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2、黄昏の街


 夕闇が迫っている。
 ひとが二人並んで歩けるかどうかといった狭い道を、木枯秋人は歩いていた。頭上には今にも落ちてきそうな原色のカラー電球や、様々な言語で書かれた看板がぶら下がっている。
 西区の中心から少し離れた場所。歓楽街からもやや離れ、スラム街にはまだ遠い場所。
明らかな違法建築の建物が並び、建て増しに建て増しを重ねた街は、それ自体が一つの迷路のようになっている。
 人の気配があちこちからするのに、ほとんど姿は見えない。奇妙な活気と歪な外見の街はどことなくかつての中国・香港を思い出させる。
 秋人の足元を鼠が走って行った。空を見上げると、ずいぶん遠くに色を変えつつある空が見える。建物と看板のせいで、その姿はほんの少ししか見えなかったが、なんとなく秋人はほっとした。空は大切だ。ここが閉鎖された空間でないことを思い出させてくれる。
「相変わらずだね、西区は」
 ふと秋人の顔に影がさした。
 顔をあげると五メートル以上上空を人影が横切っていった。
 ここの周辺の建物は縦に長いうえに複雑に入り組んでいるため、慣れている住人は渡り通路や階段に行くのを面倒くさがって、あのような三次元ショートカットを試みる。
 失敗すると運が良くて捻挫、運が悪いと死ぬが、それはそれ。自己責任だ。
 上空を通過した人影は、秋人の存在には気付かなかったようだった。さえぎるものがなくなった空を静かに雲が通り過ぎていく。
 視線を地に落とす。
 暗くなり始めた路地に、ぼんやりと明かりがともっている。アジア的な鮮やかな色の明かりと奇妙な形状の灰色の建物が、道を異世界に変えてしまっている。
「急がないと」
 目印は中国風の行灯。
 知らなければ見過ごしてしまいそうな位置にある階段を、ためらいもなく秋人は下っていく。階段の奥は完全な闇。しかし、学者とはいえ本科生である秋人にとっては妨げになるほどのものではない。これよりは普段潜っている遺跡のほうが、よほど危険だ。
 慎重に階段を降り、手探りて扉を探す。やがて、手が金属製の取ってに当たった。両手でそれを掴んで思いきり引く。すると人一人分がくぐれるほどの隙間があいた。秋人は迷わず、その隙間に体を滑り込ませた。




 空気の流れがよどんだ空間を、独特の香りが支配している。
 中は広いはずだがそうは見えない。なぜなら、室内は原色に近い色をした薄い布で細かく区切られているからだ。布の向こうからは人の気配がする。その間の通路を、肌を露出させ、胸と腰のラインを強調した服装の女性たちが歩き回っている。
「いらっしゃいませ」
 振り向くとパイプを持った艶めかしい女性たちがずらりと並んでいた。どこからともなく甘ったるい香りの煙が漂ってくる。
「えーと、待ち合わせなんだ」
 パイプを差し出される前に、秋人は言った。
「それと僕は阿片はいらないよ。苦手なんだ」
「気もちいいのに……」
 ふっと女性は微笑んだが、特に咎めることはなかった。
 ここは、学園も西区も非公認の阿片窟。学園にはこういう場所が何箇所かある。無理につぶさないのは、締め付け過ぎるとどこかで反動が来るからだ。
 酒や果物を注文させようとする女性を振り切って、秋人は歩きだす。視界に目印になるものなど何もないが、彼は迷わない。そしてひとつの室の前につくと、無言で布をまくりあげた。中で寝転がって水煙草でアヘンを吸っていた男が、驚いたように立ち上がる。
「お前、何で……」
「こんにちは、景山君。悪いんだけど、僕の研究室から石版持って行っただろう。返してくれないかな? 先日、アフガニスタンの遺跡から出てきたばかりでまだ解析してないんだ」
 自分が勤める考古学センターに出入りしている青年を見つけて、溜息とともに秋人は言った。
「すぐに返すなら、あれこれ言わないから」
「知らねえよ、そんなもん。だいたいなんでこんなところにいるんだ!?」
 男は秋人を追い出そうとした。だがその前に、彼の目が寝台のよこに転がったカバンに止まる。
「その中だね? 言っておくけど、勘でわかるから」
「お前、ミスティックでもサイキッカーでもないじゃねえか」
「自分の研究物に対しては分かるんだよ。返してくれ。君には価値のないものだろう? 売ったとしても買いたたかれるよ」
 もめごとの気配を感じて、店員の動きが慌ただしくなる。こういう店では、一度出入り禁止を食らうと二度と使えなくなる。慌てたように景山と呼ばれた青年は、秋人を追い出そうと手を伸ばす。だが、秋人はそれを避けた。勢いあまって彼は隣の室へ倒れこむ。
「うわぁ! 何するんだ!?」
「やだ、パイプが倒れた」
 倒れこまれた部屋の男が声を上げ、さらに他の客が集まってきて、騒ぎが大きくなる。
 隣の室の男に怒られている景山をよそに、秋人は手を伸ばすと彼の鞄をつかんだ。鞄から半分のぞいていた財布をベッドの上において、そっと抜け出した。途中数人とすれ違うが、誰も秋人のことを気にとめない。そのまま扉をくぐりぬけて秋人は脱出した。が、
「てめえ、待ちやがれ!」
 階段を登りきったところで、怒声が聞こえた。秋人は振り返らずに鞄を抱えて走り出す。彼の財布は置いてきたから支払は問題ないはずだ。
 狭い路地を秋人は走る。とはいえ、学者が戦闘むきの学生にかなうわけがない。背後を気にしつつ、秋人は目的地を変更して走り出した。スラム街と反対側、繁華街の方向に走り出す。西区においては人が大勢いる=安全とは限らないが、少なくとも人がいないところよりはいい。それにそこまで出ればあてがあった。が、
「待て!!」
 振り向くと十倍くらいに増えた追手がいた。あの店に景山の仲間がいたのかもしれない。半分がこちらに向かって走ってきて、残りは近くの階段や壁を駆け上がっている。どこかで先回りしてはさみうちにするつもりなのだろう。
「やっちゃったかな……?」
 秋人は足を速めた。しかし、追手との差はじょじょに狭まって行く。そして、先頭の男の手が秋人の襟首をつかもうとした瞬間、悲鳴が上がった。
「え?」
 秋人ではない。
 秋人に手をのばしていた男が、自分の手を押さえてうずくまる。そこには一本の長い針が、完全に手のひらを貫通して突き刺さっていた。
「大丈夫ですか? 木枯様」
 かつんと音をたてて、赤いチャイナシャツを着た女性が着地する。彼女の手には、男に刺さったのと同じ、異様に長い針があった。
 秋人は女性の背後を見て、そこについさっきまでいなかった人影たちを見つけた。
「よお、秋人」
 秋人がいる道と直角に交わる道に、何人もの人が立っている。服装はチャイナドレスだったり、着物だったり、アオザイだったりまちまちだが、全員がアジア系の民族衣装を着ており、胸に燃える蓮の花をかたどった徽章をつけている。
 その中心。雨が降っているわけでもないのに掲げられた巨大な番傘の下に、彼女はいた。普段の半裸に近い姿とは違い、花魁装束に似た着物を着ている。お伴も合わせて、まるで東洋趣味の外国人が無理やり花嫁道中をしたような奇妙な一行ができあがっていた。
「…………」
 事態が事態でなければ、白昼夢か百鬼夜行として忘れてしまいたい光景だ。
「やあ、桔梗。今日はお弟子さんたちも一緒なんだね」
「おうよ。ついさっき、ブラジルから帰ったところでな。向こうの偉いさんのところにいってたから、ほら、少しは見栄を張ろうと思ってね」
「十分だよ」
 秋人が言うと、男言葉の美女は色気のかけらもなく豪快に笑った。
「ちっ、ミスタトゥか!」
「上位ランカーだ。退くぞ」
 桔梗を見た瞬間、追手は回れ右をして逃げていく。桔梗も特に追わない。つき従っていたものが追おうとしたが桔梗に目で止められる。
「珍しいな。お前がトラブルか」
「うん。少し。通りかかってくれて助かったよ。君の店に逃げ込む予定だったんだけど」
「そうかそうか。では、我が家で茶でも出そう」
 トラブルに巻き込まれたというのに、桔梗はにこにこしている。この寛容さが彼女の美点だ。趣味にはいろいろ問題があるが。
「ありがとう。お言葉に甘えるよ」
 秋人もつられて微笑みながら答えた。