吉田正男


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昭和6年から夏の大会で3連覇の偉業を成し遂げ、それだけで14勝。春のセンバツを加えると23勝というすごい勝ち星を残している。

昭和6年春のセンバツに中京商が甲子園初出場、吉田は外角いっぱいを突く速球と縦、横のカーブがよく決まって3試合連続完封して決勝進出、広島商に敗れたが、初陣の甲子園で「中京旋風」を巻き起こした。

夏の予選でも6試合すべてをシャットアウト。甲子園でも当時横綱格の松山商などを破って初出場で初優勝を飾った。これを皮切りに夏の大会史上ただ1校のV3を成し遂げたのである。

2年目の夏、決勝の相手はライバル松山商、桜井寅二捕手のサヨナラ打で延長11回の熱戦にピリオドを打った。

3年目、2回戦の浪華商戦で吉田は送球を顔面に受けて負傷、その後も傷口を絆創膏でとめた痛々しい姿でマウンドを守り続けた。そしてあの明石中との延長25回の歴史的な死闘。両軍投手もナインもヘトヘトとなり、体力は限界寸前であった。だが、吉田は熱投336球を投げぬいたのだ。

翌日の決勝も完投して不滅の3連覇を達成。吉田は明大に進み、六大学の4連覇に貢献、都市対抗でも優勝、行くところに栄冠あり、「優勝男」と言われた。

<参考資料:高校野球 忘れじのヒーロー>
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