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第八話 「潜水機と喫茶店」

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『Diver's shellⅡ』


 第八話「潜水機と喫茶店」



 潜水機とは、ローテクとハイテクを組み合わせた一種の重機である。
 潜水船の技術に、最新のセンサー類や電池、高い反応速度を誇るモーター……。時に一万m以上の深海で作業し、時に戦い、高速で泳ぐ。こんな荒事が可能なのは潜水機を置いて他に存在し得ない。
 では、潜水機は何処で製造されるのだろうか?
 答えは、一概に言えないということである。
 とある企業は潜水機のフレーム部分や潜水殻を製造販売し、とある個人は自らで全てを造り上げてしまう。企業の売るパーツを組み合わせて造ることもあれば、一部分を造って組み合わせることもある。
 ジュリアとクラウディアはどうかと言ったら、一部を買い、一部を造り、自分達で組み合わせるのが常だった。
 モニターと睨めっこして早五時間。自分でも驚愕する集中力にて新たな潜水機の設計データを書いていたジュリアは、眼の奥でスクワットし始めた疲労を取り払おうと眼を瞑って椅子に体重をかけて伸びをした。
 ジュリアの自室は年頃の女性とは思えぬほど質素である。
 机、本棚、ベッド、多目的テレビ、スタンド式の照明、以上。本棚にロマンス要素は粉塵も無く、流行の漫画本やらゲーム攻略本やら潜水に関する書籍が居座っている。クローゼットを開けても色っぽい服は見当たらない。
 最後の砦と下着入れを覗けば話は違うのかもしれないが、男性に見せることはないはずである。
 机の上、パソコンのメイン画面と投影されるサブモニターにはハルキゲニアの写真や、ガードロボ、合金の強度データ、遺跡に関する論文、そして新型潜水機の設計用画面が映されている。
 『遺跡とは過去の住人の遺物であると同時にメッセージである』と声高々に仮説を叫ぶ論文にざっと眼を通し、背筋をポキポキさせて体勢を戻すと、マウスをクリックした。
 万が一設計ミスや計算が違っていた場合、水圧に耐え切れず海の藻屑になったり、スラスター出力が足りずにのろのろ上昇するハメになったり……間違いはあってはならないのだ。
 また潜水機は、戦闘と作業の両方をこなす設計をするため、設計技術とセンスが求められる。殲滅して進むか作業のみに特化するかステルスを極めるか、それもまたセンスのうちである。
 ジュリアが考えていた機体は、あるときは作業特化、あるときは移動特化になれる斬新なもので、変形機構を実現しようと奮闘していたのだが、いかんせん複雑で作業は難航していた。
 通常では手足は突き出たまま、高速形態では手足を機体に寄せて水の抵抗を軽減する。
 書くのは簡単である。想像上でなら隕石を打ち落とす潜水機だっていける。だが現実は違う。
 変形機構を組み込むと複雑で整備の手間は増えるし、防御の隙は大きくなる上、使いこなせるかも分からない。費用対効果が不明なのは、怖い。
 ジュリアは鮫をモチーフとした新型潜水機が海中で行動するシーンを脳内で映像化してみた。
 高速形態で泳ぎ回り、一気に接近するや致命的な一撃を与えて悠々と去る。攻撃を通常形態から高速形態になることで回避。高速で移動して作業に移る。その後怪獣と格闘を繰り広げ……。

 「………うーん」

 と、イメージが意味不明な方向に反れる前に現実に戻る。
 両腕を組んで俯き加減に脳を働かせる。
 瞳がやや細く、眉に皺が寄る。

 「……面倒だなー……かっこいいっちゃかっこいいけど、どうなのか……」

 変形機構を採用した潜水機に乗ったダイバー仲間も居たには居たのだが、儲けは余り芳しくないと記憶している。使いこなせなかったのだろうか。
 ジュリアは、本棚の中央に位置する漫画本を見た。漫画の中で変形するロボが活躍したいたからである。
 変形はロマンか、それとも実用か。いつまでたっても答えの出ない問答。実用的と言えると同時に非実用的。悩みどころである。
 ふと気がつくと、唇に煙草を挟みライターを探している自分がいた。ライターを机から出し、火を点けると、煙草の先端を赤に押し込み火を移す。白が室内に上がった。
 高温の嗜好品こと煙草を指と指に挟み、肺に入れた紫煙を細めた口から天井に向けて吹いた。有毒のニコチンが血中に溶け、頭を活性化させていく。混じりけの無い空気を吸って、また煙草を吸う。
 室内に薄っすら煙草の白がかかるが、気にすることなく短くなるまで堪能し、机の上で鈍く輝く灰皿にねじ込んで始末した。
 ジュリアは『月光』の箱を横に叩いて中を揃え、一本を滑り出し、歯で挟んで持ち上げて火をつけると、二本目に突入する。チェーンスモーカーではないが、たまには続けて吸いたくもある。
 風邪をひいてふらついた時のような眩暈。肺胞一つ一つが満たされる重量感。十分過ぎる量が血中にどっと流れ込み、脳へと達する。
 ――吸いすぎたか?
 指の隙間で燻る『月光』を、随分早い段階で灰皿にねじ込み、肩肘ついて顎に手を置き思考を再開。
 最初に戻ろう。
 変形機構は実用的で効果を発揮するのか?
 哲学者が禅問答をするかの如く答えが出てこないのに苛立ちつつも、設計データを睨み、溜息をつく。首を傾けるとポキポキ音がした。
 では、別のことを考えよう。
 変形機構を設計することは可能か?
 可能。現に半分ほど設計してしまっている。問題はそこではない。

 「…………やれやれ」

 ジュリアは設計データをきっちり保存し、更に携帯型メモリーにバックアップを取って机の中に仕舞うと、パソコンの電源を落とした。
 何も一日二日で設計を仕上げないと殺される訳じゃない。のんびりとやればいいのだ。そう思い、クローゼットから薄手の黒コートを出して羽織り煙草とライターを手に部屋から出た。
 昼間過ぎなのに、リビングのソファーに顔を埋めて山姥も素足で逃げ出すほど髪を乱し惰眠を貪る相棒を見なかったことにして、家の外に出た。
 疲労を訴える眼をぎゅっと瞑り、開ける。赤の瞳に青い空が映る。

 「ふぅ」

 外は良い。
 一歩二歩三歩。三歩目でコートの裾を直す。
 コートのポケットに手を突っ込んで四歩五歩。
 冷たくなりつつある空気を吸い込めば、新鮮さを感じた。ムサい部屋に閉じこもってままでは脳味噌まで腐ってしまうに違いない。
 テレビで聞いた流行歌を揺れるリズムに乗せて歌いつつ、ジュリアは街の影に消えていった。



 ジュリアが去ってからきっかり十分後、クラウディア=リィナ=イレールアはのろのろと瞼を持ち上げた。

 「ぅぅぅう~~……ン……ぅ」

 ダークブルーの塊がもそもそと動き、秒針が半周する頃になってようやく頭が持ち上がってくる。箸で米粒を摘んで隣の更に移動させるような慎重さ。
 生活リズムなど知らんと言わんばかりの生活スタイルの彼女は、時に早朝に寝て、時に深夜に起きるといったこともしばしばで、今日はといえば単純に寝たかったから寝ていただけだった。
 潜水機の設計の件は聞いていたが、設計は専らジュリアに任せており、どちらかと言えば肉体を使うほうが向いているので手を出さなかった。
 ちなみに彼女の家系は、遺伝子改造によって毒素に対する耐性や、疲労の回復速度、筋肉の質を向上させられている。その影響か、彼女の家の人間の髪は青めである。ただしこの技術は非人道的として現在は使用されていない。
 そこで素朴な疑問が湧くであろう。
 遺伝子的に疲労しにくいなら、なぜグダグダしているのか。疲れなど一日で消えるのではないか、と。
 正解は、遺伝子にでもなく、肉体でもなく、環境でもなく、精神にあった。
 いかに優れた体を持ちようとも、『面倒で動きたくない』などと考えたり『寝るのがもったいない』などとお酒を呑んだり夜更かしするのでは意味が無いのだ。
 のろりのろり。そろそろ。眠たげに欠伸をしつつ頭を持ち上げ、ソファーに座り、手で隠さず気持ちのいい大あくびをかます。

 「んぅ~~~~ッ」



 クラウディアが両腕を上げて伸びをすると、豊満な胸元が更に大きく持ち上げられた。一般的なサイズを遥かに凌駕するそれは、腕を降ろしてもなお巨大であった。
 爆発した髪を手櫛で整え、目元をごしごしと擦ると、両手を股の間に挟んで暫くの間ぼーっとする。寝起きで脳の働きが鈍いのだ。夢うつつで部屋の隅を見つめたまま動かない。
 ふと、壁にかかった時計を見やった後に窓の外を見れば、お昼過ぎだった。
 朝から何も食べずにお昼になったらしい。

 「お腹空いたー」

 なんとなくリビングの向こうにあるキッチンに声を投げるが、反応は無い。ジュリアが居たらうんとかああとか言うはずなのだが、それすらないということは、居ないのかもしれないと判断した。
 クラウディアは、眼にかかったダークブルーの髪を指で払うと、キッチンへと直行し、冷蔵庫から冷凍のピザを出して電子レンジにブチ込んだ。
 電子レンジは長年様式が変わらずにある電化製品の一つだが、最近のだと温めが十秒程度で完了するほど性能が向上している。そのお陰で電子レンジにまつわる都市伝説が爆発的に増えたらしいが。
 レンジが唸ること十秒。
 チン♪
 恐らく数十年は変わってないであろう音。じゅーじゅー喚くピザをあっちあっちしながら取って皿に盛り付け、粉チーズをかけて完成。題名『簡単家庭ピザ(冷凍)』。
 リビングに持っていくのも面倒なので、キッチンで食べる。アツアツピザの一枚の端を摘み、口に放り込んで咀嚼する。チーズとケチャップの味が咥内を満たした。
 全て食べ終えるのに要した時間は二分とかからなかった。
 ピザを包んでいたビニールをゴミとして始末したクラウディアは、ぱむ、と手を合わせ、お皿を流しに置いた。

 「……どうしましょ?」

 そう呟いて、指を口元に当ててリビングに戻る。
 ハルキゲニアを整備しようとも思ったが、新型機を造るために分解されてしまっているので却下。掃除洗濯はジュリアが済ませているに違いなく、暇だった。
 もう一眠りしようかなとクラウディアは思ったが、一日無駄に潰すのも勿体無いと考えて、出かけることにした。たまには友人を訪ねるのも悪くない。
 そのためにもシャワーを浴びてしまおう。
 クラウディアは、誰も居ないのをいいことに服をぽいぽい脱ぎ捨て、下着のみで風呂場に歩いていった。



 今日に限って、大雨が降った。
 散歩に出ていたジュリアは、傘を持っていなかったので街外れの喫茶店に逃げこんでいた。
 窓際席で肘をつき手の上に顎を乗せ、空いている片手で砂糖のみ入れたコーヒーをスプーンでかき混ぜる。無表情で雨の雫かかる窓ガラスを見つめ、コーヒーを一口飲んだ。
 ジュリアの髪が店内の間接照明に優しく照らされている。コートは椅子にかけた。
 木製のテーブルや椅子、シーリングファンに、完全に趣味の品である真空管を使用したスピーカーが音楽を奏でる、モダンな喫茶店―――……『Lost(喪失)』。窓際には万華鏡や人形。壁には地球の写真や絵画が飾られている。
 店名の不吉さとは裏腹に、古き良き地球を再現したようで、居心地が良かった。街の真ん中でポツンと建っているのを見つけられたのは幸運であった。

 「あー……だからか」

 写真のピントが突然合ったように気がつく。
 店名は、人類種の起源地である故郷、『地球』を失ってしまったことを示しているのではないかと。
 納得して頷き、黒々とした熱い液体を一口飲む。コーヒーに詳しくないジュリアでも、とても美味しいと感じた。普段作るインスタントコーヒーとはエラい違いだった。
 真空管スピーカーが奏でるジャズを聴きつつ、コーヒーカップを指でなぞる。鏡面のように磨かれたそれは指に抵抗を与えることすらない綺麗さであった。
 ジュリアが店員の待機しているカウンターを見てみると、いつの間にか地球儀があった。大陸と海の割合が第二地球と比べて全く違う。これも、今となっては実用的な品ではない。地球はとうの昔に消滅しているのだから。
 その店員は緑に近い髪とボーイッシュな服装をしており、双方が重なったことで生まれる存在の曖昧さが店そのものを凝縮して擬人化したようにも思えた。
 店員はジュリアの視線に気がついたのか、人形のように透き通った瞳を向けた。
 心の内部を覗き込まれたような錯覚に心臓が跳ねる。

 「いかがしましたか?」
 「いえ、特には」
 「コーヒーのおかわりはどうしましょうか?」
 「今はいいです」
 「そうですか」

 男なのか女なのか、年齢も分からない、そんな声、そして顔。アンドロイドかもしれないが、髪や耳が人間のそれである以上人間なのだろう。不思議というほか表現できない店員である。
 いつ降り止むとも分からない雨を窓越しに見つめ、コーヒーを一口。
 店のどこかで小銭を置く音が聞こえるや、黒髪と銀髪の男女二人がドアへと歩いていく。

 「ごちそうさま。また来るかもしれないわ」
 「ごちそうさまでした」

 腰まで銀髪を垂らした長身の女性と、黒髪で仙人のように物静かな瞳の男性。
 ジュリアはどこかで見たような気がしてならなかったが、そんなことにはお構いなしで二人組みは店の外に消えていってしまった。からんからんと店内に音が響く。
 体を曲げてドアを見つめたが、二人組みをしっかりと見ることは叶わなかった。

 「ありがとうございました」

 腰を折った店員は、二人が座っていた席まですすすと歩んでいき、手際に皿やスプーンを抱え込み、店の奥に消えた。
 コーヒーを一口、二口、三口、ちびちびと咽頭に流し込む。熱くもなく温くも無く。温度が低くなりつつあるもおいしさは変わらない。
 煙草を吸おうかとポケットに手を突っ込むジュリアだったが、止めた。なんだか無粋な気がしたからだ。禁煙とは書いてなかったが、灰皿が無いところから推測するに禁煙なのだろうし。
 女性歌手が歌を紡ぐのに同調して静かな演奏が流れ出す。聞いたことは無くとも心が落ち着くのを感じる。……これも地球の曲なのだろうか?

 「止まないなぁ………走って帰って即お風呂にしちゃえばいいかなぁ………」

 独り言を漏らすジュリアは、暖色強めの店内から、寒色強めの店外に目を向けた。
 空から降る直線が、街という複雑怪奇な幾何学と衝突して、物理法則に従って散る。
 コーヒーを飲んでいるのに欠伸が出そうなほどにのんびりしている自分に気がつく。カップを降ろし、目元を擦る。
 折角だから、喫茶店で潜水機のことを考えてみようと、コーヒーを飲み干し、視線を彷徨わせる。

 「おかわりはいかがですか?」
 「うわぁっ!? ………あ、下さい」

 気配も無く背後に忍び寄っていた店員が、ぼーっとして動かないジュリアに声をかけた。
 幽霊に肩を叩かれたように驚愕の声を上げてしまうジュリア。驚きに眼を見開き、キョロキョロして音源を探し、背後だったことに二度驚愕するも、おかわりをお願いする。

 「かしこまりました」

 店員は微笑みと無表情の中間の顔で頷き、ジュリアのカップを手に店の奥に歩いていく。
 彼――あるいは彼女は、女性のようで男性のようで、綺麗。丁寧に切りそろえられた髪型は、傷一つ見当たらない髪質を誇示するようで。

 「……得体の知れないってヤツか………穴場というかなんというか……」

 ぼそり。感想を。
 コーヒーが来る間、飲むものが無いので、独特の色を見せる木製テーブルを観察してみる。黒ずみつつも、合成の品では絶対に出せない色合いで、触れるとゴツゴツしつつも時間によって研磨されているのがよくわかった。
 店内は白熱電球が醸し出すしっとり優しい光で満たされている。
 欠伸をかみ締め、人気の無い窓の外を見やった。
 うねるダークブルーの髪に、服を押しのけて主張する胸、見慣れた顔の人が、走ってきていた。
 ジュリアは言った。

 「クラウディア?」

 からんからんっ。
 入店。ドアが乱暴に開かれた。
 雨に多少濡れた髪、肩。ほっと息をつくのは、ジュリアの相棒であるクラウディアに間違いなかった。雨宿りのつもりで入店したのだろう。

 「いらっしゃいませ。お好きな席に、どうぞ」
 「あら、ありがとう店員さん」

 手馴れた口調で店員が声をかける。
 片手にジュリアのコーヒー、片手に白タオル。タオルをクラウディアに渡し、カップの水面を揺らすことなく、静かにジュリアの方に歩いてきて、おかわりのコーヒーを置いてカウンターに戻っていった。
 店員を眼で追っていけば、当然、ジュリアが座っているところが眼に入るわけで。
 ジュリアは出来る限りの速度で顔を背けたが、既に手遅れであった。
 クラウディアは両手をぱむと合わせた。

 「あら」

 タオルで髪から水分を取り、水滴のついた肩をさっと一拭き。
 店員にお好きな席にと言われたクラウディアは、るんるん楽しげに歩いていって、ジュリアの向かい側、同じテーブルに座った。
 ジュリアはどうしてこうなったと頭を抱えたくなった。

 「ひゃっほー?」
 「……………」

 淹れたてコーヒーを飲む。嗚呼美味しい。実に美味しい。家で入れるのとは一味も二味も違う。プロの味だ。
 ニヤニヤ笑う相棒を、目つきを悪くして見返す。赤い瞳で睨むと迫力があるはずだが、この女には通用しない。
 クラウディアは店をざっと見回し、白タオルを机の隅に置いた。

 「これは偶然?」
 「そーよー? 友達のところに遊びにいった帰りに、雨に降られて逃げ込んだ先がここの喫茶店だったの。神様も粋なことをするわよねー♪」
 「……その神とやらを恨むよ」
 「あー、店員さん。濃いカプチーノ頂戴ねー」

 ムスっとした表情でコーヒーを啜るジュリアをよそに、クラウディアは手をカウンターの方に向けて注文した。店員が頷いたのを確認し、水っ気を含んだダークブルーの髪を指先に絡める。
 丁度、真空管スピーカーから流れる音楽がアップテンポな曲に変わった。男性歌手が掠れた低音で歌を紡ぎ始める。
 クラウディアは、壁にかかった写真や、真空管スピーカー、その他の品々をじっくり時間をかけて見回し、唇に指を触れさせた。ボリュームのある唇がふにと形を変えた。
 店内に漂うは、コーヒーや紅茶や、甘いものが交じり合った特有の匂い。

 「素敵じゃない。彼氏と来たいわぁ」
 「居ないクセにねぇ」
 「ジュリも居ないじゃないの~?」
 「一生独身で何が悪い」
 「もう、拗ねちゃって」

 独身女性同士の談話。
 なんだかんだで嫌そうじゃないジュリアと、くすくす笑うクラウディア。
 ショートカットと、ロング。二人とも客観的に見れば美しいもしくは可愛い部類なので、絵になる光景であったが、そんなことは今関係の無いことであった。
 軽快なピアノをBGMに話をしていると、忍者もこうはいかまいな静けさで近寄っていた店員が、朝霜のように白いクリームを乗せたカプチーノをクラウディアの前に置いていた。
 カップの中には、カプチーノを利用して文字が描かれており、『LOST』と読むことが出来た。お丁寧にピリオドまで打ってある。
 クラウディアは早速飲もうとしたが、ぴたっと手を止めてカプチーノを指差した。ジュリアがカップを置き、覗き込む。
 白い面に、やんわりと茶色の線が引かれている。
 ジュリアはほうと感嘆の息を漏らした。

 「ラテ・アートとは、ここの店員も粋なことを……」
 「LOST? ……ジュリちゃん、ロストって?」
 「店名だよ。あとジュリって言うな」

 慌てて駆け込んだので店名を知らなかったらしい。
 クラウディアは文字を眺めていたが、やがてカップを手に取った。
 ラテ・アートはラテ・アート。額縁に入れて飾る類のものではない。飲まないと、冷めて美味しさを損なってしまう。クラウディアは一口飲んだ。
 舌で突けばすぐに消える牛乳の泡が咥内に流れ、濃厚なカプチーノと混ざり合って、芳醇な香りと味を届けてくれる。ただのコーヒーでは味わえない風味に、クラウディアがほっと溜息を漏らす。

 「潜水機の件はどうなったかしらん?」
 「妙なイントネーションで喋るのを止めろ。潜水機の件は、順調っちゃ順調かな。変形機構に関する部分で詰まってるだけ」

 クラウディアが口元に纏わりつく泡をエロティシズムを感じさせる動きで舐めつつ、わざとふざけた口調で喋る。
 ジュリアはコーヒーをごくりと飲み、答える。スプーンでコーヒーをかき混ぜた。

 「変形ってのは、作業形態と高速移動形態の二種類なんだけどさ、……どう思う?」

 正直な話真っ当な答えを期待してないが、一応聞くだけ聞いておいたほうがいいだろうと、意見を求めてみた。
 クラウディアもごくりとカプチーノを飲み、カップの側面に爪をこつこつ当てた。

 「いいんじゃない?」
 「理由は?」
 「カッコイイじゃない、じゃきーんじゃきーん、ずばばーんって」
 「………」
 「冗談を抜きにしても、ジュリアがいいならいいんじゃない?」
 「……ふーん……」

 意見といえば意見だが違うといえば違う『意見』に、頷き、残り少ないコーヒーをぐっと飲む。黒い液体が咽頭に温度を与えながら胃に達し、熱さを感じた。
 手で『じゃきーん』を表現したクラウディアは、元々量の無いカプチーノをまた一口飲んだ。
 二人は、何故か同時に時計を見た。
 店の中央に据え付けられた大きな柱時計が、時刻が四時を過ぎたことをカチコチ伝えてくれた。
 唐突に、クラウディアが窓の外を指差した。

 「見て、ジュリ」
 「ジュリと……止んだ。雨が止んでる」

 会話に夢中(?)で気がつかなかったが、予期せぬうちに雨は止んでいたらしい。店の雨どいから水がぽとぽと地面に落ちている。地面に張り付いた水溜りは平穏で、波紋は無い。
 雨後の空気は靄がかかっているように感じられた。
 雨が降っていないなら、濡れずに帰れるではないか。
 ジュリアはぐっとコーヒーカップを持ち上げて飲み干すと、スプーンをカップに入れた。からん。寂しい音が店内でジャズ演奏と混ざる。

 「帰ろう」
 「ゆっくりしたかったのになぁ……」

 残念そうなクラウディアであったが、ジュリアに従ってカプチーノを飲み干し、自分の財布から二人分のお金を出してテーブルに置いた。
 ジュリアは何のつもりだとクラウディアを見遣った。

 「おごり♪」
 「借りを作ったつもりならそりゃ間違いだからな?」
 「あん、冷たいんだから。お姉さんが善意で払うだけなのに」
 「……ありがたく受け取っておくよ」

 漫才を展開してるうちに一雨来たら意味が無いので、素直に奢られておく。
 二人は席を立って、それぞれが椅子を戻した。
 ジュリアは椅子からコートを取って羽織ると、クラウディアを連れて歩いていく。

 「ありがとうございました。またいらして下さいませ」
 「ごちそうさま」
 「ごちそうさま~」

 二人は、コーヒーミルでコーヒー豆を砕きながら会釈してくる店員に感謝の言葉を述べると、店を出て家路についた。
 からん、からん。
 店が静けさを取り戻した。


            【終】


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  • 誤字報告ダイバーズシェル2の8話喫茶店の名前がrostになってる部分が…ついで無印の一話辺りエトという名前が・・・ - 御神 2010-04-28 01:53:14

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