小川正太郎


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甲子園時代に入ったヒーロー第1号は左腕の快速球投手と言われた和歌山中・小川だ。1年生の夏の早くも甲子園に出場。翌年の夏には準決勝の大連商戦で連続8奪三振の15三振を奪う力投を見せながら、味方の打力不振で惜敗した。

翌昭和2年春のセンバツで優勝。賞としてアメリカ遠征に参加。この遠征のため4年生の夏の大会には出場できなかったが、それ以外は春夏の甲子園に全部顔を見せ、8回も出場している。

勝ち星も12勝(5完封)、合計168奪三振は史上3位。小川は早大に進み、宮武三郎(慶大)との一騎打ちは神宮を沸かし、早慶戦の全盛時代を築き上げた。

<参考資料:高校野球 忘れじのヒーロー>


不世出の剛球左腕投手。長身から投げ下ろす速球と大きなカーブが武器だった。華麗なフォームで針の穴を通す制球が語り草。

<甲子園優勝投手物語>
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