ガロ


■1990(平成02)年:31〜32歳

  • 1990年2月「ようこそ、カラサワ薬局へ(徳間書店)」(→薬局通)
  • 1990年8月:唐沢商会「あわびねこ」月刊ガロ
  • 1990年10月「近未来馬鹿(青林堂)」唐沢俊一(作)、唐沢なをき(画)


■1991(平成03)年:32〜33歳

  • 1991年4月:単行本「ZORO-ZORO(青林堂)」唐沢商会
  • 1991年7月:単行本「マンガ年金入門」原智徳(監修)、鹿野景子(画)、唐沢俊一(作)


■1992(平成04)年:33〜34歳

  • 1992年2月:単行本「脳天気教養図鑑(青林堂)」唐沢商会
  • 1992年9月:単行本「ギロチン女(スコラ)」鹿野景子(画)、唐沢俊一(作)
  • 1992年10月号〜雑誌「UTAN」で薬の秘密連載:〜1994年1月号
  • 1992年12月「と学会連絡誌:創刊号」


■1993(平成05)年:34〜35歳

  • 1993年5月:単行本「原子水母」唐沢俊一(作)、唐沢なをき(画)
  • 1993年5月「と学会連絡誌:第2号」
  • 1993年9月:単行本「星を喰った男」潮健児(著)、唐沢俊一(編集・構成)
  • 1993年11月:単行本「まんがの逆襲」唐沢俊一(監修)
  • 1993年11月「と学会誌:1号」


■1994(平成06)年:35〜36歳

  • 1994年4月:単行本「森由岐子の世界」唐沢俊一・ソルボンヌK子(監修)
  • 1994年8月「と学会誌:2号」


■1995(平成07)年:36〜37歳

  • 1995年:岡田斗司夫・眠田直と、おたく芸人ユニット「オタクアミーゴス」結成
  • 1995年2月:単行本「女性自身ってば!?」唐沢俊一と『女性自身』広告審議会(著)
  • 1995年5月:単行本「んかノ花園 原子水母2」唐沢俊一(作)、唐沢なをき(画)
  • 1995年5月1日:単行本「トンデモ本の世界(と学会編)」と学会1冊目
  • 1995年6月:単行本「ガメラを作った男」唐澤俊一(編著)
  • 1995年8月:単行本「美少女の逆襲」
  • 1995年8月「と学会誌:3号」
  • 1995年10月:単行本「薬の秘密」
  • 1995年10月:単行本「Kamidas」稲葉益巳(監修)、唐沢俊一・毛髪探検隊(著)


■1996(平成08)年:37〜38歳

  • 1996年7月:文庫「薬局通(ハヤカワ文庫)」ようこそ、カラサワ薬局への改題
  • 1996年3月:単行本「怪体新書」唐沢商会(作)
  • 1996年3月:単行本「古本マニア雑学ノート」
  • 1996年4月:単行本「トンデモ本の逆襲」と学会(編)
  • 1996年4月:単行本「カルトホラー漫画秘宝館 かえるの巻」
  • 1996年4月:単行本「カルトホラー漫画秘宝館 みみずの巻」
  • 1996年4月1日:単行本「トンデモ本の逆襲(と学会編)」と学会2冊目
  • 1996年6月:単行本「復讐医バロン」唐沢俊一(作)、新巻ゆたか(画)
  • 1996年7月:単行本「蒸気王」唐沢商会(作)
  • 1996年8月:単行本「トンデモ怪書録」唐沢俊一(著)、唐沢なをき(イラスト)
  • 1996年8月:単行本「大猟奇」唐沢俊一(作)、ソルボンヌK子(画)
  • 1996年8月「と学会誌:4号」
  • 1996年12月:単行本「トンデモ超変態系」Brenda、Love(著)、船津歩(訳)、唐沢俊一


■1997(平成09)年:38〜39歳

  • 1997年02月:単行本「唐沢俊一のカルト王」
  • 1997年03月:単行本「オタクアミーゴス!」岡田斗司夫・唐沢俊一・眠田直(共著)
  • 1997年08月「と学会連絡誌:97年夏号」
  • 1997年08月:単行本「カルトな本棚」同文社
  • 1997年09月「と学会白書Vol.1」と学会3冊目
  • 1997年10月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「聖なるカワ」掲載
  • 1997年12月「と学会誌:5号」


■1998(平成10)年:39〜40歳

  • 1998年04月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「ある超常現象」掲載
  • 1998年07月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「日本人よサッカーをやめよ!」掲載
  • 1998年08月「と学会誌:6号」
  • 1998年09月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「ハリウッド墓石観光」掲載
  • 1998年11月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「前門の虎、コーモンのハムスター」掲載
  • 1998年12月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「味の創造力」掲載


■1999(平成11)年:40〜41歳

  • 1999年01月30日:単行本「トンデモ本1999(と学会編)」と学会
  • 1999年03月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「あるレスラーの死」掲載
  • 1999年06月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「だらしない未来」掲載
  • 1999年08月「と学会誌:7号」
  • 1999年09月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「コンドールマンとリカちゃん人形」掲載
  • 1999年10月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「バケ猫映画の最高傑作」掲載
  • 1999年11月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「ねばねばの謎に挑む」掲載
  • 1999年12月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「人生訓屋」掲載


■2000(平成12)年:41〜42歳

  • 2000年02月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「恐怖のカマキリ女」掲載
  • 2000年04月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「Qは永久欠番なのだ」掲載
  • 2000年08月「と学会誌:8号」
  • 2000年10月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「玉」掲載
  • 2000年11月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「マジックマッシュルーム」掲載


■2001(平成13)年:42〜43歳

  • 2001年03月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「お鼻が長いのねぇ」掲載
  • 2001年04月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「おふくろの味」掲載
  • 2001年06月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「壁に耳あり」掲載
  • 2001年08月「と学会誌:9号」
  • 2001年09月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「プロレス怪人物列伝」掲載
  • 2001年10月2日:単行本「トンデモ本の世界R(と学会編)」と学会
  • 2001年10月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「名言」掲載
  • 2001年11月00日:単行本「社会派くんがゆく! (アスペクト)」村崎百郎との共著


■2002(平成14)年:43〜44歳

  • 2002年02月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「有名人奇行集」掲載
  • 2002年03月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「毎日毎日」掲載
  • 2002年04月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「進化するミニチュア」掲載
  • 2002年07月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「フロイトの葉巻」掲載
  • 2002年08月「と学会誌:10号」
  • 2002年08月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「ちょび髭」掲載
  • 2002年10月07日:深夜番組として『トリビアの泉』が放送開始される(〜2003年3月17日)
    • 一般的に唐沢俊一の「トンデモ1行知識の世界」続編「〜の逆襲」が番組の元ネタのような扱いを受けているが、実際にはこの本から使われた知識は極少ない。というものどうやら、番組で放送するにあたって検証した所、使えない雑学ばかりだったのではないか?と囁かれている。
  • 2002年10月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「アタマのよくなるクスリ」掲載
  • 2002年11月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「妄想力」掲載
  • 2002年12月「と学会誌:2002冬の増刊号」
  • 2002年12月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「大阪粉食文化」掲載


■2003(平成15)年:44〜45歳

  • 2003年03月00日:単行本「社会派くんがゆく! 激動編(アスペクト)」村崎百郎との共著
  • 2003年03月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「スパゲティの食べ方」掲載
  • 2003年06月「と学会誌:11号」
  • 2003年06月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「チワワ伝説」掲載
  • 2003年07月2日『トリビアの泉』がゴールデンで放送開始(〜2006年9月27日)
  • 2003年07月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「一点集中」掲載
  • 2003年12月「と学会誌:12号」
  • 2003年10月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「帽子と人格」掲載
  • 2003年11月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「共産主義のヒロイン」掲載


■2004(平成16)年:45〜46歳

  • 2004年02月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「なぜハゲは、セックスが強いか」掲載
  • 2004年02月24日:単行本「社会派くんがゆく! 死闘編(アスペクト)」村崎百郎との共著
  • 2004年04月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「機械たちの顔」掲載
  • 2004年06月13日:単行本「トンデモ本の世界T(と学会編)」と学会
  • 2004年06月13日:単行本「トンデモ本の世界S(と学会編)」と学会
  • 2004年08月「と学会誌:13号」
  • 2004年09月05日:単行本「お怪物図鑑×物々冒険記」弟との共著
  • 2004年12月「と学会誌:14号」
  • 2004年12月19日:単行本「社会派くんがゆく!逆襲編(アスペクト)」村崎百郎との共著


■2005(平成17)年:46〜47歳

  • 2005年5月:週プレ連載『名も無く美しいニュースたち』始まる
  • 2005年5月14日:唐沢日記にバーバラ・アスカ初登場
  • 2005年6月「トンデモ本白書2005」
  • 2005年8月「と学会誌:15号」
  • 2005年10月:ラジオ「ブジオ! (TBS)」始まる
  • 2005年11月10日:バーバラとのトークイベント「古書と新刊の話」
  • 2005年12月「と学会誌:16号」
  • 2005年12月22日:単行本「社会派くんがゆく! 維新編(アスペクト)」村崎百郎との共著


■2006(平成18)年:47〜48歳

  • 2006年3月:ラジオ「ブジオ! (TBS)」終わる
  • 2006年4月:ラジオ「唐沢俊一のポケット(TBS)」始まる
  • 2006年5月2日:週プレ連載『名も無く美しいニュースたち』終わる
  • 2006年6月「と学会アーカイブス・1」
  • 2006年8月「と学会誌:17号」
  • 2006年9月:「知るを楽しむ (NHK教育)円谷英二 特撮の神様」
  • 2006年12月「と学会誌:18号」
  • 2006年12月22日:単行本「社会派くんがゆく!乱世編(アスペクト)」村崎百郎との共著


■2007(平成19)年:48〜49歳

  • 2007年2月「唐沢俊一の雑学王(広済堂)」
  • 2007年3月1日「三丁目の猟奇」唐沢俊一 (著), ソルボンヌK子 (イラスト)
  • 2007年3月30日:ラジオ「唐沢俊一のポケット(TBS)」終わる
  • 2007年4月「史上最強のムダ知識(廣済堂出版)」
  • 2007年4月「と学会年鑑ORANGE(楽工社)」
  • 2007年4月23日「オタク論! (創出版)」唐沢 俊一と岡田斗司夫 の対談
  • 2007年5月『新・UFO入門(幻冬舎)』
  • 2007年6月「と学会アーカイブス・2」
  • 2007年6月4日:『新・UFO入門』の文章盗作が被害者ブロガーによって発覚
  • 2007年8月「と学会誌:19号」
  • 2007年10月10日:単行本「トンデモ本の世界V(と学会編)」と学会
  • 2007年10月10日:単行本「トンデモ本の世界U(と学会編)」と学会
  • 2007年11月28日放送:テレビ朝日系「Qさま!」で、ワシントンを殺す
  • 2007年12月15日:単行本「トンデモ版・ユーチューブのハマり方(白夜書房)」
  • 2007年12月20日:単行本「社会派くんがゆく 復活編(アスペクト)」村崎百郎との共著


■2008(平成20)年:49〜50歳

  • 2008年1月、『創』2月号で唐沢俊一が自分の盗作を棚にあげネットでの批判を批判
  • 2008年1月30日、読売新聞にいじられる




29 名前:無名草子さん[] 投稿日:2007/12/16(日) 23:19:16
 >>25 の 1981年以降と、>>26-28 は、別冊宝島『投稿する人々』に掲載されたこれ↓のまとめ。

唐沢自身の手によって綴られた「あえて『ガンダム嫌い』の汚名を着て」というのが、
P.183以降に載っている。

そして、世は争いを好まないオタクたちの、不完全燃焼型あてこすり合い文章を中心とした
論争時代へと以降していたのであった。
 ……この時代の論争の典型例を作った人物がひとり、いる。それが、自分であるところが
情けないが。

最終的に富野喜幸、手塚治虫という大物までがコメントをつけた、ということでも、オタク史に
残るものであろう。名のみ有名なその論争のその経過を、論争の張本人である筆者自身から、
ちょっと詳細にドキュメントしてみたい。

 ……さあ、ここで地雷を踏んだ。ナンとあの『機動戦士ガンダム』をけなしたのだ。
 考えてみると、この当時の僕は『ゴジラ』と『ガンダム』をケチョンケチョンに言って
いるのである。よくまあ十八年後のコンニチ、すました顔で“オタク界の大物”なんぞと
言われて鎮座していられるものだ。しかし、当時の僕が、このガンダムにどうしようもない
嫌悪感と、“これは僕が好きだったSFアニメとは違う”という違和感を持っていたことは
事実なのである。


30 名前:無名草子さん[] 投稿日:2007/12/16(日) 23:20:24
普通の人が読まない本を読んでいたという自慢はしている
『カルトな本棚』三人の唐沢が対談しているという趣向
 ------引用-----P145-148-----
唐1:昔から、みんながやっているから、とか読んでいるから、とかいうの、
キライだったよね。夏休みの読書感想文とかの題材に選ぶ本がそうだった。小
学校の6年のときだったかな。読書日記を書かされて、そこに並んだ本という
のが、ジェロームKジェロームの『ボートの三人男』に獅子文六の『てんやわ
んや』、それから『朝鮮童話集』(笑)
唐3:担当の先生に『もっときちんとした本を読みなさい』と言われたっけ。
中学に入ると『世界奇談集』みたいな本ばかり読みはじめたな。その一方で、
読書委員かなんかに任命されて、クラスの連中には「世界名作を読め」と押し
つけていた。イヤなヤロウだった(笑)
唐2:星新一を中学年のとき、学校図書館に置こうと運動したよね。おかげで
『ボッコちゃん』とあと何冊か、それに筒井康隆が入った。
唐3:よくツツイが入ったなあ。
唐2:いやポプラ社の入門シリーズの『SF入門』だったけど。あれは自分が
読みたくて入れた。
唐1:で、クラスのみんなが星新一の真似してショートショート書くあたりに
なると、もう別の方へいっていたり、な。(続く)

31 名前:無名草子さん[] 投稿日:2007/12/16(日) 23:20:57
(>>30 続き)
唐2:中学のあたりってなんとなくストイックで、ひとりの作者にハマると、
もうそればかり読んで、他の作家の話をしなくなるヤツが多かった。それはイ
ヤだったんだよ。
唐3:でも、文体ではかなり多くの人にハマったよな。『吸血鬼ドラキュラ』
を創元推理文庫で読んで、平井呈一の文体にしびれたり。
唐2:古風な文体にハマる傾向があったな。坪内逍遙の『ハムレット』も、わ
ざわざ一番最初の、浄瑠璃調の翻訳のやつを探し出して読んでみたり。……こ
れは高校のころだけど。
唐1:そうそう。SFえも、今日泊亜蘭の『光の塔』とか、好きだった。エアカ
ーで"茶店"の前に乗り付けて、"婆アさん、渋茶をくんねエ"なんてやるヘンな
の(笑)
唐2:山田風太郎の忍法小説にハマったのもそこいらか。忍法小説の中に医学
用語が入るの顔も白くてね。そのあたりになると、クラスのみんな、こっちの
読書傾向についてこなくなったな。
唐3:話して聞かせると、みんな笑うんだよな。でも、貸してやるから読んで
みろ、と言っても読まない。どうも、自分の読書傾向は特殊らしい、と気が付
いたのが高校2年くらいのときだ。
唐1:いや、"貸してやるから"とはもう高校の頃はいわなくなっていたんじゃ
なかったか?
 ------引用終わり------




51 :無名草子さん :2007/12/04(火) 19:21:59
大本営発表は、知らない人が聞けば「そうなのか」と思う物ばかり。

唐沢のプロフィールは、ネット初期にはハッタリとして通用していたんだろうけど
ネットが発達しで現状では
(少なくともこの5年ぐらいで過去の文献までネットに登場するようになった)
そのレベルのウソはすぐばれるようになってしまったんだよね。

ここでこうやって検証されなかったら、殆どの人が本に書かれている事を
信じるしかなかったでしょ?
ペリーローダンのファンクラブなんて、過去のSFマガジンを全部チェックする
なんて今までなかったから、バレなかったし、
Wikipediaで宇宙戦艦ヤマトの再評価が兵庫県などのサークルが始めたとか
書かれていなければ
「へぇ唐沢って名前が売れる前からそんな地道な活動していたんだ」
と信じるしかなかったからねぇ

そんなウソをついてきた唐沢は自己暗示でマジに「自分はオタクの歴史を作ってきた」
と思いこんでいるくさい


盗作屋 唐沢俊一15【ワシントンを「殺」した男】




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