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「8ave」

この学園都市において、地下街とは大きく分けて二種類ある。一方は、学園都市を建設したライザーインダストリーが、各区画の延長として造った公認地区としての地下街。そしてもう一方が、ライザーインダストリーが許可していない、無法者や爪弾き者が集う地下街。旧世紀の東京地下全体に広がっていたこの地区は、現在一般にはアンダーヤードと呼ばれている。学園からも認可されていない、文字通りのアンダーグラウンド街である。
 その地下区画の外れに、全体の七割近くが水の下に沈んだ地区がある。建物の残骸や、崩落した天井の岩盤などが水面の所々に浮島のように飛び出しているこの地区は、地下の住人たちから水没地区、『ウォーターストリート』と呼ばれている。
 住むもののほとんどいない、というよりも住む場所が極端に少ないこのウォーターストリートに、今一人の少女が佇んでいた。水面に突き出した不安定な岩盤の足場に、よろけることなく立っている少女は、不自然に真っ赤な髪と瞳、そして闇のように黒いボロの外套を細い身体に纏っていた。
 年の頃十二、三歳。可愛らしい顔をしているが、その奇抜なセンスと病的なまでに青白い肌がその可愛らしさを台無しにしていた。生気のない目でどこを見るでもなくただ突っ立っている彼女の名は、ランキング1678位、ウルスラ・オクトアーヴという。
 まるで彫像のように微動だにせず立っていたウルスラは、不意に予備動作もなく飛び上がると近くのより安定した足場に着地した。瞳は相変わらず無表情であり、首もまっすぐ前を向いたままだが、その赤い瞳だけを左右へと向ける。すると、ウルスラから数メートル離れた二つの岩陰から視線に炙り出されたかのように二人の少女が現れた。ボロ布を頭から被っているため表情は見えないが、ウルスラ以上に無機質な気配を纏っている。
 ウルスラは吐き捨てるように呟いた。
 「…………ムカつく」
 その目は今度は少女たちが手に持った無骨な拳銃に注がれる。あきらかに少女たちの手に余る武器だが、彼女たちはそれをゆっくりと持ち上げ、銃口をウルスラに向けた。
 その唇から、まるで合成音声のような無感動な声が零れる。
 「動くな。動かなければ悪いようにはしない。私たちと一緒に、我が主のもとhgッっgあggっ」
 しかしその言葉は最後まで続けられることはなかった。目に見えない腕のようなものが少女の首に絡みつき、のどを押しつぶすという動作でもってその声を封じたためである。
 さらに、仲間の異常を見取ってなお無感動なもう一人が、手にした銃のトリガーを引く頃には、その腕も先の少女の首と同じように不自然な向きに捻じ曲げられていた。手から落ちた拳銃もまた見えない腕に持ち上げられ、まるで飴細工のように小さく丸められ、眼前の水路に放り込まれる。
 「…………ムカつく」
 見えない腕の強力で二人の少女を宙に持ち上げたウルスラは、再び呟いた。もっともその表情に不機嫌の色はなく、ただ無表情が支配するのみだったが。

 ウルスラの行使するこの力は、サイキック――いわゆる超能力に当たるものである。学園都市にはサイキッカーのクラスを履修する生徒も多くあり、彼女もそんな生徒の一人である。
彼女の扱う力はサイキックの中でもサイコキネシス、即ち念力に分類され、その力は衝撃波などではなく、八本の腕のようなものとして展開される。このスタイルの能力はランキング4位の超高位ランカー【サイキックマスター】の真鶴・理奈のものに近いが、ウルスラの場合彼女ほど多くの腕を扱うことはできず、また有効射程も十メートル前後と短い。しかし、先ほどから見ていれば分かるようにその力は凄まじく、最高で三トンもの力を加えることもできる。
 今もウルスラは、顔色一つ変えず二人の少女を吊るし上げている。首を砕かれた方の顔はすでに青紫色に変色しており、絶命していることは誰の目にも明らかだった。
 「…………ムカつく」
 しかしそんなことは目に入らないとばかりにウルスラは吊るした少女たちの身体を、まるで玩具のようにグチャグチャと捻り潰し始めている。それこそ、機嫌の悪い子どもが自分の玩具に当たるような行動だが、ぼたぼたとどす黒い血を零しながら人としての形から乖離していくモノを見て、そこまで余裕のあることを言える人間もいないだろう。
 と、不意にウルスラは持ち上げた二つの人体だったものを地面に落とした。「ドチャリ」と水っぽい音を立てて崩れた死体にはもう興味の欠片も示さず、彼女はゆっくりと背後を振り返る。完全に振り返るのと同時、爆音とともに背後の岩盤が吹き飛ばされた。飛び散る礫に混じって、幼い少女のものと思しき手足が宙を舞う。
 「ムカつくムカつくムカつくムカつく…………」
 壊れたレコードのように「ムカつく」を連呼するウルスラ。一言毎に近くの岩を破壊していき、その度にボロ切れを纏った少女たちが吹き飛ばされる。
 何ゆえ彼女がここまで怒っているのか、それは彼女にしか分からないだろう。ひょっとしたら彼女自身も分かっていないのかもしれないが。
 「ムカつく!」
 最後の一声とともに、周囲にあったこれまた最後の岩を叩き壊す。しかし、その後ろにこれもまた最後となるべき少女の姿はなかった。
 「…………一人逃げた、ムカつく。どっちへ行った?潰してやる」
 いらいらとした言葉の割りに無表情な視線を彷徨わせ、逃げた気配を追う。水面に浮かぶ岩の上を飛び跳ねながら、ウルスラはウォーターストリートを駆け抜けた。ようやく安定した足場にたどり着いたウルスラの視線は、崩落した岩に埋まる、地上への出入り口を見止めた。一見通ることのできない通路であるが、よく見れば人が一人通れるほどの隙間がある。覗き込むウルスラの真っ赤な前髪を、地上から吹き込む風が小さく撫でた。
 「こっちだ。ここから逃げた。ムカつく。殺してやる」
 ここにきて、ウルスラは初めて表情らしい表情を見せた。それは、言葉とは裏腹の無邪気で壮絶な笑みだった。まるでかくれんぼの鬼をしていた子どもが、隠れた他の子どもを見つけたときのような笑み。しかし、それは間違っても子どものものではない、薄ら寒い狂気を孕んでいた。
 「ムカつく。死ね。ムカつく。壊れろ」


 次の瞬間、西区画『匈奴一番街』の一角、崩落して通行禁止となった地下区画への通路が、前触れもなく吹き飛ばされた。幸い人のまばらな貧民街、爆発事故とも見えるこの出来事に巻き込まれた人間はいなかったが。
 飛び散る瓦礫を踏み越えて、黒い街頭を纏った一人の少女が砂煙の中から立ち上がった。
 彼女の名はウルスラ・オクトアーヴ。目に見えぬ腕を八本、まるで蛸のように伸ばしながら、ウルスラは学園都市を騒がせる誘拐事件に、盛大に首を突っ込むこととなる。