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第七話 「猫と女は」

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ParaBellum

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『Diver's shellⅡ』


 第七話「猫と女は」


 第二地球暦148年 11月7日 



 この日、雪が降った。
 そしてこの日、オルカ=マクダウェルは困惑していた。
 何故ならこの日、とある少女が孤児院を訪ねて来たからである。
 少女の名前はクー。肩からずり落ちそうなデザインの服を着て、髪の毛から水が滴るほど濡れた彼女が、孤児院裏口のドア正面に立っている。三つ編みにした髪は水場に投げ込んだスポンジのよう。
 唖然とするオルカを目の前に、クーは冷えた片手を差し出した。

 「食べ物」

 つまるところ、お腹が空いていたらしい。



 幸い、お風呂の入り方は分かっていたらしかった。
クーをお風呂場に押し込んだオルカは、着替えを洗濯籠に投げ入れた。ずっと洗っていなかったような汚れ方だった。
 雪ということもあり、孤児院で暮らす幼い組は外で遊んでいる。その他も、半分近くが外で遊んでいるようだ。これは洗濯物が大変そうだとオルカは思う。
 洗濯機がいくつか並ぶ部屋。洗濯籠の中を覗き、そのまま洗濯機に放り込む。明日も降り続くとなると乾燥機が必要かもしれない。
 部屋から廊下に出ると、歩いて共同のお風呂場に。決して広いとは言えないその場所から、水音が喧しく響いている。シャワーの音だ。

 「タオル置いておきますね」

 扉越しに聞こえるかは分からないが、一応声をかけつつバスタオルを脱衣所に置く。すると扉を撫でるような弱い力でノックが返ってきた。
 オルカは部屋を出ると、孤児院の中で一番広いリビングに向かう。こちらもけして広くは無い。薄青色の寂しい壁紙と、古ぼけたソファー、机と椅子、音楽プレイヤー、その程度しか目ぼしいものが無い殺風景さ。

 「……おや」

 ソファーの上で子供が寝ていた。ピンク色のボールを抱き枕のように腕で拘束し、無邪気な寝顔を晒して、肢体を投げ出している。
 風邪をひいては大変だと、手ごろな毛布を出してきて子供の体にかけてあげる。
 オルカは椅子に座って、机の上に放置されたままの雑誌を引き寄せて読み始める。情報誌。今時の情報に乏しいオルカにとっての貴重な情報源である。
 雑誌を読みつつ、何か忘れていないかと首を捻る。忘れてはならないことを忘れているような気がしてならないのだ。しかし、どうにも思い出せず、時間だけが経過して。
 ―――ひた、ひた、ひた、ひた、ぴた。
 音がしたので後ろを振り返ってみれば、忘れていたことを思い出す。

 「私の服は?」

 そういえば、洋服を洗濯機に入れてしまったのであった。
 つまりさっき自分がお風呂に押し込んだ少女は着るものが無く素っ裸……。

 「あ、あぁぁ……ごめん、今用意するから……えーっと、待ってて」

 シャワーで火照った白い身体は赤みを帯び、未成熟な手足足腰を眼前に晒す。三つ編みを解いており、髪の量は想像の斜め上をいくほど多かったので、危ないところで胸は見えなかった。
 本人に下半身を隠す知識はあったらしいのだが上半身を隠す知識が欠損していたらしい。白いバスタオルは腹部から腿を隠しているだけ。髪がなかったら見えていたところだ。
 ロリコンじゃないオルカでも、女の子の体を直視することは憚られる。よって、緊急防壁として片手でクーの体を見えないようにして、部屋から小走りで出た。

 「参ったな……余分な服、余分な服……? あったかなぁ?」

 敬語が飛んだ。
 孤児院にだって幼い女の子は居るが、余分な服が有るかと言ったら不明。オルカはクーの服をどうしようか考えつつ、とりあえず自分に割り当てられた部屋に直行し、自分の昔の服を引っ張り出した。
 ジャケットにジーンズ。やや大きいがクーが着る分には問題は無いと考え、また小走りでリビングに戻った。

 「くちゅん……ッ」
 「ごめんごめん。コレでよければ着てくれるかな、クーちゃん」
 「……クーでいい。ちゃんはくすぐったい」

 案の定、くしゃみをして体を震わすクーが居た。
 オルカは後ろから走り寄ると、服を手渡し、気まずいのか両目を天井でブンブン飛び回る小虫に固定した。ロリコン趣味は無くても女性の裸を直視するのは紳士的な彼には難問だったのだ。
 確かに孤児院にも小さい女の子がいるが、担当するのは女性の職員だったのだ。
 もぞもぞ衣擦れ数十秒。もういいかと眼を戻せば、かつてオルカが着ていた服に身を包んだクーがこちらを見ていた。大きすぎたのか袖から指がちょんと覗き、ズボンが垂れて床を擦りそうだ。
 それがどうしたと言わんばかりの堂々たる態度のクーは、孤児院に訪れた時と同じように手をずいと突き出した。

 「ご飯」



 一方その頃、ジュリアは時間を持て余していた。
 機体の整備は終了、引き上げた品は売った、炊事洗濯はしてしまった、クラウディアは知り合いのバーにお手伝いしに行くといったまま帰ってこない。何のバーかって? 知ったことじゃない。鉄の棒を支えにダンスしてようが知ったことじゃない。
 ジュリアに趣味といっていいような趣味は無く、あるとすれば漫画やゲームをするくらいしかないのだが、家にある漫画やゲームはやりつくしてしまっており、暇なのだ。
 空間に投影された画面でアナウンサーがニュースをまくし立てるのを虚ろな眼で見つめ、自身の体が居座るソファーの上で伸びをしつつ、染み込むような寒気に脚を胸元に抱え込む。
 半分近くが灰となった煙草を灰皿にねじ込み、欠伸。
 ネオ・アースは地球とほぼ同じ環境に改造されたが、唯一改造しきれなかった部分がある。それは、公転周期がやや長いということである。
 地球では12ヶ月だったが、ネオ・アースでは13ヶ月がある。一日の長さを引き伸ばすわけにもいかず、13ヶ月が公式に認められているが、12ヶ月を一年として年齢を計算する地球の習慣と衝突し、『いつが誕生日なのか』分かりにくいという事態が発生した。
 そんなこともあって誕生日を祝う習慣は消失したのだが、今はそれについてではなく、季節について語るべきである。
 地球で11月なら(南半球は違うが)雪が降る可能性が高いのだが、ネオ・アースの場合11月に雪が降ることは珍しい。
 ジュリアの赤い双眸がカレンダーを間違えたような雪を見つめ、ぱちりと瞬きする。気温が高め故に積もらないと想像がついた。
 散歩……するにしてもどこに行けばいいのか思いつかない。遊び……遊び方を知らない。仕事……クラウディアが居ない。

 「あ゛~~~~~~~~~~…………………はぁ」

 暇を持て余した独身女性の大あくび。
 ソファーに住み着いた毛布を引き寄せて被ると、瞳を閉じてすうすう寝息を立て始めた。暇だから寝てしまおうと、短絡的ながら合理的な選択であった。
 ジュリアが寝入って数十分後。乱暴にドアをノックするものがいた。その無遠慮な音は徐々に大きくなっていき、途中から嫌がらせのように呼び鈴を連打し始めた。
 たまらずジュリアがむくりと起き上がり、来訪者に怒りをぶつけんと、床を踏み鳴らすような歩調で玄関に向かった。ドアノブを引っつかみ、引き抜くように開ける。

 「うるせー! 誰だよ!」
 「遅いぞ弟子よ!」
 「…………」

 ドアを開けてみれば、見知った人物が腕組みをし、妖しい笑みを口元に装備して仁王立ちしていた。
 ゆったりした薄手のコートとスカートに、高そうなブーツ、理知的な印象を与える銀フレーム眼鏡、見事なまでのブロンド髪の左右で少しづつ結った女性。彼女の名前は『アイリーン』。ダイバーであり社長でありジュリアの師匠である。
 尊大な態度で、身長は余り違わないのに頭の仰角を上にして見下すような目線を送ってくるアイリーンに対し、ジュリアは、例えるなら母親がコスプレを始めたことをブログで知った息子のような疲労した顔を作った。

 「あー、師匠………ご用件は?」
 「折角師匠が来てやったというのに、随分な弟子が居たもんだとは思わないか?」
 「言っておくけどコーヒーも紅茶もお酒天然水も切らしてる」
 「寒いから入るぞ!」
 「……どーぞどーぞ」

 眠いときに限って来客があるものだ。女と猫は呼んでいない時に限って来訪するものなのに違いなかった。
 気だるい体を引きずって師匠を家の中に招きいれ、チラとドアの外で雪が舞っているのを見、自分も中に戻る。暖かかった室温を外気が非情にも連れ去っていった。
 アイリーンは舞台上で踊る役者かくや、リビングに入りながら右に一回転すれば、もう一回転して後ろから続くジュリアに手を伸ばした。もちろん無視してリビングのソファーに座った。
 無視されたことはお構い無しに、ジュリアが座ったソファーに腰掛ければ、ずり下がった眼鏡の端に指を添わせて持ち上げた。

 「今日、こんなむさ苦しい家に来たのは他でもない。提案があるんだよ、私にはな!」

 また始まったよ。肩をすくめるジュリア。ショートカットが揺れる。
 師匠……アイリーンの言動がこんなんだったり、擽り地獄にかけられた昔話とか、男に興味が無いレズビアンだったりとか、そこらへんから容易く予想出来るだろうが、言っておかなければならない。
 変人である。アイリーンという女性はまごうことなき奇人変人である。お金持ちの家に産まれながらも、ダイバーになるといって家を飛び出し、成功を収めて、今はダイバー兼会社の社長をやっている。年齢は不明である。
 その会社が何かと言ったら、『アンドロイド』関係の会社である。ただの会社ならいいだろう。ただの会社じゃないから変人扱いされるのだ……要因はそれ以外にも山積しているが。
 アイリーンが社長を務めるのは、愛玩用アンドロイドの製造、販売、修理、改造、それらを一手に引き受けるそれなりに大きい会社。
 アイリーンは両手を大きく広げてジュリアを見遣った。

 「モデルにならないか?」
 「お断りします」

 提案をにべもなく跳ね返す弟子に、師匠はニコニコ笑ってみせ、広げた手を降ろし、直行で弟子の肩に手を置いた。鳥肌が立つ。

 「お堅いなー弟子よ。それが駄目なら一晩一緒のベッドで寝ないか?」
 「私はノーマルだ!」
 「新たな道を開発してみれば、新世紀が見えるかもしれないのに?」
 「……それなら旧世紀で結構」
 「残念だよ~」

 ジュリアはアイリーンの手を払いのけると、ソファーに体重を預けた。
 愛玩用アンドロイドの会社でモデル―――……考える必要も無く、アンドロイドのモデルということである。自分と同じような顔や体型のアンドロイドが街を闊歩し、愛玩用としてご主人様にあれこれされているなど、あってはならぬのだ。
 想像するだけでゾッとする。街で鉢合わせになったらなどと考えたくも無い。
 一方でアイリーンの方は、ジュリアが拒否することを予想していたらしく、きっぱりと話を止めていた。
 ジュリアはアイリーンが髪の毛を手で弄るのを見つつ、質問する。

 「ってか師匠、今日はこのために来たわけ?」

 ソファーにゆったりと座ったアイリーンは頭を傾けた。

 「暇だからな、私は」
 「嘘をつけ」
 「ふん。仕事など当の昔に済ませてあるわ。優秀な部下が居ればどうとでもなる」
 「ふ~ん……」
 「そうだ、私があげた潜水機はどうした?」

 指を一本上げて質問してくるアイリーンに、ジュリアは首の骨を鳴らしながら答えた。

 「ピンピンしてる……と言いたいけど、潜水殻は軋むはスラスターは止まるわで、ボコボコ」

 潜水殻とは、潜水機の胴体部のことであり、操縦席を始めとする生命維持装置や電源などの重要な部位を耐圧構造で防御している場所で、ここが軋むとなると交換か大規模な補強が必要なのである。
 ジュリアが遠まわしにフレームを買い換えるか新しいのにしたいと匂わせてみると、アイリーンはあっさりこう言ってのけた。

 「いいんじゃないか?」
 「え」
 「ただし!」

 一瞬、何が起きたのか理解出来なかった。
 ぶん殴られたように視界がブレてソファーに背中が叩きつけられた刹那、眼前をふわりと金糸が占領したかと思えば、アイリーンの眼鏡のレンズと鼻先がぶつかるほど超至近距離にまで迫っていた。

 「隙あり!」

 背筋が総毛立つ。師匠はレズビアンであることをはばからないと同時に、行動を自重しないとんでもない女性である。自重せず顔を寄せているのだから、防御せねば純情が危険だ。
 本能的に手で口を塞ぐ。
 本能的に唇を寄せる。
 本格的に払いのけんとする。
 本格的に舌で咥内をかき混ぜようとする。
 絶対そうはさせんと、もがく。
 絶対奪ってやると、眼を爛々と輝かせて迫る。

 「うぐぐぐぐぐぐ……、この、変態、変態……、変態……!」
 「くっふっふっふっふっ……! 大人しく頂かれるがいいよ……!」
 「アホか! 私はノーマルだとあれほど!」

 ジュリアはノーマルである。このときのノーマルとは、恋愛等の感情が異性に対してだけ向けられることを指す。しつこいようだが、彼女はノーマルである。
 ジュリアの上に陣取ったアイリーンは、どこに力をこめているかも分からぬ細腕を駆使して邪魔な手を横にどけると、頭を振って眼鏡を落とし、柔らかな唇に唇を寄せた。
 アイリーンがジュリアの動きを封じるために片膝を脚と脚の間に差し入れる。
 静かながら熾烈を極めた戦いは拮抗状態。ジュリアが師匠の肩を突き飛ばそうとすれば、アイリーンはそれ以上の力で攻め寄ろうとする。
 とうとう唇という強固な城門が破られ、舌という凶悪な大蛇の侵入を許してしまう。

 「……ぅ」

 ―――……這いずり回る。ザラつく舌が咥内を蹂躙し、口の端から唾液が流れるほど攪拌され、脳髄を焼くような刺激に身を捩るが、どうしても逃げることが出来なかった。
 しかしジュリアは、一般で言うディープキスを受けつつも、思考の一端であくまで冷静であった。逃げ出す機会はある。師匠とはいえ女性。男性のような腕力は持ち合わせていないのだから。
 舌を吐き出そうとするが、ずいずい特攻を仕掛けてくる侵入舌の前に、押されてしまい、存分に『愉しまれて』しまう。
 ちゃぷちゃぷ、くちゅくちゅ、そんな、18禁指定を受けても不思議ではないむしろしろな音が部屋に蔓延する。ジュリアの口からとろりと唾液の糸が流れてソファーを湿らす。瞳もどこか虚ろになりかける。喉からくぐもった声が漏れる。

 「……ん゛ん゛~……ッ、ぅぅ……」



 抵抗の気配を失いつつある――あくまで外見だが――ジュリアを満足げに見つめたアイリーンは、彼女の髪の毛を指で梳き、その手で胸元を弄ろうとして――。
 ―――……ゴスッ!
 引き絞られた弓から放たれた矢が如く、硬い拳がアイリーンの腹部に突き刺さった。たまらずジュリアの上に崩れ落ちるアイリーン。
 ジュリアは、けほけほ咳をしつつ、上に乗ったままの師匠をソファーの下に叩き落として立ち上がり、服の袖で口元を乱暴に拭って清めた。顔は真っ赤。赤い眼に涙。髪はボサボサで。

 「……さ、流石我が弟子だ……世界を狙える拳だったぞ……!」
 「やかましい!」

 アイリーンは、腹を抱えたまま右手を天井に向け、親指を上げてジュリアにウィンクを送る。鳩尾に命中したのか、右手はかたかた痙攣していた。眼鏡は寂しげに床の上。ブロンド髪も、哀れかな、乱れ髪。
 実はジュリアには、口の中に舌を入れられた経験が以前にもあった。誰か。アイリーンである。
 口の中に舌が入ったとすれば、唾液を飲み込んだ恐れがある。うがいでもしよう。
 家の中にアイリーンという爆弾を置いておくわけにもいかないので、襟首を引っつかみ、強引に玄関へと持っていく。

 「酷いぞ、これは人権侵害だ」
 「へいへい、そういうことは警察か裁判所でお願いします師匠。ということで、潜水機を変えるのに賛同したととるんで、よろしく」
 「いいだろう。最後にもう一つ」

 両腕を引っ張って立たせ、玄関の外に追い出す。アイリーンは鳩尾を撫でつつ、得意げに人差し指を立てた。いつの間にか眼鏡をかけていた。

 「モデルにならないか」
 「二十年後でなら」
 「それじゃいかん。若さはだなっ」

 アイリーンに語らせたら、一時間二時間と時間を潰し、来週の為に読んでおくべき宿題の本と論文をどうのこうのになりそうだったので、ドアを強制的に閉めて鍵をした。
 厄介な師匠だとつくづく思う。悪い人ではない。ただ、変人で、自分がハイレベルなセンスを持っている(と思い込んでいる)レズビアンなだけだ。
 だが、潜水機を買い換えてもいいと承諾を得た。
 明日にでも設計関係を始めよう。
 ジュリアはソファーに座って脚を組み、ついでに腕も組んだ。口元の汚れは落ちきっていない。

 「………」

 とりあえず、口をゆすぐところから始めよう。
 ジュリアは立ち上がり、リビングから姿を消した。
 雪は徐々に止みつつあった。



 お昼もとうの昔に過ぎ。
 むぐむぐむしゃむしゃごうごう、とオルカの手料理を片っ端から平らげていたクーは、食事が終わると小動物を髣髴とさせる丸まった体勢でソファーで寝始めた。
 寝ているのに無理して起こすことも出来なかったため、夕方になるまで待つしか手が無かった。
 クーは時計が時間を告げる音でぱちりと眼を覚ますと、ソファーで猫のような伸びをしてオルカの方に歩み寄る。髪の毛を三つ編みにしてないせいか、驚くほど豊かだというのが改めて分かった。
 リビングの机で帳簿をつけていたオルカは、とてとて歩いてくるクーを見るや、立ち上がってシャーペンを置いた。

 「帰る? それとも、ここで生活……」
 「嫌。迎えがきてる」

 クーは髪が揺れない程度に首を振って、リビングの大窓に細い指を向けた。オルカが眼を向けてみれば、空色の瞳と、真っ黒の毛並みを持つ猫がこちらを興味深げに覗き込んでいた。
 クーが手を振ると、猫は玄関のほうにとことこ歩いていった。無言の会話があるようだった。

 「ねぇ、この服ちょうだい」
 「……あー、ところであの猫がお迎え?」
 「ん。家族。洋服ちょうだい」
 「それでよければいいけど」

 この少女は自分達が住む世界とは違う次元に居るのかも知れないと額に汗を浮かべるオルカ。猫と会話が成立しているとしか考えられないのだ。猫の化身でしたと言われたら信じてしまいそうだ。
 それはそうとして、ダブダブの服でもいいのかと考えたが、この少女なら大丈夫だと根拠無き納得をする。
 クーを玄関まで連れて行き、ドアを開けると、案の定黒猫がお座りして待機していた。ちらつく雪にもめげずに青い瞳でクーを見つめ、警戒した様子でオルカを眺める。

 「ばいばい」
 「うん、またね」

 短くさよならの挨拶を交わす。
 手首だけ左右に振るバイバイはクーで、腰を落として手を振るのがオルカだ。
 猫に連れられて街に消え行く彼女を見つめ、空を見上げてみれば、肌を緊張させるような冷気があった。雪はにぎやかさを失いつつあったが、十分に冬の訪れを人間に表現したのだ。
 一足早い冬の来訪は、猫にとって厳しかったのではとオルカは考え、微かに笑った。

 「……あ」

 そして、少女が去ってから思い出し、玄関で棒立ちとなった。
 彼女が着ていた服を返していなかったのだ。


          【終】


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