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ビューティフル・ワールド 第二十一話 雨

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匿名ユーザー

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パラべラム × ヴィルティックシャッフル


まるで時間が停止したかの様に、二人は互いの顔を見つめあう。見つめる事しか出来ない。

リシェルも、そしてマシェリー……レインも、両目に映る人物の存在を信じる事が出来ない。いや、両目はしっかりと捉えている。
しかし頭が、心が、これは幻ではないかと思ってしまう。それも無理は無い。

マシェリー側からすれば、長年行方を追って自らの人生までも半ば犠牲にしてまでも再開したいと願った相手に、こんな所で出会えたからこその否認である。
こんな場所で出会える筈が無い、巡り合える筈が無いともう一人の冷静な自分が否定する。だが、幾ら否定した所でリシェルが―――――――姉が目の前に、いると。
リシェルからすれば、もう二度と出会う事が無い、出会える筈が無いと思い込んだ相手に、こんな所で出会えたからこその否認である。
心の奥底ではいつか再会したいと願いながらも、重ねてきた悪行の中でもう出会えるチャンスも資格もないと諦めていた。それ故に、リシェルは思うのだ。
こんな場所にレインが――――――――妹が目に前に、居る筈がないと。

このリシェルとレインという姉妹、歩んできた人生はまるで違うが、一つだけ確かな事がある。
それは、お互いに生きる目的は違えど、生き別れてしまった唯一の血縁者との再会を心から望んできたという事だ。

レインは言うまでも無く、リシェルと再び出会う事だけを生きがいとしてきた。その為ならばどんな毒を啜っても生き抜いてきた。
リシェルはライオネルとの悪事――――――――他者のオートマタの強奪事件を引き起こしていきながらも、心の内で長年ある思いを秘めてきた。
彼女は自分の存在はとうの昔に死んでいると思っている。故にライオネルの目的に同調し、悪人として、犯罪者として生きる事にした。
だがその思考の端々で、リシェルは常々考えている。一度だけ、一度だけでも良い。レインに会いたいと。会って、謝りたい。一人ぼっちにして、ごめんねと。

そんな両者が、神の悪戯なのか、それとも親切なのか、レイチェルで再会した。思い掛けない、青天の霹靂としか言いようのない出会いだ。

そうして、場面は最初に戻る。リシェルも、レインも、呆然と互いを見つめている。

「お姉……ちゃん?」

最初に口火を切ったのは、レインの方だ。ポカンと開けた口でレインはそう言った。
惚れ惚れする様な、肩まで伸びる透き通る白い髪の間からは、レインとの姉妹の証とも言える琥珀色の大きな瞳が覗いている。
見間違いかと最初思った。しかし今はハッキリと、それは無いと言える。数えきれない位長い間、探し続けていた人が、目の前にいる。

「レイン……なの?」

大きな瞳を見開いて、ボソリとリシェルはそう呟いた。信じられない。幻でも見ているのではないかと。
だが、例え数えきれない位月日が経ち、外見が著しく成長していたとしても、リシェルには目の前の人物が誰なのかが分かる。
何故か瞳の色が違っていても、体付きや顔付きが大人らしく変化していても、自分の事を姉と呼ぶ、その声が変わっていたとしても。
そんな馬鹿なと頭ごなしに否定している自分がいる。良く似た他人かもしれない。馬鹿な思い違いかもしれない。

けれどリシェルはその考えをすぐに一蹴する。私の事をお姉ちゃんと呼ぶ人はこの世ではただ、一人しかいない。

「どうして……」

リシェルは世界でただ一人の妹に目を向ける。向けて、妹に、レインに問う。


「どうして、ここに?」


                                
                             beautiful world

                         the gun with the knight and the rabbit
                           


倒れそうになったリシェルを抱き抱えた遥は、状況が上手く理解し切れずリシェルとレインの顔を交互に二度見する。

にわかに信じられない事態が起こっている。リシェルは数メートル前に立っている女性を見つめながらこう言った。レインと。
失礼かと思いつつ、遥はリシェルを助けた恩人、もとい……リシェルの妹らしき人物、レインへと顔を向ける。
よくよく目を凝らしてみると確かに……いや、もしかしたら本当かもしれない。外見や雰囲気がリシェルに良く似ている。
これだけなら只単に似ているだけだと言えるかもしれない。

しかし、レインがリシェルに言い放った一言に、遥はある種の確信を抱いてしまう。
レインはお姉ちゃんと言った。確かにこの耳でしっかりと聞いた。まるで漫画みたいな奇跡的な事態だ。
リシェルを襲った暴漢を倒した恩人が、リシェルが再会を望んでいた妹であるなんて。こんな事現実にありえるのだろうか。

遥は頬を取りあえず抓ってみる。痛い。夢じゃない。もう片方の頬も抓ってみる。痛い。夢じゃない。
気付けば野次馬で周囲は混雑としている。右も左も前も後も人だかりで、何らかのイベントでも起きているかのようだ。ある意味起きているが。
その騒ぎの真ん中には、じっと見つめ合って動かないリシェルとレイン、その横にいる遥とスネイル。そして伸びている男。奇妙極まりない。

一体今何が起きていて、何がどうなっているのか、遥は理解が追いつかない。混乱しっ放しだ。
ただでさえ、リシェルが狙われたという事で軽くパニック状態になっているというのに。誰か説明してほしいと切実に思う。
とにかく、リシェルから一体全体どういう事なのかを聞かなければ仕方が無い。まぁ、今は姉妹の再会を邪魔する気にはならないが。

一先ず、一度声を掛けてリシェルさんを落ち着かせなきゃ。そう思ったが早く、遥は顔をレインからリシェルに映して声を掛ける。

「リシェルさ……」

遥が声を掛けようとした次の瞬間、リシェルがすくっと勢い良く立ちあがった。その時、地面に空き缶の様な物が落ちた音がした。
瞬間、鼓膜が破れたのではないかと思うほどの強烈な破裂音が辺り一面に響いた。遥は危険を察し、耳を塞ぎながらその場にしゃがむ。
破裂音と同時に、凄まじい量の白煙が周囲一帯を包み込んだ。白煙の中で様々な悲鳴、怒号、泣き声が散らばる。
遥は少しづつ、目を開く。パニック状態に陥った人々が遥の周りを行き交い、激しい人の波に流されない様にグッと両足を踏ん張る。

白煙が晴れていくが、人々の混乱と錯乱は収まらない。訳が分からず怒り出す大人達、すぐに店を畳もうとする屋台の商人達、泣いている子供達。
その中で遥は必死に目を凝らしてリシェルの姿を探す。だが、どれだけ探しても見つからない。何処に―――――――何処に行ったの? リシェルさん?
急に言い様のない不安に駆られ、遥はリシェルの名前を大声で呼ぼうとした、その時。

「一条さん、今までありがとう」

背後から、リシェルの声がした。か細く、それでいて弱々しい。
けれどしっかりと聞こえる、リシェルの声が遥の耳に、響く。

「少しだけ……貴方のお陰で幸せになれたよ。一条さんの事、忘れないから」

リシェルの言っている言葉の意味が分からず、遥は何度も前後を振り向く。
だが、そこにはリシェルの姿は何処にも無い。代わりに、喧騒と混乱だけがそこに溢れているだけだ。


「リシェルさん……」

名前を呼ぶ。しかし、返事は無い。

「リシェルさん!」

今度は大きな声で、今の自分が絞りだせる目一杯の声で呼び掛けてみる。だが、返事は無い。
最早何が何だか分からないなんてレベルじゃない。訳が分からなすぎて、遥の頭は逆に冴えてしまっている。
あの煙を出す爆弾? らしき物は誰かが放った物だという事は分かる。それでリシェルはどうしてこの場からいなくなったのか。
やっと出会う事が出来た妹と、どうして自ら別れるような行動を取ったのか、そして……どうして私に、あんな言葉を残したのか。

遥は立ち尽くす。立ち尽くしながら――――――――ある一つの答えを、見出した。

                              ――――――――


レインはリシェルを見つめたまま、動かない。正確には、動けないという方が正しいのかもしれない。

目の前で起きている事は現実なのだろうかと、思いっきり頬を抓りたくなる。何なら、夢から覚める為に思いっきり頭をこの地面にぶつけても良い。
しかし実際に夢であるなら覚ましたくはない。理由は単純にして明快だ。

例えどれだけ傷ついても、どれだけ大事な物を失ってでも、再開を切実に願い続けた人物と出会えたからだ。
様々な不条理も、どんな理不尽な事があっても、レインはただこの事だけを信条に生きてきた。
あの日から―――――――絶対に忘れた事が無い、この世界でただ一人姉、リシェル・クレサンジュと再会すると。

そのリシェル・クレサンジュが、そこにいる。正直に言えば心の片隅で、もしかしたらこの世界には居ないのでは無いかと諦めかけた時もあった。
どれだけ懸命に、必死に探しても見つけられず藁にもすがる思いで探し続けてきた。やっと、リシェルを擁しているライオネルの所在を突き止めた。
これからライオネルの討伐と共に、リシェルを取りかえさんとした矢先に――――――――出会えたのだ。

リシェルを付け狙ったこの暴漢は何なのか、リシェルの隣にいる三つ編みの少女は何なのか。
そういった問わねばならない疑問は山ほどあるが、今この瞬間に比べればどうでもいいにも程がある。

マシェリーの口から無意識に、もう一度言いたくても言えなかった言葉が、ほろりと零れてくる。

「お姉……ちゃん?」

あの日から、生き別れてしまった時からリシェルの姿はまるで変わっていない。背丈も顔立ちも、何もかも。
その事がレインにとっては、途方もなく悲しい現実に思える。全ての元凶はあの男……レファロ・グレイだ。
レファロは決して許してはおけない。あの男が姉の人生を、それ以上に姉の成長を奪ってしまった。この男に関しては後々に考えるとして……。
それ以上に姉を連れ回し、悪事を働かせ続けたライオネルが目下の標的だ。必ずライオネルの元からリシェルを取り戻す。絶対に。

気付けば、頬が妙に生温かい感触が伝っている。指先で触れると僅かに湿っている。意識していないのに、目から涙が一筋、二筋と流れている。
とにかく、今は何も言う気にはなれない。ただ、姉に触れたい。これが幻でも夢でも無く、現実である事を示す為に。
それにしても、リシェルを介している、あの三つ編みの少女は一体何者なのか。それが気になってどうにも気が散る。
まぁリシェルとの距離感を見るに、悪い人間ではない事だけは分かる。後々、その事に関しても調べる必要がある。

落ち付け、落ち着くんだ私。レインは止まっていた足を踏み出そうとした。

それと一緒に、遥に抱き抱えられていたリシェルが立ち上がる。その行動に、レインは首を傾げる。

「お姉ちゃん?」

レインが反射的にリシェルに手を伸ばそうとした、が。途端強烈な破裂音が聴覚を襲い、一寸意識が遠のく。
肉体が無意識的に掌で頭を叩き、意識を正気へと揺り戻す。視界が真っ白な煙に包まれ、何も見えない。
煙を掻き分けて、レインはリシェルを助けようと――――――――いない。いない。

お姉ちゃんが、居ない。どうして、いないの? 

「……お姉ちゃん」
どうして? 

「お姉ちゃん」

どうして……いないの?

「お姉ちゃん!」

やっと出会えたのに、どれだけ願っても祈っても苦しんでも悲しんでも会えなかった人が居なくなってしまった。
嫌だ、こんなの嫌だ。私の生きてる意味が、生きてきた理由が何もかも、無碍になってしまう。
私……私、何でこんな所にいるんだっけ? 私、何で……。

「マシェリー!」

名前を呼びながら、誰かがレインが普段使っている偽名を呼びながら腕を掴み無理矢理振り向かせようとする。
レインが振り向いた瞬間、右頬を鋭く鈍く重い痛みが走る。その痛みのお陰で揺らぎに揺らいでいた思考が一寸で正常へと戻される。
錯乱し切っていた頭が次第に落ち着き始める。意識が素面へと落ちてくると、前に誰かが立っている事に気づく。

スネイルだ。その表情には、レインと先程まで会話に興じていた時のひょうきんさは無い。
その目線は冷ややかでかつ、無表情にレインを見据えている。ビンタを繰り出した手をひらひらさせながら、スネイルはレインに言う。

「一人で突っ走って一人で慌ててお忙しいのね。落ち着いた?」

時間が経つ程に、スネイルからビンタされた頬に、ヒリヒリと何とも言えないこそばゆい痛みが広がってくる、
かなり強烈なビンタを食らわされたのだと今更ながら認識する。しかしレインはスネイルに怒りを感じない。
寧ろ、恥ずかしながら滅茶苦茶になっていた頭を覚ましてくれた事に感謝したい気分だ。ただ、ビンタされた分の仕返しは必ず何倍かにして返すつもりだが。

「……スネイル、悪かった。本当に悪かった」
「謝る前に状況をキッチリはっきり説明しなさいよね。分かりやすく三〇文字以内で」

スネイルにそう言われて、レインは迷う、どこから説明すればいいのだろうか、判断に困る。
暴漢ナイフ男から命を救った少女は、探しに探し続けていた実姉であった事。その実姉が命を狙われている事。
何者かが簡易的な爆発物を爆発させて、場を混乱させた事。三つ編み少女は何者なのかという事。そして実姉が消えた事。
もう何処から説明すればいいのか分からないが、レインは一つだけ、はっきりとした答えを出す。

「スネイル、要点は只一つだ」
「何?」
「私に協力してくれ」




                              ――――――――

自分の目が信用できない。目どころか、脳も信用できない。
リシェルは遥が恩人として紹介した人物に見覚えがあった。見覚えが無い筈が無い。
背丈も顔立ちも、何故か目の色も違うが、リシェルにははっきりと分かる。絶対に忘れる筈の無い、その姿。

レイン――――――――妹、だ。この世で二人といない妹、レイン・クレサンジュがそこにいる。
どうしてこんな場所にいるのか、そして、どうして自分を助けてくれたのか。普段神様など鼻から信じていないが、今回ばかりは信じてしまいそうになる。
様々な疑問が頭の中で無数に浮かぶ。浮かんでくるが、そんな事はどうだっていい。

すぐに確かめなければいけない。そう思った矢先その人物――――――――いや、レインはリシェルにボソリと言った。

「お姉……ちゃん?」

頭が一瞬、真っ白になる。見間違いじゃなかった。間違いない。間違いな筈がない。
レインだ。あの日から、再び出会える筈が無いと思っていた――――――――レイン・クレサンジュに間違いない。

「レイン……なの?」

こんな事があるのだろうか。こんな場所で出会えるなんて。それも、命を救って貰えたなんて。
リシェルの頭は現実を現実と認識する事に少し麻痺する。どう良い表せば、どう感情を表せば良いのか分からない。

「どうして……」

今、こんな事を聞くべきではないとは思う。思うが、一先ずリシェルが一番気になる事は、この事だった。

「どうして、ここに?」

間抜けにも程がある質問だとはつくづく思う。しかし、それが今一番、リシェルにとって純粋に気になる事だ
駄目だ、それ以上言葉が出てこない。もっと、もっと別に伝えるべき事がある筈なのに。

リシェルは思い出す。遥とさっきまで喋っていて、その時にリシェルは遥にこんな質問を繰り出した。
もしもレインに出会えたら何をすれば良いのか、と。その時遥はこう答えたのだ。何も言わずに抱きしめるべきだと。
……そうか。とやかく何か言うよりも、行動ではっきりと示すべきだ。何でこんな簡単な事に気付かなかったんだろう。

リシェルは意を決して、レインに目を向ける。レインも決心が付いたのか、こちらに一歩踏み出そうとしている。

が、その時リシェルの視界に何か映る。ある存在が、映り込んでしまった。

ごった煮返している人の群れを乱雑に掻き分けて、ある制服を着た二人組がこちらに向かってくる。制服の種類からして―――――――警官だ。
レインの言葉を聞いて、誰かが警官を連れてきたようだ。リシェルの思考は急速にクリアになる。
妹との再会――――――――以上に優先せねばならない事が起きた。無意識に思考がその方向へとシフトする。

もしも警官に近づかれ、尚且つ身元を調べられたら全てが終わる。終わってしまう。
あの強奪事件で外見の情報は恐らく出回っている筈だ。彼らもそれが分からない程馬鹿ではあるまい。
だけど、こんな人混みの中逃げだそうとすれば逆に怪しく思われる。どうする、どうすべきか……。


ふと、とリシェルは懐を探る。そう言えばレイチェルに出掛ける前に、ライオネルに渡された物があるのだ。

リシェルの懐に忍ばされている、筒状の物体。この物体の正体は、高性能のスモーク弾である。
ピンを抜くと数秒後、威嚇としてけたたましい破裂音が成り、猛烈な勢いで白煙が吹き出るという仕組みの言うなれば簡易兵器みたいな物だ。
もしも厄介そうな輩に絡まれたらこれを使って逃げるなりしろと渡されたのだ。これをこの場で……が、リシェルの動きはそこで一旦、止まる。

もし、これを使えば恐らくもう二度と遥とこうして遊ぶことも、それ以前にもう、顔を合わせる事も出来なくなる。
そしてレインとも二度と、会う事は無くなるだろう。これを使ってしまえば、自分自身の手で二つの幸福を手放す事になる。
私は……私は……。額に冷や汗が滲む。私は――――――――そうだ。

何で迷う必要があるんだろう。もう私は死んでいるんだ。
リシェルという人間は既に、あの事件で死んでいるんだ。今の私は誰でも無い。他者のオートマタを強奪し、神子を傷つける、犯罪者でしかない。
何故そんな基本的な事をすっかり忘れていたんだろう。私は……私はもう。

――――――――普通の人生を生きる事は許されないんだ。

リシェルは思いきり、スモーク弾のピンを引き抜いた。引き抜き、その場に、落とす。

ごめんなさい、一条さん。ごめんなさい、レイン。本当に、ごめんなさい。

リシェルは耳を強く塞いで、目をグッと閉じる。すぐに開くと予想通りの光景が広がっている。
リシェルは間髪入れず塞いでいる手を開いてその場から逃げる為の行動を起こす。

その前に、リシェルは煙の中にいるであろう遥に、最後の言葉を伝える。

「一条さん、今までありがとう」

遥の顔をもう一度見たい。もう一度、遊びたい、話したい。

けれどそれはもう、叶わない。叶えちゃいけない、願い。

「少しだけ……貴方のお陰で幸せになれたよ。一条さんの事、忘れないから」

聞こえているかは分からない。けれどリシェルは伝えたい。伝えたかった。
少しの間だけでも、自分に幸福を与えてくれた人に、感謝の意を。

そうしてリシェルは敢えて、警官が居る方向へと駆け出す。この混沌とした状況の中、犯人を探り当てる事は出来ないだろう。ましてや逆方向に紛れこまれたら。
警官を横切る間際に、暴漢が持っていたナイフを拾い上げる。何かに、いや、これは今すぐ使える。
その一寸、リシェルはレインへと目を向ける。レインはリシェルの事を探している様だ。

謝っても謝りきれない。しかし、もう後に引く事は出来ない。

ナイフをしまい、リシェルはとにかく走りだす。
白煙が完全に晴れていく頃には、遥の目の前にも、マシェリーの目の前にも、リシェルの姿はもういない。
待ち望んでいた過去も、幸福な現在も振り切って、リシェルは走る。


その後ろから――――――――自らを忌む過去が追っているのを知らずか、知ってか。


                              ――――――――

ようやく煙が全て晴れた。だが、遥が出会いたい人はいない。どこにもいない。
しかし探しても探しても、やはりリシェルの姿がどこにも見えない。煙の様に消えてしまった。
あの破裂音と、煙は一体何だったんだろうと冷静に我に返る。思い返してみると、リシェルが立ち上がった瞬間に破裂音がなった気がする。

まさか、あの爆弾みたいなのを使ったのは……頭の中で、その考えを遥は強く否定する。
否定せざるおえないと言っても良いかもしれない。何故、リシェルがそんな手を使ってまで……。
そんな手を使って、私の前から姿を消したのかが、遥には分からない。しかし、その考えを無理矢理にでも公定してしまう要因がある。

それは、リシェルが遥に伝えてきたあの言葉だ。

どう考えても、あの言葉は別れを告げる言葉としか思えない。

心がとにかくざわめく。胸騒ぎが収まらない。鼓動が異常に早く波打っていて、遥は軽く浮足立っている。
疑問が、言い様の無い不安に包まれている。こんな気分になるなんて、思いもしなかった。
全部杞憂だと……思ってたのに……。

いけない。

遥は両頬を両手で強く叩く。少しでも悪い事を考えそうになった自分を戒める。
今成さなきゃならない事は一つだけ。リシェルの行方を追う事だ。探して、あの言葉の意味を問わなきゃいけない。
言葉の意味だけじゃない。聞きたい事が多すぎる。

「リヒター」

遥は一先ず、リヒターに話しかける。何だかリヒターに話しかけるのが偉く久しぶりな気がして妙な気分になる。

「どう? ……少しでも神威の気配を感じれる?」

遥の質問に、リヒターは即座に答える。

<僅かにですが、神威らしき存在の方向を感じ取れます>

「ホント? 大変だけどお願い。その……方向を教えて」

<微力ながらも協力させて頂きます。……マスター?>

リヒターの音色がどこか浮かない様子である事に、遥は気付く。
心配させる様な事はしていない、していない筈……だが、リヒターには分かるのであろう。
長い時間、共に歩んできたパートナーだ、遥の感情の動きに、気付かない理由が無い。

「大丈夫だよ、リヒター。大丈夫」
<それならば良いのですが……無理はしないで下さい、マスター>

それからリヒターは一度一呼吸置くと、言った。

<私が心配し過ぎなのかもしれませんが、マスターの気分が若干優れない様に思います>

正直言えば気分はあまり良くない。色々と腑に落ちない、スッキリとしない事が多すぎて本当に困る。
困るが、このまま困ったままにしておける程遥は能天気ではない。むしろ、どうにかしなければならないと思う。
その為にまず、リシェルの行方を掴まなきゃならない。捕まえると言うと言葉が悪いが、少なくともこのままさよならはしたくない。

何が何でも、リシェルを。それが遥にとって、今すべき事だ。

「大丈夫だよ、リヒター。心配してくれてありがとう。それじゃあ案内してくれる?」
<イエス、マイマスター>

取りあえずリシェルが行きそうな方向は何処だろうか。そう思いつつ踵を返した時。

「一条さん!」

名前を呼ばれて振り向く。こちらに向かって、眼鏡を掛けた制服姿の少女が手を振っている。
少女は説明するまでも無く、共にレイチェルにやってきたスネイルだ。そしてスネイルの隣にいる……そうだ。

リシェルの言葉から、独白から察するに……そうだ、妹のレイン……クレサンジュだ。
ここまで似ているのかと、遥は変に感動してしまう。まさかここまで似ているとは思いもしなかった。
急いで遥はスネイルの元へと駆け寄る。色んな意味で心細かったので、ちょっと安心する。

「スネイルさん」
「お互い何か訳分かんない事になっちゃったわねえ」

そう言ってスネイルは苦笑しながら、横にいるレインを遥に紹介する。

「大体感づいてるとは思うけど、この子はレイ……」

スネイルはその時、あっと言いたげな表情を浮かべる。何か言ってはならない事を言ってしまったのだろうかと、遥は思う。
スネイルが見せたその反応に、レインは凛とした声で言った。

「何て説明したらいい?」
「今更偽名を使っても仕方が無いだろう。私の口から説明する」

そうしてレインは遥に顔を向けると、軽く頭を下げた。そして頭を上げて、話し出す。

「私の名はレイン。レイン・クレサンジュ。仕事でマシェリー・ステイサムという名を使っているから、普段はそちらの名で呼んでほしい。
 ……いきなりこんな事を頼むのも失礼千万とは思うが」

「私とスネイルと一緒に、私の姉を……探してほしい」
 

                              ――――――――


どこまで走ったのだろうか。リシェルは荒いでいた息を整える。
逃げている途中で、ぶつかった人が落とした麦わら帽子を、どさくさ紛れに奪ってしまった。
かなり使いこまれているのか、藁でできたそれは、至る部分がささくれており結構痛んでいる。
帽子のサイズはリシェルの頭のサイズに対しては少し大きい位だが、四の五の言ってはいられない。


まず誰も注目しない、薄暗い細い路地裏に入り込み、リシェルはナイフを取り出す。
取り出して、肩の部分まで伸びた髪の毛にナイフを当てて、ざっくばらんに切り落とす。
体裁を気にする事無くとにかくリシェルは夢中で、髪の毛を切り落としていく。一分ほど立つと、リシェルの髪型は無理矢理なショートヘアとなった。
まるで髪の毛が揃っておらず乱雑ではあるが、それなりに整って見えるのはリシェルの顔立ちが整っているからだろう。

髪の毛を切って帽子を被った程度で正体が隠せるとは思わないが、これでも多少はマシになってかもしれない。
麦わら帽子を深々と被り、目を見せない様にする。そしてリシェルは―――――――会えて、路地裏の奥へと突き進む。

自分を狙っている人間が居る事は分かった。ならばどうするべきか、既にリシェルの中で答えは決まっている。
髪の毛を切ったナイフを忍ばせる。これを使う機会が無ければいいが、それはきっと無理な願いだ。

ふと、ポツンと冷たい何かが頭に当たった。何だろうと思い、空を見上げる。
ポツリポツリと、それはリシェルの頭に降り注いで、頭を、顔を、身体を濡らしていく。

ふと、目から何かが伝って、地面に落ちた。リシェルは思う。これは涙じゃない。これは―――――――。



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