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5、地下の王


 暗い。
まれに照らす明かりはあれど、それはあまりにも儚い。
 篭森珠月は、漆黒の闇の中を歩いていた。彼女の特徴である黒いゴスロリ服が闇に溶けて、境界線をあいまいにする。
 自分自身さえほとんど見えない闇の中、しかも崩れかけたコンクリートで埋もれたお世辞にも歩きやすいとはいえない道を、珠月は黒いドレスをなびかせて颯爽とあるく。
 相変わらずの黒いブラウスに黒いコルセットスカート。片手には日傘を、もう片方の手には小さなトランクと紙袋を持っている。
 何となく頭上を見上げる。そこも闇で満たされていて何も見えない。しかし、珠月はその中にあるのが分厚いコンクリートであることを知っている。
 ここは学園地下に広がる、俗にアンダーヤードと呼ばれる場所。
 旧日本の時代に縦横無尽に張り巡らされた地下鉄や地下道、排水路などの跡地のうち、戦後になっても企業の手が及ばなかった場所に、犯罪者や様々な事情を持った人間が住みつき、学園を代表する兵すら手だしが出来ない巨大な闇の世界を作り上げている。
 人とも獣ともつかない気配が闇にうごめく。
 随分と深くまで潜ってきてしまった。ここは誰かの縄張りなのだろう。ゆっくりと、だが確実に自分を包囲する気配を感じる。
「私に手を出そうとは、考えないほうがいい」
 気配がうごめく。
 珠月の言葉に反発しているようにも、気づかれていたことに驚いているようにも見える。
「私はダイナソアオーガンの篭森珠月だ。【ナイトメアNoⅦ(悪夢七号)】蔡麻勇太郎を探している。どこにいるか知らないか?」
 目の前の闇に向かって珠月は声を張り上げた。わずかに時間をおいて、気配が移動を始める。それに敵意がないのを確認して、珠月も歩きだした。





 随分歩いた。
 歩いてきた道は覚えているが、それでも少しは不安だ。珠月は気づかれないように溜息をついた。
 闇に向かって目を凝らしても、そこにいる誰かの姿ははっきりとは見えない。男か女か子供か老人かすら、分からない。むしろ暗闇にひしめくそれは、人間よりもネズミや虫を思わせる。
 ふいに周囲が明るくなった。懐中電灯程度のほんの小さなあかりなのだが、暗闇に慣れた目には眩しすぎる。珠月は目を瞬かせた。
「……ユタ?」
「ん。久し振りだね。かごも」
 少年の声が、珠月の愛称を読んだ。
 数回瞬きをして、やっと目が慣れてくる。かつてはこの場所に、駅か何かがあったのだろうか少し開けた、けれど瓦礫とゴミでだいぶ狭くなっている空間に珠月はいた。周囲の小さな明かりは、懐中電灯を持って立っている人たちだ。
 そして、問題の人物は珠月と向かい合うようにしてがれきの山に腰をおろしていた。周囲には、『王』を守るように薄汚れた格好をした男女がずらりと立っている。明かりの加減で、彼の上半身は闇に溶け込んでいた。
「久しぶりだね、ユタ」
「かごもが地下まで下りてくるなんて珍しいね。自分で動くの嫌いなくせに」
 言葉だけはからかうように、しかし口調自体はたんたんと序列13位【ナイトメアNoⅦ(悪夢七号)】蔡麻勇太郎は言った。
 学園公認の『王』が治め、合法的に商売をする企業や様々な目的の組織が活動する東西南北の区画に対し、ライザーインダストリーすら放置するしかなかったこの地下は様々な非合法な集団や正体不明の実力者たちが支配階級だ。そして、その複雑な地下の中で一番表層に近い部分を統括するのが、珠月の目の前にいる年下の少年だ。
「ユタは相変わらずね。カイザーストリートにいないから探したよ」
 ちらちらと珠月は、勇太郎の周囲に視線を向ける。
「ケママルも、今日は一緒なのね」
 人影の中に目立つ緑色のマジシャン衣装を見つけて、珠月は微笑みかけた。
「久しぶり」
「どうも」
 序列34位【ディバインアート(神の如き妙技)】ケママル・トリップはそっけない返事を返した。珠月は気にしない。
「で、何の用? かごも」
 勇太郎の質問には答えず、ゆっくりと珠月は周囲を見渡した。
「気にくわないね。私だけ明るいところにいるなんて」
 明るい場所にいるということは、暗い場所が見えないということ。そして、暗い場所にいる相手から攻撃を受けやすい位置にいるということだ。
 珠月の不服そうな声に、勇太郎はうなづいた。
「ん。それもそうか」
 同時に明かりが消える。すべてが闇に塗りつぶされた。
「……私は明るい場所にあなたも出て来い、っていう意味で言ったんだけど」
「電気がもったいないよ。それより、何?」
 珠月は肩をすくめると、もっていた紙袋を前方に向けて放り投げた。誰かがキャッチしそこねて頭にぶつけ、別の相手が落ちかけた紙袋を受け止めた気配がした。
「何?」
「ブルーローズが来期からラインに乗せる予定の新作チョコレート。まだ未発売の貴重品よ。お土産」
「チョコレート…………ん。ありがと」
 何が面白いのか、闇の向こうで勇太郎がかすかに笑った。
「それで本題なんだけど、天使の粉っていう麻薬知らない?」
「天使?」
「見た目は青い粉で、チョコレートや飴に練りこんで販売してるらしいのよ」
 闇は沈黙した。考えているような気配がする。
「チョコ……うーん、アレか」
 ようやく思い当ったのか、勇太郎が声を上げた。
「あのドーピングのことか? へえ、そういう名前なんだ」
「ドーピング?」
 今度は珠月が首をかしげた。
「違ったか?」
「私が知ってるのは、天使の粉っていう新種の薬があって、それはチョコや飴にまぜるっていう変わった流通のさせ方をしてるってことよ。まだ東には流れてないけど、一応警戒しておこうと思って」
「なら、多分合ってる。摂取すると、一時的に力が強くなって頭がすっきりする。気が大きくなって、恐怖感が失せる。本科に入ったはいいけど、アルバイターになるしかなかった生徒たちの間で、手軽に強くなれるって流通してる。実際、効果あるみたいだよ」
「そんなことできるの?」
 麻薬というのは、脳内麻薬を人工的に発生させるかあるいは脳内麻薬に似た成分を摂取することで気分が良くなる。それで気が大きくなることはあるが、筋肉が強くなることはない。むしろ、骨や内臓が蝕まれて弱くなる。
「ん。多分、一時的に脳のセーブを取っ払って、普段使ってない部分の脳や筋肉を使ってるんだと思う。その苦痛軽減のために脳内麻薬の分泌を促して、その効果で気持ち良くなったり、気が大きくなる。けど、効果が切れると体はだるくなるし、気持ち悪くなる」
「そんなこと重ねたら死んじゃうじゃない。私なら絶対使いたくないね」
「馬鹿なんじゃね? 使う方が」
 あっさりと勇太郎は言った。そして珠月の土産をごそごそと開ける。
「ドーピング自体は、俺はそんなに否定しない。何が何でも、一時的でいいから強くなりたい時っていうのはあるからね。でも、あんまり蔓延すると困る。ここの学校の生徒っていうのはすでにひとつのブランドだからね。薬なんかで、ブランド全体のイメージダウンになるようなことは避けないとね」
 珠月は沈黙を肯定に変えた。
 この学校の成績上位者は、そこらの企業の管理職よりよほど優秀だ。それがわざわざ学生という身分に甘んじているのは、それがブランドになるからだ。ライザー学院に在籍している――――将来的には卒業したということは、それ自体が品質保証になる。逆にいうと、質の低い生徒が増えたり、大きなスキャンダルが起これば、生徒全体の市場価値が下がってしまう可能性がある。
「ふうん……じゃあ、狩るの?」
 端的に言われた言葉に、勇太郎は笑みで返した。珠月には見えなかったが。
「必要なら、仕方ない」
「ふうん。そっか。じゃあ、どうするかな」
 このまま首謀者を狩ってくれるなら、わざわざ珠月が出向く必要はない。一応警戒だけして様子見をするかと、珠月は心の中で決める。
「とりあえず、情報ありがとう。戻って他の人に相談してみる」
「お土産の分だよ。じゃあ、また」
 勇太郎の気配が消える。そして、有象無象の気配もゆっくりと移動を始めた。
 誰もいなくなったのを確認して、珠月は息を吐く。
「……はやく地上に戻ろう」
 踵を返すと、珠月は早足で歩きだした。