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第八話「希望は月にあり」後編(中)」(2010/10/28 (木) 06:37:28) の最新版変更点

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「おーやってるやってる」  基地の司令室で戦いの様子を見ているマール。手にはポップコーンやコーラを持っており、気分は完全にプロ レス観戦だった。一方のカミーラは切ない瞳で二人の戦いを見ている。まるで起きて欲しくないことが起きたように。 「どうしましたか?」 「いえ、別に……」  言葉ではそういっているが顔は完全に不安の表しており、落ち着かないのか組んだ指をやたらと動かしている。  そんなカミーラを見かねてついマールは声をかける。 「……一つだけ聞いていい?」 「なんでしょう?」  カミーラはマールのほうを向く。その目は真剣そのものでいつもの温さはない。 「あなたの名前、偽名ですね」 「突然何を……?」  マールの言葉にカミーラは戸惑う。 「”女吸血鬼の贖罪”なんてかなり変わった名前ですね」  ペカレフ、ヘブライ語で贖罪という意味だ。だがそれだけではない、カミーラという名前もまたなにやら深い 意味がありそうだ。本来、吸血鬼というのはアンデットの一種であり神の法に背いた存在である。その存在が贖 罪、という意味の名を持っている。それは神への贖罪なのか? それとも別の意味があるのか?  もっともマールが名前が偽名である事を疑う理由は彼女の名前があまりにも中東らしくないから。というの が根拠の理由なのだが。 「そうですね」  カミーラはマールの言葉に眉一つ動かさずに答えた。聞き慣れているだけなのか、それとも本当にそういう 名前なのかマールには分からなかったが彼女は何かを隠していることだけは確信できた。  その証拠にカミーラの手の甲にはナンバーを思わせるのような痕が残っていた。まるで無理矢理皮を剥いだ かのような痛々しい傷跡が。  模擬戦が開始されてから十分が経過した。 「はぁはぁはぁ……」  ファルはかなり息を荒げている。どうやらかなり体力を奪われたらしい。 「ふぅ、おい、そろそろ決めねぇと時間の無駄になっちまうぞ」  大きなため息を付いたがアジャムのほうはまだまだ体力に余裕があるようだ。  無理もないだろう。この十分の間、ファルはアジャムに攻撃を仕掛けるがほとんどいなされるか、防がれる か、かわされるかのどれかだった。そしてアジャムのほうは自分から手を出すことは全くなく、ファルの行動 予測に徹していた。 「これで、どうだぁ!」  ファルは大型剣、ブリューナクを展開するとフルスロットルでアジャムのグライドアへ突進していく。 「それが甘いっての!」  向かってくるビスマルクに対しアジャムはパネルをいじると脚部から冷却弾頭を取り出し、銃の先端に取り付けた。 「あばよ」  冷却弾頭がビスマルクに向かっていく。ファルはレバーを横に倒しそれをかわすが横から凄まじいGがかか り、彼女の顔を歪ませる。それだけではない、急旋回したことによりビスマルクの機体バランスが崩れる。 「ぐぬぬ!!」  ペダルを軽く浮かせるとレバーをニュートラルに戻した後、一気に手前に倒し無理矢理機体バランスを立て直した。 「これでどうだぁぁ!」  大型剣がグライドアを真っ二つにしようとする、だがすれ違いざまにクレイモア爆弾をビスマルクの頭へ叩き込んだ。 「あああああ!」  激しい衝撃がコックピットを揺らす。幾つもの鉄球がビスマルクの装甲を凹ませていく。  そして激しい煙を吹かせながらビスマルクはゆっくりと氷の海へと落ちていった。 「悪いな、俺の勝ちだ」  アジャムは勝ち誇った笑みを浮かべながら高らかに宣言した。が、マールからの不平の通信が入る。 「アジャムさん! 実弾を使うのは辞めてください!」 「実戦形式のほうが訓練になるっていったのはそちらではないですか?」  アジャムは飄々と答えた。 そう、戦う前のセッティングで二人は実戦形式のほうがより良い訓練になると 思い実弾を用意しておいた。 「でもだからと言ってクレイモアはやりすぎです! ファルちゃんなんて気絶してるじゃないですか!」  マールがそういうとビスマルクから通信が入る。 「いたたたた……マール、悪いんだけど救命ボートくれない。海の中で身動きが取れないのよ」 「だとよ?」  いやらしい笑みを浮かべるアジャムに対しマールは眉間に皺を寄せながら見つめた。 「アジャムさん……」 「分かった分かった、回収すれば良いんだろ?」  アジャムは観念したかのように手を振る。 「もちろんビスマルクの修理代はあなたのお給料から差っ引いておきますね」  マール冷たい笑みを浮かべながら釘を刺した。  抜け目がないことで……。 「了解」  そう言って海の中へと入っていった。 「くそ、これもダメか!」  ケントは眉間に皺を寄せる。ディスプレイには一致しないことを示すマークが出ており、数万のパターンは 全て単なる徒労へと変貌した。  ライオネルのほうに視線を移すとなにやら腕を組んで考え込んでいる。  その視線の先はケントが作った対バイラム用の戦闘データであった。  このデータは以前、初めてバイラムと遭遇した時のデータと中東に現れたバイラムとの交戦記録をベースに 作り上げたものである。いつ襲来が来るか分からないので即興で組んだ物のため穴は多く、とてもじゃないが 実戦で使用することは自殺行為に等しかった。 「ふむ、ではこれでどうかな?」  そう言ってキーを素早く叩き、データを入力していく。数秒の待ち時間の後に結果が表示される。 「なるほど、これで大体理解は出来た」  ライオネルは何かを掴んだようだ。その顔には不敵な笑みが浮んでいる。 「どういうことですか?」  ケントは教授のディスプレイを覗き込む。 「共有結合だ」 「共有結合? ダイヤモンドや塩酸などの?」 「そうだ、もしこの原理を別の物に応用できるならどうだ? そう、例えば鉄や銅といった金属類などにな」  ダイヤモンドをベースに同じ方法で共有結合を構築し、作り上げる。  炭素の塊であるダイヤですらこの硬さなのだ。もし鉄や銅でこの構築が出来るならかなりの強度を誇るだろう。  だが、金属には非共有電子対と呼ばれるものが極端に少なく、ダイヤモンドのような強度を持たせるには純度 を極限まで上げるしかなかった。  だが、ライオネルは原子が分解される際に現れる、虚生電子を擬似的な孤立電子対に仕立てることにより金 属のような非共有電子対が少ない物質でもダイヤのような共有結合が可能となると仮説を立てた。  現にヘリウム原子を分解し、二つの水素原子が出来ることはすでに学会では立証済みだ。 「し、しかしいくらなんでも…」  教授の仮説にケントは少々渋った顔を見せる。いくらなんでも突飛過ぎだ。  それに、これを人工的に作り上げられるとしたら敵はかなり科学力を持っているということを意味になるぞ。 「理不尽か? 違うな、理不尽などではない、れっきとした規律だよ」  ライオネルの言葉に思わず言葉を失うケント。 「私はバイラムの装甲がデタラメとは思わん、なぜなられっきとした理屈、理論だからな。だが人間はどうだ? 他人が自分より勝っているからといって酷い言葉や嫌がらせをしてないか? 貧しいから、美しくないから 太っているから、弱いから、そんな理由で人を虐げていないか? これは理か? ちがう、単なる醜い感情なのだ」  ライオネルは背もたれに身を預けると暗い空を見上げ、呟いた。 「ケント、何故実戦で使用することは自殺行為に等しかった。私が教授という地位を捨てたのか分かるか?」 「なんとなくですが分かります」  ケントは呟くように言った。恐らく教授は人間関係が嫌になったんだろう。優れたものの足を引っ張るのは 人間の世界ではよくあることだ。僕も昔同じことがあったからね。 「なんとなく……か?」 「す、すみません」  しまった、教授はなんとなくっていう言葉が嫌いなんだった。 「ふふ、なんとなくは実に重要だ。例え微妙な差異でも気が付く者は気が付く」  ライオネルは赤いカップを手に取り中のコーヒーをすすった。苦味と酸味、そしてほのかな甘さが舌を刺激する。 「なんとなく、と言うのは実に理的だ。それは本能から来る理性的な感性の一つであるからな。ただそれを理 由付け出来ずにそのままに放置してしまう。理由も無くな」  暗い道や人がいないところを怖いと思うのは決して非倫理的なのではない。それは本能が危険であるという 事を教えてくれるからだ。しかし、多く人間は本能的に感じた物を否定してしまう。  そういえば何回も講義で言ってたっけ。本能は理屈の塊であるって……。 「では、感情は理には出来ないのでしょうか?」  ケントの言葉にライオネルは軽く笑う。 「ふむ、難しいな。感情と言う物はどう理屈を述べてもその理に沿って行動するわけではないからな」 「思い通りにならない、と言うことですか?」 「そうだろう、例えば君がチーズバーガーを頼んだとしよう、そして君の友人はトマトバーガーだ。どちらも 同じ値段なのに、友人の物のほうが美味しそうに見えたりしないか?」  ライオネルの言葉にケントは少し頷いた。確かに、自分はあれが美味しそうだと思って注文したんだ。それ なのに何故……。 「それは理とは違った”情”というものだろう。他人にあって自分にないものを羨ましいと思うのは人間が感 情の生き物だからだろうな」 「なるほど、では教授が奥さんに逃げられたのも情のせいですか?」 「いや、逃げられたのは私の情のせいだ」  ライオネルの答えにケントは思わず苦笑してしまう。 「笑っている場合か、解析をいそげ!」 「は、はい!」  二人は再びディスプレイを睨みつけながらキーボードを叩き始めた。  ケントとライオネルが解析を進めている一方、アジア統連の重慶基地では奈央はベットの上で天井を眺めていた。 「はぁ……」  思わずため息を付いてしまう。奈央にしては珍しく陰鬱な気分のようだ。  思わずため息を付いてしまう。奈央にしては珍しく陰鬱な気分のようだ。  瞳を閉じるとバイラムの戦いが思い出される。剣を振るい、突き刺し、銃を向ける。そして最後は大空へと 飛び立ち核を投げつける。その様子はまるで殺戮を楽しむかのようだった。  だが奈央にはバイラムへの恐怖は無い、それよりも真実のほうが奈央にとって重かった。  バイラムが……”あの人”だなんて……  確証は無い。しかし、それが本当だったら?  本当だったらあの人が私の仲間を、パーチャイ少尉を殺したという意味になる。  認めたくない、認めるわけにはいかない。  奈央はこの思いを振り払う為にベットの中で頭を振る。こんな堂々巡りが彼女の頭の中で渦を作っていた。  暫くの間枕に頭を静めると、突然ベットから起き上がった。  真実を確かめてみよう。もしかしたら違うかもしれない。あの人がそんな事をするはずがない。  そう思うと素早く軍服に着替え、部屋を出て行った。  廊下からはいる光はすでに西にから入ってきており、一日がすでに半分終った事を示している。  背筋を伸ばし、堂々とした佇まいで廊下を歩いていく。 「ようし、あと一セットだ!」 「はい!」  廊下の外から威勢の良い声が響いている。声の主はコウシュンたちであった。  奈央がベットで寝ている間、第三空陸大隊の面々は基礎訓練を行っていた。  普段の訓練とは違い、基礎体力を高める為にかなりの量のトレーニングを積んでいるようだ。  彼らの顔はかなり真っ赤であり、額から流れる汗がその激しさを教えてくれる。  だが、誰もがこの訓練に対し音をあげる者はいなかった。ただ黙々とトレーニングを重ね続ける。  しかし、この訓練は意外な人物が止めることとなった。 「そこまでです!」  全員が腕立て伏せに入ろうとしたとき、コウシュンの後ろから大声で叫ぶ人物がいた。  第三空陸大隊の面々は叫んだ人物の方へと視線を向ける。無論、コウシュンもそちらを見る。  大声の主はヨウシンだった。普段の温和そうな顔とは違い、かなり厳しい顔つきをしていた。  「みなさん、これは明らかにオーバーワークですよ。訓練を中止し、それぞれの待機場所へ向かいなさい」 「はっ!」  大隊の面々はすぐさま立ち上がりヨウシンに敬礼をすると、あっという間に基地内へと入っていった。  「申し訳ありませんでした」  基地へと戻っていく隊員たちを見送りながらコウシュンは頭を下げる。 「いえ、彼らの気持ちは理解できますよ」  ヨウシンは穏やかな口調でなだめる。  無理もなかった。バイラムが使用した核兵器、パーチャイを始めとする仲間の死。己の無力さを痛感する事 態があまりにも多かった。彼らはその無力さを払拭する為にあのような無謀なトレーニングを積んでいたのだろう。  ヨウシンは彼らの様子を見ながら自身もまた、自身の無力さについ握りこぶしを作る。  何年も軍人という立場になっていますがやはり誰かが死ぬのは辛い物ですね。  軽くため息を付くとコウシュンの方へと向きなおす。 「コウシュン中佐、貴方に命令しておきます。三ヶ月以内に大隊全員に特務戦闘技術を仕込んでおいてください」  ヨウシンの言葉にコウシュンは思わず目を見開き、目の前の司令官をじっと見てしまう。  特務戦闘技術とはエリート部隊を作るための特別訓練なのだ。銃器の扱い、PMや戦車といったものの操縦 技術から始まり、諜報活動、潜伏訓練、サバイバル技術の向上などあげてみれば切りが無い。それだけではな い、この特務戦闘技術を仕込むには最低でも1年半掛かる代物だが、目の前の司令官はそれをわずか三ヶ月で やれと言っているのだ。 「正気、なのですか?」  思わず口に出してしまう。目の前の司令官は決して無理難題を言う人間ではないことはコウシュンは知って いる。しかし、いくらなんでもこの命令は無謀すぎる。一体何が目的なのだろうか? 「ええ、正気です」  ヨウシンは飄々とした雰囲気で目の前の男に言った。 「分かりました、最悪の場合、脱落者が出るかもしれませんがよろしいですね?」 「構いません、脱落者に対しては私が何らかのフォローをしておきますのでご安心を」  ヨウシンの言葉にため息を付いた後、すぐさま敬礼をし、その場を去っていった。  去り行くコウシュンの背中を見送りながらヨウシンもまた、基地へと戻ろうとする。 「おや?」  扉を開けると奈央が目の前に立っていた。 「水原伍長ではないですか、どうかしましたか?」 「長い間休んでいて申し訳ありませんでした」  そう言って奈央は頭を下げる。  そういえばナタリア君から報告を受けていましたね。水原伍長の精神状態がおかしいので休ませていると。 「いえいえ、別に気にしてませんよ。君はあれが初の実戦だと聞きましたからね、無理もありません」  ヨウシンは柔らかな顔で奈央をいたわる。  あの戦いでほとんどの軍人が軍を辞めたという話を聞きましたからね。辞めなかっただけ精神力はあると思 いましょう。 「しかし……」  口を濁す奈央に対しヨウシンは朗らかに笑った。 「そう気にされてもこちらが困りますよ。水原伍長、復帰をしたのならあなたの仕事に戻りなさい」  ヨウシンはそう言うと踵を返し、司令室へと帰ろうとした時だった。 「待ってください!」  突然の大声に思わず振り向いてしまう。 「バイラムの解析を私にさせてください!」 「はい?」  ヨウシンは思わず首を傾げてしまった。 「どうぞ」  司令室のソファーに座っている奈央に白いカップを差し出す。中にはなみなみと茶色のお茶が注がれている。 「ありがとうございます……」  目の前に出されたお茶を奈央は見つめる。お茶の水面には締りの無い自分の顔が移った。 「どうかしましたか?」  出された物を飲まない奈央に少し不思議そうな顔をするヨウシン。 「い、いえ、別に……」  口ではそう言うが出された物をただ見つめるだけだ。いや、見つめていても視線は定まっていなかった。 「……出された物を頂かないのは礼儀違反ですよ」 「あっ、すみません」  ヨウシンに促されるかのようにお茶を口に含む。 「美味しい……」 「でしょう?」  ヨウシンは満面の笑みを浮かべる。彼が出してくれたお茶は渋すぎず甘すぎず、芳醇な香りが胃の中に入り 込んでくるような感覚だった。 「もう一杯いかがですか?」 「いえ、けっこうです」  ヨウシンの申し出を丁寧に断る奈央。その顔は少し前のような陰鬱な顔はしていなかった。 「では水原伍長、説明をお願いできますか?」 「え?」  先ほどとは打って変わって穏やかなヨウシンの顔が鋭くなる。声のトーンからかなり根強さを感じ取れる。 「何故、あなたがバイラムの解析をしたいのかを」 「それは……」  奈央は再びあらぬ方向を見つめ始めた。どうやら言うべきなのか、言わざるべきなのか迷っているようだ。 「……言えませんか?」 「いえ、そんな事は……」  ヨウシンの問いに対し歯切れが悪く答えてしまう。  このままでは埒が開きませんね。  ヨウシンは腕を組むと少し知恵を絞り始めた。一方の奈央はどうしていいのか分からず、ただモジモジと 足動かすだけであった。しばらくの間、両者に沈黙が流れる。  そしてヨウシンの考えがまとまると重い口を開いた。 「水原伍長、では質問を変えましょう。固有名詞を出さずにあなたの今一番疑問に思っている事を言ってください」 「え?」  新しい質問に奈央は少し戸惑ったが少し考えた後、意を決したかのようにゆっくり話し始めた。 「もし、もしもですよ。自分の同僚を殺したのが自分の知り合いだったらどうしますか?」  奈央の疑問に対し、ヨウシンは再び笑みを浮かべる。ただし優しい笑みではなく勝利を確信した笑みだったが。  手ごたえは掴みました。後はそこからゆっくりと組み立てて見ましょう。 「それはどういうことですか?」 「そのままの意味です」  そのまま、という事は……。  ヨウシンの頭の中で推理を始める。同僚……。これは恐らくパーチャイ少尉のことでしょう。では知り合い と言うのは……? そうか、彼女は――。  推理が纏まったヨウシンは軽く咳払いをすると奈央の問いに対し、答えを話した。 「私の答えは決まってますよ。民間人なら告発をし、政治家だったら失脚させ、軍人でしたら銃殺刑にかけます」  ヨウシンの答えに思わず息を飲む奈央。普通ならそうだろう、例え自身の知り合いといっても今は殺人者なのだ。 「で、でも、私が知らない間に何かあって、それで仕方なく……」  奈央は自分の理屈に無理がある事は重々理解していた。しかしこの言葉は偽りの無い奈央の意思、思いである。 「水原伍長……!」  ヨウシンの重苦しい言葉に奈央は口を閉じた。 「水原伍長、あなたには何が見えているのですか? 目の前で誰が死にましたか?」  ヨウシンの言葉に対し、何も言い返すことが出来ない。目の前で死んだのは――。 「軍人志望でないあなたに高望みはしません。しかし、あなたの行いでまた誰かが死ぬかもしれませんよ」  彼女の両肩に言葉が、想いが、責任が重くのしかかる。 「知り合いに何があったかなんて私には分かりません。ですが今、目の前で死んでいるのはあなたの仲間なのですよ!」  重い沈黙がしばらく続いた後、奈央は顔を伏せて泣き始めた。  ヨウシンも沈痛な面持ちでうなだれた。  泣くな、などと言うほど強さは無い。笑って、などと言うほど優しさは傷付ける。  だが、これが他ならぬヨウシンの答えなのだ。 「すみません、泣いたりして……」  奈央は涙でぬれた頬を拭うと立ち上がった。 「答えは決まりましたか?」 「はい……」  ヨウシンの問いに奈央は答えた。その言葉は少し弱弱しかったがどこと無く心が通った強さが垣間見える。 「では、水原伍長。バイラムの解析をお願いします」 「了解しました、ソウ司令。では失礼します」  奈央は敬礼すると司令室から出て行った。  ヨウシンは奈央の背中を見送ると再びお茶を継ぎ足した。 「ふぅ……四十にして迷わず、と言いますけど私は迷ってばかりですね」  そう言って自分のデスクに座るとくるりと扉に背を向け、オーディオ機器のスイッチを押した。  司令室を出た奈央は自分の部屋に向かった。そして電子アドレス帳を引っ張り出し、電話機に番号を入力した。  数秒ほどの呼び出し音の後、相手が受話器を取る音が耳に入ってきた。電話の相手は―― 「もしもし」 「あっ、祐一君? 水原だけど……」 「あっ、奈央さんじゃないですか。一体なんですか? 突然電話をかけてきて……」  奈央は祐一が出た事を確認すると早口で自身の用件を話した。 「祐一君、一明さんのビデオはまだ持ってる?」 「父さんの? 丁度、これから見てみようと思ってた頃です」 「そう、なら悪いんだけど送ってくれない?」  奈央の言葉に祐一は少し戸惑った。 「え?」 「ちょっと気になることがあって」 「気になること……ですか?」  声のトーンが少し低くなる。受話器越しでは一体何が起こっているのか分からないがなにやら嫌なことがあっ たようだ。 「わかりました。でもどんなビデオが必要なんですか?」 「とりあえず、全部頂戴。後はこっちで何とかするから」 「はい、わかりました」  奈央は受話器を置くとため息を付く。  これでもう後には引けない。  椅子に座り祐一からのビデオを待つ。軽い電子音が響くとディスプレイにはデータ受信開始の合図が出ている。  ディスプレイのボタンを押し、ダウンロードを開始する。終わるまでおおよそ二時間半かかるようだ。  奈央は少し顔をしかめると部屋を出て行く。やっておくべき事が残っているからだ。  一つ目は休んでいた分の仕事。伝票整理や報告書の類いが溜まっており、その処理をした。  二つ目はデータルームの準備。これからしばらくの間この部屋に缶詰めになるのでナタリア大尉に許可を取 ってもらった。  奈央が部屋に帰る頃にはダウンロードは全て終わっており、一明のデータを全て、一枚のディスクに収める。 「さて行くとしますか」  奈央はディスクを手に持つと目的地のデータルームへと向かおうする。 「水原!」  途中、廊下で誰かが呼び止める。振り向くとそこにはリーシェンがいた。手にはファイルを持っており、無 数の書類が挟んであった。 「リーシェン軍曹、どうかしましたか?」 「鳳凰のシステム周りの見直しを頼みたいのだがいいか?」 「すみません、後でいいですか? これからバイラムの解析をしなくてはいけないんです」  奈央が申し訳なさそうな顔をするとリーシェンの方も少し困った顔をした。 「そうか、すまないな」 「いえ、こちらこそ。失礼します」  奈央はリーシェンに頭を下げるとすぐさま背を向けてデータールームへと向かった。  データルームの扉を扉を開けて解析データが入ったコンピュータの前に座る。  さてと、頑張らないとね……。  奈央は読み込み機ににデータディスクを差し込むとキーボードを叩き始めた。  画面に一明のデータが再生されると思わず見入ってしまう。データの年数が新しくなるたびに画面の男性も 歳を取っていった。だがどのデータも彼は太陽を思わせる笑顔を見せており、良い人生を歩んでいるようだった。  知らず知らずのうちに微笑みながらデータを入力していく。  あっ、これ……。  奈央はビデオディスクの中にある一つのデータを思わず再生してしまう。  それは八年前にあった武術大会のビデオだった。大会と言っても規模は小さいものの中身はかなり本格的で ほとんど何でもありだった。そしてその大会に一明は出場し、見事二位という成績を収めた。無論、武術は身 体を鍛える延長上のものであったが彼はとても楽しく出来たと語っている。  奈央はそんな彼を見ながら中学時代を思い出していた。  今から八年ほど前、水原奈央がまだ中学三年生だった頃。 「お母さんのバカ!」 「奈央、待ちなさい!」  奈央は母親にそう叫ぶと家を飛び出していく。  喧嘩の原因はどこにでもあるお話。そろそろ反抗期を迎えた娘が母親の口煩さに口答え。そして険悪な中の まま進路の事で言い争いになり、奈央は家を飛び出していった。  奈央としては友達がいる高校に進学したい、だが母親としては偏差値が高い高校に入って欲しい。  親と子のジレンマであった。 「お母さんの馬鹿……」  暗い公園の中で一人呟く。誰もいないブランコに座ると俯いたまま軽くこぎ始める。  真夜中の風は思ったよりも強く、冷たかった。 「お嬢ちゃん、こんな夜中にどうしたのかなぁ?」  突然、男性が声をかけてきた、男性は三人組で見るからに柄が悪そうだった。  男たちは酒に酔っているらしくろれつが回らず目も虚ろであり、おまけに香水と酒の臭いが混ざってなんと も気持ち悪い臭いを撒き散らしていた。 「うっ…」  嫌悪感から思わず身体が引く。 「あれあれ、どうしたのかな?」  逃げなきゃ、と思いすぐさま駆け出そうとするが素早く手を掴まれた。 「きゃぁ!」 「にげんじゃねぇよ! これから楽しい事をしようっていうのによう」  一人の男が奈央に顔を近づける。恐怖のあまり涙が零れ落ちる。  「誰か助けてぇ!」  力の限り叫んだ。奈央の叫びは暗い公園内に響く。 「誰もこねぇよ、こんな所!」 「いや、来てしまったよ。こんな所に」  男達が嫌らしい笑みを浮かべながら奈央を押し倒そうとすると、後ろから一人の男性が現れた。  男性は筋骨隆々とまでは行かないもののかなり引き締まった身体をしており、青のジャージを着ていた。 「も、森宮さん!」 「なんだ、てめぇは?」 「私か? 見ての通り、善良な一般市民だよ」  すごむ男に対し一明は余裕あるスタンスを崩さない。 「ああ、そうかよ!」  一人の男が襲い掛かるが一明はそれを難なく避ける。男は何度も腕を振るが彼には一向に当らない。 「ふむ、どこからどこまでが正当防衛で済むのかな?」  男の攻撃をかわしながら一気に近付くと一明は男のみぞおちに膝をめり込ませる。  たった一発だった。たった一発の膝蹴りで男はその場に崩れ落ちる。 「さて、次はだれかな?」  余裕と威圧を含んだ目で彼らを見ると男たちは倒れた者を抱きかかえた。 「くそ、おぼえていろ!」  そういうとあっという間に姿を消した。 「やれやれ、ああいう手合いは捨て台詞だけ一流だな」  男たちが去っていくのを見送ると一明はその場にへたり込んでいる奈央に向かっていく。 「もう大丈夫だ。怪我はないかい? 奈央ちゃん」 「あっ、はい」  奈央はよろよろと立ち上がろうとするが足に力が入らない。 「あ、あれ?」 「ふむ、困ったな……」  お互い困った顔をすると一明は何かを閃いたのか軽く手を叩く。 「そうだ、丁度この時間には冬の星座が一望できる所があったんだ。あそこへいこう」  一明は奈央を背中に背負うと突然走り出した。 「え? ちょっとあの?」  奈央は戸惑いの声をあげるが彼は一向に無視して走り続ける。  どこへいくんだろう?  そんな疑問が頭に浮ぶが今起こっていることに頭が追いつかずただ呆然となるだけだった。 「さあ、着いたぞ」  一明は奈央をベンチに座らせる。彼が連れてきた場所は公園の高台だった。街頭の光が遠くに見える程度であり 薄暗い森の木が少しの恐怖を見せてくる。 「あの、ここは一体?」  先ほどの事を思い出し思わず身を硬くする奈央。だが一明は空を指差した。 「空を見てご覧」  奈央は恐る恐る空を見るとそこには満天の星が輝いていた。いつもなら一つや二つ程度光っているがここで は無数の星が光り輝いており、藍色の空を白い絨毯が広がっているようだった。 「す、すごい……」  思わず目から涙がこぼれそうだった。星占いを見るくせにどれがどの星なのかさっぱり分からないがこの光景は 奈央にとって衝撃的だった。  この公園にこんな場所が会ったなんて。  感動している奈央を見ながら一明もまた笑みがこぼれる。 「どうだい? ここは私のお気に入りでね、妻や息子には一切教えてないんだ」 「じゃあ、私だけ特別ってことですか?」  奈央は心を引かれながら一明に聞く。 「そういうことになるな」  一明の言葉に心が躍りだす。自分だけ特別というのは誰だって気持ちが良いものなのだろう。 「ところで、こんな時間に何をしていたんだ?」  この問いに奈央は気まずい顔をした。様子がおかしいことに一明は首をかしげる。 「え、ええっと……笑いませんか?」 「約束はするが場合によっては破るかもしれないな」  一明は腕を組みながら奈央を見ると観念したかのように話し始めた。 「実は……その、進路の事でちょっと……」 「進路?」 「はい……」  奈央はばつが悪そうに話し始めた。 「なるほど、そういうことか」  一明は笑みを浮かべながら大きく頷く。 「あはは、やっぱりこういうのはお母さんに従ったほうがいいですよね」  奈央は少し自虐的な笑みを浮かべながら俯いた。  「では、私の意見を言わせて貰おう」  一明は奈央に優しい笑みを浮かべながらこう説いた。 「奈央ちゃん、夢があるならそこに行ったほうが良い。他の誰でもない君の夢なんだから……」  一明の言葉に奈央は少し寂しげな顔をする。 「でも、夢っていうより単なる我侭ですよ。それにお母さんだって……」 「それでも良いさ、我侭も夢も元々は似たようなものだ。それに勉強なんてどこでも出来るさ」 「勉強する為に良い学校に入るんじゃないんですか?」 「そうじゃない、勉強は学校でするものじゃない。……いや、普通、勉強は学校でするものだが……」  しばらくブツブツと呟いた後、奈央の方に向き直り――。 「とにかく、学校のランクで勉強をするものじゃないさ。大事なのは何のために学ぶかだ」  もっともらしい事をいっているが内心は思いっきり焦っていたのか顔には苦笑いが浮んでいる。 「ぷっ」  そんな一明を見て思わず噴出してしまう。 「こらこら、笑わないでくれ」 「だって……」  一呼吸をおいた後、奈央は空を見つめながら一明に質問する。 「ねえ、森宮さん。宇宙ってどんな所ですか?」  奈央の言葉に一明は顎に手をやり、少し考える。 「そうだな、ふしぎな空間。といった所かな?」 「ふしぎな空間……」 「そうだ、あえて言うなら自分の小ささが確認できて、それでいて温かい気持ちになれる。そんなところだ」  一明は感慨深く呟くと奈央は目を輝かせて見る。 「決めた! 私、森宮さんみたいな宇宙飛行士になる!」  奈央は目を輝かせて一明を見た。そんな奈央を優しい瞳で一明は諭す。 「宇宙飛行士の道はとても辛いぞ。勉強だけじゃない、運動も出来なきゃいけないんだ」 「知ってます!」 「例え出来てもその中から選ばれるのはほんの一握りでも?」 「それでも目指します!」 「宇宙はとても危険な場所だ、一つの判断ミスで死ぬかもしれないよ」 「それでもいい!」  奈央は真っ直ぐに一明を見る。瞳には嘘も迷いもない。  この人と同じ景色を見てみたい。この人と一緒に歩いてみたい。その思いでいっぱいだった  そんな奈央を見て、一明は彼女の頭にポンと手を載せる。 「なら、目指せば良い。何回落第しても、何回規定のタイムを出せなくても、諦めず、何度でも挑戦すればいい」  彼もまた、宇宙にいくという夢を諦めきれない夢追い人だった。 「はい、私、頑張ります!」  一明の言葉を受けながら自分では想像がつかないほどの笑みを浮かべて答えた。 「では、私はそれまで待つとしよう。君がこの広大な宇宙に来るまで」  銀河の星々を見つめながら。 [[Next>第八話「希望は月にあり」後編(下)]] #back(left,text=一つ前に戻る)  ↓ 感想をどうぞ(クリックすると開きます) #region #pcomment(reply) #endregion
「おーやってるやってる」  基地の司令室で戦いの様子を見ているマール。手にはポップコーンやコーラを持っており、気分は完全にプロ レス観戦だった。一方のカミーラは切ない瞳で二人の戦いを見ている。まるで起きて欲しくないことが起きたように。 「どうしましたか?」 「いえ、別に……」  言葉ではそういっているが顔は完全に不安の表しており、落ち着かないのか組んだ指をやたらと動かしている。  そんなカミーラを見かねてついマールは声をかける。 「……一つだけ聞いていい?」 「なんでしょう?」  カミーラはマールのほうを向く。その目は真剣そのものでいつもの温さはない。 「あなたの名前、偽名ですね」 「突然何を……?」  マールの言葉にカミーラは戸惑う。 「”女吸血鬼の贖罪”なんてかなり変わった名前ですね」  ペカレフ、ヘブライ語で贖罪という意味だ。だがそれだけではない、カミーラという名前もまたなにやら深い 意味がありそうだ。本来、吸血鬼というのはアンデットの一種であり神の法に背いた存在である。その存在が贖 罪、という意味の名を持っている。それは神への贖罪なのか? それとも別の意味があるのか?  もっともマールが名前が偽名である事を疑う理由は彼女の名前があまりにも中東らしくないから。というの が根拠の理由なのだが。 「そうですね」  カミーラはマールの言葉に眉一つ動かさずに答えた。聞き慣れているだけなのか、それとも本当にそういう 名前なのかマールには分からなかったが彼女は何かを隠していることだけは確信できた。  その証拠にカミーラの手の甲にはナンバーを思わせるのような痕が残っていた。まるで無理矢理皮を剥いだ かのような痛々しい傷跡が。  模擬戦が開始されてから十分が経過した。 「はぁはぁはぁ……」  ファルはかなり息を荒げている。どうやらかなり体力を奪われたらしい。 「ふぅ、おい、そろそろ決めねぇと時間の無駄になっちまうぞ」  大きなため息を付いたがアジャムのほうはまだまだ体力に余裕があるようだ。  無理もないだろう。この十分の間、ファルはアジャムに攻撃を仕掛けるがほとんどいなされるか、防がれる か、かわされるかのどれかだった。そしてアジャムのほうは自分から手を出すことは全くなく、ファルの行動 予測に徹していた。 「これで、どうだぁ!」  ファルは大型剣、ブリューナクを展開するとフルスロットルでアジャムのグライドアへ突進していく。 「それが甘いっての!」  向かってくるビスマルクに対しアジャムはパネルをいじると脚部から冷却弾頭を取り出し、銃の先端に取り付けた。 「あばよ」  冷却弾頭がビスマルクに向かっていく。ファルはレバーを横に倒しそれをかわすが横から凄まじいGがかか り、彼女の顔を歪ませる。それだけではない、急旋回したことによりビスマルクの機体バランスが崩れる。 「ぐぬぬ!!」  ペダルを軽く浮かせるとレバーをニュートラルに戻した後、一気に手前に倒し無理矢理機体バランスを立て直した。 「これでどうだぁぁ!」  大型剣がグライドアを真っ二つにしようとする、だがすれ違いざまにクレイモア爆弾をビスマルクの頭へ叩き込んだ。 「あああああ!」  激しい衝撃がコックピットを揺らす。幾つもの鉄球がビスマルクの装甲を凹ませていく。  そして激しい煙を吹かせながらビスマルクはゆっくりと氷の海へと落ちていった。 「悪いな、俺の勝ちだ」  アジャムは勝ち誇った笑みを浮かべながら高らかに宣言した。が、マールからの不平の通信が入る。 「アジャムさん! 実弾を使うのは辞めてください!」 「実戦形式のほうが訓練になるっていったのはそちらではないですか?」  アジャムは飄々と答えた。 そう、戦う前のセッティングで二人は実戦形式のほうがより良い訓練になると 思い実弾を用意しておいた。 「でもだからと言ってクレイモアはやりすぎです! ファルちゃんなんて気絶してるじゃないですか!」  マールがそういうとビスマルクから通信が入る。 「いたたたた……マール、悪いんだけど救命ボートくれない。海の中で身動きが取れないのよ」 「だとよ?」  いやらしい笑みを浮かべるアジャムに対しマールは眉間に皺を寄せながら見つめた。 「アジャムさん……」 「分かった分かった、回収すれば良いんだろ?」  アジャムは観念したかのように手を振る。 「もちろんビスマルクの修理代はあなたのお給料から差っ引いておきますね」  マール冷たい笑みを浮かべながら釘を刺した。  抜け目がないことで……。 「了解」  そう言って海の中へと入っていった。 「くそ、これもダメか!」  ケントは眉間に皺を寄せる。ディスプレイには一致しないことを示すマークが出ており、数万のパターンは 全て単なる徒労へと変貌した。  ライオネルのほうに視線を移すとなにやら腕を組んで考え込んでいる。  その視線の先はケントが作った対バイラム用の戦闘データであった。  このデータは以前、初めてバイラムと遭遇した時のデータと中東に現れたバイラムとの交戦記録をベースに 作り上げたものである。いつ襲来が来るか分からないので即興で組んだ物のため穴は多く、とてもじゃないが 実戦で使用することは自殺行為に等しかった。 「ふむ、ではこれでどうかな?」  そう言ってキーを素早く叩き、データを入力していく。数秒の待ち時間の後に結果が表示される。 「なるほど、これで大体理解は出来た」  ライオネルは何かを掴んだようだ。その顔には不敵な笑みが浮んでいる。 「どういうことですか?」  ケントは教授のディスプレイを覗き込む。 「共有結合だ」 「共有結合? ダイヤモンドや塩酸などの?」 「そうだ、もしこの原理を別の物に応用できるならどうだ? そう、例えば鉄や銅といった金属類などにな」  ダイヤモンドをベースに同じ方法で共有結合を構築し、作り上げる。  炭素の塊であるダイヤですらこの硬さなのだ。もし鉄や銅でこの構築が出来るならかなりの強度を誇るだろう。  だが、金属には非共有電子対と呼ばれるものが極端に少なく、ダイヤモンドのような強度を持たせるには純度 を極限まで上げるしかなかった。  だが、ライオネルは原子が分解される際に現れる、虚生電子を擬似的な孤立電子対に仕立てることにより金 属のような非共有電子対が少ない物質でもダイヤのような共有結合が可能となると仮説を立てた。  現にヘリウム原子を分解し、二つの水素原子が出来ることはすでに学会では立証済みだ。 「し、しかしいくらなんでも…」  教授の仮説にケントは少々渋った顔を見せる。いくらなんでも突飛過ぎだ。  それに、これを人工的に作り上げられるとしたら敵はかなり科学力を持っているということを意味になるぞ。 「理不尽か? 違うな、理不尽などではない、れっきとした規律だよ」  ライオネルの言葉に思わず言葉を失うケント。 「私はバイラムの装甲がデタラメとは思わん、なぜなられっきとした理屈、理論だからな。だが人間はどうだ? 他人が自分より勝っているからといって酷い言葉や嫌がらせをしてないか? 貧しいから、美しくないから 太っているから、弱いから、そんな理由で人を虐げていないか? これは理か? ちがう、単なる醜い感情なのだ」  ライオネルは背もたれに身を預けると暗い空を見上げ、呟いた。 「ケント、何故実戦で使用することは自殺行為に等しかった。私が教授という地位を捨てたのか分かるか?」 「なんとなくですが分かります」  ケントは呟くように言った。恐らく教授は人間関係が嫌になったんだろう。優れたものの足を引っ張るのは 人間の世界ではよくあることだ。僕も昔同じことがあったからね。 「なんとなく……か?」 「す、すみません」  しまった、教授はなんとなくっていう言葉が嫌いなんだった。 「ふふ、なんとなくは実に重要だ。例え微妙な差異でも気が付く者は気が付く」  ライオネルは赤いカップを手に取り中のコーヒーをすすった。苦味と酸味、そしてほのかな甘さが舌を刺激する。 「なんとなく、と言うのは実に理的だ。それは本能から来る理性的な感性の一つであるからな。ただそれを理 由付け出来ずにそのままに放置してしまう。理由も無くな」  暗い道や人がいないところを怖いと思うのは決して非倫理的なのではない。それは本能が危険であるという 事を教えてくれるからだ。しかし、多く人間は本能的に感じた物を否定してしまう。  そういえば何回も講義で言ってたっけ。本能は理屈の塊であるって……。 「では、感情は理には出来ないのでしょうか?」  ケントの言葉にライオネルは軽く笑う。 「ふむ、難しいな。感情と言う物はどう理屈を述べてもその理に沿って行動するわけではないからな」 「思い通りにならない、と言うことですか?」 「そうだろう、例えば君がチーズバーガーを頼んだとしよう、そして君の友人はトマトバーガーだ。どちらも 同じ値段なのに、友人の物のほうが美味しそうに見えたりしないか?」  ライオネルの言葉にケントは少し頷いた。確かに、自分はあれが美味しそうだと思って注文したんだ。それ なのに何故……。 「それは理とは違った”情”というものだろう。他人にあって自分にないものを羨ましいと思うのは人間が感 情の生き物だからだろうな」 「なるほど、では教授が奥さんに逃げられたのも情のせいですか?」 「いや、逃げられたのは私の情のせいだ」  ライオネルの答えにケントは思わず苦笑してしまう。 「笑っている場合か、解析をいそげ!」 「は、はい!」  二人は再びディスプレイを睨みつけながらキーボードを叩き始めた。  ケントとライオネルが解析を進めている一方、アジア統連の重慶基地では奈央はベットの上で天井を眺めていた。 「はぁ……」  思わずため息を付いてしまう。奈央にしては珍しく陰鬱な気分のようだ。  思わずため息を付いてしまう。奈央にしては珍しく陰鬱な気分のようだ。  瞳を閉じるとバイラムの戦いが思い出される。剣を振るい、突き刺し、銃を向ける。そして最後は大空へと 飛び立ち核を投げつける。その様子はまるで殺戮を楽しむかのようだった。  だが奈央にはバイラムへの恐怖は無い、それよりも真実のほうが奈央にとって重かった。  バイラムが……”あの人”だなんて……  確証は無い。しかし、それが本当だったら?  本当だったらあの人が私の仲間を、パーチャイ少尉を殺したという意味になる。  認めたくない、認めるわけにはいかない。  奈央はこの思いを振り払う為にベットの中で頭を振る。こんな堂々巡りが彼女の頭の中で渦を作っていた。  暫くの間枕に頭を静めると、突然ベットから起き上がった。  真実を確かめてみよう。もしかしたら違うかもしれない。あの人がそんな事をするはずがない。  そう思うと素早く軍服に着替え、部屋を出て行った。  廊下からはいる光はすでに西にから入ってきており、一日がすでに半分終った事を示している。  背筋を伸ばし、堂々とした佇まいで廊下を歩いていく。 「ようし、あと一セットだ!」 「はい!」  廊下の外から威勢の良い声が響いている。声の主はコウシュンたちであった。  奈央がベットで寝ている間、第三空陸大隊の面々は基礎訓練を行っていた。  普段の訓練とは違い、基礎体力を高める為にかなりの量のトレーニングを積んでいるようだ。  彼らの顔はかなり真っ赤であり、額から流れる汗がその激しさを教えてくれる。  だが、誰もがこの訓練に対し音をあげる者はいなかった。ただ黙々とトレーニングを重ね続ける。  しかし、この訓練は意外な人物が止めることとなった。 「そこまでです!」  全員が腕立て伏せに入ろうとしたとき、コウシュンの後ろから大声で叫ぶ人物がいた。  第三空陸大隊の面々は叫んだ人物の方へと視線を向ける。無論、コウシュンもそちらを見る。  大声の主はヨウシンだった。普段の温和そうな顔とは違い、かなり厳しい顔つきをしていた。  「みなさん、これは明らかにオーバーワークですよ。訓練を中止し、それぞれの待機場所へ向かいなさい」 「はっ!」  大隊の面々はすぐさま立ち上がりヨウシンに敬礼をすると、あっという間に基地内へと入っていった。  「申し訳ありませんでした」  基地へと戻っていく隊員たちを見送りながらコウシュンは頭を下げる。 「いえ、彼らの気持ちは理解できますよ」  ヨウシンは穏やかな口調でなだめる。  無理もなかった。バイラムが使用した核兵器、パーチャイを始めとする仲間の死。己の無力さを痛感する事 態があまりにも多かった。彼らはその無力さを払拭する為にあのような無謀なトレーニングを積んでいたのだろう。  ヨウシンは彼らの様子を見ながら自身もまた、自身の無力さについ握りこぶしを作る。  何年も軍人という立場になっていますがやはり誰かが死ぬのは辛い物ですね。  軽くため息を付くとコウシュンの方へと向きなおす。 「コウシュン中佐、貴方に命令しておきます。三ヶ月以内に大隊全員に特務戦闘技術を仕込んでおいてください」  ヨウシンの言葉にコウシュンは思わず目を見開き、目の前の司令官をじっと見てしまう。  特務戦闘技術とはエリート部隊を作るための特別訓練なのだ。銃器の扱い、PMや戦車といったものの操縦 技術から始まり、諜報活動、潜伏訓練、サバイバル技術の向上などあげてみれば切りが無い。それだけではな い、この特務戦闘技術を仕込むには最低でも1年半掛かる代物だが、目の前の司令官はそれをわずか三ヶ月で やれと言っているのだ。 「正気、なのですか?」  思わず口に出してしまう。目の前の司令官は決して無理難題を言う人間ではないことはコウシュンは知って いる。しかし、いくらなんでもこの命令は無謀すぎる。一体何が目的なのだろうか? 「ええ、正気です」  ヨウシンは飄々とした雰囲気で目の前の男に言った。 「分かりました、最悪の場合、脱落者が出るかもしれませんがよろしいですね?」 「構いません、脱落者に対しては私が何らかのフォローをしておきますのでご安心を」  ヨウシンの言葉にため息を付いた後、すぐさま敬礼をし、その場を去っていった。  去り行くコウシュンの背中を見送りながらヨウシンもまた、基地へと戻ろうとする。 「おや?」  扉を開けると奈央が目の前に立っていた。 「水原伍長ではないですか、どうかしましたか?」 「長い間休んでいて申し訳ありませんでした」  そう言って奈央は頭を下げる。  そういえばナタリア君から報告を受けていましたね。水原伍長の精神状態がおかしいので休ませていると。 「いえいえ、別に気にしてませんよ。君はあれが初の実戦だと聞きましたからね、無理もありません」  ヨウシンは柔らかな顔で奈央をいたわる。  あの戦いでほとんどの軍人が軍を辞めたという話を聞きましたからね。辞めなかっただけ精神力はあると思 いましょう。 「しかし……」  口を濁す奈央に対しヨウシンは朗らかに笑った。 「そう気にされてもこちらが困りますよ。水原伍長、復帰をしたのならあなたの仕事に戻りなさい」  ヨウシンはそう言うと踵を返し、司令室へと帰ろうとした時だった。 「待ってください!」  突然の大声に思わず振り向いてしまう。 「バイラムの解析を私にさせてください!」 「はい?」  ヨウシンは思わず首を傾げてしまった。 「どうぞ」  司令室のソファーに座っている奈央に白いカップを差し出す。中にはなみなみと茶色のお茶が注がれている。 「ありがとうございます……」  目の前に出されたお茶を奈央は見つめる。お茶の水面には締りの無い自分の顔が移った。 「どうかしましたか?」  出された物を飲まない奈央に少し不思議そうな顔をするヨウシン。 「い、いえ、別に……」  口ではそう言うが出された物をただ見つめるだけだ。いや、見つめていても視線は定まっていなかった。 「……出された物を頂かないのは礼儀違反ですよ」 「あっ、すみません」  ヨウシンに促されるかのようにお茶を口に含む。 「美味しい……」 「でしょう?」  ヨウシンは満面の笑みを浮かべる。彼が出してくれたお茶は渋すぎず甘すぎず、芳醇な香りが胃の中に入り 込んでくるような感覚だった。 「もう一杯いかがですか?」 「いえ、けっこうです」  ヨウシンの申し出を丁寧に断る奈央。その顔は少し前のような陰鬱な顔はしていなかった。 「では水原伍長、説明をお願いできますか?」 「え?」  先ほどとは打って変わって穏やかなヨウシンの顔が鋭くなる。声のトーンからかなり根強さを感じ取れる。 「何故、あなたがバイラムの解析をしたいのかを」 「それは……」  奈央は再びあらぬ方向を見つめ始めた。どうやら言うべきなのか、言わざるべきなのか迷っているようだ。 「……言えませんか?」 「いえ、そんな事は……」  ヨウシンの問いに対し歯切れが悪く答えてしまう。  このままでは埒が開きませんね。  ヨウシンは腕を組むと少し知恵を絞り始めた。一方の奈央はどうしていいのか分からず、ただモジモジと 足動かすだけであった。しばらくの間、両者に沈黙が流れる。  そしてヨウシンの考えがまとまると重い口を開いた。 「水原伍長、では質問を変えましょう。固有名詞を出さずにあなたの今一番疑問に思っている事を言ってください」 「え?」  新しい質問に奈央は少し戸惑ったが少し考えた後、意を決したかのようにゆっくり話し始めた。 「もし、もしもですよ。自分の同僚を殺したのが自分の知り合いだったらどうしますか?」  奈央の疑問に対し、ヨウシンは再び笑みを浮かべる。ただし優しい笑みではなく勝利を確信した笑みだったが。  手ごたえは掴みました。後はそこからゆっくりと組み立てて見ましょう。 「それはどういうことですか?」 「そのままの意味です」  そのまま、という事は……。  ヨウシンの頭の中で推理を始める。同僚……。これは恐らくパーチャイ少尉のことでしょう。では知り合い と言うのは……? そうか、彼女は――。  推理が纏まったヨウシンは軽く咳払いをすると奈央の問いに対し、答えを話した。 「私の答えは決まってますよ。民間人なら告発をし、政治家だったら失脚させ、軍人でしたら銃殺刑にかけます」  ヨウシンの答えに思わず息を飲む奈央。普通ならそうだろう、例え自身の知り合いといっても今は殺人者なのだ。 「で、でも、私が知らない間に何かあって、それで仕方なく……」  奈央は自分の理屈に無理がある事は重々理解していた。しかしこの言葉は偽りの無い奈央の意思、思いである。 「水原伍長……!」  ヨウシンの重苦しい言葉に奈央は口を閉じた。 「水原伍長、あなたには何が見えているのですか? 目の前で誰が死にましたか?」  ヨウシンの言葉に対し、何も言い返すことが出来ない。目の前で死んだのは――。 「軍人志望でないあなたに高望みはしません。しかし、あなたの行いでまた誰かが死ぬかもしれませんよ」  彼女の両肩に言葉が、想いが、責任が重くのしかかる。 「知り合いに何があったかなんて私には分かりません。ですが今、目の前で死んでいるのはあなたの仲間なのですよ!」  重い沈黙がしばらく続いた後、奈央は顔を伏せて泣き始めた。  ヨウシンも沈痛な面持ちでうなだれた。  泣くな、などと言うほど強さは無い。笑って、などと言うほど優しさは傷付ける。  だが、これが他ならぬヨウシンの答えなのだ。 「すみません、泣いたりして……」  奈央は涙でぬれた頬を拭うと立ち上がった。 「答えは決まりましたか?」 「はい……」  ヨウシンの問いに奈央は答えた。その言葉は少し弱弱しかったがどこと無く心が通った強さが垣間見える。 「では、水原伍長。バイラムの解析をお願いします」 「了解しました、ソウ司令。では失礼します」  奈央は敬礼すると司令室から出て行った。  ヨウシンは奈央の背中を見送ると再びお茶を継ぎ足した。 「ふぅ……四十にして迷わず、と言いますけど私は迷ってばかりですね」  そう言って自分のデスクに座るとくるりと扉に背を向け、オーディオ機器のスイッチを押した。  司令室を出た奈央は自分の部屋に向かった。そして電子アドレス帳を引っ張り出し、電話機に番号を入力した。  数秒ほどの呼び出し音の後、相手が受話器を取る音が耳に入ってきた。電話の相手は―― 「もしもし」 「あっ、祐一君? 水原だけど……」 「あっ、奈央さんじゃないですか。一体なんですか? 突然電話をかけてきて……」  奈央は祐一が出た事を確認すると早口で自身の用件を話した。 「祐一君、一明さんのビデオはまだ持ってる?」 「父さんの? 丁度、これから見てみようと思ってた頃です」 「そう、なら悪いんだけど送ってくれない?」  奈央の言葉に祐一は少し戸惑った。 「え?」 「ちょっと気になることがあって」 「気になること……ですか?」  声のトーンが少し低くなる。受話器越しでは一体何が起こっているのか分からないがなにやら嫌なことがあっ たようだ。 「わかりました。でもどんなビデオが必要なんですか?」 「とりあえず、全部頂戴。後はこっちで何とかするから」 「はい、わかりました」  奈央は受話器を置くとため息を付く。  これでもう後には引けない。  椅子に座り祐一からのビデオを待つ。軽い電子音が響くとディスプレイにはデータ受信開始の合図が出ている。  ディスプレイのボタンを押し、ダウンロードを開始する。終わるまでおおよそ二時間半かかるようだ。  奈央は少し顔をしかめると部屋を出て行く。やっておくべき事が残っているからだ。  一つ目は休んでいた分の仕事。伝票整理や報告書の類いが溜まっており、その処理をした。  二つ目はデータルームの準備。これからしばらくの間この部屋に缶詰めになるのでナタリア大尉に許可を取 ってもらった。  奈央が部屋に帰る頃にはダウンロードは全て終わっており、一明のデータを全て、一枚のディスクに収める。 「さて行くとしますか」  奈央はディスクを手に持つと目的地のデータルームへと向かおうする。 「水原!」  途中、廊下で誰かが呼び止める。振り向くとそこにはリーシェンがいた。手にはファイルを持っており、無 数の書類が挟んであった。 「リーシェン軍曹、どうかしましたか?」 「鳳凰のシステム周りの見直しを頼みたいのだがいいか?」 「すみません、後でいいですか? これからバイラムの解析をしなくてはいけないんです」  奈央が申し訳なさそうな顔をするとリーシェンの方も少し困った顔をした。 「そうか、すまないな」 「いえ、こちらこそ。失礼します」  奈央はリーシェンに頭を下げるとすぐさま背を向けてデータールームへと向かった。  データルームの扉を扉を開けて解析データが入ったコンピュータの前に座る。  さてと、頑張らないとね……。  奈央は読み込み機ににデータディスクを差し込むとキーボードを叩き始めた。  画面に一明のデータが再生されると思わず見入ってしまう。データの年数が新しくなるたびに画面の男性も 歳を取っていった。だがどのデータも彼は太陽を思わせる笑顔を見せており、良い人生を歩んでいるようだった。  知らず知らずのうちに微笑みながらデータを入力していく。  あっ、これ……。  奈央はビデオディスクの中にある一つのデータを思わず再生してしまう。  それは八年前にあった武術大会のビデオだった。大会と言っても規模は小さいものの中身はかなり本格的で ほとんど何でもありだった。そしてその大会に一明は出場し、見事二位という成績を収めた。無論、武術は身 体を鍛える延長上のものであったが彼はとても楽しく出来たと語っている。  奈央はそんな彼を見ながら中学時代を思い出していた。  今から八年ほど前、水原奈央がまだ中学三年生だった頃。 「お母さんのバカ!」 「奈央、待ちなさい!」  奈央は母親にそう叫ぶと家を飛び出していく。  喧嘩の原因はどこにでもあるお話。そろそろ反抗期を迎えた娘が母親の口煩さに口答え。そして険悪な中の まま進路の事で言い争いになり、奈央は家を飛び出していった。  奈央としては友達がいる高校に進学したい、だが母親としては偏差値が高い高校に入って欲しい。  親と子のジレンマであった。 「お母さんの馬鹿……」  暗い公園の中で一人呟く。誰もいないブランコに座ると俯いたまま軽くこぎ始める。  真夜中の風は思ったよりも強く、冷たかった。 「お嬢ちゃん、こんな夜中にどうしたのかなぁ?」  突然、男性が声をかけてきた、男性は三人組で見るからに柄が悪そうだった。  男たちは酒に酔っているらしくろれつが回らず目も虚ろであり、おまけに香水と酒の臭いが混ざってなんと も気持ち悪い臭いを撒き散らしていた。 「うっ…」  嫌悪感から思わず身体が引く。 「あれあれ、どうしたのかな?」  逃げなきゃ、と思いすぐさま駆け出そうとするが素早く手を掴まれた。 「きゃぁ!」 「にげんじゃねぇよ! これから楽しい事をしようっていうのによう」  一人の男が奈央に顔を近づける。恐怖のあまり涙が零れ落ちる。  「誰か助けてぇ!」  力の限り叫んだ。奈央の叫びは暗い公園内に響く。 「誰もこねぇよ、こんな所!」 「いや、来てしまったよ。こんな所に」  男達が嫌らしい笑みを浮かべながら奈央を押し倒そうとすると、後ろから一人の男性が現れた。  男性は筋骨隆々とまでは行かないもののかなり引き締まった身体をしており、青のジャージを着ていた。 「も、森宮さん!」 「なんだ、てめぇは?」 「私か? 見ての通り、善良な一般市民だよ」  すごむ男に対し一明は余裕あるスタンスを崩さない。 「ああ、そうかよ!」  一人の男が襲い掛かるが一明はそれを難なく避ける。男は何度も腕を振るが彼には一向に当らない。 「ふむ、どこからどこまでが正当防衛で済むのかな?」  男の攻撃をかわしながら一気に近付くと一明は男のみぞおちに膝をめり込ませる。  たった一発だった。たった一発の膝蹴りで男はその場に崩れ落ちる。 「さて、次はだれかな?」  余裕と威圧を含んだ目で彼らを見ると男たちは倒れた者を抱きかかえた。 「くそ、おぼえていろ!」  そういうとあっという間に姿を消した。 「やれやれ、ああいう手合いは捨て台詞だけ一流だな」  男たちが去っていくのを見送ると一明はその場にへたり込んでいる奈央に向かっていく。 「もう大丈夫だ。怪我はないかい? 奈央ちゃん」 「あっ、はい」  奈央はよろよろと立ち上がろうとするが足に力が入らない。 「あ、あれ?」 「ふむ、困ったな……」  お互い困った顔をすると一明は何かを閃いたのか軽く手を叩く。 「そうだ、丁度この時間には冬の星座が一望できる所があったんだ。あそこへいこう」  一明は奈央を背中に背負うと突然走り出した。 「え? ちょっとあの?」  奈央は戸惑いの声をあげるが彼は一向に無視して走り続ける。  どこへいくんだろう?  そんな疑問が頭に浮ぶが今起こっていることに頭が追いつかずただ呆然となるだけだった。 「さあ、着いたぞ」  一明は奈央をベンチに座らせる。彼が連れてきた場所は公園の高台だった。街頭の光が遠くに見える程度であり 薄暗い森の木が少しの恐怖を見せてくる。 「あの、ここは一体?」  先ほどの事を思い出し思わず身を硬くする奈央。だが一明は空を指差した。 「空を見てご覧」  奈央は恐る恐る空を見るとそこには満天の星が輝いていた。いつもなら一つや二つ程度光っているがここで は無数の星が光り輝いており、藍色の空を白い絨毯が広がっているようだった。 「す、すごい……」  思わず目から涙がこぼれそうだった。星占いを見るくせにどれがどの星なのかさっぱり分からないがこの光景は 奈央にとって衝撃的だった。  この公園にこんな場所が会ったなんて。  感動している奈央を見ながら一明もまた笑みがこぼれる。 「どうだい? ここは私のお気に入りでね、妻や息子には一切教えてないんだ」 「じゃあ、私だけ特別ってことですか?」  奈央は心を引かれながら一明に聞く。 「そういうことになるな」  一明の言葉に心が躍りだす。自分だけ特別というのは誰だって気持ちが良いものなのだろう。 「ところで、こんな時間に何をしていたんだ?」  この問いに奈央は気まずい顔をした。様子がおかしいことに一明は首をかしげる。 「え、ええっと……笑いませんか?」 「約束はするが場合によっては破るかもしれないな」  一明は腕を組みながら奈央を見ると観念したかのように話し始めた。 「実は……その、進路の事でちょっと……」 「進路?」 「はい……」  奈央はばつが悪そうに話し始めた。 「なるほど、そういうことか」  一明は笑みを浮かべながら大きく頷く。 「あはは、やっぱりこういうのはお母さんに従ったほうがいいですよね」  奈央は少し自虐的な笑みを浮かべながら俯いた。  「では、私の意見を言わせて貰おう」  一明は奈央に優しい笑みを浮かべながらこう説いた。 「奈央ちゃん、夢があるならそこに行ったほうが良い。他の誰でもない君の夢なんだから……」  一明の言葉に奈央は少し寂しげな顔をする。 「でも、夢っていうより単なる我侭ですよ。それにお母さんだって……」 「それでも良いさ、我侭も夢も元々は似たようなものだ。それに勉強なんてどこでも出来るさ」 「勉強する為に良い学校に入るんじゃないんですか?」 「そうじゃない、勉強は学校でするものじゃない。……いや、普通、勉強は学校でするものだが……」  しばらくブツブツと呟いた後、奈央の方に向き直り――。 「とにかく、学校のランクで勉強をするものじゃないさ。大事なのは何のために学ぶかだ」  もっともらしい事をいっているが内心は思いっきり焦っていたのか顔には苦笑いが浮んでいる。 「ぷっ」  そんな一明を見て思わず噴出してしまう。 「こらこら、笑わないでくれ」 「だって……」  一呼吸をおいた後、奈央は空を見つめながら一明に質問する。 「ねえ、森宮さん。宇宙ってどんな所ですか?」  奈央の言葉に一明は顎に手をやり、少し考える。 「そうだな、ふしぎな空間。といった所かな?」 「ふしぎな空間……」 「そうだ、あえて言うなら自分の小ささが確認できて、それでいて温かい気持ちになれる。そんなところだ」  一明は感慨深く呟くと奈央は目を輝かせて見る。 「決めた! 私、森宮さんみたいな宇宙飛行士になる!」  奈央は目を輝かせて一明を見た。そんな奈央を優しい瞳で一明は諭す。 「宇宙飛行士の道はとても辛いぞ。勉強だけじゃない、運動も出来なきゃいけないんだ」 「知ってます!」 「例え出来てもその中から選ばれるのはほんの一握りでも?」 「それでも目指します!」 「宇宙はとても危険な場所だ、一つの判断ミスで死ぬかもしれないよ」 「それでもいい!」  奈央は真っ直ぐに一明を見る。瞳には嘘も迷いもない。  この人と同じ景色を見てみたい。この人と一緒に歩いてみたい。その思いでいっぱいだった  そんな奈央を見て、一明は彼女の頭にポンと手を載せる。 「なら、目指せば良い。何回落第しても、何回規定のタイムを出せなくても、諦めず、何度でも挑戦すればいい」  彼もまた、宇宙にいくという夢を諦めきれない夢追い人だった。 「はい、私、頑張ります!」  一明の言葉を受けながら自分では想像がつかないほどの笑みを浮かべて答えた。 「では、私はそれまで待つとしよう。君がこの広大な宇宙に来るまで」  銀河の星々を見つめながら。 [[Back>第八話「希望は月にあり」後編(上)]]<>[[Next>第八話「希望は月にあり」後編(下)]] #back(left,text=一つ前に戻る)  ↓ 感想をどうぞ(クリックすると開きます) #region #pcomment(reply) #endregion

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