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   チューニング 薄暗い部屋の中で

 時刻はすでに夜十時を回っていた。学園都市西区画の中央に聳え立つ歪な建造物の集合体――九龍城砦。その幾つもある屋上の中でも一際高みに位置する一つに、二人分の影があった。
 一つは東洋人にしては比較的高い身長のシルエット。身長の割に手足は細長く、見るものには針金、あるいは夕方の細く伸びた影法師をイメージさせる。律儀にも返り血を浴びたかのようなくすんだワインレッドの燕尾服に身を包み、肩には同色のマントを掛けている。肩ほどまでの黒髪をぞんざいに一つに束ねているが、頭頂部では特徴的な二本の毛――いわゆるアホ毛とか、アンテナとか呼ばれるものが、風にゆらゆらと揺れていた。
 「しかし解せんな。第六管弦楽団に召集が掛かるならばまだしも、団長たる私と副団長たる君しか呼ばれない、というのはどういうことだ? ……まぁウチのメンバーは正式な団員でもないからそれはそれで当然なのかもしれんが」
 長身痩躯の男は、傍らに佇むパートナーに声を掛けた。
 相方は「んー」と小さく唸りながら彼を見上げる。男と比べると頭一つ半ほど小さな身長。男とは対照的な深い海のような青のコートを纏っている。そのコートは左の肩口から先が綺麗に切り取られており、下に来ている白のブラウスの袖が覗いていた。さらに左手には同じく白の手袋が嵌められている。男も燕尾服に合わせて白い手袋をしていたが、こちらは見ようによってはむしろ手を隠している、といった印象を受けた。
 男のものより一本少ないアンテナが、顔を動かすのにあわせてゆらりと揺れる。
 「確かに不思議だけど……でも他でもない大団長の命令だったんでしょ? あの人のことだから、きっと何か考えがあるんだよ」
 鈴の鳴るような、という比喩がまさしく当てはまるような声で女が語る。
 「それにどうやら、呼ばれているのはウチらだけじゃないみたいだよ? この前七重ちゃんとメールしてたら、七重ちゃんたちも呼ばれてたみたいだし」
 「君の交友関係に口を挟むべきではないのかもしれないが……それでも友達は選んだ方がいいと思うぞ」
 そういう男の方も、あまり人のことは言えない立場にあるわけだが。
 まあ、と男は会話を切り上げ眼前に据えられた、ヘリコプターを眺める。
 「大団長直々の命令――否、指揮だというのなら、指揮者にして奏者たる我々が従わないという法はないな。状況を飲み込めていない【無能】のまま舞台に上がるのはいささか気に食わないが……開演時間は差し迫っているようだ」
 「プログラムもタイムテーブルも一切ない、ぶっつけ本番の演奏会ね。即興曲は得意じゃなかったっけ?」
 男はふん、と軽い笑みを零しながら、相方の手を取ってヘリの上へといざなう。
 「しばらく奏者としては活動してなかったからな。上手くいくかはわからんが」
 そして自分も、長い足をもってひらりとヘリの搭乗席に飛び乗る。
 「だが……たまにはこういう演奏会も、一から十まで完膚なきまでに重畳だ」
 「オーケー。それじゃあ始めようか」
 ヘリのドアを閉め、本部から派遣された操縦者によってその巨体が浮かび上がる中、二人は声を揃えて見栄を切った。

 【エターナルコンダクター(悠久の指揮者)】澪漂・二重。
 【アルカディアラバー(理想郷の恋人)】澪漂・一重。
 それが、世界の中でもある程度の高みにいる人々がその名を聴くだけで戦慄するほどの、裏業界屈指の殲滅屋組織・澪漂交響楽団、その第六管弦楽団団長及び副団長であり、そしてさっきまで他愛のない会話を繰り広げていた二人の名である。
 時期としては、学園都市トランキライザーにおいていわゆる連続誘拐事件が起こり始めた頃。二重と一重の両名は交響楽団を統括する大団長【コンダクターオリジン(指揮者根源)】の澪漂・千重の命を受け、とある戦場へと向かおうとしていた。
 正直な話、この段階で二人はこの戦争を別段特別なものとして認識してはいなかった。しかし、澪漂・千重を始めこの舞台の裏側で動いている者たちにとっては、この戦争は大きな意味を為している。
 そうでなければ、澪漂が擁する各管弦楽団のトップが何人も集められる必要はないし、あの狂人が物語に関わることもないだろう。何より、こうしてここにこの戦争を記述する意味がない。
 これは、澪漂の音楽家たちが演じ奏でる交響曲。指揮者が、闘争者が、虐殺者が、思案者が、生存者が、恋人が、鉄壁が、深淵が、虚無が、鼓動が、死神が、狂人が、企業が、囚人が、兵士が、『交わり』『響く』物語。
 物語の中心は、澪漂・二重。彼の言葉を取って、この交響曲を【無能】と名づけよう。
 交響曲第一番 【無能】
 
 「「澪漂の、開演だ」」

                   ♪

 ――その部屋は闇に包まれていた。
 比喩でなく、まさに光の粒子が一粒でも入り込めないほどの、完璧なまでの防光設備の中、しかし確実に『それ』はそこに存在していた。
 『それ』は、常人ならば三十分で発狂してしまうであろう真っ暗闇の中で、音楽を聴いていた。旧世紀の偉人が作り上げた、寸分の過ちも見当たらない完璧なまでの『クラシック』を、飽きることなく延々と何十曲も聴き続けている。
 闇の中、という都合上視覚を使った娯楽など全くの無用の長物であるということからも、『それ』がそこで音楽を聴いているということ自体はまあ当然のことなのかもしれなかった。年代も作曲者も主義主張も全く無視した完全にランダムな選曲で、『それ』は音楽を聴き続ける。まるでそれが『それ』にとっても義務であるかのように。
 機械的に音楽を聴きながら、『それ』はふと、過去を思い出していた。自分がこのような生活を送ることになった、そのきっかけを。

 その出会いは、『それ』がまだ赤子だったころのことである。常識的に考えれば幼少期を通り越してまだ乳児に過ぎなかったころのことなど、覚えているはずもないのだが――現に『それ』は物心付く以前のそれ以外の記憶は一切持ち合わせていなかった――しかしその出会いだけは、どういう訳か『それ』の中にしっかりと根を張っているようだった。
 その時、『それ』は今のような暗闇でないにせよ、外界とは完全に隔離された小さな部屋にいた。一応は揺り籠に入れられているが、それでもおよそ赤子を一人放置するような部屋ではない。家具のようなものは一切なく、もちろんこの年の子どもが遊べるような玩具もない。
 大人たちは皆、『それ』を認識しようとはしなかった。否、認識というのは語弊があるかもしれない。なぜなら大人たちは認識はおろか、『それ』を知覚さえしていなかったのだから。
ただ一人、『それ』の母親だけが、『それ』を知覚し認識していた。もっともその母親も周囲の手によって狂人のレッテルを張られ、ついにはこうして自らの赤子と引き離されてしまっている。
 自らを庇護すべき母親を失って、『それ』はただ死を待つばかりの状況だった。最も赤子にすぎない『それ』に自分の状況を正しく認識することなどできるはずもなかったが。
 すると、誰もが知覚していないはずの『それ』がいる部屋に、一人の女性が入ってきた。
 もちろん『それ』の母親ではない。女性は東洋風の肌に艶やかな漆黒の髪を腰の辺りまで伸ばしていた。服装は、何を考えているのか純白の燕尾服――それはそう、現在の澪漂・二重の立ち姿にどことなく似ている。そしてその純白の燕尾服は所々が真っ赤な血で汚れていた。文字通り花が咲いたかのようなその染みは、不思議と綺麗なアクセントとして彼女を彩っている。
 彼女はツカツカと大股で、部屋の中央にある『それ』が入った揺り籠に近寄ってきた。そっと、中を覗き込む。
 「……あぁ、いたいた。こんにちは、名無しさん? 私は……うーん、サンタクロースみたいなものかな? まぁサンタにしては白地に赤って逆だけど、きゃはははは!」
 折り目正しい格好の割にはおちゃらけているその女性は、眼を丸くして自分を見つめている『それ』を抱き上げた。
 「んー、いい眼だ。私はさ、一緒に音楽をしてくれる仲間を探してるんだ。君、その綺麗な瞳はきっと素晴らしい芸術家としての才能を秘めてるよ。うん、きっと秘めてる。秘めてるんじゃないかな? きゃはは」
 自信がないのか。
 「うん、だから私は君を迎えにきたんだ。大丈夫、つまらない思いはさせないよ。『音楽』ってのは『音』を『楽しむ』って書くんだから。きゃははは!」
 一方的に、実に一方的に『それ』の運命を結論付け、彼女は『それ』を抱えたまま部屋を後にした。今にして思えば、実にショッキングな出会いだっただろう。誘拐と言って差し支えない。
 しかし『それ』は彼女との出会いを実に肯定的にとらえていた。少なくとも、自分は救われたと思っている。今となっては覚えていないが、きっと部屋から連れ出される『それ』の顔は安心の表情に包まれていたに違いないからだ。

 そこまで思い出したところで『それ』は暗闇の中顔を上げた。目線はこの部屋に通じるドアがあるはずであろう方向に向けられている。『それ』は慣れた手つきで傍らに置かれた再生機器のスイッチを切る。すぐにでもこの暗闇に入ってくるであろう彼女を迎えるために。