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「Knife and Fork」


 ブラックシープ商会副社長、メリー・シェリーが行方不明になって四日、そして黒羊店長、法華堂・戒がその調査に乗り出して三日が経過しようとしていた。その間、戒はほとんど休むこともなく、エドワードに時折連絡を入れる以外はずっと歩き回っていた。しかしその苦労の甲斐なく、今だ有力な情報は手に入っていないというのが現状だった。
 「しかも俺が街に出てから、毎日一人ずつ被害者が増えているってのが解せねぇな……。俺がこれだけ嗅ぎまわってるのに、いまだその正体が見えねぇってのがさらにムカつく」
 東区画を出て、南から中央、そして北区画をあらかた浚い終えた戒は、北と西の境目付近の貧民窟『グレイハウンドストリート』に差し掛かっていた。ここは戒がまだ本物の殺人鬼として夜な夜な人を襲っていたころ根城にしていたスラムの一つである。
 「しかし……いつ来てもここは寂れてるな。むしろ俺がいたころより格差が広がっている一方じゃねぇか……」
 やつれた頬の母親、目ばかりがギラギラとした子ども、路傍で死んだように転がる老人。技術や経済の進んだ学園都市においても、一歩内側に入ればまだまだこんな現実が残っているのだ。戒は小さく肩を落とした。と、
 「…………?」
戒は奇妙な視線を感じて後ろを振り返る。視線の先には小さな裏路地、そして今まさにその中に引っ込む途中の子どもの足が見えた。おそらく彼に視線を向けていたのは、今の子どもだろう。しかし、と戒は首を捻った。
 「視線からなにも感じなかった……敵意や害意はもちろんだが……興味だとかそういう、感情の一切が感じられなかったぞ」
 一度気づけばそういった視線が通りのいたるところから彼に向けられていることが分かった。どれもただ彼を観察、あるいは監視するような、無機的な視線である。
 「こりゃあひょっとして、探ってるつもりが探られているのか?まぁどっちにしろビンゴに近づいているってことだが」
 戒はニヤリと壮絶な笑みを浮かべると、背中の相棒の重みを確かめ一歩踏み出した。
 「……お?あいつは……」
 しかしその歩はすぐに止められる。彼の視界の端を、見覚えのある姿が横切ったからだ。
 薄汚れた貧民街にそぐわないほど清潔な、白のブラウスとエプロンにコック帽。つややかな銀の短髪が特徴的な女。
 「あの女確か……【デビルシェフ】のマリアだったか?真夜中のところのコックが、なんでこんなところに?」
 ニコニコと不気味に笑みを浮かべ歩くマリアに寒いものを感じながらも、戒は無意識に彼女を観察していた。戒の見ている前で、マリアはひくひくと鼻を動かし辺りを見回すと、近くの路地に滑り込むように入っていった。
 「さっきの子どもらと何か関係があるのか?……まぁ、行ってみれば分かるか」
 マリアの姿が見えなくなると、戒は不意に自分の使命を思い出し、自らも彼女の後を追って路地に滑り込んだ。


 「くふふ……さっきのおいしそうな匂いはどっちかな?くふふ、くふふ」
 常人なら顔をしかめて立ち止まるほどゴミと悪臭に満ち溢れた路地を、マリアは周りが見えていないかのようにずんずんと進んでいく。否、実際に周りを見ていないのだが。
 不夜城から大分離れた貧民街の、しかもここまで寂れた裏路地の住人はマリアのことなど知らないのだろう。物乞いの少年たちが清楚な身なりのマリアに次々と手を伸ばしてきた。マリアは自分の袖を掴んできた一人の少年の顔を思い出したように覗き込み、言う。
 「くふふ、ダメね。肉も脂も少なくて骨と皮ばかり。少ない肉も硬くて、内臓だって病気もち。くふふ、せいぜいスープの出汁がいいところ。くふふ、くふふ」
 さすがに彼女の瞳に狂気を感じたのか、少年はおびえた様子でその手を離した。マリアはさらに、さっきまで見向きもしなかったほかの少年たちにも視線を向ける。
 「くふふ、くふふ、ダメね。全部ダメ。あなたたちはぜんぜんおいしそうじゃない。くふふ。あなたたちも、この街の人も。全部ダメ。まるで生ゴミね。くふふ、くふふ」
 人としてゴミであると蔑まれることには慣れている少年たちも、これには戦慄せざるを得なかった。彼女は彼らを、人としてではなく食材としてゴミだと見なしたのだ。
 その様子を数メートル離れた物陰から見ていた戒は、思わずため息を吐いていた。
 「ったく、噂には聞いてたが、マジで狂ってるぜ……。しかも悪意からじゃく素で言ってるのが性質が悪ぃ……」
 呆然とする少年たちを押しのけたマリアが路地から出て行くのを見届けて、戒はさらにその後を追った。


 「っと、マリアの奴、どこ行った?」
 路地を飛び出した戒は、急な明るさの変化に目を細めながらも、先に路地を出たマリアの姿を探す。傍の標識を確認すると、どうやら先の路地は北と西を繋ぐものだったらしく、表示は西区画となっていた。と、戒の目が妙なものを見つけて見開かれた。
 彼が凝視する視線の先には、地下街へと通じる入り口があった。風雨にさらされ大分外観を損ねているその様子から、いわゆるアンダーヤードへと続く地下道であることが分かる。そして、その周りをまるで侵入者を見張るかのように囲む少女たち。いずれも、ボロボロの布切れを頭から被っていて、顔も鼻から下が見える程度だった。
 そして、そんな少女たちの姿などには目もくれず、地下街の入り口へと進んでいくマリア。しかしマリアが一メートル、また一メートルと近づいても、少女たちは下がりもしなければ出もしない。人形のように気配もなくただ佇む少女たちに、戒は軽い戦慄を覚え思わず立ち止まった。
 「くふふ、おいしい匂いはこっちからだ。くふふ、くふふ」
 相変わらず不気味な笑いを漏らしながら、少女たちの前をマリアが通り過ぎようとしたとき。
 「止まれ」
 少女たちの中の一人が、マリアの細腕を掴んで止めた。その拍子にその少女が被っていた襤褸切れがずり落ち、隠れていた顔が顕わになる。その姿を見て、戒は思わず叫んでいた。
 「副社長!」
 顕わになった少女の顔は、埃に汚れていたものの、まぎれもなくメリーのものだったのだ。戒が走り出そうとしたとき、マリアがぐるりと首を巡らし、メリーの方を見た。さっきの少年たちを見たような意地悪な目ではなく、艶然とした、いかにも嬉しそうな瞳で。
 「くふふ! この先にいる子もおいしそうだけど、あなたもおいしそうだね。くふふ、まるで子羊肉みたいに柔らかそう、くふふ! まだこの先に行かなきゃいけないから全部は持って帰れないけど、両腕くらいなら持っていけるよね、くふふ、くふふふふ!」
 いつもよりテンションの上がった笑い声を漏らすと、マリアは掴まれていない左手で、背中の鞄から愛用の包丁を抜き放った。打ち下ろされる包丁が、マリアの腕を掴むメリーの右手、その肩口を叩き切ろうとした瞬間。

 巨大なフォークが、マリアの包丁を受け止めていた。

 それは、分類するならばいわゆるトライデントと呼ばれる三叉の槍である。ただ、一般的な形状とは少々趣を異にするこのトライデントは、まさしく食卓で使うフォークのように、三本の刃が僅かな傾斜を描いて婉曲していた。この形状は、戒がかつて殺人鬼として夜の街を跋扈していたころ、彼の好む『腹を切り裂く』殺し方をより効率よく展開するためのものである。
 マリアとメリーの間に割り込み、その包丁を受け止めた戒は、想像以上のマリアの力に軽く冷や汗をかきながらも不敵に笑って言った。
 「おい、【デビルシェフ】。悪いが彼女には先約があってな、あんたのとこの晩飯に並べられるわけにはいかねぇんだ。どうしても彼女を食材として持って帰りたいんなら、まず俺を黙らせてからにするんだな」
 戒の宣戦布告を突きつけられたマリアは、しかし軽く笑って言った。
 「くふふ、そっか。予約が入ってるなら仕方ないね。くふふ、人の楽しみをとるのはいけないことだよね、だったら彼女は諦めるよ。くふふ」
 僅かに残念そうな色を滲ませたマリアに、戒は拍子抜けして力を抜きかけた。まぁ彼女の反応はどこか勘違いをしているようだが。
 と、次の瞬間、マリアは右手を背に回し二本目の包丁を取り出して、今度はそれを戒に向けて突き出してきた。
 戒が慌ててその攻撃を受け流すと、マリアは再び狂気に満ちた目で戒を見つめた。
 「くふふ!彼女は諦めるけど、でも君もおいしそうだね!くふふ、彼女ほど柔らかいお肉じゃなさそうだけど、でもその締まった筋繊維、煮込み料理には最適だよ、くふふ、くふふ!」
 くるくると曲芸のように包丁を回すマリアに、戒はここ三日間で最も大きなため息を吐いた。そして再び手にした巨大なフォークを構える。
 「はっ。いいさ、やりたいなら殺って殺るよ。悪いが、この【レッドラム】、煮ても焼いても食えねぇ男だぜ?」
 本来ならばマリアと戦闘することは本件には全く関係のないことであるし、たとえ勝ったところで戒にとってのメリットはほとんどない。しかし、戒の中の殺人鬼としての血がどういうわけか騒いでしまったようだ。さらにマリアもまた、抵抗されると燃える性質らしく、すでに料理人という名の殺人鬼の顔となっていた。
 かくして、西区画の貧民窟『匈奴三番街』にて、【レッドラム】法華堂・戒と【デビルシェフ】マリア・レティシアの戦闘が開始された。