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case by case

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匿名ユーザー

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                             カインド オブ マシーン


原作協力:青森さん ◆wHsYL8cZCc
                                


まだティマが、体も心も少し幼かった頃のおはなし。


北風が吹き荒れては、通行人を容赦無く寒がらせた挙句に風邪を引かす、乾いた空の下。

中身がどっさりと入った紙袋を、その男は両腕で抱き抱えて、トボトボと帰路を歩いている。男の名はマキ・シゲル。どこにでもいる、平凡な男だ。
マキが今歩いている、緑色の木々が美しかった帰路の街路樹は、季節が変わるにつれて寒々しくなってしまった。今は大量の枯れ葉が風に舞っているだけである。
マキが抱き抱えている紙袋の中には、一週間分の食料が入っている。一人分にしてはやけに多い気がするのは、妻であるティマに自ら料理を教える為の素材も含まれている為だ。
右腕に巻いた腕時計を見ると既に昼頃を回っている。買い物間際に興味本位で色々な店を寄り道していたら、結構時間が経ってしまった。その分掘り出し物があったが。

アメリカ、ニューヨーク付近にマキとティマが日本から引っ越してきて幾分経つ。

マキもティマも今はそれなりに順応しているが、引っ越した当初はアメリカという土地柄になれず中々苦労した。
特にマキは、まだまだ思考も知識も成長盛りであるティマに、日常に必要不可欠な家事等を教えていかなければならない為、尚更苦労した。
だが、着実に自分が教えてきた事をティマが吸収し、成長しているのを見ていると、マキはそんな苦労等すぐに忘れてしまう。
逆にティマと一緒に暮らしている中で、自分の生活が水を得た魚の如く、潤っている事をひしひしと感じるのだ。

それと、ティマの表情が以前にも増して表情豊かになっていくのを見るのも、マキにとって苦労を忘れさせてくれる一つである。

かつての、成長するにつれ芽生えてくる、感情という物を表現出来ず、無表情で戸惑ってしまうティマの姿はそこには無い。
疑問に思えば首を傾けたり、困った時には眉を八の字にしたり、怒る時には眉を吊り上げ、悲しい時にはしょんぼりとマキを見上げる。
そんな風に、ティマの表情はもはや人間と言ってもいいくらい、コロコロと変わってはマキを楽しませてくれる。

ただ完璧に人間に近づけているかと言えばそうでは無く、まだ固かったりぎこちない部分もあるがそれもまた、マキにとって成長を垣間見えて楽しい部分である。
これからティマがどんな成長を見せてくれ、そしてどんな表情を見せてくれるのか。ティマが見せてくれる無限の可能性に、マキは常に心躍っている。
どれだけの時間があるかはまだ分からない。だが、時間が許す限り、私はティマに付き添おう。彼女が、私が必要としてくれるなら。

と、物思いに耽っている場合ではない。一刻も早く帰らねば。マキはそそくさと早足で、ティマが待つ自宅へと帰る。


                                   ――――――――――
マキの数メートル先で、一人の男が足元も立てずにゆったりと歩いてくる。

まるで映画のワンシーンの様な、颯爽として絵になる歩き方に、すらりとして無駄の無い、それでいてスマートな男らしさを感じさせる肢体。
また、長身でかつ、これまたすらりと伸びている脚線と至って自然体な雰囲気と佇まいは、ファッション雑誌のモデルや俳優と言っても納得できそうだ。
しかしそれ以上に目に付くのは、鮮やかな赤色の髪の毛だ。染めている様な不自然さは無く、男前な雰囲気を際立たせている。
瞳は年相応の落ち着きと含蓄と共に、どこか憂いを感じている様にも見える。鼻、口共に整っており、総じて受ける印象は、イケメンというより、男前な美形、と言うべきか。

男の名はヘンヨ・シュレ―。通称ヘンヨ。一見、モデルか俳優の様に見えるが、意外や意外、探偵業を営んでいる。
それでいて、どんな依頼でも報酬が悪くなければ法律スレスレな、むしろ非合法ではないかと思われる範囲にまでも足を伸ばす、豪胆、と言えば聞こえが良いがダーティな一面がある。
そんな仕事を長く営んでいる為、当然ではあるが幾らか危険な目に遭遇する。しかしそれでも続けられる理由は、ヘンヨ自身にしか分かるまいが。

それともう一つ、ある事に触れておこう。

基本、ヘンヨ自身が自ら依頼人から依頼を受け仕事をするのだが、依頼人の紹介や依頼を斡旋してくれる、仲介人と呼ばれる人間から仕事を貰う事もある。
その一人である、スレッジという男とヘンヨは長い間、仕事仲間として関係を繋いでいる。
このスレッジという男、容姿は良く言えば凄くふくよか、悪く言えばデブといううイメージそのまんまのデブである。
また生活が不摂生でかつずぼらではあるが、常識を持ち合せており仕事が出来るタイプな為、ヘンヨは仕事仲間としても一人の人間としても、信頼を寄せている。
二人の間柄には様々な事象があったのだろうが、それはまた別の話。ヘンヨに話を戻そう。

ヘンヨは数日前、スレッジから一人の依頼人を斡旋してもらった。スレッジいわく、リスクは高いがその分、見返りは高いと。
その依頼人は茶色く汚れているジャケットに薄汚れた白髪と肌、それでいて片方の眼鏡が割れている、という見るからに不審者の様な男で、ヘンヨは当初依頼を受ける気になれなかった。
しかしその依頼人はヘンヨに前払いだと言って厚い札束をドスン、とコートから出して置いた。ヘンヨは一先ず、依頼を聞く事にした。

依頼人からヘンヨに伝えられた依頼は、至極シンプルな内容だった。

ある機密情報を刻んだチップを、所定の場所まで持っていき、ある男に渡して欲しい、という内容だ。率直に言えば運び屋、という事になる
ヘンヨは依頼人から札束と共に、そのチップが入ったケースを受け取った。そのケースの形状は、結婚指輪が入れられているあの小さなケースだ。
了承を取って開けてみると、勿論指輪は入っておらず、ケース一杯にぎっしりと数十枚のチップが入っていた。これを渡してほしい訳だ。
一体チップ内にどんな情報が入っているかを聞くのは守秘義務に反するので聞かないが、明らかに厄介な情報が入っている事は想像するに容易い。

続けて依頼人はヘンヨにその所定の場所、ニューヨーク市内にある、ある喫茶店の場所を書き込んだ地図を渡した。
その喫茶店でヘンヨを待っている男の容姿の特徴も出来るだけ事細やかに伝える。特徴を早口で話す依頼人には、ハッキリとした焦りの色が浮かんでいる、様に見える。

ぶっちゃけるとヘンヨは、探偵業である意味が無い、言うなれば運び屋をしてくれという依頼人の依頼を面白みが無いと乗り気ではなかった。
しかし前払いとして依頼人が払った大金と、プロとしてのプライド、そして依頼人のどうしてもチップを届けて欲しいという必死な懇願に依頼を引き受ける事にした。
と、その前にとヘンヨは依頼人に報酬は何時支払う、と聞いた。すると依頼人はこう答えた。

まずそのチップを喫茶店の取引相手に渡してからだ。君の成功報酬は、その取引相手が私の代わりに支払う、と。

ヘンヨは少し引っ掛かる所も無い事は無いが、依頼人のその言葉を信用する事にした。

今日が、その依頼の日にして、チップ、というかチップのケースを受け渡す日である。

恐らく道中で何らかの妨害が入る事は容易に想像できる。しかしこれから人混みで尚且つ、市内に入るという事で最低限の武装しか持たない。
腰にホルスターを巻いて、その中に抜く機会は無いとは思うが拳銃を挿しこむ。そしてその武装を隠す様に、上にシックな黒色のロングコートを羽織る。
チップはケースにも傷が付かない様、厳重に包み込み、コートのポケットに入れる。
前払いを貰った手前、失敗は許されない。しかし気張る依頼でもない。さっさと終わらせよう。

そして今、ヘンヨは市内に向かう為、枯れた木々が寂しい街路樹を歩いている。

――――――――――

そういえば……とマキは思いだす。

食料品を買う間際の寄り道に立ち寄った小さな店で、素敵な掘り出し物を見つけたのだ。
紙袋の中身の一番上にちょこんと乗っている、その箱、と言うより結婚指輪が入っている様なケース。そのケースの中身はズバリ、結婚指輪……ではないものの、指輪が入っている。
綺麗な曲線を描いているその指輪には英語で永遠の愛と刻んであり、マキはティマに気にいってもらえるだろう、という事で半ば衝動的に買ってしまった。
サイズを調べてみると、ティマの指の規格と合っており、しかもケースもあるという事もあり、マキは更に嬉しくなった。

これでケースから取り出して、ティマの指に嵌めた時に、指輪に刻まれている文字の意味を教えるのが楽しみでしょうがない。
無意識にマキの顔が綻ぶ。ティマが喜ぶ様子を思い浮かべる度に、マキの足元が軽くなる。早く家に帰り、ティマのおかえり、という声を聞きたい。

……と、年甲斐も無く少しはしゃいでしまった。自制せねばとマキは気を引き締める。

ちょっと目線を下げて、早足から再びゆっくり、とぼとぼと歩きだす。早く帰りたいは帰りたいが、そこまで焦る事も無いだろう。
と、目線を下げていて前を見ていないからか、目の前を歩いてくる、赤い髪の毛が印象的な男に気付く様子は無い。
このまま歩いていけばぶつかってしまうが、マキに気付く様子は無い。

                                   ――――――――――
ただ喫茶店に向かうだけでも暇なので、ヘンヨは依頼人が授けたチップのケースをコ―トから左手で出して、思慮を廻らす。

この手の運び屋と呼ばれる仕事をする場合、運ぶ物として挙げられるのはこのチップの様な機密情報や重要な書類、または……ごく稀に、人間を運ぶ事がある。
程度の差はあれど、どちらにしろ非合法な物である可能性が高い為、危険を被ることが前提条件となる。警察だの運ぶ物を狙ってくる輩等の影響で。
その為、ヘンヨは正直、こういう系統の依頼は好きになれない。運び屋として使われる事が面白くないことと、他の依頼に比べてリスクがとても高いからだ。
しかし、金が絡むとなれば話は別。例えリスクが多かろうと、それに対する報酬がデカいのなら、よほど滅茶苦茶な依頼でも無ければ引き受けるつもりではある。

無論、大金で釣っておいて、馬鹿め騙されたなと、依頼人、または取引相手が牙を剥いてくる事も無い事は無い、というか数回引っ掛かった事がある。
だから今回の依頼もヘンヨは、依頼人を信頼はしているが、全面的に信頼している訳でも無い。取引が成立した瞬間に裏切られるという可能性は充分考慮しておくべきだ。
その際窮地に陥らぬ様、ある「保険」を打っているが……まぁ良い。まだその時ではないし、ちゃんと取引が成立すればそれに越した事は無い。

と、思慮が一巡するとヘンヨは肌寒さを感じ、体を内から温める為、右手でガサゴソとコートを探り、煙草が入っている箱とライターを探す。
ぼんやりと目の前に、紙袋を両腕で抱えた男が歩いてくるが、どうせあっちから避けるだろうと思い、ヘンヨは煙草の箱とライターを再び探し始める。

                                   ――――――――――

マキは俯いて、ティマにどうやって、指輪を渡そうかと考える。
ティマ、君に渡したい物がある。……これは味気ない。ティマ、実は君に渡したい物があってね。……これもどうも冴えない。
ティマ、後ろを向いてくれるかな? これは変な事をするみたいで駄目だ。ティマ……。

                                   ――――――――――
どれだけポケットを探っても煙草の箱とライターが見つからず、ヘンヨは少しばかりイラついてくる。
こういう時に限って見つからないモノだ。どうでもいい時は見つかるのに、本当に必要な時には中々出てきてくれない。
ちっ……ホントに何処に行きやがったんだ。こんな時にだけ何で見つからないんだ。捻くれ者め。

                                   ――――――――――

そうだ、悩む必要はない。シンプルに渡せばいいんだ。って、うわっ!

                                   ――――――――――

やっと見つかった。おっと、何だ?


                                   ――――――――――

次の瞬間、真正面からマキとヘンヨがぶつかった。というより、マキが一方的にヘンヨにぶつかった。
抱えている紙袋が落下すると共に、中身が盛大に飛び出し、マキが尻餅を付いた。その一番上に乗せられていた指輪が、リンゴなどの食材と合わせて地面に転がる。
一方、ヘンヨは微動だにしないものの軽く驚いて、左手に持っていたチップをぽいっと放り投げてしまった。弾みで火を点けようとしたライターが落ちる。

いてて……と、尻を痛そうに擦りながらマキは起き上がって前を向いた。

――――直感で目の前の赤毛の男、ヘンヨに何かを感づいたマキは、すぐに謝罪した。私の不注意で申し訳ない、と。
ヘンヨはマキの謝罪に気にするな、と短く一言。地面に転がっている、マキが買った紙袋の中身を拾い出す。ハッとして、マキも慌てて拾いだした。
と、ヘンヨはその近くにあったチップのケースを反射的に拾い上げてコートに入れた。目の前の男がチップを狙った刺客とは思わないが、あまり見られたくない。

マキは一見、ヘンヨを見て失礼だとは思うが堅気の人間では無いな、とは思った。しかし堅気では無いにしろ、厄介な人間では無いとは思う。
立ち振舞いというか纏っている雰囲気は怖そうではあるが、それに凶暴さだとか傲慢さがあるかといえば違う。あくまで冷静で大人、言いかえれば話が分かる人だとは思う。
素早い動作で紙袋の中身を全て拾って紙袋に入れ、最後に指輪のケースを入れて抱き抱え、マキはヘンヨに再度謝罪して、帰路を歩き出した。

次から気を付けろよ、と頭の中で注意しながら、ヘンヨはマキの後姿を数秒見送り、喫茶店へと歩き出す。
厳重に包んであるから、あの程度の衝撃で中身が出る所かケースには傷も付かないだろう。
さっさとこの依頼を終わらそう。妙な眠気に襲われながらも、眠気覚ましとして煙草に火を点け、ヘンヨは一服する。

                                   ――――――――――

ハプニング、というか自分のうっかりミスで時間が掛かってしまったが、ようやく自宅に着いた。
マキは鍵を取り出してドアノブに差し込み、逸る気持ちを抑えながらガチャリと回す。そしてドアノブを回して、ゆっくりとドアを開けた。
そこにはエプロンを着用したティマが、待ちかねた様にマキにほんわかとした笑顔で、おかえりなさいと言った。

マキは勿論、ただいま、ティマと言いつつ自宅へと入る。
ティマが何か言おうとした時、マキは待った、とティマを制した。マキの行動に、ティマは何? と頭に疑問符を浮かべた。

ティマに、君に渡したい物がある。

そう言いながら、マキは器用に足元だけで靴を脱いで、玄関に上がり居間へと歩く。早く指輪を見せてやりたいが、ここは焦らずにじっくりと間を溜めよう。
居間のテーブルの上に紙袋を置き、マキはキッチンに目を向けた。どうやらティマはさっきまで皿洗いをしていた様だ。
ちょっと待ってね、直ぐ洗い終わるから。とティマはそう言って皿洗いを再開しようとするのを、マキはティマの手を優しく握って留まらせる。

皿洗いなら私が後でやっておくよ。そこに座ってくれ、ティマ。

マキがそう言うと、ティマはそんなに私に見せたい物なの? と不思議そうながらもワクワクした様子で、マキの向かい側に座った
一体何をくれるんだろう。ティマはまち切れないといった感じでマキをじーっと見上げる。ティマが指輪を見てどんな反応をしてくれるのか、マキは楽しみで仕方が無い。
紙袋の中、一番上にある指輪のケースを手に取り……。

ん?

何故だか……妙に感触が違う。指輪のケースを握っていた時のザラっとした感触じゃない。妙に……妙につるつるしている。
さっき、赤毛の男の人とぶつかって中身を地面にぶちまけた時、急いで指輪のケースごと拾ったが……。まさか、いやそんな馬鹿な事は。
まさかの事態に、マキは鼓動がドンドコ速くなるのを感じながらも、次はしっかりと握ってみた。その瞬間、不安は確信に変わる。

違う。私が拾ったこれは、私が買った指輪のケース、というか指輪ではない。何だ、これは?

マキの不安も露知らず、ティマはマキが一体何をくれるのかと、じーっとワクワクしながらマキを見上げている。
いかん。これ以上ティマを待たせてはいけない。そう思いながら、マキはヤケッパチな心境で、紙袋から指輪のケースらしき物を取り出した。
マキの手に掴まれて勢い良く出てきたその指輪のケースらしき物は、寸分の隙間無く、ピッチリと作られているウレタン素材で出来たケースであった。
ちょっとやそっとでは壊れそうも無い程頑丈に作られている。よほど中身に重要な物が入っているのだろうか。

ティマがそれを見て、何……それ? と不思議というより、少し惑った様子で聞いてきた。どうやらマキのリアクションから何か悟った様だ。
マキは本気で返答に困る。何、それ? と聞きたいのは私もなんだよ、ティマ、と。しかしどうにも解せない、というか不可思議だ。

顔は思い出せないものの、恐らくこれは、あの赤毛の男の人が所持していたものだ。自分とぶつかった弾みに落としたのだろう。
本当に凄い偶然だが、その半透明なウレタン素材のケースから見えるもう一つのケースは、自分が買った指輪のケースと酷似、というかほぼそっくりだ。
ただ一つ違う事は異様なほど手厚く保護されている事。それほど、このケースの中身……というか、ウレタンケースの中のケースの中には高価な指輪でも入っているのだろうか。
流石に痺れを切らしたのか、ティマがマキ、それ見せてとマキに近寄ってウレタンケースを取ろうとする。
マキはまずい、とウレタンケースを後ろに回し、ティマにごめん、ちょ、ちょっとお店で買った奴と間違えても、持ってきたみたいだ……と、意味不明な言い訳をした。
そして、お店でちゃんとしたのと取り換えてくるよ、と言ってウレタンケースをズボンのポケットに突っ込んだ。
明らかに様子がおかしいマキに、ティマは事情を聞きたくて堪らないが……マキがここまで狼狽するという事はよっぽどの事なんだと思い、一先ず信じてみる。

電光石火の速さでティマがさっき洗っていた皿を公言通りに洗い、すぐ戻るから待っていてくれ。とティマに伝え、マキはすぐさま自宅を飛び出した。
可能であれば、あの赤毛の男の人にこれを返したい。だが、街路樹でぶつかっただけで赤の他人も他人だ。
あの人が何処に行ったか、それ以前にどんな人かさえ見当が付かない。
そうだ、一度帰路の途中である、あの街路樹をくまなく調べてみよう。そこでもし、買った指輪のケースが見つかれば御の字だ。ウレタンケースの件はともかく……。
一先ずウレタンケースの件は置いといて、指輪のケース探しに専念しよう。もし見つからなければ……。

まぁ……その時は、その時だ。

                                   ――――――――――

運が良い事に、喫茶店に着くまでヘンヨを妨害し、チップを奪いに来る様な輩は現れなかった、
人混みの中でヘンヨは、自らに対して少しでも悪意や殺意を向けてくる人間はいないかと探っていたが、その手の人間は特に見受けられなかった。
ただ不愉快な事が一つ。喫茶店の前で無遠慮に一台、黒塗りの車が駐車していた事だ。他人や他の車の迷惑を省みず堂々と駐車するとは、これに乗っていた人間はよほど面の皮が厚いらし。
まぁ、良い。ヘンヨは早速喫茶店の中に入り、依頼人から教えてもらった取引相手を探す。このチップのケースと交換に報酬を頂き、仕事は終わりだ。

依頼人から教えてもらった取引相手の特徴は、ウェーブがかった黒髪に非常に目つきの悪い三百眼で黒いトレンチコートを羽織っている……と、わりと直ぐに見つかった。
店内奥のテーブルに座っている、黒々としたトレンチコートに、黒い手袋。それにワカメの様にウェーブがかった黒髪で、ヘンヨをじろりと睨んでいる三百眼の男。
恐らくあの男が、依頼人の言う取引相手だろう。ヘンヨも同じく目があった為、その取引相手が座っているテーブルへと歩き出す。と、一瞬で居心地が悪くなる感覚。
敵意、だ。店内に俺に悪意を向けている人間が居る。ヘンヨはその敵意が何処から向けられているのかを探す。

が、探すまでも無くすぐに見つかった。
三百眼の周辺に、ヘンヨを睨む様に見つめている男が三人、座っている。三百眼の命令かそういうスタイルなのか、色こそ違えと三百眼と同じく、トレンチコートを着ている。
しかし違和感を感じているのはあくまでヘンヨだけな様だ。他の客は三百眼とその仲間が漂わせている不穏な雰囲気に、気付く様子が無い。
あからさまに嫌な予感がするが、まだこの時点で臨戦態勢には入らない。動くべき時はあくまであっちが何かしらしてきた時だ、とヘンヨは自らに言い聞かす。

と、三百眼がヘンヨに対して人差し指を二度、くいくいっと曲げた。早くこっちに来いというジェスチャーだろうか。
ヘンヨは三百眼のその動作に若干イラッとしながらも、早足で三百眼が座るテーブルへと向かう。まだだ。まだ分からない。
三百眼の傍らには恐らく報酬であろう、アタッシュケースがある。一体幾ら入っているかは分からないが、早い所それを頂きたいところだ。

挨拶代わりとしてこちらも軽く睨みをきかせながら、ヘンヨは三百眼の向かい側の席に座った。
三百眼は自らの名前をヤンと名乗ると、さっそくだが取引を始めようと良い、傍らに置いていたアタッシュケースをテーブルの上に置いた。
その置いた時の音が妙に軽い事にヘンヨは少し気になるが、その報酬の交換条件となるチップのケースを取る為、コートに手を伸ばした。

……ん?
……感触がおかしい。

前日、取引に使うチップのケースに傷を付けぬ様、ウレタン素材を使ってわざわざ保護ケースを作り、上から被せたのだが……その時のウレタン特有のつるつるとした感触が感じられない。
今、ヘンヨが感じているのは保護ケースに入れる前の、ザラっとしたチップのケースその物の感触だ。……保護ケースからチップのケースを出した覚えは全く無いのだが。
頭をフル回転させて、何故こんな状況になっているかをヘンヨは考える――――までも無く、すぐに理解する。

ここに来る前の街路樹で、紙袋を抱き抱えた男とぶつかった。恐らくあの時に保護ケースごと、チップのケースを落としたのだ。
そしてちゃんと確かめず、ほぼ反射的に多分、間違えて紙袋の男が持っていたケースを拾い上げた。あそこで反射的に拾わずにちゃんと確かめていれば……。
ヘンヨは自らの凡ミスも凡ミスに悔みながらも、この場をどう凌ぐべきかを考える。長年仕事をしているが、こんな間抜けな事態は初めてた。

……というか何故、あの紙袋男は、依頼人が授けてきたケースと全く同じケースを持っていたのか。
ちゃんと見れば保護ケースがあるからすぐに違いが分かるが、咄嗟に拾い上げたせいで全く違いに気付かなかった。
恐らく、紙袋男は間違えてチップのケース、もとい保護ケースを持っていってしまった事だろう。
そして本当に間抜けな事に、俺はあの紙袋男が持っていたケースを持って来てしまったわけだ。

……面倒な事になった。紙袋男が一体どこに住んでいて、どんな人間なのかも見当もつかない。
一応地味な顔つきであった事は覚えているが、それ以上に個人を特定できるような情報は全く無い。
今さっきぶつかった、それ以上の関係でしかない。全くの赤の他人だ。

どうする……久々に本気で面倒な事になってしまった。今から街路樹に戻って、落ちていないか探すか? 取引現場に来てしまった手前、そんな余裕は無い。
紙袋男は確実に、チップのケースを持っていった。わざわざ街路樹に戻ってきてくれて、交換してくれる様に待っている……筈も無かろう。
自分自身を嘲笑したい気分だ。普通は間違えない、間違える筈が無いだろ……と。

その時だった。ヤンが中々取引のブツであるチップのケースを出そうとしないヘンヨに、言い放った。

あの男、どうやらお前に知らせた様だな。我々にそのチップを渡すなと。


……は?

                                   ――――――――――

無い。全く無い。どれだけ探しても、無い。マキの中でどうしようもない感情が頭をもたげる。

幾ら必死に探そうと、指輪のケースが全く見当たらない。赤髪の男の人とぶつかった場所を何度も何度も行き来して探した。
しかしそれらしいケースは見つからない。まるでマキを馬鹿にしているかのようにカラスが鳴き、枯れ葉がクルクルと舞う。
マキは恨めしそうに、手に握っているウレタンケースを眺めた。明らかに感触も形も違うのに、何故私は間違えたんだろう。迂闊で残念すぎる。

このままでは、ティマに申し訳なくて家には帰れない。それに、ティマのがっかりした表情は見たくない。
こうなると……対処するべき方法は二つ。正直に、指輪を無くした経緯を話すか、別の指輪で代用するか。
前者ならティマはがっかりすれど、きっと許してくれるんだろうなとマキは思う。しかし、しかしだ。
本当にそれでいいのだろうか、とマキは思う。
意気揚々と渡したい物がある、とキリッとしながらティマに言った手前、本当の事を正直に話すのは、どうも忍びないしティマに申し訳ないし、何よりマキのプライドがどこか許せない。
何を意地張っているんだ、ともう一人の自分が、矮小で子供っぽいプライドを捨てろと言う。
自分でもそうは思う。そうは思うが、どうも自分自身が情けないというか、ティマに対して良い所を見せたいという、ある種曲げられない意地がある。

数十秒程、マキはもう一人の自分と口論した結果、決断を下す。

あの指輪を買った店で、別の指輪を買おう。きっともっと、素敵な指輪がある筈だ。ティマに似合う様な。

決断したが早く、マキは全速力で、街路樹を走りだした。


                                   ――――――――――

ヘンヨは状況がよく飲み込めていない。飲み込めていないが、一つ、確実に理解できる事はある。

この取引は黒だった、と言う事だ。あの依頼人が……いや、この場合はヤンの発言を聞くに、取引相手に裏切られた様だ。
ヤンは部下を呼び寄せ、アタッシュケースを倒して蓋を開けさせた。そして、アタッシュケースの中身をヘンヨに見せる。
そこに取引のブツと交換する筈の、報酬である金は全く入っておらず空っぽであった。札はおろか、小銭さえ入っていない。

すまんがこういう事だ。わざわざチップの運び屋になってくれた事、感謝するぞ。

ヤンは空のアタッシュケースをバタンと乱暴に閉じると、ニヤつきながら挑発する様な口調でそう言った。
ヘンヨは体を動かそうとした、が、何時の間にか背後にヤンの部下が囲んでおり、ヘンヨを逃がさぬ様に立ち塞がっている。

ヤンはさぞ楽しそうに椅子から立ち上がれないヘンヨに、ニヤついた笑顔のまま言葉を続ける。

お前を訪ねた依頼者、モリベ・カズヤという男の素性を知っているか?

ヘンヨは何も答えない。というより、調べようにも依頼者の素性に関する情報が得られなかったからだ。
スレッジはどっかの会社の社員、と言う大雑把過ぎる説明しかしなかったし、別にそこまで調べなきゃならない事でもないと思い放置していた。
別にこちらから聞いてもいないのに、ヤンは自分から依頼人、というかモリベという男についてヘンヨに説明し始めた。

あの男はすこぶる優秀な社員だった。奴が所属していた企業から必要不可欠な存在、と言われる程にな。

黒だと分かった瞬間、ヘンヨは正直、ヤンの話を聞く気は失せている。
それよりも早くハッキリと俺に対して危害を加えてきてくれ、と思っている。そうすればこちらから手が出せる。
ヤンの話はまだ続いている。

しかし優秀すぎる社員と言うのも考え物だな。モリベはその企業に於いて、知ってはならぬ事、タブーまでも知ってしまった。

良くある話だな。それで? とヘンヨは急かしたい気分になる。
モリベはその企業にとって、タブーとなる機密情報を詰め込んだチップを、ライバル企業である我々に渡し、自らが所属していた企業を潰そうと考えていた。

……あぁ、なるほど。本来ならあの依頼者……モリベは俺を介してアンタ達にチップを渡し、自分が働いていた会社を潰してくれる様、頼みたかった訳だ。
なるほど、これで筋は一応通った。つうか分かっちゃいたけど完璧に運び屋じゃねえか、俺。探偵の仕事でも何でもねえ。

モリベは我々がその取引に素直に応じると思っていた様だ。全く……これだから素人は楽で助かる。

……殺ったのか? モリベを。
ヘンヨがドスを効かせた声でそう言うと、ヤンは言い返す。

冥土の土産代わりに教えてやったんだよ。奴がどうなったかは言わなくても分かるだろ? さぁ、一緒に来て貰うぞ。

ヘンヨが椅子から立ち上がった時、嫌な感覚が背中に奔った。
部下の一人がヘンヨの背中に密着し、何か固い物を突き付けている様だ。長年の経験から、それを見ずとも何かは分かる。
恐らく、サプレッサーを装着した拳銃だろう。周囲から見えない様、トレンチコートの中に拳銃を握っている手を隠している様だ。

やれやれ……と言った感じで、ヘンヨは抵抗する気は無いというのを示す様に両手を上げた。
ヤンが歩き出すと、他の部下二名がその後ろに続いて歩き出す。ヘンヨはその後ろを歩く。拳銃を突き付けられている手前、下手な事は出来ない。
出入り口を見ると先程邪魔だと思っていた、黒塗りの車が不遜に待ち構えていた。この車はコイツらのだったのか、とヘンヨはぼんやり思う。
ヤンが車の前面から周って助手席に座り、もう一人が運転席に座る。後部座席にヘンヨに拳銃を突き付けている部下ともう一人の部下の間に挟まれて、ヘンヨは座らされる。

乗り込む前、ヘンヨは悟られぬ様、喫茶店の外で待っていた「保険」へと目配りした。

シャープなフォルムが美しい、真紅のスポーツバイクに乗り、喫茶店の外でヘンヨを待っていた「保険」は、ヘンヨの返事に頷き、ヘルメットを被った。

                                   ――――――――――

ぜえぜえと息を荒げながら、マキは市内に着いた。
昔ながらの雰囲気が洒落ている喫茶店が隣なので、それが目印としてすぐに店を見つける事が出来た。それが今の四面楚歌な状況下で唯一の救いだ。
あの永遠の愛以上に良さそうなネーミングが刻まれた指輪が見つかるかどうか……。しかし探さねば。ティマをがっかりさせる訳に行かない。

そう思いながら店へと近づくと、喫茶店の前に堂々と駐車している黒塗りの車が見えた。
随分不躾な場所に停めるなとマキは眉を潜めた。と、今はそれどころじゃない。早く代わりの指輪を探さねば。そう思い店に入ろうとした、その時だった。

ふっと、マキは喫茶店の方に目を向けた。

あの赤毛の男の人が、出口から出てくるのが遠目越しに見えた。

まさかの僥倖、もとい幸運。こんな所で会えるとは夢にも思わなかった。

さっそくウレタンケースを交換して……持ってるか分からないが、せめて謝罪して返そうとマキは思ったが、何だか妙だ。
赤毛の男の人の周りを、やけに仰々しいトレンチコートを着た男達が囲んでいるのだ。すると赤毛の男の人は、その人達と一緒に黒塗りの車に乗った。
というより、乗らされている様にも見える。赤毛の男の人は、マキには気付いていない様だ。
どうするべきか……とマキは思った。
あのトレンチコートの人達は赤毛の男の人の仕事仲間とか、そういう関係なのだろうか。
にしてはどうにも別な感じがする。こう……何となく雰囲気から察すると、あまり……駄目だ、考えが纏まらん。
というか、あの赤毛の男の人とケースを交換、もしく渡せればそれで全て丸く収まる。一応このケース問題は。

……良し、決めた。事情によっては時間が掛かってしまうとは思うが、赤毛の男の人にケースを返そう。

ティマには心配を掛けてしまうが……後で電話して誠意を込めて事の次第を説明しよう。
マキはすぐ近くで停まっていたタクシーに乗り、あの黒塗りの車を追ってほしいと運転手に伝えた。丁度良いタイミングで、黒塗りの車が発車する。
と、マキが乗っているタクシーと黒塗りの車の間を、赤いライダースーツを着たライダーが割り込んできた。危ない運転だなと、マキは再び眉を潜めた。

                                   ――――――――――


先頭をヘンヨが乗せられている黒塗りの車、真ん中にヘンヨを追うライダー、後方に黒塗りの車を追う、マキが乗るタクシーが走る。

                                   ――――――――――

何処に連れていくつもりだ? と、ヘンヨは窓を開け、心地良さそうに風を仰いでいるヤンに聞いた。

モリベと同じ場所に連れて行ってやる。案ずるな、痛いのは一瞬だ。とヤンはヘンヨに返した。

要するにこれから殺すから答える必要は無い、という事だ。ならそう言え。何気取った事言ってんだとヘンヨは思う。
しかし身動きしようとしても、ヘンヨの左右はヤンの部下に挟まれている上に、両足に向けて拳銃を押しつけられている為動けない。
車は次第に大通りを外れていき、車の通りが少ないルートへと走っていく。あまりこの辺の地理には詳しくものの、ヘンヨはおぼろげに車が向かっている方向が分かる。

この方向は海だ。海と言うか、湾岸沿いのハイウェイだ。夏なら盛況だが、こうも寒い冬では人はおろか車さえほとんど通らない。
しばらく走っていくと、車は海に直線する方向へと、枝分かれした道路に入った。途中までその後ろを追ってきた「保険」が黒塗りの車を追わず、そのまま通り過ぎる。
全く他の車が通る気配が無い。車が脇にも寄せず、適当な場所で停車した。

降りろ。

ヤンが振り向いてヘンヨ、もとい部下にそう言った。
どうやらここで殺すつもりな様だ。他の車が通っても何か揉め事を起こしている、程度に考えて素通りしていくだろうし、わざわざ見に来るような物好きもいないだろう。
良く考えたな、とヘンヨは思う。恐らくモリベをこの道路で殺して、海に放り投げたのだろう。

そうだ、逃げられると困る。足を撃っておけ。

部下がドアを開けようとした手前、ヤンが左右の部下にそう言った。
左右の部下はこくリと頷くと、ヘンヨに向けている拳銃の引き金を引こうと指を掛ける。

その時、ヘンヨの瞳に、フロントミラ―越し、一度通り過ぎていった――――「保険」の姿が見えた。

お前らはよくやったよ。だがな。

ヘンヨは声高らかに、ヤンに向けてそう言った。
そのヘンヨの言葉に一寸、部下が引こうとした引き金を止める。

だが、俺の方が一枚上手だったな。こういう事をするなら、後ろにも気を使え。

ヘンヨの言葉にヤンは悪あがきか? と嘲笑した、だが、何かが違う。
ヤンは注意深く後方を見据える。……何かが全速力で、こちらに向かってくる。ヤンはそれが何なのか最初は分からなかったが、次第に理解してくる。
……バイク? 真っ赤な塗装のバイクがこちらに向かって――――。


                                   ――――――――――

すまないな、お客さん。まさかエンストするとは……点検怠ってたって訳じゃないんだがなぁ。

運転手が困り顔でそう言いながら、マキに謝る。マキはいえいえと、苦笑いを浮かべた。
タクシーは途中まで順調に黒塗りの車(とついでにその間のバイク)を追っていたが、海に向かう道路に入った途端動きが鈍くなっていき、数秒前、完全に止まってしまった。

そのせいで黒塗りの車はおろか、バイクにまで置いてかれてしまい、完全に行方を見失ってしまった。
今日は指輪を無くすわ、ティマを心配させるわ、探し主を見失うわでトコトンついていない。

取りあえずデータフォンの電話機能を起動させ、ティマに電話を入れる。

電話に出たティマは、マキの帰りが遅い事を心から心配して今にも泣き出しそうな声で、マキに早く帰ってきて欲しいと言ってくれた。
マキはひたすらすまない、すまない、ティマと何度も謝る。しかしタクシーが回復しないとどっちにしろ帰る事は出来ない。
ちゃんと帰って来るから心配しないでくれ、と伝えてティマとの電話を切った。

自業自得とは言え散々だな。マキはなんだかどっと、疲れてしまい、タクシーに背中から寄り掛かった。

それにしても赤毛の男の人、何処に行ったのだろうか。


                                   ――――――――――

早く車を出せ!

とヤンが運転手に叫び、再び振り向いた時には、バイクの姿が消えていた。一体どこに消えた? とヤンは探すが―――――。

次の瞬間、鈍く響く衝撃音と同時に、車が大きく揺れた。あの一瞬でバイクはジャンプし、叩き付ける様に、車の上に乗った様だ。無茶苦茶な芸当と言える。
車内が揺れた一寸、ヘンヨは拳銃を向けている左右の部下の手を、両手で勢い良く払い除けるとグッと握り拳を作り、全力で腹部目掛けて裏拳を叩き込んだ。
その威力に、左右の部下の口から吐瀉物が噴き出る。間髪入れず、ヘンヨは右側に座る部下の頬目掛け、思いっきりストレートを見舞った。

そのまま強引にヘンヨはドアを開けて外に出る。ストレートを食らった部下が、雪崩れ込む様に車から食み出る。
左右の部下はヘンヨの攻撃で完全に伸びている様だ。どちらも白目を剥き、口から涎を垂れ流して目覚める様子が無い。
腰元から拳銃を抜いて、ヘンヨは運転手へと向けた。あくまで威嚇なのだが、既に運転手は負けを認めたのか、両手を組んでハンドルに突っ伏している。

クソったれが! と、ヤンが自らの拳銃を抜き、ヘンヨに向けながら増援を呼ぼうとデータフォンを起動させた。

頭部に押し付けられている、冷たくゾッとする感触。
ヤンがその感触の方に、恐る恐る顔を向ける。そこにはヘンヨの仲間であろう、ヘルメットを被った、赤いライダースーツを着込んだライダーが見下ろしていた。
ライダーの手には長い銃身が印象的な拳銃が握られている。ヤンが待てと言うよりも早く、ライダーは拳銃をヤンのふとももに向けて引き金を引いた。
続けて運転手の肩にも撃つ。ヤンのふとももと運転手の肩には、注射に使われる様な細い針が刺さっている。
詳しくは不明だが、この二人に放たれた針は象でさえ昏睡させるほどの麻酔針だ。恐らく数日、目を覚ます事が無いだろう。

ヘンヨは拳銃をホルスターに挿れ、自らを助けに来た「保険」ことライダーへと目を向けた。

ライダーがヘルメットを脱ぐと、鮮やかな金色の長髪が、麗しく風に靡く。
まるで人形の様な美しく整った顔立ちに反し、並々ならぬ生命力の高さを思わせるワイルドさを感じさせるその美女は、フランクにヘンヨに向かってひらひらと手を振った。
そんな美女に対し、ヘンヨは呆れ気味に言った。

来るのが遅いぞ、KK。結構危なかったぜ。

するとKKと呼ばれた美女はごめんね~、見せ場伺ってたのと、軽い口調で返す。まるで悪びれる様子が無い、
その様子に呆れながらも、ヘンヨはKKに少し派手にやり過ぎじゃないか? と怪訝な表情で聞いた。
車が全く通ってないからあーいう派手な事したかったのよ。ま、警察には連絡したから後はあの人達に任せましょ、と背伸びしながらKKはそう言った。
やれやれ、と溜息をつくヘンヨ。そんなヘンヨに微笑しながら、KKが持ってきていたヘンヨ用のヘルメットを放り投げた。

ヘルメットを受け取ってヘンヨは被るとバイクに跨った。その後ろに跨り、両手をヘンヨの腰に回して密着するKK。

アクセルを踏みこんで、ヘンヨはその場を後にする。


ふと、頭の片隅に今日の騒動のきっかけとなった、紙袋男の事が過ぎったが、恐らくもう会う事は無いだろうと思う。


                                   ――――――――――

エンストを起こしてから30分後、ようやくタクシーが息を吹き返した。
運転手は何度もマキに平謝りしたが、マキは大丈夫ですよと爽やかに返す。なってしまった事は仕方が無い。
それよりも……赤毛の男の人が何処に行ったのか、それで結局ケースを返せなかった事が、マキには心残りである。

何にせよ、もう目的は果たせなかったから帰るしか無い。
マキは後ろ髪を引かれる思いではあるが、運転手に頼んで市内に帰るのも面倒なので、直接自宅まで連れていってもらおうと考えた。

と、何かが走って来るのが見える。真っ赤なバイクだ。……確か、さっきまで黒塗りの車の後ろ、自分達の前を走っていた。

マキはまだタクシーに乗り込まず、じっとバイクを見つめた。


                                   ――――――――――
バイクを疾走させていると、ヘンヨの視界にふと、タクシーが入る。

何でこんな所にタクシーが停まってるんだ? とヘンヨは不思議に思う。それでいて、タクシーの横には不思議そうに自分を見つめている男……。

ヘンヨが徐々にバイクにブレーキを掛けていき、やがて脇に停めた。
KKがヘンヨのその行動にどうしたの? と聞くと、ちょっと待っててくれと伝え、ヘンヨはバイクから降りた

                                   ――――――――――

自分の目の前でバイクが止まり、マキは軽く驚く。
しかしそれ以上にマキが驚いたのは、バイクから降りてヘルメットを外した、その人物の髪型であった。

その人物がマキの方へと歩いてきて、コートから何か――――否、指輪のケースを取り出した。

マキもその人物へとウレタンケースを持って歩んでいく。

――――――――――



二度と会う筈が無い、と思っていた、紙袋男と、赤毛の男の人が、対面する。



                                   ――――――――――



「……えっと、これ返します。間違えて、申し訳無いです」

「これ、アンタのだろう。俺の方こそ悪いな、間違えて」

「あ、いえ、こちらこそ。私の不注意で……本当に申し訳ない」

「いいさ、気にするな。俺の方こそ不注意だからな」

「私こそ……あ、それと、傷は付けていないから、安心して下さい」

「そうか。余計な気苦労掛けたみたいで、すまん」

「そんな事無いですよ。でもホント、返せてよかった……」


「それじゃ……」

「ちょっと待ってくれ。……一つ聞いていいか?」

「……何でしょうか」

「……もしかしてアンタ、わざわざ俺を追ってきたのか? その、ケースを渡しに」

「あ、はい。……御迷惑でしたか?」

「……そうか。へぇ、そうかそうか……」


「……面白いな、アンタ」

「……私自身は真面目なんですけどね」



                                   ――――――――――

「あの冴えない人って誰? 知り合い?」

「俺も良く知らん。まぁ、悪い奴じゃないさ」

「ふーん。あ、所でそのケース、どうすんのよ。依頼者は死んじゃったし、取引は予想通りガセだったし」

「どうもこうもしねえさ。ま……持ち主の元には返すがな」


                                   ――――――――――

「あ、ティマ?」

「マキ? 良かった、さっきから電話かけてたけど繋がらなくて……」

「ごめんごめん、ちょっと色々あってさ」

「あんまり……心配かけないでね。私……私……」

「……ごめん、ティマ。けど、今度は本当に君に渡したい物があるんだ」

「……うん。楽しみに、待ってる」

「それとね、ティマ。ちょっと詳しく話したい事もあって……」

               

                                   ――――――――――


二人の出会いは一瞬。それが何を意味するか、当然ながら二人が理解する事は永遠に無いはずだ。
               だが、ほんの一瞬、そして、いずれ彼らの記憶から消え去るであろう瑣末な出来事は、重大な意味を持っている。


                                   ――――――――――

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                         それぞれの物語を紡いで行く為に、彼らはまた途方もない距離で隔てられる。
                           少し経てば、距離以上に重要な物でさらに線が引かれるだろう。


                                   ――――――――――
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それでも、世界はたった一つ。


                                   ――――――――――

case




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