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四十物谷調査事務所調査ファイル №6

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tranquilizer

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 ざくざくざくざくざくざくざくざく

 夜を克服することは、現代では難しくない。大きな通りは勿論、個人宅もビルの中も光にあふれている。しかし、一度その場所を出れば、やはりそこにあるのは原始的な闇だ。
 その闇に生肉を引裂く嫌な音が響く。ろくに血抜きもしていないため、刃物が動くたびに真っ赤な血が周囲に飛び散る。
 鉄の臭いがした。その人影は、路地に座り込んでひたすら大きな肉塊を解体していた。周囲はまったくの無人というわけではないようだったが、殺人鬼の出没率が高い、この西と北の間のスラムでは、係わり合いを避けて誰も近づいてこない。勿論、誰かに知らせることもない。
 最後の臓器を摘出して、彼は小さく息をついた。そして、すぐに移動を始める。が、
「こんばんは」
 その前に予期せぬ客が立ちふさがった。咄嗟に逃走経路を確認するがすぐに人影は立ち止まる。立ちふさがった人物はくすりと笑った。
「流石に元生徒と聞いてはいたけど……それほど優秀な部類ではなかったようだね」
 侮辱とも取れる言葉を吐いて、彼は一歩前に出た。丁度月が雲の間から姿を現し、その人物の姿を映し出す。
「はじめまして。僕は四十物谷宗谷。序列62位【ホーンテッドアックス(怪奇斧男)】だ」
 あからさまに相手が動揺したのが、分かる。序列二桁というのはそれだけの意味を持つ。もっとも、上位ランカー同士は、序列=絶対的な強さではないことを知っているので事情は異なるが。
「その表情だと、昼間にうちの所員がお邪魔したことは伝わっているようだね。予想はできていると思うけど、僕たちは今、この周辺で起きている通り魔殺人の犯人を追っている」
「……なぜ、四十物谷がこんな小さな事件を?」
「ああ、所員が初動捜査でミスをしてね。ツケがこっちまで回ってきてしまったんだよ。困ったものだね」
 まったく困っていない口調で、宗谷は言った。口調は明日の予定を話しあってでもいるかのように、落ち着いている。武器を構えてすらいない。
「……オレを捕まえにきたんだな?」
「いや。それは依頼に入っていない。うちは調査会社なんでね。僕の仕事は犯人を探し出し、彼女の死んだ状況と動機を聞きだすことだ。ただし、抵抗された場合、捕殺もあり得る」
「なら、仕事は果たしたはずだ。犯人はオレで、たまたま通りかかった人間を絞め殺して、この刃物で解体した。それだけだ」
 赤い雫が、右手に持った肉切り包丁を伝って落ちる。それを目で追って、宗谷は自愛を讃えて微笑んだ。
「嘘は駄目だよ。菱谷良樹君」
 びくりと菱谷は震えた。宗谷は笑っている。いつの間にか、その手には優美な形の刃を持つ刃物が出現している。クレセントアックス。半月の形をした、この世でもっとも優雅な斧の一つ――――
「僕は君に興味がある。だけど、仕事は仕事だ。教えてくれないかな? 君の恋人――君が庇っている真犯人はどこにいるんだい?」
 今度こそ、空気が凍りついた。
 血だまりさえ凍ったような気がした。かすかに静寂を揺るがす荒い息は、菱谷のものだ。
「菱谷良樹(ひしたに・よしき)。十九歳。純日系。両親は、本人が入学した直後に企業同士の争いで死亡。本学園予科に九歳で入学するものの、六年在籍後本科への進学に失敗。除籍となる。その後、学園内の飲食店当で働いたのち、畜殺の仕事につく。仕事ぶりは真面目そのものだが、周囲との交流は少ない。きわめて高い解体技術を持つ。あまり物事の裏を考えるのが得意ではなく、そのことがスキルの高さにも関わらず、本科進学への妨げになった」
 淡々と、機械のように正確に、宗谷は菱谷の経歴を語る。まるで片手に見えない原稿を持っているかのように、迷いなく話す。
「現在、予科時代からの恋人、相沢樹里(あいざわ・じゅり)と同棲中。相沢樹里は、サイキッカーで、手を触れずものを動かしたり、捻じ曲げることができる念力系の高い能力を持っていた。だが、三ヶ月前にサイキック能力の負荷により、PTSDを発症。現在、治療中。のはずだけど、治療はうまくいっていないようだね」
「何の話だ!」
 菱谷は叫んだ。振り回した刃物から血が飛び散り、周囲に飛び散る。だが、宗谷のいる位置までは届かない。
「君には動機がない。というか、そもそも動機なんてない」
「黙れ!」
「彼女は心が壊れている。そして、壊れた心のまま街を彷徨い――運悪く、病んだ彼女が敵と勘違いした人間を殺してしまった」
「黙れと言っている!」
「君たちが引っ越した時期、彼女の発症時期、そしてこの通り魔殺人の時期は一致している。君は彼女の殺人がばれないよう、財政難を理由にスラムに引っ越し、さらに殺人狂の仕業に見せかけるために死体を刻んだ」
「違う!」
「スラムでは、殺人が起きてもまともに捜査されることはまずない。仮に捜査されても、容疑は有名な殺人鬼たちに向く。だけど、皮肉だね。僕がこのことに気づいたのはその、殺人鬼たちのおかげなんだよ。快楽殺人者はもっと楽しんで殺す。では、楽しくないのに解体する理由は何か。それは、捜査のかく乱のために他ならない」
「――――っ!」
「その視点で洗い直せば、それほど大変なことではなかったよ。君たちを見つけるのは。作業として考えれば、切り刻み方に特徴がありすぎたからね。とはいえ、確信にいたったのは今日の夕方だけど」
 宗谷の足音で、足元で砕けたコンクリートと砂利が混ざったものがかすかな音を立てる。大げさなほど菱谷は後ずさった。
「ある人物についての話を聞きたい。9日前に、ノースヤードのスラムで殺された少女のことだ。身長は157センチの痩せ型で、腰にナイフを複数吊るしていた」
「……やったのはオレだ。後ろから近づいて首を絞めて殺したあと、腹を引裂いて臓器をすべて取り出した。そのあと、手足を切り落とし、腕と膝を切断して、最後に頭部を切り離した。そして、ばらした部品を一箇所に積み上げた」
「ああ、報告と一致するね。解体方法に関しては。でも、違うな」
 宗谷は微笑んだ。
「首を絞めて殺害じゃなくて、首をねじって殺害、だろ?」
 菱谷の表情が凍りついた。数回口をぱくぱく動かして、黙る。その仕草が真実を言葉以上に表していた。
「……なんで?」
「うちは調査会社だよ? スナッチや乱君のところには敵わなくても、調査力なら校内で五指に入る。まあ、調べる方法は色々あるってことで。それに、君は内蔵の摘出はかなり手際よくしてるのに、首を切断だけはぐちゃぐちゃだったから、首に見られたくないものでもあるのかな、って気になってはいたんだ。ほら、もういいだろう? 相沢さんはどこに?」
 菱谷の足が地を蹴った。逃走のための一歩ではなく、解体用の包丁を右手で持ち、左手で柄を押し出すように構えた刺殺のための体勢で飛び出す。宗谷は戦闘態勢をとっていない。巨大な武器の弱点は、素早い行動ができないことだ。だが、

 風を切り裂く音

 鋭い金属音を立てて、真っ二つに折られた包丁の刃が中を舞い、じゃりじゃりした未舗装の地面に落ちる。何が起こったのか菱谷が理解する前に、その鳩尾に斧の柄がめり込んだ。身体をくの字に曲げて、菱谷は膝をつく。その視界に月光を反射させる巨大な刃物が移った。
 菱谷が踏み込んだ瞬間、宗谷はだらりと腕を下げて持っていた斧を、遠心力を利用して瞬時に振り下ろした。菱谷の持っている刃物だけを狙って。そして、返す刀で柄の部分を菱谷に打ち込んだのだ。
 その気になれば一撃目で、菱谷の身体は粉々にされていただろう。だが、宗谷はしない。それは慈悲はなく――――
「困るな。君がいないと、相沢さんが素直に話してくれないだろう? 僕は別に処刑人でも始末屋でも掃除人でも暗殺者でもないんだ。おとなしく彼女に合わせてくれないかな?」
「だって……」
 腹部を押さえながら、うめくように菱谷は答えた。その目は血走っていて、彼の追い詰められた状態をよく表している。
「このことが表ざたになれば……お前以外のやつがくる! 復讐代行とか、掃除人とか」
「ああ、来るかもしれないね。でも、それは僕には関係ないことだ」
 笑顔のまま、宗谷は微笑んだ。そして、心底不思議そうに首を傾げる。
「それにしても、なぜそこまで彼女をかばうんだい? 彼女のために退学後も学園に残って、彼女のために働いて、彼女のために人間の解体なんて偽装工作をして、彼女のために罪をかぶろうとして、彼女のために僕を殺そうとした。面白いとは思うけど、理解できないね。彼女はそこまで君にとって重要なものなのかな?」
「……愛しているからだ」
 這うようにして距離をとりながら、菱谷は答えた。これだけの実力差を見せ付けられてなお、あきらめる気配は見えない。宗谷は驚き半分、呆れ半分で顔を歪めた。
「僕には、彼女を愛している自分を愛しているように見えるけどね。本当に好きなら、はじめの殺人の時点でメモリー診療所にでも強制入院させればよかったんだ」
「お前には分からない」
「分からないよ。僕はそこまで特定の他人を好いたことがないし」
 クスクスと宗谷は笑った。歪なほど長い髪が、暗闇に溶けて見える。
「だけど、分かることもあるよ。君は、『異常』で『異形』だ。そこまでの好意は、普通の人間が持てるものじゃない。君はね、その愛情ゆえに普通の人間を逸脱している。とても――――僕好みの人間だよ」
「意味が分からない……なにが異常だ! 好きな相手のためになんでもするのは当たり前だろう!」
「君は彼女を好いてなどいないよ。いや、それは言いすぎだな。君は彼女より、彼女のことが大好きな自分が好きなんじゃないのかい? それはやはり、精神的な異形だよ」
 すいと宗谷は視線を菱谷の背後に向けた。血みどろの地面に、行儀よく解体された肉片が並んでいる。
「君を一言で表すなら、変態ということになるんじゃないかな?」「なっ!?」「怒るな。けなしてるわけじゃない。ただ、適当な言葉がないだけだよ。それに、エロスは人間の根底だよ?」
 まるで美術館の芸術品を鑑賞するような目で、宗谷は血をしみこませた地面と返り血に濡れる菱谷を見つめた。乾いた血はぶよぶよとしたスライム状の奇妙な物体になっている。
「人は面白い。どんな生物より同族を大事にするくせに、時に同胞を効率的に殺すことに腐心したり、苦しめることに意義を見出したり、理解できない理由で理解できないことをする。しかも、ときにはそれに美学すら見出す。確かに同じ人間のくせに、同じとは思えないことし、それを異端とする。では、人と人でなくなったものの境界は、いったいどこにあるのだろうね。それが僕の生涯の研究テーマだ。人はどこまで人を捨てられるか、どこからが人じゃないのか。その観点からすると、君のような人間は非常に好ましい。完全に人のまま、人を逸脱している」
「訳の分からないことを言うな!」
 上着の内側から新たな刃物を取り出して、菱谷は叫んだ。今までの冷静な判断の中に、かすかな恐怖が混じっている。だが、宗谷はそれを見ようともしない。
「雑談だよ。雑談。そろそろ気をかえてくれたかな。夜明けまでには、相沢さんの話を聞きに行きた」
 言葉は途中で途切れた。何キロもある武器を担いでいるとは思えない動きで、宗谷はその場から飛び退く。そのまま、転がるように距離をとった。その後ろを追うように、こぼりと音を立てて地面が抉れる。宗谷は小さく口笛を吹いた。
「これはすごい」
 軽い足音を立てて、宗谷は崩れた建物の残骸のわきに着地した。すぐ近くの地面から生えた鉄筋がぐにゃりと曲がる。
「こんばんは、はじめまして。相沢樹里さんだね?」
「…………」
 ゆらりと今にも倒れそうな人影が、ビルの隙間から現れる。髪はぼさぼさで、肌は闇夜でも分かるほど白い。短いスカートと淡い色のシャツは健康的だが、立ち振る舞いの不健康さがすべてを台無しにしていた。今にも倒れそうなほど身体は揺らいでいるのに、目は血走っている。
「……話はできるかな? 相沢さん」
 返事の代わりに宗谷のすぐ近くの朽ちかけた壁がはじけとんだ。軽く跳躍して、宗谷はそれをかわす。立て続けに何かが捩れるような気配がして、周囲のものがねじまがり、弾け飛ぶ。しかし、紙一重で宗谷はそれを避けていく。髪の毛の一本すら、傷つけることはできない。
 獣のような方向が上った。かすかに宗谷は顔をしかめる。一瞬だけ、その目に憐憫の色が浮んだ。
「三ヶ月でここまで壊れるとは……菱谷さん。君は、彼女を病院に連れて行かなかったのか!?」
 手足に拘束の痕を見つけて、宗谷はますます顔を歪めた。はじめて、宗谷の顔に嫌悪が浮ぶ。死体を見ても、殺人鬼をみても、解体現場に遭遇しても、薄く笑っていた宗谷の顔から笑みが消えた。
「病人を放置したのか!?」
「はじめは……連れて行った。でも良くならなくて、そうこうしている間に」「犠牲者が出た。そして君は、今彼女を病院に連れて行けば、疑いがかかると思ってすぐに引越し、通院をやめた。結果的に、それは症状に拍車をかけることになったようだけど」
 目に見えない攻撃を、宗谷はほぼ勘だけでかわす。普通なら、相手の視線や身体の動きで次の攻撃位置はおおよそ予測できるものだが、壊れている人間相手にそれはきかない。
「馬鹿か、君は? 病人に必要なのは適切な治療だ。生徒の経営する医療施設が嫌だというなら、学園運営の医院に入れればいい。金がないなら作ればいい。それでも足りないなら、良心的な金貸しに頼るなり、彼女の保証人に相談するなり方法はある。それを怠って、ここまで病状を悪化させた罪は重いぞ」
 見えない攻撃を連続してかわし続けるという人間離れした動きを見せながら、宗谷は舌打ちした。
 殺すのは難しくない。この角度から、気をこめた一撃をするだけで人間の身体くらいバラバラにできる。だが、宗谷の目的は殺しではない。すでに話を聞くという第一目的は達成不可能なことは証明されたが、だからといって後は知らないというわけにもいかない。
「普段なら適当なダメージでも与えるんだけどねぇ。どうするかな。女の子を殴るのは最低だけど、この場合は殴らないとどうしようもない、か」
 手なり足なりに怪我を負わせれば、大概の人間は戦意をなくす。だが、この場合、致命傷を負っても物理的に動けなくなるまで攻撃してくる可能性が高い。痛みにも生命の危機にも反応しない相手を、生きたまま押さえ込むというのは上位ランカーでもそう簡単ではない。疲労を待つという手も考えたが、経過を見る限り、疲れた気配も見えない。
「きっと優秀な生徒だったんだね。ああ、だから現場はきついんだ」
 呟いて、宗谷は前に踏み出した。数センチ前の空間が見えない力で握りつぶされる。そしてその力の塊が消えた瞬間、宗谷は一瞬で間合いをつめた。そして、斧から手を離す。
 そして掌で打撃を打ち込んだ。ぐらりと傾いた身体に、立て続けに打撃を加える。
 普通、人間を殴るときは拳を使う。拳による攻撃は痛みが強く、殴ったほうが怪我をし難い。だが、掌での打撃は筋肉に衝撃を与えて物理的なダメージを蓄積させる。樹里の身体から力が抜けたところで、宗谷は首の血管を絞めて強制的に意識を落とした。すぐに呼吸と脈を確認して、命に別状がないことを確かめる。
「お前っ! 樹里を離せ!」
 背後から殴りかかってきた菱谷をふり向きもせずに避けると、ついでに足を払って転ばせる。さらに倒れた菱谷の肩を踏みつけて動きを封じた。そして、樹里を担いでいないほうの腕で携帯電話を取り出す。
「まあ、とりあえず……人道的に処理するよ。ここ最近、少女誘拐やら襲撃やら流行ってますから――――たまには助かる命があってもいいだろう」
 その言葉を最後に、菱谷の意識は途絶えた。
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