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これは人間ではありません

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匿名ユーザー

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 新薬の開発やら新しい手術方法の確立やら、そういった医学の発展のためには、どうしたって人間を使った治験がいる。
動物実験という方法もあるし、それは当然行われているのだが、
やはり人間と他の動物とで違う部分というものはあるからだ。
これは別に、人間は万物の霊長だとか崇高な特別な存在だとかいうわけではなく、
単に種類の異なる動物には違いがあると、それだけの話だ。
例えば、豚用の薬を開発しようとしていて、犬を使った治験だけで満足な結果が得られると考える奴は
―――少なくともそんなことを任されるような人間の中には―――いないだろう。
 だがそうは言っても、やはり治験のためのいわば実験台となる人間というのは、なかなか数をそろえるのが大変なもので、
革新的な、すなわちどうなるか分からない要素の大きいことをする場合には特にそうなる。
 そこでこう考えて実行した人間がいたわけだ―――
再生医療の技術を使って作った人間の各部器官を“パーツ”にし、コンピューターでそれを維持するロボットを作って、
そいつで治験を行えばいい、と。
言ってみれば脳をコンピューターに置き換えた人造人間を使って人体実験をするようなもので、
なぜ脳が機械ならばそれは人間ではないとみなせるのか、
例えば、人間の腸には人間としての尊厳とか存在意義とかの、
そういった人間として認められるための資質みたいなものは無いのかという意見は無かったのか気になるところだが、
人間が人間であるところの理由、もっといえば人間を人間たらしめる要因は、
精神的活動、つまり脳の機能にあるという考えが全ての前提のように存在していたのだろう。
そう考えてみると、ピルトダウン人の正体を見破れなかった学者のことをあながち笑えないのかも知れない。

 とりあえず、この“ロボット”は広く受け入れられた。そして好評をはくした。
なにしろ人間と同じ体なのに、人体実験をしていることにはならないのだ。
それに生物というわけでさえないから、動物愛護という観点からも都合がよかったのだろう。
ラットに何か注射するより、このロボットを切り刻む方が倫理的問題が無いのだ。
医療関係者なら、それは飛び付くだろう。そして医学の進歩のため邁進した。
工業関係者や軍事関係者にもこのロボットは重宝された。安全性や殺傷性能を“実際に”確かめられるのだ。
こういったわけで、このロボットは大きな需要を得、人類の発展の速度を上げるのに貢献した。

 こうして人間は“合法的な人体実験”の手法を手に入れたわけであるが、
それを可能にした“ロボット”に、全く注文を付ける余地を見出さなかったのか、というとそうではない。
すなわち、“人間”には感情も思考も思想もある。それら精神活動が、人体に与える影響はどうだ?
例えば、同じ病気で同じ治療を受けていたとして、
「貴方は重病です、治る見込みはほとんどありませんが、可能性は0ではありませんから治療しましょう」と言われたのと、
「苦しいでしょうが、現代医学なら十分治せる病気です、頑張って下さい」と言われたのでは、
果たして結果は同じなのか違うのか?
そんな疑問にこたえるための実験もしたくなって当然のところで、実際ずっとそれはしたかったのだろうが、
情報技術の発展によってAIの性能が上がることで、ようやく現実にそれを行うことが可能となったわけだ。
そうなれば当然、それは実行に移される。だがここで、別の問題が持ち上がった。

 人間の精神活動を模擬できるということは、当然苦痛を感じるわけだ。
人間と同じ精神活動を行うものが、人間と同じように感じる苦痛を与えられるということを、
果たして看過してよいものなのか?
だがしかし、このロボットを使った実験開発はもはや人類の発展のために欠かせない要素となっている。
いまさらそれをやめて停滞を受け入れることなど出来るのか? 人類は発展し続けなければならないのだ。
喧々諤々の議論が戦わされ続けた。意見は百出した。そして結論という名の対処法が生み出された。
すなわち、低性能なAIや、わざと“苦痛を与えられても仕方のないような人格”にプログラミングされたAIを使えばよいのだ。
これは全く完璧な回答に思われたが、しかしここにも落とし穴があった。
つまり、やはり高性能なAIを搭載したロボットで実験をしたいもので、
すると“苦痛を与えられても仕方のないような人格”のAIの作成が主流になるところだが、
さて、ある人格なんてものをそううまく個々の要素に分解してプログラムとして構成する、なんてことがそうそう出来るのか?
実際、“善良とみなすべき人格”のAIというものをつくってしまう、という事例も多々あった。
そこで、出来てしまった“善良な人格”のAIはどうする。廃棄するか。いや、そういうわけにはいくまい。
なにしろ、そもそもそれを与えられるべきではない存在に苦痛を与えるわけにはいかない、というのが事の起こりなのだ。
そしてまた結論という名の対処法が生み出される。
つまり、出来たAIはとにかくロボットに搭載し、後から人格を判定し、
保護されるべきとは見做されないロボットだけを実験に供するのだ。
言い換えれば、保護されるべきと見做されるロボットには人権に準ずる基本権があるとされ、
このいわば“準人権”を持たないロボットは、人類の発展の犠牲にされて当然、ということだ。
これでひとまずの決着を見た。

 それでも人間の飽くなき向上心というものには歯止めがかけられないもので、この結論にも不満が寄せられた。
つまり、判定に時間がかかり、また、実験に供されるロボットの数がどうしても少なくなるのだ。
時間がかかるのはやむを得ないとして、数の方は増やせないか。
もっと具体的な方策を言えば、“切り捨てる基準をもっと下げられないか”。
しかしそれには抵抗があった。そんなことは簡単には出来ないと。
そこで代替案が探される。ロボットの代わりに苦痛を与えられても仕方のない人間、例えば死刑囚を使うのはどうか。
これは受け入れられた。
思い起こして頂きたい、そもそもこの、「“善良なるロボット”は実験に供せない」という問題はどうして起こったか、
さらに言えば、何故“善良なるロボット”に苦痛を与えるのは忌避すべき事項で、
“善良でないロボット”には人類の発展のために苦痛を与えてよいのか。
それは結局、人間的な価値の基準となるものは精神であって、その器が何で出来ているかではないからではないか。
ならばだ、精神の器が人工的につくられたものであるのか、自然発生したものであるのかが、
精神の善悪の前にどれだけの意味を持つというのか。
むしろこの問題に直面したことで、人類は純粋な精神の向上というものに初めて本当の意味で向き合えたのではないか。

 さて人類はますます発展していく、その速度をさらに上げつつ。
 だからもし、あなたがプログラムによってつくられた人格を持っていなかったら、
高邁な人格をプログラムされたものに負けぬ精神を持ち続けるよう、常に気を抜かないことだ。
 それが出来なければ、ある日ドアを叩いて入ってきた人間があなたを指してこう言うだろう、
「これは人間ではありません」。

                              ―――了―――

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