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―――拝啓、ミナサマ。オハヨウゴザイマス、夜巖デス。
今俺は、ボルムセ島に来ています。
何故か、デスカ? ソウデスネェ、俺は今頃、本来なら学園で幽那とマッタリゴロゴロしている筈ダッタのですが、何故こうなったのかと言いますと。
「攫われたからデスヨォォォォォォォ!」
「……? どうしたの、いきなり叫んで? 壊れた?」
夜巖の叫びに怪訝な目を向けるのは、日傘を優雅にさす女性。
白のフレアーギャザースカート、白のスモッグブラウスという服装で、背丈は14の夜巖より少し高い程度。160前半といった所だ。年齢は二十歳くらいに見えるが、様々な技術が進んでいるこの時代、決して見た目通りの年齢とは限らないので、実年齢は不明。
本当のところは夜巖も知らないが、恐らく一回り離れたくらいではないかと予想している。
「……起きて気付けばこんなトコロにイタのデスヨ? 叫びたくもナリマス」
「ちょっとした日常へのスパイスよ」
悪びれずもせず笑う。
「それより、お姉さんはちょっと心配よ? 忍び込んで、他の生徒は勿論、貴方も気づかないなんて……日良ったんじゃない?」
「エエ、全くその通りデスヨ。侵入者が貴方ですら無ければネ」
「やだ、こんなか弱い子を捕まえて、なんて事言うのかしらこの子は」
「か弱い子は俺を拉致したりシネェヨ……」
「何よ、人を化物みたいに」
「化物の方ガ、マシだったかもデスヨ……。『ペルソナノングラータ(世界の敵)』太刀花悠香」
『ペルソナノングラータ(世界の敵)』。もしかすれば、世界3KYOで知られる三人よりも、企業から恐れられ忌み嫌われている名前だ。
その正体は、産業スパイ。あらゆる手腕手管を用い、十二協会ゾディアックソサエティ、またそれに匹敵する大企業から情報を奪い取る。企業が世界を牽引するこの時代においては、殺人や思想犯などよりも遥かに危険とされる。
ユグドラシルユニットのピースメーカーから指名手配を受けている事は勿論、多くの企業がその首に賞金をかけている。総額では20億を軽く超えるとも言われるが、それでも捕まったりはしていない。
それはそうだろう、と夜巖は思う。
何せ、この女。彼の相方である異牙の両親、空戒と霧亜にそれぞれ引き分け、長兄長姉、【伽藍葬牙の異牙姉弟】天戒と霧骸を二人同時に相手して打ち勝ち。殲滅の長たる澪標千重の殺戮至上コンサートから生き延びて見せ。真言宗山階派十三家が一つ、最強にして最凶のグラップラーと恐れられる嶽夜叉汚嶽からも逃げきって魅せる。
嶽夜とは二度と会いたくない、と嫌悪と恐怖を込めて語っていたから、決して軽々と逃げた訳では無いのだろう。それでも、たった一人で、それだけの相手と相対し、生き続けているという事自体が驚嘆に値する。
そして、それだけの力量を有するからこそ、更に企業からは危険視されて狙われるという無限ループに陥っている。本人が気にした様子は全くない。
「トいうかデスネ。ブラックリストがこう大手を振って歩いてイイノデスカ?」
「良くないから拉致ったんでしょう? 頭が回ってないの?」
「イエイエ、良くないからコソ拉致なんて目立つ真似は……」
「仕方が無いでしょう? 緊急事態なのだから」
「ホホウ。人様を拉致してマデの緊急事態トハどのようなモノですかね貴様」
「あのね? 来週、私の誕生日なのよ」
「……ハイ?」
思わず聞き返す夜巖。
「誕生日、バースディ」
聞き間違いではなかったようだ。
「イエ、言葉の意味ではなく……緊急事態?」
「ええ、エマージェンシー」
「誕生日?」
「誕生日」
「帰らせてイタダキマス」
「待ちなさい」
肩を掴まれた。全力で振りほどこうとするが、悠香の片腕はビクともしない。
「エエイ離せ! 第一、それのドこが緊急事態ナノデスカ!」
「何を言っているのよ。夜、貴方、私にプレゼントを渡せない所だったのよ?」
「……ちょっと待て、何を言っている?」
「だから、無理矢理でも連れてこなかったら、夜は私の誕生日を知らずに過ごしてしまっていた訳よ。この私の誕生日を祝えなくなるかどうかの瀬戸際、まさに夜にとって緊急事態でしょう?」
「……オオ神ヨ、このアマに謙虚とか常識とかいう類の美徳を何故授けなかったのデショウ」
酷い言い分もあったものだった。
緊急事態だから何か手を借りたいのだというなら、夜巖にも納得できたろう。頷けたかは兎も角、納得はできる。そうですらなく、誕生日を半ば強制的に祝わせようとしているのだ。どうして納得できようか。
「それで、どうせ私にくれるのなら私が喜ぶ方がいいでしょう? だから、今私が探しているのを一個持ってきて頂戴?」
「嫌だとイッタラ?」
「明日のTLNでニュクスNo.2【グレイトフルデッド】夜識夜巖の訃報が流れるわね」
直接的に脅しにかかった。これは酷い。
「……イヤ、ちょっとマテ。動転して忘れてイマシタガ……貴方、半年前にも誕生日ダト言って、ホルスの高級ワインを10ダース買わせましたヨネ?」
「ぎくり」
わざわざ口に出す律儀な悠香。
「ヤハリですか! あの時も怪しいと思いマシタが……!」
「違うわ、夜。貴方は勘違いをしている」
「生憎デスガ、俺の記憶力を疑ってモラッテハ困」
「いい女には、年に四回誕生日があるのよ」
「斬新な説デスネ!?」
「かの大企業、モリナカの先代はこう言ったわ。斬新なのは良い事だ、と」
「イヤイヤイヤイヤイヤ、言ってネェですから……」
「まぁこの際、そんな事はどうでもいいのよ。いいからさっさと協力なさい」
どうやら拒否権はなさそうだ。
そもそも、ここまで連れてこられた時点で、生殺与奪の権限は悠香にあると言うことだろう。
「ハァ……。我ながら、前世の負徳ヲ嘆かずにはイラレマセン。なにゆえに神は俺に無用な試練を与えたがるノカ」
嫌われているからだろうと自分の中で結論づけ、心を切り替える。
「ソレで、悠香。俺に何を取ってこいと?」
「物分りのいい子は好きよー。これはサービスね」
そういうと夜巖を抱きしめる悠香。
中々に緊張するシチュエーションだが、彼は動じない。もしここに相方の異牙か、或いは幽那がいれば心安らかには、いや、体安らかでは無かったろうが、ここに彼女らがいる訳がない。
元より抱きつかれた程度でどうこうするような性格でもない。あえて振りほどくような真似もせず、ただただ疲れた息を吐く。
「前も言いマシタが、匂いが着くとハンパなく虐待サレルノですヨ。アマリくっつかないでください」
「あらあら照れた? かーわーいーいー」
「イエ、俺は年上趣味ですが年増はチョット」
「あらあら照れた? かーわーいーいー」
言葉は一緒だが込められた感情と、抱きつく力が段違いだった。
「チョ、悠香! 冗談、軽いジョークですカラ!」
というか抱擁からサバ折りにシフトしている。骨が軋む音を幻聴しそうになったところで、解放された。
「たまに思うのだけど、貴方って実はMよね?」
「何をバカな事を……」
「だって、私、霧戒、幽那。貴方の周りって、貴方を虐める時が一番イキイキするタイプばかりじゃない?」
「縁起でもネェ事を……。ソモソモ、それはあなた方の性格デスヨ。それに、もし他の連中が彼女らと同じように振舞えば、相応の返礼をイタシマス」
「つまり、好きな子からは虐められたい特殊Mだと?」
「イヤイヤ、言ってヤメテくださるなら今すぐにでもヤメサセマスヨ」
「……好きな子って部分は否定しないのね?」
「エエ。幽那も、霧戒も。不思議な事に、今の俺にとっては比翼にも等しいデスカラネ。全くもって持て余す感情デスガ、ソレも悪くないと思えてキマシタよ」
「そう。成長したのね」
どこか嬉しそうに笑う夜巖に、悠香もまた喜びの感情で笑い返す。
「んー。やっぱり、あの時に捕まえておくべきだったかしらね。逃がした魚は大きいわ」
「今からでも連れてイキマスか?」
夜巖の返答に、悠香はふわりと微笑んだ。
そう思っている事は事実で、力尽くでやろうと思えばいくらでもできる事も事実。それを理解した上で、夜巖は聞いている。決して、悠香がそうしないという信頼を持って。
「しないわ。美しいものには、輝くに相応しい場所がある。それが夜、貴方にとってはそこなのよ」
「今の俺は、輝いてイマスカネ?」
「ええ。私を満足させる程には、私がたまに持っていきたいと思う程度にはね」
「奪う程度には至っていないノデスネ」
「あら、どうやったら私のものを更に私が奪えるのかしら」
穏やかに笑いあう二人。
「けれど、気を付けなさい。貴方にとってそこが至上の場所だからこそ、そこを守る為に輝ける。もしそれが歪めば、貴方はその輝きを澱ませて暗く沈むわ」
不意に表情を引き締めた悠香。パラソルを夜巖の眼前に突きつける。
「貴方の道は黒い。でも、覚えておきなさい。夜識夜巖、偉大なる夜。もし貴方がその輝きを見失い、綺羅の星々を包み込む真夜中を暗雲で覆わせた時。貴方の魂が他者の影に惹かれ、その道を閉ざした時。そのまま輝きを失うようであれば……所有者として、私が貴方を砕け散らせる。くすんだ宝石ほど、見ていられないものはないからね」
「覚えてオキマスヨ。……ソレで、今回、俺に何を取ってこいと?」
話を本筋に戻す夜巖。やると決まったからには完遂する、それもできるだけ早く。そして何事もなかったかのように学園へ帰り、何事もなかったかのように過ごす。それがいい。
「ああ、そうだったわね。あのね、ここに未発掘オーパーツがあるらしいから取ってきて」
気軽に、まるでジャガチップスを買ってきてと言わんばかりの気軽さで頼まれる。
当然、オーパーツ―――この世界から発掘される超古代兵装―――は、そんなお菓子を買うノリで取ってこれるものではない。世界中のあらゆる場所で発掘されるが、その数も多くない。何より、オーパーツの発掘は、命の危険に晒されるのが常なのだ。
オーパーツは使い手を選ぶ。それはこの世に知られた事実だ。その理由は未だ解明されてはおらず、ユーザーとして認識される要素も未だ不明。しかし、確かにオーパーツは選ばれた者にしか使えない。
だからこそ、発掘が可能なのだ。使い手以外にとって、オーパーツは無用の長物。なんの反応もない置物のようなもので、そこには歴史的価値しかない。
使い手が手にした時、始めてオーパーツはその力を解放され、森羅万象に効果を及ぼす異能を発揮する。それまでの停止期間を利用し、オーパーツには拘束外装が取り付けられる。
それが『EtherDrawEncounterNegate(特異元素性引力系接触無効化)』、通称『EDEN(エデン)』だ。
これによってオーパーツのエーテル吸収を無効化し、完全な待機状態で保ち続けることが実現している。
もし、EDENによって拘束する前に、オーパーツが起動してしまえば、つまり適合者たるユーザーの手にわたってしまえば、どうなるか。
例えば、発掘した瞬間その場に居合わせた人間がユーザーとして選定されたような場合だ。
そういった例は稀に在り、エーテルの過剰吸収による次元断層の発生により、間違いなくユーザーとオーパーツは、この世から消滅する。
こうして消失したオーパーツの数は、確認されただけで世界中で100近くも存在する。 つまり、それだけの数の人間も死んでいる。いや、周囲を巻き込み、数十、数百人単位で消失した事もある。
適合者と判断される基準が明らかでない以上、どれだけの対策をとっても安全とは限らない。
しかも、拘束外装『エデン』は、エーテル商品を開発している企業の中でも、一部の一流企業にのみ作り出せる特許技術なのだ。発掘してその場ですぐ着装、などと気軽にできるものでもない。
だから、オーパーツの発掘は大企業が中心となって行い、発掘後可及的速やかにエデンを着装できる仕組みになっている。
個人で発掘を行っているものも数多くいるが、実績があるのは極一部。やはり、大企業の傘下であったり大手発掘会社がその大半を発掘している。
「……正気デスカ?」
翻って、悠香は犯罪者だ。例えオーパーツをどの企業に先んじて手に入れたとしても、エデンの着装を頼める筈がない。指名手配犯がカスタマーサービスにのこのこと顔を出すようなものだ。あり得ない。
彼女が未発掘オーパーツを手にするというのは、言わばいつ爆発するか分からない地雷を持つようなもの。正気を疑うのも当然だろう。
「勿論よ。忘れたかしら、私の信条」
「……『あらゆる財は私のもの』デスカ」
そう、太刀花悠香。世界では産業スパイとして知られているが、その実態は少し違う。
彼女は、スパイと言ってもどこかに属している訳ではない。更に、彼女は依頼を受けて盗むような事もしない。フリーではなく、スタンドアローン。
彼女は興味のあるものは何でも奪いに行く。企業から知財を奪い、人財を奪い、財宝を奪う。そして、一度奪ったものには執着しない。世界に垂れ流すような真似はしないが、気に入った相手がいればそれを与える。彼女曰く、貸し出す。無期限無利子返済不要がウリらしい。
それが、『ペルソナノングラータ(世界の敵)』太刀花悠香。またの名を、『盗の帝釈』。オーパーツも、例外ではない。
「全く、変わってイマセンネェ」
天上天下唯我独尊。自分はこういう相手とよくよく縁がある。特殊Mだという説は全力で否定するが、彼女のようなタイプが好みだと言うのは間違っていないのだろう。
「これが私の在り方なのよ。きっと、死んでも変わらないわね」
ただ、悠香は夜巖が出会った中で、友人と呼べる中では尤も強い女性だった。
養父にも近いものがある。それは、自分の在り方を知り、その在り方に迷いはなく、その在り方を通す強さを持っていると言う事だ。
その強さに、かつて彼女と始めて会った夜巖は惹かれ、憧れた。今でも、その考えは変わっていない。
尤も、その時はまだ幼かった。だから、その強さのみを養父のそれと同様と感じていただけだった。
もし、もう少し育ってから。そう、異牙と出会った頃、或いは幽那と出会った頃。その頃に出会っていれば、どうだろうか。今頃、彼女のとなりで世界を荒らしていたのではないか。そう思う事もある。
勿論、それは仮定の話。実際には、今の自分が全てだ。
「まぁ、安心しなさい。エデンくらいだったら作れるから」
「……………エ?」
「お金と手間はかかるけれど、作ってみたら割と簡単よ。後は実践だけなの」
「イヤちょっと待やがってクダサイ。……EDENを? 作った? 一人で?」
「ええ。EtherDrawEncounterNegate。理論上は完璧、システム的には何の問題もないわ。制御率も従来型より12%向上させているから、精神の負担も最小限に抑えられる筈よ」
作っただけでなく改良したと言う。
それがどれだけ異常な事か、どうも悠香本人の自覚は薄いらしい。幾ら大企業中から知識を奪っているとは言え。天才と呼ばれた人間が数十、数百かかりで何億、何兆の資金を使い、何年、何十年と言う時間をかけて作り出したものを、たった一人で改良までしたというのだから。
「……マァ、ウィザードやアンチイーサシステムも自力で作る女デスシネ……」
規格外にも程がある。実は夜巖もその恩恵を結構受けているので、喜ばしい事ではあるのだが。
「だから夜は心配しないで、見つけてさえくれればいいわ」
「イヤ、心配しているのは我が身デスヨ? 勘違いしてマセンカ?」
「大丈夫、夜なら」
「過剰な信頼をアリガトウゴザイマス……」
肩を落とす夜巖。何故、自分の周りはこんな女ばかりなのかと齢14にして疑問に思う事もある。
持ち前の運の悪さも相俟って、きっと前世はろくな人間では無かったのだろうと予想して少しだけ気分を晴らしてみる。
「トモアレ仕方がありません。載せられた以上は大船と致しまショウ」
「その意気よ、夜! じゃあ終わったら電話してね」
「エ? ちょ、悠香!?」
「よーろしーくねー」
悠香は、パラソルを開くとそのまま飛んでいった。あのパラソルには斥力システムでも搭載されているのだろうか。そうだとしてももう驚くまい。
驚くとすれば、ここまで誘拐して勝手に誕生日プレゼントとしてオーパーツを要求しておきながら自分はさっさとどこかへいったその行動そのものだ。もはや天上天下唯我独尊とかいう問題ではない。最悪だ。



と言うやり取りを経て、約3時間。
「……イヤ、何ですかねコレは」
思った以上にあっけなく、オーパーツは見つかった。語るべき冒険劇もない、歩いていたら足元に転がっていた。ありがたみもなにもあったものでは無い。
それは柄とベルトは輝く黄金で出来ているようで、その形状はバスタードソードに類似している。だが、破壊者と言うイメージではない。どちらかと言えば私生児といった感覚を覚える。
それに、どうも夜巖の見た所、既にこの剣にはEDENが装着されている。と言う事は、以前に誰かが使っていたか、持ち出していたか。
いや、そんな考えは不要だろう。答えは一つしかない。
「……この少女のもの、と考えるのが妥当デスヨネェ」
そう、転がっていたのはこの剣だけではない。年齢は10にも届かないであろう少女、いや、幼女も一緒に転がっていた。剣を抱くようにしている事から、経緯は兎も角現在はこの幼女のものなのだろう。
赤黒い髪は二つに縛られているが、そもそも長くはないのだろう。ツーテールに結ばれた部分から出た髪は二十センチもない。垂れ下がることもなくザンバラに飛び出している。
目鼻立ちははっきりしており、おそらく、瞳を開けば、その髪型と相俟って気の強い印象を与える顔立ちだろう。その点とは異なり、笑えば愛嬌のある可愛らしい容貌だと言える。
尤も、だらしなく口を開けて眠りこけているそれを愛嬌と取るかどうかは人次第だろう。
「マァ、何にせよ、コレでミッションコンプリートですネ」
EDENが装着されていれば暴走の心配もない。幼女も夜巖の接近に気づいた様子もなく眠ったままだ。
ならば今のうちに奪いとってしまえば面倒がない。尤も、起きていたとしても奪い取ることに変わりはない。
夜巖は最新の注意を払って手を伸ばし、オーパーツらしき剣を窃盗して、
「……あふぅ……。おはよ~、見知らぬ人」
短刀を首筋に突きつけられていた。夜巖が気づかない程の速さで。
間違っても幼女が出していい鋭さではない。決して油断していた訳ではないのに、彼女より早く反応することができなかった。
「……お目覚めデシタカ」
「まぁね~。んで、次はボクの代わりに君がオヤスミかな?」
殺られる。夜巖は即座にそれを察した。
彼女の声に気負いやハッタリは一切感じられない。このまま何もしなければ、宣言通り、夜巖は眠りにつかされる。それも、起きる必要のない眠りに。
「オヤオヤ、短絡デスネェ」
それを理解してなお、夜識夜巖は揺るがない。
成程、彼女は自分より強いだろう。ただ、それがどうした?
夜巖は自分が最強で無敵だとは微塵も思っていない。そんな誇大妄想に囚われてはいない。
自分の周りだけでも、両親を始めとして、犬猿の仲である兄は圧倒的に強いだろう。兄である自分に出来ないことなど何も無いと信じきっている妹でさえ、自分より遥かに強い。そもそも学園をして、対等ながら自分の上にいる幽那にも、対等ながら自分の下にある異牙にも、単純な戦闘能力では劣っている。未だ10に満たない幼女より、自分が強い筈だなどと言う幻想は抱かない。
成程、認めよう。この自分より小さな彼女は、自分より強い。ただ、それがどうしたというのだろうか。
「アナタは俺を殺そうとシテイル。成程、それはいいダロウ。デスガ、そんなに事を急いてもエルサレムは落ちてキマセンヨ?」
平然、泰然、浮かべる笑みは常の余裕。
自分より相手は強い。だからどうした、それが負ける理由になどはなりえない。相手を力尽くで押さえ込めなくとも、勝つ手段など無数にある。
「命乞い? そういうタイプじゃないと思ったけど」
「イエイエ、命乞いをする程に高い命はシテイマセン。コレは貴方への助言と言ってイイ」
首筋に短刀を突きつけられている。触れた切先は既に肌を傷つけている。だからどうした、まだ死んでいない。それならば充分すぎる、死んでいなければ負けてはいない。
「イイデスカ? 貴方は浅慮にも、俺が単独だと決めつけている、早計デスヨ。モシカシタラ俺は軍団の尖兵で、死んだと同時に貴方の情報が背後に伝わるカモシレナイ。もしかしたら俺は、『俺を倒しても、まだ四天王がいる』なんて告げるタイプの雑魚かもシレマセン。そういった事を一切考えず、反射的に俺を殺してもアナタに得はない。違いマスカ?」
「ん? んん? あれ、でもキミ、ボクから盗ろうとしたよね?」
「エエ、その通り。デスガ、俺としてはオーパーツに興味がある訳ではアリマセン。正直なところ、ドウデモイイ。ただ、ちょっトした縁から頼まれたダケ、言わば使いっ走りデス。故に俺を殺したとしても、根本的な解決にはナリマセン」
「んー。でもボクとしたら、やっぱりキミを殺っちゃう方が楽じゃないかな?」
「オオ、ジーザス! 神よ、彼女を哀れみタマエ、そして救いタマエ!」
大げさに天を仰ぐポーズを取る。実際はほとんど体は動かしていないが、少女はその姿を幻視した事だろう。
「お教えシテおくと、俺にソレを指示した女は世界でも最悪の部類に入る女デス。モシ俺を殺せば、今度はその女から直接狙われる事にナリマス。そうなれば、如何にアナタでも簡単に勝利を掴む事は不可能、寧ろ敗色濃厚だと言ってイイ!」
「って言われてもねぇ。ボクとしては、手放す訳にはいかないんだよ? その辺の前提分かってる?」
「勿論! デスガ、その前提ヲ覆すご提案を致しましょう」
鋭く眼を光らせて笑う夜巖は、詐欺師か売人か。どちらにしても、それが出任せか本心かが掴めない事に違いはない。
「へ? 覆す? え、どういう事?」
夜巖の口上に惑わされてかどうか、少女はその言葉に食いついた。
夜巖は内心でニヤリと笑う。ここまで繋げば、勝ちは拾った。
「簡単な事デス。アナタはソレを手放す必要も無くなれば、追われる理由サエ無くなります。まさに皆がハッピー、声高らかにハレルヤを歌える最高のご提案が出来る訳デスヨ。悪い話デハないでしょう?」
「……何かボク騙されてない?」
「俺のモットーは誠心誠意、愚直なまでの誠実がウリですヨ」
嘘に違いない。
「んで? じゃあ、その提案って何さ?」
「ソレを話す為には、良き交渉相手として行動シテ頂かなければ、俺もモットーを誤ってシマうかもシレマセンネェ?」
「……あれ? ねぇ、何か立場がおかしくなってない?」
「気のせいデショウ」
しれっと流す夜巖。幼女はしきりに首をひねっている。
いつの間にか、夜巖の立場が上になっている事に錯覚したのだろう。生殺与奪は未だ彼女の手の中にある、圧倒的有利なのは彼女だ。だが、何故か言葉の上では夜巖が要求を始めている。
「……キミ、性格悪いね。間違いない、ボクの待ち人に比肩するよ?」
呆れた様子で、幼女は夜巖から短剣を離した。
「アリガトウゴザイマス」
「で、提案って何さ? 返答次第ではさくっといくよ?」
「簡単な事デスヨ、アナタが俺と来れば万事解決デス」
「ゴメン、やっぱり殺していいかな?」
「マァマァ、そう急かずに。イイデスカ? 俺の方はソレを持って行きたい、貴方は手放したくない。成程、一見してジレンマですが、ソレは卵と鶏の前後を語るより容易いノデス」
にこりと笑う。
「先ず、俺としては持って行きたいダケでアッテ欲しい訳では無い。デスガ俺としても役目は果す必要がアリマスし、先程も言ったように、俺が無理ナラバ次は本人が来るダケ。ソコで、貴方が俺について来るとドウナルカ? 俺が直接理由を話し、彼女に改めてソレをアナタに返すよう説得スル。そうすれば八方角なく円満デスヨ」
「それ、キミが説得出来るかどうかにかかっているって事じゃないかな?」
「エエ、デスガそこはご心配なく。世間にネゴシエーターは多々ありといえ、俺ほどの人間はそういませんヨ?」
「うん、今身に染みて信じちゃダメなタイプだって感じてるよボク」
「ご理解いただけて何よりデス。如何デスカ?」
「分かったよ、ついていく。ただし、ちゃんと約束は果たしてよね!」
「ご利用アリガトウゴザイマス」
笑顔を絶やさず、内心で安堵の息を吐く。
コレだけ焦った交渉をしたのはいつ以来だろうか。幽那とのファーストコンタクトの時よりも達成条件は簡単だったが、それに並ぶだろう。
後は悠香をどう説得するかと言う問題があるが、ここについてはさほど問題はない。元々、悠香は奪った後の所有欲が薄い。おかげで技術や知財、各種貴重品が彼女から流れてくる事も少なくない。事実、妹の夜白経由でニュクスやディアボラデュポンに彼女からのデータが来るのも一度や二度ではない。
ディアボラは十二協会として、その情報が悠香から来たとは決して明かさないし、自分たちの所からも遠慮なく盗みに来る悠香を表面的には適正因子と見なしている。が、夜識兄妹との繋がりがあるので、結構重宝されていたりもする。
それに、わざわざ自分で盗むのではなく、夜巖を使ったと言う事からも明らかだ。彼女は自分が本当に欲しいものならば、協力を仰いだ後に放置したりもしない。その程度の関心なら、説得は容易だ。
だから今回難しかったのは、その事を幼女にどう信頼させるかだった。それもどうやら成功したといっていい。これで万事は解決だ。
「さて、ソレでは少々お待ちを。その旨を伝えマス」
悠香にその事を電話越しで説明し、予想通りオーケーの答えが帰ってきた。これで万事は解決だ。
「エエ、ハイ。了解、遊んでないでサッサト来てクダサイ」
電話を切り、幼女に交渉成立の旨を伝える。
「タダ、彼女の到着には暫くかかるソウデス。1,2時間デショうかね」
「おっけー。じゃあ今日は同衾だね!」
「ソコマデの必要はアリマセンが、宜しくといった所デスネェ」
夜巖は、確実にオーパーツを悠香に見せる為に、幼女に逃げられては困る。
幼女は、確実に夜巖の契約を履行させる為に、夜巖に逃げられては困る。こうなるのは当然の流れだ。
「そういえば自己紹介してなかったね? ボクはクロエ、キミは?」
ただ、どうも幼女――クロエはそれだけでないような気もする。何と言うか、交渉を終えたあたりからやけに親しげだ。懐かれたのだろうか。
「名乗る程の名ではアリマセンが、一応は夜識夜巖と申しマス」
「ふむふむ。夜ね? その名、覚えておくよ!」
「忘れてイタダイテモ結構デスヨ?」
ソレにしても、と繋げて。
「何故、こんなトコロで眠っていたノデス?」
「ん? いやだって今昼だし?」
どうやら彼女にとって昼は寝るものらしい。大いに間違っている。
「確かに、人間は昼に寝て夜に遊ぶ生き物デスカラネ」
こちらにも間違っている人物がいたようだ。
「ソウではなく。家なり集落なりで眠っていればイイではアリマセンカ」
「ああ、そっちね。……あれ? なんでボク、こんなトコロで寝てたんだっけ?」
「オイオイ、しっかりしてクダサイ」
「んー。確か、ボクのご主人が……ご主人? あれ? ご主人は寝てて、でもそろそろ来る感じだったから戻ろうとして。んん? ご主人? ボクにご主人なんていたっけ?」
「知りませんヨ。どんな人ナノです?」
「弱っちいくせに出来ないことは何一つないと確信する自信屋で皮肉屋で片言で結構意地っ張りで我侭で嘘つきで自覚なしの女誑しで超鈍感で変で嫌な奴」
「オイオイそれは最悪デスネ! 忘れた方がイイかもデスヨ?」
「でも、ご主人はいつだって、何とかしてみせる人だったね……うん、そうだ。思い出してきたよ。決して人では届かないと言われた所に、人の身で辿り着く。人では勝てない相手に、人の身で勝って魅せる。どこまでも真黒だけど、どこまでもお人好し。冷酷に徹しきれない、抱え切れないものを抱えようとして、取りこぼしては心を痛めて、でもそれを誰かに見せない。そんな奴だ」
「中々妙な奴のヨウデスネェ。と言うより貴方のような子供にご主人と呼ばれる時点でろくなヤツではないデショウ」
冗談めかして笑う。見ず知らずの相手を貶すと言うより、場を和ませる為の冗談だ。その証拠に、陰鬱な雰囲気は一切ない。
「そこは同意だね。ロクな人じゃないよ、ご主人は」
でも、と間をおいて。
「うん。あの時は悩んだけど、流石にもう決めたね! まだまだ若い身空だけど、ここは一人に決めるっきゃない!」
意気軒昂と天に拳を突き上げるクロエ。
「と言う事で、また宜しくね! ご主人!」
「ちょっと待て」
「何かな?」
「ご主人?」
「ご主人」
「ダレガ?」
「キミが」
「WHY?」
「いやー、最初は寝起きで気づかなかったけど、ご主人だよね!」
「イヤイヤ、断言しますが人違いデスヨ? 俺はキミに見覚えがない」
「こっちにはあるよ! こんなロクでもない人間がご主人以外にそうそういる訳ないしね」
「こんな真人間に対してなんて事を言うノデスカ君は」
「え? いやいや、ご主人が真人間だって事は誓ってないよ。どちらかといえば魔人間だよ」
深く頷くクロエ。間違いない。
「あ、それともう一個思い出した! ボクがここで寝てた理由!」
「ホウ、お聞きしましょう」
「元々ボク、向こうの地下遺跡の中で眠ってたんだよね」
「アア、地下にドウモ空洞があると思ってマシタが、やはり遺跡デシタカ」
夜巖のミスティック、第一段階『神格領域(インターネット)』。これで地下に建造物がある事は把握していたし、遺跡であることも読み取っていた。ここを歩いていたのも、遺跡の形を把握する為だ。
「そうそう。それで本当ならご主人が来るまで寝てたんだろうけど、盗掘者が来てさー。いつもは軽く殺っちゃうんだけど、ちょっと今回相手が悪かったのか、出ざるを得なかったんだよ。でもほら、急に起こされたからやっぱまだ眠くてさ、ここで眠ってたって訳」
「フッ、やはり楽にはイカナイと言う事ですか」
夜巖の視線の先から、悠然と歩いてくる女性。年の頃は分からないが、おそらくは悠香と同程度。
ワークブーツに黒のショートパンツ、同じく黒のタンクトップの上に黒のジャケットを纏っている。髪型はポニーテール、更に似合いもしないサングラスをかけている。
「おやおや、獲物が一つ増えてるのはどんな冗談? わちきの仕事はトレジャーサーチだったのに、いつの間にかマンハントになったかい?」
サングラスを外し、ジャケットのポケットを入れる。
切れ長の目が愉快そうに笑んでいる。
「アナタ、只者ではアリマセンね?」
「いやいや少年、そういう事は言うものじゃない。分かってても、口に出すものじゃない」
「ソレは失敬」
軽薄な言葉に薄い微笑、傍から見れば余裕綽々。
だが、この時。既に夜巖は能力を進めていた。神格領域(インターネット)から神文愚公(トリックスター)、超感覚的六遊戯(シックスプレイ)の二段階目、戦闘用にギアは上げている。
トリックスター発動時は、表裏裏腹な反応を肉体に強要する。そこに真実はない。軽薄な言葉、薄い微笑、それらは全て裏返し。
「ご主人、どう思う?」
「愚問デスネ。余裕以外に答えはない」
嘘だ。トリックスター発動時、発する言葉も全て表裏逆転。
これだけのプレッシャーを持つ相手、幾らグレイトフルデッド夜識夜巖でも一筋縄でいく筈もない。
「ソウ、余裕デス。何とかしてみせましょう」
だが、その言葉は同時に本心。
余裕である筈はない。それでも余裕を口ずさみ、勝利の糸を手繰り寄せる。それでこそ夜識夜巖という人間を名乗れる。
トリックスターは、相手の正体が分からない時に使うには不便。とはいえ、ギアを上げるまでにはもう少しかかる。ならば今はこれでしのぐのみ。
「サァ、お魅せシマショウ。天上天下彼我嘲笑、天上に数多の敵アレド天下に我が道を敷く。神を嘲り愚を笑う、俺のトリックスターをとくと御覧ジナ!」
身を低くし、駆ける。
その速度は、まさに消えたと錯覚する程だ。
「あはは、元気がいいの少年!」
ただ、敵も去るもの。その動きを追い、45口径マグナム、イーグルのオールドモデルが火を噴いた。
それを、銃を抜く動きの段階で察知していた夜巖は大きく横に跳ぶ。これにより一瞬、相手は夜巖の姿を完全に見失った。
その隙を見逃さない。着地したその足で再度跳躍。斜め45度の角度から相手の懐に飛び込んで行く。抜くのは左脇に釣っているイルメナイト製のナイフ。
見ると、クロエも反対側の死角から女性を狙っていた。オーパーツではなく、つい先程夜巖に突きつけていたナイフを持っている。
何の能力もなしに、トリックスターで強化された夜巖と同じ動きをしてみせるのだから、彼女も大概化物だろう。また、夜巖に圧倒的強化を齎すほどの戦力を有する相手もまた化物。
――ですが、コレにて終幕デス!
異なる死角から迫る二人、しかもその能力を持ってしては、並大抵の相手では避ける事もできない。
二対一が卑怯だとも思わない。数的差、男女差、そんなものは関係ない。殺る時は全力、そうしなければ死ぬのは自分だ。
間違いなく、入る。その筈の、タイミング。
しかし、相手は笑ってみせた。こんな状況、何の事もないと言いたげに。
「ルックアップ!」
叫びと同時に、銃を投げ捨てる。その動作によって、彼女の指が天を衝いた。それが、合図。
「……ナ!?」
「ええ!?」
夜巖とクロエの二人は、彼女の言葉通り揃って空を見上げていた。
標的を目の前にして、その注意を外すなどあり得ない。けれど、二人は気付けば空を仰いでいる。
「アッハハハ、バカを見ろ!」
更に、上を見ている二人には見えていないが。逆の手で、サムズアップした指を大地に向ける。
「……ッ!?」
二人は、見えない何かに殴られた――というより軽く叩かれた程度の衝撃――を受ける。
ダメージは皆無だが、不意の衝撃でリズムが狂う。注意が上に向いてしまったという事もあり、識閾下で足がブレーキをかける。
時間にして秒の遅れ。衝撃から立ち直り、視線を戻すまでの一秒足らずの時間。それは、超越者と呼ばれる人間に取っては充分すぎる時間。
既に彼女は安全圏に跳躍している。更に、投げ上げた銃は狙ったように彼女の手に収まり、その銃口は先程まで自身が立っていたポイント。夜巖とクロエが交差する予定地に向けられている。
「厄介デス、ネ!」
「またそれかっ!」
二人は負荷を承知で、無理矢理に足を止めバックステップ。
速度を出していた分だけ急停止、更に反対方向への跳躍という負荷を足が負うことになったが、仕方がない。
「ほう、わちきの初撃から逃げきるとは、やるのう」
「お褒めに預り恐悦至極でゴザイマス」
恭しく腰を折る夜巖。いかにも紳士らしいその行動に、クロエと女性、双方が内心で首を傾げる。
「サレドこの場は戦場、若輩者の慇懃にして無礼なる振る舞いを持って返礼と為す事をお許しネガイマス」
夜巖の微笑を受け、女性は体に異変を感じた。
突然に行われた慇懃な言葉と態度を受けた途端、自分の体に錘をつけたような感覚に陥る。
「サァ、お受け取りクダサイ、俺の慇懃無礼ヲ!」
ギアを、再度上げる。神文愚公(トリックスター)から神造紳士(ジェントルマン)、三段階目、夜巖にとって通常の必殺ポイント。
意識していようがいまいが、夜巖の行動から『礼儀を向けられた』と感じた相手を強制的に弱体化する能力。しかも、どれほど自分のことではないと解っていても、脳内で自分が礼儀を示されたと感じてしまった者には、確実に効果を及ぼすほど強力だ。 彼の慇懃無礼は、力を惑わせる。
「クロエ!」
「オッケーご主人!」
再びの連携。
本来、ジェントルマンは無差別範囲。クロエも、夜巖の行動を見ていたのだから、弱体化してもおかしくはない。
だが、彼女の動きは鈍らない。理由は単純だ。クロエは、夜巖の行動に礼儀があるなどと、心底から思っていないのだろう。そして何故か、夜巖は彼女のその心に確信を持っていた。
この場合、それは都合がいい。例え違ったとしても、自分ひとりになるだけだ。何ら不利には運ばない。
夜巖をよく知る人間であっても弱体化させるだけの礼儀を完全に信じていないというのは人として思うところがあるが、現状有利ならそれもいい。
「アップ!」
だが、やはり先ほどと一緒だ。
叫びと同時に指を立てられ、二人は上を向かされる。
「ダウンで!」
即座に視線を戻すも、彼女が更にその指を下に向ける事で、二人の視線も地面に向く。
「ジャッカスさ!」
再度の衝撃。痛みはない。ただ、馬鹿にされたような衝撃。
もう一度視線を戻した時には、既に視界の先に女性はいない。
「……! クロエ、右デス!」
「りょー、かいっ!」
同じく相手を見失っていたクロエに指示を出す。それを音の速度以外のラグなしに実行するクロエ。
「っと、危ないさねぇ」
ひらりとナイフの一撃を回避する女性。裂いたのはジャケットの左袖だけだ。
「やはりそっちの嬢ちゃんは危険さね」
嘯く。実際、クロエの戦闘能力は夜巖の見た所、ロードクラスのグラップラーに匹敵するか、凌駕している。下手をすればインペラトルだ。
しかし、その攻撃を。しかも、攻撃モーションに入っていたにも関わらず、余裕をもって回避してみせる。それは、相手はソレ以上の使い手だと言う事を証明している。しかも、夜巖の慇懃無礼で弱体化している上で、だ。
「オバさんは面倒な女だね」
間合いを取り、毒を吐く。
先程、クロエは言っていた。相手が悪かった、と。成程、それも仕方がない。
夜巖は、女性の顕になった左腕に刻まれたタトゥーを見て納得した。黒墨で彫られた、手をモチーフにしたタトゥー。
「……ブラックハンドのタトゥー、ウイェディニェニェ・イリ・スムルトですカ……!」
九つの組織に名を連ねる軍事組織であり、その歴史は新しい。とはいえ、古い歴史もなく、九つの組織に名を連ねるだけの実力を持つと言う事がそれだけで危険。
その中でも、聞いた事がある。
常に孤高、部下も仲間も従えない女。左腕に自身の証として黒い手のタトゥーを彫っている。
そして、もう一つ。決して、負けない女。
「『ユニテラテラリズム(単独行動主義者)』、クローネ=アロウズ!」
「博識さね、少年。その通り名を知るかい?」
夜巖は答えない。知っていると言っても、彼が把握していることはエイリアスと名前、それだけだ。後は全て噂で聞いた程度のもの。
「その博識に免じて、少年。一つ助言をしておこう」
「ナンデス?」
警戒して、構える。
女、クローネは目を細め、手の甲を口に当てて言う。
「あのような童女にご主人と呼ばせるのはいい趣味ではないの」
「……アレは彼女が勝手に呼んでいるダケです」
「あーっ! 酷い酷いよご主人、忠実に仕えてるボクにその言い方はないよ!」
「エエイ黙りナサイ。ソモソモ初対面デショウ」
「……余裕じゃの、おぬしら」
クローネの声は呆れているようで、同時に楽しげだ。
「それより少年、わちきは名乗ったのじゃぞ。そちらも名乗るのが年上への礼儀ではないか」
「アレは名乗ったとイイマセン。認めたとイウノデス」
互いに会話を交わしてはいるが、緊張感は切れていない。
夜巖は、クローネをカウンタータイプだと判断した。真っ当に戦っても充分に強いのだろうが、その本質は相手の攻め手を覆すやり方なのだろう。二回のやり取りで、そう判断した。それは力量的なものや力の質によるものというより、恐らく性格によるものだ。
「にしても。悪名高い『迷う悪意』の趣味がオーパーツ集めトハ、意外デシタネ」
「別に趣味でもないがね。休暇中に偶然見つけて折角だから。その程度さ」
「ソレは素敵な理由デスネ。大人しく休日を満喫する事ヲお勧めシマスヨ」
「わちきは、転がっている綺麗な石は拾いたくなるタイプでね」
「オヤオヤ、ブラックハンドの大幹部ともあろう方にシテは品格に欠けますネ?」
「裏稼業に品格なんぞ無用さね」
「ご主人、何仲良く話てんのさ!」
業を煮やしたのか、クロエが背後から襲いかかる。
「ははっ、これを狙っていたのよな、少年!」
だが、読まれていた。
夜巖が話をしていたのは、クロエが近づく為に時間を稼いでいただけ。
「クローネ氏、ご指摘ご尤も」
そんな筈が、ある訳がない。
「成程確かに、名乗り返さぬは無礼の極み。先程の態度を猛省シ、名乗らせて戴く事で礼儀とイタシマショウ」
クローネは夜巖を見ていない。けれど構わず腰を折る。礼儀とは、見ていない所でも態度で示すべきもの。例えそれが、罠であっても。
「『グレイトフルデッド』夜識夜巖。ソレが我が名にゴザイマス」
腰を引戻しながら、コートの中、右足の付け根に装着したホルダーから銃を引き出す。
通常のハンドガンより一回り大きい、ディアボラ製最新式リボルバー型拳銃ディアボロスナイトハウンドに酷似した、現代のアーティファクト"ウィザード”。
これは通常の銃とは違い、打ち出すものは鉛ではない。各地で発掘されるオーパーツの内、かつて量産されていたらしい弾丸のオーパーツを打ち出す事の出来る、言わば"魔法の杖”が現代風に姿を変えた武器。それが、ウィザード。
クロエが動くのを待っていたのは、クローネの注意を引き付けるため。もし気づいていなかったらそのままクロエにやらせていたが、どうにも楽にはいかない。
「クロエ、トビナサイ!」
その言葉で、クロエは迷わず前方へ跳躍。軽く高く、鳥が羽ばたくように空を跳ぶ。クローネを飛越し、夜巖の所へ着地するコース。
それを確認せずに、夜巖は胸ポケットから弾丸を取り出す。カートリッジは黒い薬莢に赤線が一本の12番カートリッジ。
リボルバー式の回転弾倉に装填、小型サブイーサドライブが高駆動回転を開始し、甲高い機械音が響く。銃身からは虹色の光彩が僅かに噴出し、それ以上の輝きが大気中から取り込まれて行く。
クローネもクロエに遅れて咄嗟に跳躍。本能的な危険を感じての事だろう。
ウィザードの弾丸とはいえ、所詮は銃の範疇を超えていない。圧倒的な破壊力を有するウィザードの弾丸も、避ける事は可能。ただし、カートリッジの種類によっては、避ける方向も大事だ。現在発見されている13種類の弾丸は、それぞれが違った特徴を持つ。
その点で、クローネの行動は正しかった。上へ跳ぶ、という行動は、全くもって正しい。
夜巖がわざわざクロエに"跳べ”と指示した事を受けてだろう。横ではなく上へ避けた。咄嗟の判断でよく見極めたものだ。夜巖も感嘆を隠しえない。
だが、甘い。12番カートリッジは、言わば炸裂弾。更に、クローネが避けるであろうことも織り込み済み。
「成程、少年、君がグレイトフルデッドか。道理さね、道理で周到だ!」
「お褒めに預かり恐悦至極」
二回の攻撃は、確かに仕留めれるなら仕留める意図はあった。けれど、失敗した時の行動も準備済み。避けた方向、動きの機動、会話、全てが全て本命でありダミーでもある。常に必殺を狙いながら、常に次善を備えている。
地形は把握済み、地下遺跡の存在もクロエとの短い会話で察して確認済み。つまり、地下には空洞がある。地面が薄い部分、同時に空間が深い部分。そこを最初の段階から記憶していて、次善の策として誘導を行っていた。
七番カートリッジで狙ったのは、そう。クローネではなく、地面。
着弾と同時に、派手に爆発する。ダイナマイトでも投げ込んだのかと思う威力の炸裂で、地面に大穴が開く。深さはおよそ30メートル前後だろう、少なくとも跳躍で越えられる深さではない。
もしクローネが横に飛んでいれば、爆発に巻き込まれてダメージを受けていた筈。その点で上は正解。
しかし、クロエと違い。真上に飛んだ彼女は、大穴から逃れる事はできない。加えて能力低下中、完全に嵌めた。
「お、やったねご主人! これで解決かな?」
「そうナレバ楽でいいのデスガネ」
苦笑気味に笑う夜巖。
これで決着していれば、どれだけ良かったか。
「ふぅ、危ない危ない。わちきとした事が、間に合わないかと思ったよ」
土煙の中、クローネが姿を現す。夜巖達の遥か後方に、だ。
大穴が開いて、夜巖も落としたと思った。しかし彼女は、タンクトップの下に巻いていたのだろう、長いムチをしならせ、それを遠くの木に巻きつけて飛んだ。
取り出す際、悠長にしている暇はなかったのだろう。タンクトップは自身の手で引きちぎられ、今は胸を隠す程度の役割しか果たしていない。
ただ、布を少し引きちぎっただけで、夜巖の仕掛けを逃れたのだ。小さすぎる代償だろう。
「どうしようご主人! エロいよアレ!」
「オチツケ。……何か隠しているトハ思ってイマシタガ、ムチでしたか。失敗シマシタネェ」
結果として、相手の警戒を増すだけだった。完全な失敗と言っていい。自分の予測ミスだ。
「……クロエ、そのオーパーツは使えマスカ?」
「ご主人の指示があればいつでも抜くけど。使えるかどうかは微妙じゃないかなぁ」
「特性ハ?」
「何でも切れる。ここじゃそれが精一杯なんだよね。ボクとした者が情けない」
「充分デスヨ、上等ダ」
「さて、次はどう出る? 少年、いや、夜識と呼ぼうかの。夜識、大人しくソレを渡せば見逃……イヤ、わちきに恭順を誓えば可愛がってあげよう」
穏やかに微笑んで、近づいてくる。どうも、夜巖は気に入られたようだ。
全く、どうしてこんな相手からばかり気に入られるのか、場違いと分かっていながら苦笑が漏れる。
「魅力的な提案デスガ、生憎予約で一杯デシテネ」
笑い返し、更に一段、ギアを上げる。
「クロエ」
「ご主人の指示なら従うよ。遠慮しないからね?」
夜巖の心を読んだかのような言い振りだ。クロエの答えは、夜巖の言いたい事に見事な答えを返していた。
「エエ、ソレで結構。狙いダケは間違わないヨウニ」
「分かってるって。迷わないよ」
「大変、結構」
頷いて、全ての注意をクローネに向ける。
「では、二つとも痛めつけて手に入れるとしようかの」
「ご随意に。出来るものナラな!」
何の小細工もなく、正面から突っ込んで行く。そのスピードは、先程までより遥かに早い。
「まだ力を隠していたか! けれど……」
クローネは驚愕するが、それだけだ。焦る事もない。
身体能力が上がった程度で、クローネは破れない。対人戦闘において、クローネの能力は最大限の成果を発揮する。
「無駄さね、上を見な!」
再び、クローネが指を天に向ける。夜巖が天を仰ぐのもまた同じ。
「本気で潰しにいくよ」
今度は銃ではなく、自らの体で攻めにはいる。
クローネがグラップラーなのは予想通りだ。ソルジャーにしては武装が薄すぎる。腹部に巻いていたのがムチだったことで確信した。気功を通しやすいものをわざわざ持っているのは、アウラー使いである可能性が高い。最初に使っていたイーグルも、何のカスタムもされていないタイプだった。
ただし。中・近距離戦において、銃火器を主な武器とするソルジャーより、一流のグラップラーの方が遥かに脅威。そしてクローネは、超一流だ。
「下、右、左、上、上、下、左、右!」
更に、クローネの異能が拍車をかける。
彼女は拳を握らず、指を伸ばした状態で攻撃してくる。普通ならば指を痛める上に威力も下がるだけだが、硬気功により彼女の体は鋼と化している。岩くらいならやすやす貫く手刀だ、何ら不利には働かない。
その状態で、更に彼女が叫ぶ事で、夜巖はまともに正面を見ることもできない。
―――やりにくいコトこの上ないデスネ。
既に、夜巖は相手の能力を予測し終えている。それはクロエも同様だ。
けれど、今の段階では何もできない。夜巖は、完全にハマってしまっている。ミスティックは、その戦術が嵌れば急激に強くなる。正しく、今のクローネのように。
夜巖の見た所、彼女の能力は指と声が関係している。指の向いている先と声に出した方向、その両方を確認した時に能力を発動する。どちらか一方がフェイクで、実はどちらか一方だけでも発動可能という事も考えたが、その線は薄そうだ。
声だけで効力を発揮するなら、後ろのクロエも今現在、翻弄されている事だろう。しかしそれがないという事は、声だけでは効果を発揮しない。指の方向だけと言う可能性もあるが、そこは夜巖に取って問題ではない。声だけでは発動しないと言う事がわかれば充分だ。
加えて、効力を発揮するのは右手だけ。これは今の交戦で確信した。左手もフェイクで交えてくるが、効果を現すのは右手の時だけだ。その二点が条件、効果は見ての通り。指と声が指示した方向を強制的に向かせる。
言葉にすればそれだけだが、戦闘において、相手の方を向けないと言うのはかなりの難題だ。銃であっても、発射前に顔を動かさされては狙いがズレる。近接においては言うまでもない。
更に、今のように防御に徹する事もままならない。攻撃を防ぐには、どうしても相手の攻撃方向を見なければならない時が来る。その瞬間に視線を変えさせられては、ジリ貧になる一方だ。
現在は防げているが、それは夜巖の能力あってこそ。基礎能力に加え、発動中の第四能力【神足踏襲(マジックミラー)】があってこそ防げているのだ。もし第三能力、神造紳士のままであればとうに沈まされている。
「なんだい夜識その能力は!? まるで鏡を相手してるようさね!」
「答える義理ハありませんネ!」
「つれないじゃないかい、わちきとお主の仲だろう!?」
「行きずりでコレまでの相手デスヨ!」
押されているのは間違いなく夜巖。だが、彼は押し切られない。
それどころか、クローネが攻める事に、夜巖の防御が多彩になる。
とはいえ防戦一方。反撃にも持ち込み切れない。元々、攻め手に有利になる能力でもない。
――‐デスガ、ここは我慢が肝要。
そう、根比べだ。注意を全てひきつけ、なおかつ相手の動きをトレースし、完全に予測する。
やれるかどうかではなく、ただやる。
「やるねぇやるねぇ夜識! だが、こいつはどうかな!?」
――‐キタ!
オーラが高まったのを感じ、夜巖はニヤリと笑う。狙いが嵌った。
「クロエ!」
「任された!」
「無駄さね、上を……!?」
そこでクローネは気付く。クロエが見えない事に。彼女は、夜巖をブラインドとして動いているのだ。クローネの姿を見ないように。
夜巖と戦っている間も、クロエに対する注意を怠った訳ではない。けれど、ずっと夜巖の背後に隠れるようにして隙を伺っていた様子を見て、必殺の一撃として使うつもりなのだと考えた。
だが、彼女の能力があれば、その威力も半減以下。だから、何の脅威にもならない。そう考えていたのだ。
その予想は間違ってはいない。確かに夜巖は、切り札としてクロエを控えさせていた。ただし、必殺の為では無い。その為の、前準備。
「だが、甘いさね!」
咄嗟に攻撃をキャンセル、滑るように横へ動く。
「オット、サセません!」
それと全く同時に、夜巖も横に滑る。自分の体を、クロエとクローネの間に挟んで離れない。
「神足踏襲に写せぬモノなし、鏡と躍りナ壁の花!」
「……夜識夜巖、お主!」
「もう遅い!」
「キーワード認証『ミッドナイトレクイエム』 『Tyrfingr』起動」
剣が駆動し、エデンが解放される。
黒色のエデンが、輝きを発する。虹色の光彩、エーテル粒子の吸収。
オーパーツの、覚醒。
「ほいっと!」
クロエは解放した剣を、夜巖の左腕に斬りつける。
斬撃の速度が予想より遥かに速かった為に、腕を引くのが遅れた。その為、前腕の中心あたりが、半分ほど斬れて血が吹き出す。
しかし、クロエの動きは止まらない。普通、人の体を斬れば、どれだけの名刀でも速度が鈍る。
それが無かったのは、オーパーツであるTyrfingrがただの名剣ではないこと、クロエの実力に加え、彼女が夜巖を切る事に何の躊躇いも持たなかったからだ。
けれど、それで良かった。元より最悪、切り落とす覚悟だったのだから。
「……ッ!」
あくまでも狙いは、クローネの右腕だ。
夜巖は、自分が壁になりながら、クローネの動きを覚えていた。そしてクロエが動き出した時から、彼の左腕で、クローネの右腕の動きを正確に真似ていた。何の為に? クロエに、狙いを教える為。
幾らクロエでも、夜巖と言う壁で見えない相手を見る事はできない。夜巖ごと切り捨てるのなら話は別だが、それは選択肢にはない。
そこで、腕ならば。タイミングさえ間違えなければ、可能。ギリギリまで相手の姿を見ず、鏡として動いていた夜巖を見る事で狙いを絞っていた。
「殺った!」
「ッ、まださね!」
クローネは真っ向から右腕をぶつけて行った。
瞬間、夜巖は彼女のジャケットの下から金属の輝きを見た。恐らく、夜巖のナイフと同じ、世界でも最硬度のイルメナイト鉱。
彼女にしては、右腕がある意味生命線。充分に守りを固めているのは当然のことだ。
しかし、夜巖は心配していない。クロエは言った。『何でも切れる』と。
引かずに弾こうとした、クローネの負けだ。
「…………!」
イルメナイトの鉄甲が、竹を割るより軽く切り裂かれた。
いや、それさえも正確ではない。Tyrfingrの一撃は、空気を切るように、鉄甲とクローネの右腕を切り落とした。
(コレで能力は封じマシタ、ガ、相手は『ユニテラテラリズム』。コレでやっと六分四分。シカも俺の右腕も使い物にナリマセン、一旦捨てた方が庇うより楽デスネ。繋げるのに手間取りソウデスガ仕方がない、クロエのオーパーツも何度も起動させるとマズイ、となると次の策は)
「邪魔よ」
「ハイ?」
最善と次善と最悪と、幾重のパターンにその対応策を巡らせる夜巖。その横からかけられた声は、次の衝撃音でかき消される。
「死になさい」
――‐レ、レールガン!?
充填音がしたと思えば爆音。
こんな事をやってのける人物は、夜巖の知るところでもそう多くない。
――‐ト言うか、クロエも死んだんジャナイでしょうかコレ。
一瞬不安になったが、クロエはどうにか逃げ切ったようだ。唖然としているのはもう仕方がない。
反対を見ると、クローネの姿もあった。切り落とされた右腕もしっかり抱えている。よくそれだけの余裕があったと感心する夜巖。
「私は、見ての通り寛大で優しい女性なのよ」
悠然と、優雅に、花道を進むように歩く女性。名は言うまでもない。太刀花悠香、だ。
「でもね、そんな私にも許せない事があるわ」
発射の余韻で、ビリビリと帯電しているパラソルの先を突きつける。
「一つは、朝食以外のイギリス料理。もう一つは、私の所有物を勝手に奪おうとする奴よ」
だが、ビリビリしているのは帯電のせいだけではないだろう。
太刀花悠香が怒っている。それだけで、存在感が否応に増す。万全でなくなったからとはいえ、『ユニテラテラリズム』クローネ=アロウズが気圧される程に。
「……驚いた、『ペルソナノングラータ』かい。これはいかにわちきといえ、今の状態だと厳しいさね」
「あらあら、逃げられると思っているの?」
パラソルが開くと、骨の部分から8mm弾が発射される。最大で毎分560発の弾丸を連射可能な軽機関銃だ。
太刀花悠香のパラソルは、下手なサイボーグよりも危険で、並のオーパーツより強力。現代テクノロジーの粋を組み込んだ日傘は、一見なんの変哲もないパラソルにしか見えない。しかしそれは、確かに現代に作られた最強の武器に分類される。
「生憎だけれど、今私凄いムカついてるの。消えろなんて言わないわ。その存在価値を一切残さずに消える価値もないのだと感じながら踏み潰されて逝きなさい」
「そこまで言われると、逆らいたくなるさね!」
クローネが左手で指を指す。すると悠香が正面から衝撃を感じ、一瞬だけパラソルの向きがずれた。
「この借りはいつか返す、それまで御健勝でな」
その隙に、幾つかの銃弾を食らうことを覚悟で、クローネは逃げ出した。先程、夜巖が開けた大穴に自ら飛びんだ。地下から抜けるつもりなのだろう。
「……ご主人、今ボク、ご主人の言う事にしたがって良かったと始めて思えたよ」
「ソレはドウモ」
流石のクロエも、いきなり警告なしでレールガンをぶちかまして機関銃をぶっ放すような相手を敵に回したくはないのだろう。
「それより腕だいじょーぶ? 気にせず嬉々としてぶった切ったけど」
「嬉々トシテは余計デス。マァ、綺麗に切れてますしネ。押さえてたらくっつくんじゃナイデスカ?」
「そんなわけないでしょう。ほら夜、腕を見せなさい」
無理矢理抑えている腕を差し出す。
悠香は、テキパキと治療を行っていく。どこからそれを出したのかと問う気にもなれない。彼女ならフォーディメンジョンポケットくらい開発していても何ら不思議ではないのだから。
「それはそうと、夜」
「ナンデス?」
「こんな可愛い子が趣味だったのね……ロリコン」
「イヤイヤ何を言い出しマスカ」
「しかもご主人様と呼ばせてるなんて……ヘンタイ」
「イヤイヤ誤解にも程がアリマス」
「そうだよー。ご主人はサドっぽいお姉さまがどちらかといえばタイプだもんね」
「チョ、クロエ! 何を言うノデス!」
「あれ? 違ったっけ?」
首を傾げるクロエ。どうやらこれは悪気があったわけではなく、素でそう思ったらしい。
「ソレではまるで、俺が虐められたい変態M野郎みたいデハありまセンカ」
「違うの?」
「違うの?」
左右から疑われた。なんという疑惑だろうか。
「違いマス。年上がタイプだとは否定しませんガ、別にSが好きな訳デハありませんヨ」
「まぁ、そういう事にしておきましょう」
慈愛の目で見つめられた。どう考えても信じていない。
「これで良し。じゃあ夜、お疲れ様でした。帰りの船は準備してあるから、それで帰りなさいな」
腕を完全に縫合して、悠香が労りの言葉をかける。
「まぁ、その前に適当なシティで治療だけはしていきなさいこの場で出来る最善はしたけれど、応急処置レベルだしね」
「そうシマスよ。ソレで悠香、コレが……」
「あげるわ」
「ハイ?」
頼まれたオーパーツ(とセットのクロエ)を見せようとした瞬間にそう言われ、目が点になる。
「ソレはその子が持っているのが一番似合う、その子は夜が持っているのが一番似合う。だったら貴方が持っていなさい」
「おお、話が分かるね! ご主人とは大違いだよ」
「そうでしょうそうでしょう。カワイイ子は好きよお姉さん」
クロエが飛びつき、悠香が抱きしめる。これはそう、まるで親子の、
―――ガジャコッ。
まるで姉妹のようだと思う夜巖だった。
「イヤ、シカシですねぇ……」
「ま、決めるのは夜よ。私は結構満足したし、目的は果たしたわ」
「ハァ、まぁ、それは何よりデス」
「じゃあ、私は行くわね。またいつか会いましょう」
最初と同じく、パラソルを開いて飛んでいく悠香。それでいいのだろうか。
「――‐クロエ。貴方はどうするのデス?」
「ん? ご主人についていくけど」
当たり前のように答えるクロエ。予測出来た答えだ。
夜巖としても、クロエは何故か嫌いになれない。あまり好きではないタイプなのだが、どこか惹かれる部分があるのか、懐かしさのようなものもある。
「デスガ、最初も言った通り。俺は貴方に覚えがアリマセンし、主人となった覚えもアリマセン。確実に他人だと言い張れますガ、ソレでもデスカ?」
「それでもだね。――ぶっちゃけ、ご主人がご主人と一緒かどうかなんてどうでもいいし」
年齢に似合わない、不思議と落ち着いた表情で。
「大事なのは、ボクが認められるかどうか。例えご主人が偶然の一致だろうが奇跡の復元だろうが、いや、例え無関係だろうと構わない。ボクが認め、ボクが認証して。ボクが認めたご主人だから、ついていくんだよ」
「……俺より能力が高い奴ハ、幾らでもイマスヨ?」
「言ったっしょ? ボクのご主人は、いつだって何とかしてみせる人。どこまでも真黒だけど、どこまでもお人好し。冷酷に徹しきれない、抱え切れないものを抱えようとして、取りこぼしては心を痛めて、でもそれを誰かに見せない」
クロエが認めるのは、単純な力ではない。寧ろ、ただ強いだけの相手は好きではない。
「大事なのは、面白いかどうかだよ。その魂を抱く為には数億を経ても構わないって思える程に面白い相手かどうか」
「俺はそんな面白い人間ではアリマセンよ?」
「何を言うのかなこの奇人は」
「貴方の方が充分に奇人デスヨ」
「そうかな? まぁいいよ、ダメだって言われても勝手についてくだけだし」
「ソウデスカ、それなら仕方ない」
「そうそう、仕方ない仕方ない」
「ロクでもない運命しか待っていませんヨ?」
「もう経験済みだよ」
「……ハァ、勝手にしてください」
「うん、勝手にしよう」
夜巖の自然と浮かぶ苦笑は、決して悪いものではない。





そして学園都市。旧ロンドンに位置するドームシティで治療を受けていたら、なんだかんだで三日と経ってしまった。更にクロエが騒ぐのでシティ観光せざるをえなくなり、なんだかんだで帰ってくるまで一週間はかかってしまった。
トランキライザーに戻って夜巖がまずした事は、気配を消すことと情報を集めること。
分かりやすくいえば、幽那と霧戒に見つかるとやばいので隠れつつ、どのくらい怒っているのか探ると言う事だ。
「ご主人……ダサすぎ……」
「何をイウノデス、これは勇気ある行いデスヨ」
その結果、分かったことがある。もし見つかれば、少なくとも三日は朝日を拝めなくなる。下手をすれば命がヤバイ。
だから何をしているのかといえば、気配を消しつつ不夜城の自室へ忍び込み、何事もなかったかのように振舞おうとしているのだ。要はゴリ押しでずっとここに居た、と言い張ろうという事。
なんだか浮気がバレて締め出された男の行動のようだ。その場合は浮気相手に強制拉致されるという中々ないシチュエーションになってしまうが。
「今時、間男でももうちょっと品格があるよ?」
「ウルサイですねぇ……。少し静かにシテください、見つかるデショウ」
霧戒も幽那も、今は南区各にいるという情報を手に入れている。とはいえ、慎重になるに越したことはない。
気配も感じない。行くなら今しかないのだ。このチャンスは逃せない。
「そうそう、ご主人。知ってる?」
「……? 何をデス?」
「ボクってさ、見ての通り忠実な僕じゃない?」
「エエ、欲望に忠実デスネ。確かに」
一体何度捨てて行こうと思ったことか。
このクロエ、夜巖を主人と呼ぶだけあり、いざという時は忠実だ。律儀といっていい。クローネと対峙した時には助かったし、ウェストミンスター宮殿やバッキンガム宮殿を擁する『グレートロンドンシティ』でのちょっとしたトラブルの時も、大事なところでは必ず夜巖の意思に従っていた。
ただし、普段の奔放さはまるで正反対。どころか夜巖を困らせて楽しんでいる節がある。
「……ちょっと待て、まさかとは思うがクロエ……」
「あはは、ボクがそんな事する訳ないじゃない」
「俺は何も言っていないのデスガ……」
ヤバイ、これはヤバイ。
―――こいつは間違いなく、俺をハメようとしてヤガル。
「そもそもボクは、その霧戒さんと幽那さんの姿も知らないのにどうやるってのさ」
「その考えがアル時点で危険デスヨ……全く」
ただでさえ、クロエの事を説明するのでも危険なのだ。二重の危険を匂わされたら敏感にもなる。
とはいえ、流石に神格領域を全開にするというのもやりすぎだと思うが。どれだけ怯えているのだろうか。
「冗談だよ冗談」
「ダトいいのデスガ」
半信半疑だったが、部屋に戻るまで誰にも見つからなかった。クロエもしっかりと周囲の気配を探っていて、しっかりと夜巖の味方をしていた。
「……サテ、後は明日次第デスネ」
「頑張れご主人ー。……あふぅ」
「眠いのデスカ? よく寝ますネェ」
クロエはよく寝る。一日中寝たりしていると言う事はないが、ちょくちょく寝てはちょくちょく起きる。
どうも睡魔には逆らえないようで、場所や時間を問わず眠くなったら寝てしまう。本人曰く、『睡魔への抵抗方法が分からない』との事だ。
それでも自分の身に危険が迫ればいつでも起きるので、問題はないと放置している。それに、学園で生活していればそのうち抵抗できるようにもなるだろう。
「マァ、入学手続き等は明日にシマショウカネ」
結局、クロエは夜巖にくっついて学園入学を決めていた。年齢も問題ないし、能力も問題ない。本人は勉強を嫌がっていたが、どうにか説得した。勧めた理由の半分以上、七割くらいがクロエに対する嫌がらせであることは言うまでもない。
「はーい。んじゃご主人、お休み~」
「エエ、お休み……って俺のベッドを取るんじゃアリマセン。床で寝ろ床デ」
「ZZZ……」
聞いちゃいなかった。ベッドを占領して熟睡、こうなればまず起きない。迂闊に触れると無意識に反撃してくるので、放置しておくしかない。
仕方が無いので、自分はソファで寝る事にした。まぁ、普段からベッドよりもソファでゴロゴロする事の方が多いからいつもどおりかもしれない。
ここまで来るのに気を張り詰め続け、夜巖も少し疲れていた。周囲に危険な気もないし、今更起きていても仕方がない。
明日をどうにか乗り切る為に、夜巖も静かに眠りについた。


そして翌日。
「ン……良い目覚め」
ダダダダダダ。
「ではアリマセンねぇ……」
慌ただしい足音で目が覚める。実際には、足音ではなく気配で気づいていたのだが、気配を感じた直後には足音が聞こえたのでどちらでも間違いない。どうも全力で走ってきているようだ。
走ってきているのは霧戒か幽那か。恐らくは前者だ。幽那なら問答無用の能力行使で突っ込んでくるだろう。
まだ時間的猶予はあるが、それも僅か。数十秒ほどでこの部屋まで辿り着くだろう。後はどうやって二人を説得するかだが……。
「ンゥ……」
そこまで考えた時、冷や汗が滝のように流れ落ちる。
ここ一週間、クロエと過ごしていたから、感覚が抜け落ちていた。ベッドが一つしかない時や野宿の際、クロエが『寒い』といってくっついて来たことも何度かある。最初から互いにそういう認識は欠片も無かったし、不思議と夜巖の方も気にならなかった。だから今も、同じ部屋で寝だそうが何の問題にも感じなかった。夜巖と、クロエは。
「夜! 一体今までどこ、に……?」
クロエを抱えて窓から逃げようと結論づけた瞬間、扉が開け放たれた。今ほど夜巖は、自分が部屋の鍵をかけておかなかったことを悔やんだ事はない。
「……夜。なんですか、この女は」
「イエコレには深い訳が」
「そうですか、九界へ旅立ちたいのですか、そうですか」
「子猫ちゃん! 夜が戻ってきてるって、ほん……と、う……?」
――終わった。俺は今日で死ぬのデショウカ。
言葉にするのもはばかられるほど恐ろしい表情をした霧戒と、やけに不自然な笑顔になった幽那に囲まれ、夜巖は本気で死を覚悟した。
スヤスヤと眠るクロエが二人と対面するのは、夜巖がサンズリバーから帰還しての事だった。