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通り雨

「おー、雨だ」
 姫宮沁は、窓の外に目をやって声をあげた。
 現在のところ、黄道暦において間違いなく世界最大にして最高の教育機関の一つとして名が挙がるであろう学園都市トランキライザー中央部。すべての学園公式施設のさらに深部のセントラルピラーは、あらゆるものから守られている。そのため、雨音さえ聞こえない。目にするまでは雨が降っていることすら気付かなかった。
「雨だ」
「外に出たいなどと言わないでくださいね。我がトランキライザーは世界でもまれにみる『ドームのないドームシティ』です。空と大地の間に遮るものがないということは、汚染された雨でも流れ込むということです」
 淡々とした声で秘書の三七が釘をさす。沁は楽観的に笑った。
「平気だって。最近ここらで妙な実験や事故は起きてないし、汚染だって大戦直後に比べれば随分とましになってるはずだせ」
「はい。雨に打たれて即病気になるようなことは御座いません。ですが、うたれないに越したことはありません」
「ちぇっ」
 もう一度空を見上げる。朝は晴れ渡っていたはずの空は、今ではすっかり雨雲に覆い尽くされている。
「夕立……通り雨か。これはみんな濡れただろうな」


** 


 東区、ブラックシープ商会本社。
「戒! どうしたんだ?」
「床を濡らしてすまない。書類は無事だ」
 扉を開けて入ってきた法華堂戒を見て、ブラックシープ商会社長エドワード・ブラックシープは目を丸くした。全身ずぶぬれ状態の戒は、無言で服の下から封筒を取り出す。それを受け取って、エドワードは顔をしかめた。
「こんなもの、防水加工の袋に入ってるんだから必死で守らなくても平気だよ。まったく、戒は真面目すぎる。ほら、おいで」
「どこに?」
 不思議そうな顔をする戒に、エドワードはため息をついた。
「上の僕ん家。その格好じゃ、帰る前に肺炎になるよ。シャワー浴びて服を着替えるんだ」



 ブラックシープ商会の本社ビルの上層階は、社長や副社長の自宅になっている。
 専用の鍵と暗証番号を押して初めて最上階に到着できる作りのエレベーターを降りて正面の扉の鍵を開けると、高級マンションなどというレベルではない広さを誇る部屋が広がる。ちなみにここの鍵をもっているのは、社長と副社長以外は腹心である戒だけだ。
 最上階の部屋はどこも広く片付いている。一言でいうと削ぎ落したように余計なものがない。
「ふむ、やっぱり服のサイズは合わないね」
 湯上りの戒を見て、エドワードは微笑んだ。
 細身で長身の白人男性であるエドワードと、細身だが筋肉質で日系人の戒では体格がまったく違う。戒がエドワードの服を着ると、長さが余る上に筋肉が付きやすい部分はやや動きにくい。
「ありがとう。同じものを買い直す」
「いや、大したものじゃないから気にしなくていい。僕はいくらでも持っている」
 それが誇張ではないことを戒は知っている。
「けれど、せっかく気に入って買ったものだろう?」
「気にしなくていいよ」
 軽快にエドワードは笑った。普段のエドワードは、商談中の時に見せる触れれば切れそうな気配はどこへやら、実に気のいい青年に見える。彼を見る時、戒は「抜き身の狂気よりも鞘に収まったままの狂気のほうが恐ろしく、根が深い」という古い訓告を思い出す。
「戒、おいで」
 そんな心境を知ってか知らずか、穏やかな笑みを浮かべながらエドワードは手招きをした。手には銀色のドライヤーとブラシを持っている。
「…………自分でできる」
 子ども扱いされたような気がして、戒は顔をしかめた。世の中の大多数の人間なら警戒する『不機嫌な法華堂戒』に対し、エドワードはにこやかに笑う。
「いいから、おいで。戒の髪は癖毛だからしっかり乾かさないと後が大変だろ?」
 渋々と戒が椅子に座ると、雫がおちないように肩にタオルがかけられる。背後に回られた瞬間、本能的に身体がこわばったが、戒はすぐに力を抜いた。ブラシでゆっくりと髪を梳かされる。
「髪細いな。大事にしないとダメだよ?」
「…………それは……そうかもしれない」
 ドライヤーのさわがしい音が、戒の呟きをかき消した。
 柔らかいブラシと温かいドライヤーは、なんとなく気分がよかった。眠気を覚えて、戒は小さく欠伸をした。
「あはは、寝てもいいよ」
「…………人の家で寝るなんて失礼だ」
「いやいや。嬉しいじゃないか」
 くすくすと笑ってエドワードは戒の髪を梳いた。
「動物はね、嫌いな人や警戒してる相手には寝姿なんてみせてくれないんだよ? だから、そばで安心して眠ってくれるっていうのはとても名誉なことなんだよ?」
「俺は犬か」
「いや」
 エドワードは戒の耳元に唇を近付けた。
「家族、だよ」


**


「雨の日は何もする気が起きなくなるんだ」
「気持ちは分かる。珠月様の思う通りにしてあげたいが、最低限はしてもらわないと会社が沈む。言うまでもなく分かっていてぎりぎりの範囲でさぼっているのは知っているが、それでも働いているふりくらいはしたほうがいい」
「言うねぇ。ミヒャエルといい、桜夜楽といい、ピーターといい、もっと主人格である私に敬意を持ってくれないものかな」
「媚びへつらう人間など、貴方は歯牙にもかけないだろう」
「当たり前だ。そんなことをするような奴は、だいたい価値がない」
「じゃあ、文句言わないでください」
 ダイナソアオーガン社長室。だらだらと社長の椅子にもたれる篭森珠月を、戦原緋月がいさめる。外はすっかり雨で灰色に濡れている。
「はあ……そういえば、遠は? 傘持って出かけた?」
「レインコートのほうが動きやすいとか何とか言って出かけた。ただ、彼の場合、予想の斜め下をいくことをしてくれるから」
 緋月が言い終わるよりも前に、扉が空いて話題の星谷遠が入ってきた。確かに服は濡れていないが、何故か髪だけは濡れている。
「…………お帰り。どういうこと?」
「何が?」
 遠は首を傾げた。言葉が足りず、意味が伝わらなかったらしい。珠月が顔をしかめると、代わりに緋月が口を開いた。
「珠月様は、なぜ頭だけが濡れているのかと尋ねているんだ」
「ああ、それはフードを被ると視界が遮られることに気づいてさぁ」
 傘をさせよ。
 そういう空気が社長室に流れた。だが、遠はそれに気付かない。珠月はこめかみを押さえた。
「遠、シャワールームで頭を洗ってきなさい。この雨が有毒でないとも限らないのだからね」「え、いいよ。面倒くさいし」
 遠は即答した。珠月の眉間にしわが寄る。
「遠は水遊びは好きなんですが、お湯につかるのが嫌いなんだ」
 緋月が解説した。珠月の眉間のしわが深くなる。
「どこの動物だ」
「でも、洗い流して乾かしたほうがいいのは事実だ」
「仕方ない」
 珠月と緋月は目配せした。嫌な予感がした遠が後ずさるよりも先に、がっしりと骨ばった何かが彼を背後から押さえつけた。振り返るとがらんどうの眼窩が見える。珠月の武器であり、従者であり、異能によって自在に操る骨格標本――本物の人骨とのうわさもある――のアーサーだった。
「…………え?」
「遠」
 やけに優しげに珠月は笑った。彼女のこういう笑みが危険だと知っている遠は顔を引きつらせる。助けを求めるように相棒に視線をやるが、緋月は静かに首を横に振った。味方がいない。
「ちょっと頭洗おうか」



「だああああああ!! やめろ! 自分でやる!!」
「やらないでしょうが。頭ふるな。水が飛ぶ」
「珠月様、シャンプーが見当たらない」
「あ…………牡丹とガウェインのでいいんじゃない?」
「それ、犬用だろうが!!」
 流し台に頭を突っ込まれた姿勢でもの物品のように頭を洗われて、遠は声をあげた。珠月と緋月は憮然とした顔をする。
「犬用は低刺激だぞ、遠」
「そうだよ。ノミも取れるしね」
「元々、いねえよ!!」
 暴れる遠のせいで、室内は雨が降ったかのような状態になっている。床は別に濡れてもいい素材なので問題はないが、掃除が大変だ。そもそもここのシンクは機材などを洗うためのもので、人間を洗うための場所ではない。
「は~な~せえええええええ!!」
「すぐに終わるから」「ちょ、泡が口にごふごふ」「おとなしくしろ、遠」
 遠の悲鳴は泡と水音に溶けて消えた。


**


「不快だ」
 しとしとと降り注ぐ雨は、街を灰色に濡らし地に染みる。トランキライザーがまだ江戸と呼ばれた頃は降りしきる雨は江戸中に張り巡らされた水路と河川に流れ込み運輸を助けたが、東京都と呼ばれた時代には地下鉄や地下街を浸水させようとする強敵だったらしい。そして今は、地下にとって水は立派な厄介ものである。
「そもそも江戸は水の都で、東京は地下を発展させた都市だった。埋立地も多ければ地下水や温泉もある。つまりはトランキライザーの地下は水に満ちている。常に排水し続けなければすぐに不愉快な空間になるのは道理というものでしょう。嫌ならさっさと地上に行ったらどうですか? この天気では地上も地下も静かなものでしょう。地下に籠る理由などない。違いますか?」
「分かってるなお前が行けよ」
「嫌です。じめじめした地下など大嫌いですが、雨降りしきる地上はもっと嫌いです」
「そのままカビが生えてしまえ」
「貴方の脳にはすでにカビが生えているようですが」
 水を含んだ土と崩れかけたコンクリートの混ざったものが足元で音を立てる。どこからともなく聞こえる水音は地下にある排水のための水路から聞こえてくるものだ。雨の届かない地下でも、それが地上の天気を伝えてくる。
 薄い灯りを点してまばらに人が行き交う地下の道を二人の殺人鬼が歩いていた。学園に5人いるという殺人鬼――ただの殺人者や食人趣味と違い、食事をするように人を殺すのがライフワークとなっている人間――のうちの二人、不死川陽狩と不死原夏羽は互いに相手を罵った。名前も趣味も基本的なステータスもよく似ているこの二人だが、ものの考え方だけは決定的に違う。それゆえにおそろしく仲が悪い。しかし、仲が悪いにも関わらずなぜかいつもコンビで行動するこの二人の周囲には血が絶えない。今もうっかり顔を合わせた通行人が背を丸めてそそくさと通り過ぎていく。
「雨は嫌ですね。雨のいい所なんて血が流れやすいことくらいです」
「はあ? 別にその辺血まみれでも問題ないだろ。自分ちの敷地でもねえし」
「証拠を残しにくいと言っているのですよ。貴方は自分の行為が違法行為なこと、もっと自覚したほうがいいと思いますよ。馬鹿だから仕方ないと思いますが。校内で殺人免許を公式に取得しているのはダイナソアオーガンだけですから、そこに所属しない生徒の殺人はみな違法でしょう」
「うちの学校で違法行為を何一つしたことない人間なんて片手で数えられるんじゃねえのか?」
「なればこそ、口元をしっかり拭っておくことは大事ですよ。特に馬鹿は。誰とは言いませんが、馬鹿は」
「俺か? 俺のことか? 殺すぞ」
 歩きながら両者は刃物を一閃させた。硬い金属音が響く。二つの刃は二人の丁度真中でぶつかりあっただけで、どちらも傷つけはしなかった。
「あぶねえな。雨の日に無駄な体力使わせるんじゃねえよ」
「おや、無駄ではないでしょう? どちらかが死ねば、この不快な気分も少しははれるのではありませんか」
「そういう考えもあるな」
「馬鹿にはない発想かもしれませんがね」
 二人は同時に目を細めた。そして武器に手が伸びた瞬間、近くの角から人影が飛び出してきた。地下で飛び出してくる人影など大概ろくなものでない。反射的に迎撃態勢に入った二人にぶつかる寸前で、人影は急ブレーキをかけた。
「わわ、すみません!!」
 束ねた二本の髪がぴょこんと跳ね、ワンテンポ遅れて長い袖も生き物のように揺れた。和装などこの都市では珍しくもないが、地下で見るには身なりがいい。陽狩は探るように目を細めた。その横で、夏羽は無言で腕を動かす。
 軽い金属音がした。虫でもはらうかのような気さくさで振り下ろされた夏羽のナイフは、飛び出してきた少女の首筋を引き裂く寸前で横から突きだされた細身の刃物に邪魔される。不愉快な様子を隠そうともせずに夏羽は陽狩をにらんだ。
「邪魔、するな」
「今日は誰も殺していないから、ですか? いくら天気が悪いといってももっと見境を持つべきだと私は思いますよ」
「女子供を殺すなってか? 手前の女を解体するようなやつに言われたくねえな」
「おや、知っていたんですが。大丈夫ですよ。女といっても将来を誓い合った仲でもなんでもありませんし、私と付き合うからにはそれくらい覚悟の上でしょう。止めたのは女子どもだからじゃありませんよ」
 にこりと笑って陽狩は目を丸くして固まる少女の目の前から刃を引いた。舌打ちして夏羽も武器をおさめる。
「こんにちは、お嬢さん」
「陽狩。お前、こういうのが好みか? 玄人趣味の次は少女趣味か?」
 はっと馬鹿にしたように夏羽は笑った。陽狩は笑顔のまま答える。
「ははは、面白くもない冗談ですね。この子は渡り鳥の仲間ですよ。あそこは殺すと後が面倒ですよ。You know?(ねえ?)」
「I don’t know(知らねえよ)」
 面倒くさそうに答えて、夏羽は舌打ちした。そして半ば八つ当たりに少女をにらむ。少女はきゃっと声をあげて後ずさった。夏羽はますます面白くなさそうな顔をする。
「ちっ、せっかくやりがいのありそうな相手だったのに」
「渡り鳥のすみかは禁猟区ですよ。まあ、やりがいがありそうなのは同意しますが。職人系とはいえ、ランカーですからねぇ」
 ふらりと前に出て距離を詰めると、陽狩は少女の頬に手を当てて上を向かせた。うろたえる少女ににこりと微笑んで見せる。
「えーと、なんでしたっけ? あの変質者な修復屋の弟子でしたよね?」
「へ? あ、はい。そうです」
 ぶんぶんと少女は首を縦に振った。うろたえてはいるが、それは良く知らない人に近付かれているためのうろたえであって、殺人鬼に囲まれているからではない。そのことに夏羽は軽い不快感を覚え、陽狩は好感を覚える。もっとも陽狩の好感は相手を嬲るということに繋がっているため、少しも安心はできない。
「巫 牙裂紅(かんなぎ きさく)と申します。はい、すみません」
「修復ね。お前、本当に職人好きだな」
 嫌味を込めて夏羽は呟いた。陽狩は笑う。
「そうでもありませんよ。たまたま、お気に入りに職人が多いだけです。ああいうのは戦うにはあまりにもつまらないですが、観察して愛でるには中々に面白い。もっとも、飽きたら解体しますが」
「変質者が」
「私程度、たいしたことはありませんよ。ねえ?」
 話を振られて、牙裂紅と名乗った少女はあわあわと意味のない動きをする。
「えーと、えーと、どんな趣味でも人に迷惑かけないならいいと思います」
「こいつの場合、万民に有害だぞ」
「え!? あ、そっか……なら、やめたほうがいいと思います」
「…………」
 微妙な間が出来た。ややあって、殺人鬼にいう台詞でないことに気づいたのか、牙裂紅の頬に朱が差す。彼女は一歩退くと大慌てで頭を下げた。
「す、すみません。変なこと言いました。その、学がなくて」
「…………学がなかったらこの学園にはいれないはずなんですけどねぇ」
「頭のいいお馬鹿さんなんだろう。割といる」
 夏羽は、殺せないと分かって興味が失せたのか明後日の方向をみながら投げやりに答えた。なるほどと陽狩は頷いてみせる。
「なるほど。流石同類。言うことが違います」
「誰が同類だ。ここで逝っておくか?」
「うるさいですね。雨の日はじめじめして鬱陶しいから、これ以上汗とかかきたくないんです。ちょっとおとなしくていてくれませんか?」
「お前がおとなしくさせないんだろうが!!」
 刃が一閃した。見事に似た軌道を描いて二つの刃物がぶつかり合う。牙裂紅は一歩下がってその軌道から逃れた。そして文句を言いながら刃を振るう殺人鬼を見上げる。
「…………帰っていいでしょうか。師匠に怒られます」
「ああ、すみませんね。足止めして。師匠さんにはどうぞよろしくお伝えください。今度会ったらぶっ殺すと。今日は雨なので動きたくないから行きませんけど」
「師匠何したんですか!?」
「別に。向こうも私をばらす機会をうかがっているだけです。つまりは似たもの同士。お友達ですよ」
「それ友情違います!!」
 牙裂紅はうろうろとしながら叫んだ。夏羽はため息をつく。
「とりあえず、俺はその師匠とやらには会いたくないねえよ。一生涯」
「そうですか。おっと」
 足元をみて陽狩は顔をしかめた。いつの間にかうっすらと地面に水がたまり始めている。
「今日は本当にひどい雨だ。行きますよ、夏羽。水がたまってきている。もうちょっと排水がしっかりされているカイザーストリートのほうに移動したほうがいい。足元を台無しにしたくはないでしょう。では、牙裂紅さん。御機嫌よう」
 すれ違い様に頭を撫でて陽狩は背を向けた。うっすら浮かべた笑みは肉食獣のそれに似ている。小さく鼻を鳴らして夏羽も続く。道は水に浸り始めていた。


**


「少し、雨足弱まったかな」
 鼻歌でも歌いそうな弾んだ声が空気を震わせる。楽しげに空を見上げた朝霧沙鳥に、覇月丈之助は視線だけを沙鳥に向けた。それでも意味が通じたのか、沙鳥は楽しそうに空を見上げる。
「あのね、今日の天気や空気のすみ具合だと……ほら、そろそろだよ」
 雨がやむ。沙鳥は大きく窓を開いた。湿気のこもった空気が部屋の中に吹き込んでくる。
「ほらみて」
 空から下りる日光の梯子を指差して沙鳥は笑った。
「虹だよ」
 灰色に濡れた空を見下ろして、七色の橋が大きく空にかかった。


おわり