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四十物谷調査事務所調査ファイル №7

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tranquilizer

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「……というわけで、加害者はメモリー診療所のほうで治療を受けています。こういういい方はあれですが、事故のようなものですからどこまで罪になるかは……個人的には、報復しても無駄だとは思いますがね。回復してから話を聞くなり、決闘でも申し込むなりしたほうがいいと思いますよ」
 聖の前には、本科に上ったばかりという少年がうなだれて座っている。気の毒だと思うが、仕事に私情をはさむわけにはいかない。
「ともあれ、犯人およびその協力者はこちらで処分しましたので、以後、同じ事件は起きないと保障しておきます」
「そう、ですか。ありがとう御座います。納得はしてませんけど……ただの快楽のために殺されたというよりは、気が楽になりそうです」
 のろのろと答えて少年は、封筒に入れた現金を差し出す。世の中キャッシュレスな時代だが、いまだに大きな金は現金で動かすことも多い。それを丁寧に数えて、聖は受け取った。
 この仕事の結果、彼は復讐に走るかもしれないし、安らかな気持ちになれるかもしれない。だが、聖たちはそこまでは関知しない。決めるのは本人だ。
「では依頼は完了です。ありがとう御座いました」
 頭を下げながら少年は出て行く。それを見送って、聖は息を吐き出した。
「後味悪い事件だったな」
「あら、後味のよい事件なんてそうありませんわよ。気分が悪い思いをするのは、調査会社や情報屋の宿命ですわ」
 積まれた資料の山の向こうから、緋葬架が返事をする。聖はもう一度ため息をついた。
「それはそうだけどよ。そういえば、所長は?」
「北王と西王に、報告に行きましたわ。ついでに言いますと、ジョフは学者を数人つれてインドの北へ出張。何だったかしら? そうそう、どこかの畑の作物の遺伝子調査とか。企業同士の扮装で企業が共倒れになって、無政府状態になっているとか。私も明後日から、アルバイトで休暇です。代わりに揺蘭李が帰国します」
「バイト……暗殺かよ」
「悪いですか?」
「いや。そういう時代だからな」
 『完了』というスタンプを書類に押しながら、聖は外を見やった。青い空が広がっていた。




 あれからどれくらい経ったのか。
 薄暗い部屋に菱谷はいた。食事は差し入れられ、生存に問題はないが、ここがどこで今がいつなのか――何より、樹里の行方が分からないことがつらい。
 かつんと靴の音がして、菱谷は顔をあげた。また、あの女が来たのだ。来るのはもう四度目になるだろうか。来るたびに、奇妙な物語を聞かせていく。
「こんにちは、菱谷さん。ご気分はいかがですか?」
「最悪だ」
「あらあら。でかい口を叩きますわね。最悪とは何かも知らない、ぬるま湯につかったようなお坊ちゃまが、そうそう最悪なんて言葉を出すものではありません。いいえ、貴方のごとき草以下の生命体では仕方ありませんが。つまらない言葉を吐いて酸素を消費してる暇がございましたら、二酸化炭素を酸素に変える訓練でもなさったらどうですか?」
 一言の言葉に、何倍もの悪口が返ってくる。
「では、今日のお話を」「お前」
 女性の声を遮って、菱谷は言った。鍵のかかった扉の向こうにいる女性の姿は見えないが、気配は分かる。
「お前は誰だ? ここはどこで、何で物語なんか」「前にも言いましたが、ここはイーストヤードの一角にあるビルです。色々と悪いことをするために借りています。私はファヒマ。そしてお話を聞かせているのは治療です。まったく、この愚か者は口で言ったことも分らないのですね。嘆かわしい」
「俺は治療なんて必要ない!」
 やれやれと女性が息を吐き出したのが気配で分かった。言葉を選びながら、女性は口を開く。
「貴方の彼女さんへの執着は異常です。精神疾患があるわけではなく、人格的なものでしょうが、だからこそ、所長は貴方にも治療、あるいは首輪を付けておく必要があると思っています。そのために私が来たのです」
「余計なお世話だ」
「では、今日はお話をやめて帰りましょうか」
 菱谷は黙った。このまま追い返せばいいと思う一方、話の続きを聞きたい衝動が猛烈に襲ってくる。その葛藤を知ってか知らずか、女は扉のすぐ前に立った。覗き窓から顔がちらりと見える。
「きちんと発動しているみたいですわね」
「何?」
「私は、ファヒマと申します。ファヒマ・エルサムニー。エイリアスは【物語を紡ぐ姫君(シャハラザート)】です。貴方の心に、首輪を付けさせていただきました」
 四十物谷調査事務所正社員の一人、ファヒマの特殊能力【千夜一夜物語(アラビアンナイト)】
 一定条件を満たしたものを物語中毒にさせる、テレパシー(精神感応)とヒュプノシス(催眠能力)の系統に属するサイキック能力である。サイキッカーが自分の能力に名前をつけることは珍しいのだが、ファヒマはミスティック能力者と誤認させるためにわざわざ名前をつけている。効果はいたって単純で、物語という形で強い暗示を相手にすり込み、どうしても物語の続きが聞きたいと思い込ませるだけの能力だ。だが、単純ゆえに解除も難しい。ファヒマの物語を欲するように暗示をかけられたものは、暗示のままに物語を聞きに行き、物語を聞くことでさらに暗示は強くなる。最終的には廃人となってしまうものもいるほどだ。
「物語がお聞きになりたいでしょう? ならば、貴方は私の言うことを聞かなくてはいけません。貴方は私を傷つけれはなりません。逆らってはなりません。命じるままに生き、報酬として物語をお聞きなさい。どこへ行こうとも、貴方は見えない鎖につながれている。貴方は二度と自由になれない。それが、貴方への罰」
 喉がからからになった気がして、菱谷は思わず首元を押さえた。まるで水を渇望するように、物語が気になってくる。
「さあ、どうしますか?」
 誘うように、声は言う。




「というわけで、こちらで処理しました。よろしかったですか?」
「よろシイもなにも……貴方が勝手に決めてシマッタのでショウ? 相変わらズ、エグイ人ですネ、四十物谷宗谷」
 宗谷と向かい合うように椅子に深く腰をかけた人物は、気だるそうな声で言った。宗谷は薄い笑みをうかべて、それに答える。
「エグイ、とは心外ですね。とても人道的でしょう?」
「生きてりゃいいってモノじゃないんデスよ。それが分からないのガ、エグイと言っているんデス。これダカラ、正気のママ狂ってる奴ハ……」
 ぶつぶつと彼は呟いた。
 序列12位【グレイトフルナイト(偉大なる夜)】夜時夜厳
 ノースエリアの王にして、学園屈指の実力者。学園最高峰のリンクの一つ、【ニュクス】のボスでもあり、彼のために動く人間はどれだけいるか分からない。同じリンクのボスでトップランカーという立場でも、宗谷とは天と地ほどの差がある。
 しかし、宗谷はごく自然に彼と向き合っている。それはたとえどれだけ差があろうとも、誰かの上に立つものである以上、萎縮した姿は見せられないというプライド――などでは勿論ない。この夜という人物は、敵対する意志がないものにとっては過剰に恐れる必要ない人物だからである。とはいえ、無礼な態度を取れば一ひねりで殺されることは間違いない。
「ま、いいでショウ。ご苦労でしタ」
「おや、お咎めなしということですか?」
「罰が欲しカッタのですカ? M属性は『あの男』だけで十分デスよ」
「ご冗談を。そちらの趣味はありません。僕はいつだって、傍観者でいたいんですよ」
「その割にハ……ずいぶんとあちこちに首ヲ突っ込んでいるようでスが」
「気のせいです」
 一瞬、北の王と宗谷は見つめあう。フンと夜は鼻を鳴らした。
「いいでショウ。そういう事にしてオキます」
「ありがとう御座います」
 慇懃に宗谷は頭を下げた。思いだしたように、夜厳がその頭に声をかける。
「そういえば、何故、あの男を殺さなカッタんデスか? そちらの方が楽だっタはず」
「ああ、簡単ですよ」
 宗谷はにこやかに返した。
「もったいないじゃないですか。あれだけの解体技術があるんです。肉とか切断面に詳しいなら、調査に使えないこともない。使えるものを捨てるのは、もったいないですよ」
「聞いたほうが馬鹿でシタ。何も聞かなかったコトにしておきマス」
 夜厳は嫌そうな顔で野良犬でも追い払うかのように手を振った。おや、と宗谷は首を傾げる。
「貴方なら、共感していただけると思ったのですが」
「妙ナ期待をしないでくだサイ。ほら、用事が済んだら帰ったカエッタ」
 夜厳の言葉に呼応するように、扉が開いて数名の人影が現れる。宗谷は特に抵抗するでもなく、表れた人影に従って部屋を出る。ぱたんと扉が閉まったのを見て、夜厳は鼻を鳴らす。
「…………よろしかったのですか?」
 するりと影から現れた少女は、不機嫌そうな夜厳の顔を見て小首をかしげた。一言命じれば、すぐにでも宗谷の後を追いかけそうな勢いだ。しかし、夜厳は首を振る。
「ま、いいでショウ。あれはアレデ使い道が色々とアル。少しくらい大目に見テも問題ないですヨ」
 異常か正常か。それでいうなら、この学園はそれ自体が異常だ。トップ300名のランカーと呼ばれる成績優秀者の中の、殺人鬼率と精神異常・人格異常者の比率を考えれば、どんなのんきな人間でもそうとわかる。だが、異常と異常の間でバランスがとれている一面もある。どうしても苦手な相手、勝てない相手、勝てても無傷ですまない相手、戦いたくない相手――それらのバランスが、抑止力となってバランスが取れている。その中で、それをうまく転がすのが、各区画の「王」の仕事だ。
 ひとつの事件の終焉を見つつ、北の王は新たな事件のことを考え始める。




 ノースヤードからイーストヤードへ。
 東区は、周辺部が和風あるいは洋風や中華風を取り入れた和風という奇妙な町並みで、中心部へいくほど電気街やビルが増えていく。まるで外から中へ向かって歴史を追っていくようだ。すべての区の中でもっとも、かつての日本国首都東京や京都の町並みを連想させる。
 見知った顔が道端でこどもに話かけているのが見えたので手を振ると、奇麗に無視された。だが、宗谷は気にしない。なんといっても、彼女は人種差別者で純日系以外の人間とは、口を利かないどころか視界に入れようとすらしないのだから。
 自分が幽霊になったような感覚を体験したのち、さらに歩く。その時、一瞬視界の隅を銀色が走った。流れるようなしぐさで、飛退きながら宗谷は背中に背負った斧に手をかける。続いて走った斬撃を、斧の柄で防ぐ。
「やあ。夏羽に陽狩じゃないか。先日はどうも。おかげで無事、犯人の捕縛に成功したよ。ありがとう」
「どういたしまして。じゃあ、死ね」
「私たちに感謝しながら、腹を掻っ捌かれて、内臓ぶちまけて、脳漿撒き散らして、死んでください」
「だが、断る」
 鋭い金属音が響く。だが、うまい具合に周囲に人影はない。宗谷は苦笑した。彼らはいつも決定的なところで物理的な証拠を残さない。そうでなければ、いくらこの学園でももっと早くに排除されているだろう。証人は探せばそれなりにいるだろうが、証人になるほうも大体が何らかの法に触れることをしているので、法廷には出てこない。かくして、殺人鬼は今日も野放しになっている。
「あのさぁ、暇ならもっと別の人のところ行けよ。ねえ? 東なら法華堂君とか」
「あの野郎なら、ブラックシープ商会のメリー・シェリーとイタリアに食品の買い付けに出かけて留守だぜ」
「そうかい。まったく、法華堂君すら真面目に働いているんだから、君たちも殺人以外のことをまじめにしなよ」
「働いてはいますよ」
 繰り出される刃物による攻撃を、斧の刃の部分で受け、そのまま遠心力を利用して巨大な斧を振り回す。首をちょん切る軌道で動かしたのに、夏羽はあっさり上体をそらしてそれをかわした。その後ろから飛び出す陽狩を、斧の柄で牽制する。さらにそれを回避するように刃が繰り出され、急に止まった。
「どうしたんだい?」
「本当、お前って運がいいよな」
「夏羽! 早くしてください!!」
 なぜか大慌てで二人は踵を返した。あっけにとられたまま、宗谷はその場に取り残される。
「……ドナルドの気配でも感じたのかな?」
 ドナルドは、彼らが苦手なごくごく珍しい人間のひとりである。
周囲を見渡す。五感で分かる範囲では人の気配はない。あいにくと、宗谷は彼らのような野生動物的な勘はないため彼が来たのか否かはよく分からない。首をかしげつつ、宗谷は歩き出した。
 空は今日も青い。通り魔の犯人が捕縛され、学園には一時的な平安が訪れたように見える。ある意味では。しかし本当にアブナイひとたちは今日も街を堂々と闊歩する。
 斧を背負いなおして口笛を吹きながら、宗谷は再び歩き出す。また、何かが始まるような予感がした。
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