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名士の食卓

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kagomori

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名士の食卓

「日本人という民族は貪欲に他国のものを飲みこんで生まれた完全なる混合民族だったという。中でも食へのこだわりは激しく、こんな小さな国で山のような種類の料理が生まれた。その遺伝は、現在でも日系人にしっかり受け継がれていると俺は思っている」
 七輪の中で炭がちりちりと音を立てている。囲炉裏にかかった鍋の中では何かがことことと煮えていて、何とも言えないいい香りが部屋中に立ちこめている。ほのかな生臭さは、さらに盛られた紅色の肉だ。
「その証拠に、この学園都市は他の都市と比べて異常なほど外食産業が発展している。しかも、シェフ自ら料理を作るような店ばかり。正直な話、食事なんて今時機械に作らせればそこそこうまくて安い栄養バランスのいいものが出てくる。それを蹴ってまで自分好みのものを食べたいと思い、わざわざ人間が調理するなんてこれはもう執念だろう。別にそれが悪いとは言わない。俺もその執念に突き動かされて自ら料理を作る人間だ。たまに、外食の最上級の味や機械の作った無難な美味しさを押しのけて自分で作った難のある料理が食べたくなる。だから、こうして作ってる。自分のために。自分だけのために」
 七輪の上の金網に肉が置かれる。油が落ちて音と立てた。すぐにいい香りが漂い始める。
「知ってますよ。わざわざ火を使うためだけに自宅の一角に防火を施した狩り小屋みたいなものつくって、今時、囲炉裏と七輪まで用意するなんて並みの執念ではできないとおねえちゃんは思うのですよ」
「おお。自宅も作業場も爆発物があるからな。そうしてまで飯を食いたい俺の気持ちを分かってくれて何よりだ。なら、続きも分かるだろう? なぜ俺がわざわざ日にちを選んでこんなことをしているかも。すべては一人で心行くまで飯を食うため。なのに」
 彼は乱暴に抱えた御櫃を床に置いた。
「なんでお前が、よりにもよってこのタイミングで訪ねて来るんだ!? 空多川」
「それが運命というものだと思うのですよ、深紅のおにいさん。ここはあきらめておねえちゃんに美味しいご飯を食べさせるのです」
「納得できるかぁああああああ!! 折角、篭森も朧寺もピーターも弓納持もいない日を選んだのに、どんな伏兵だあああああああ!!」
 七輪の載った四角いちゃぶ台をはさんで、学園随一の花火職人にして元テロリスト鈴木深紅と学園最大級の闇組織デスインランド幹部空多川契は、静かに向かい合った。
「落ち着いて」
「ああ、もう…………お茶で舌をやけどすればいいのに」
 ぶつぶつと恨みごとを言いながら、深紅は湯呑に茶を注いだ。言葉に反してお茶は丁度いい温度で湯呑の八分目まで注がれている。食器は漆塗りの箸と品のいい陶磁器。青色で細かな植物が描かれている。
「俺の月一のひそかな楽しみ、一人晩餐会が」
「なんとなく寂しい楽しみに聞こえるのです」
「俺の根が暗いのは今に始まったことじゃねえ。肉焼けてる。冷めるとまずい。とっとと食え。くそっ、食ったらとっとと帰れ」
「文句言いながらもてなしちゃう当たり、おにいさんはダメだと思うのです」
「夕食時間まで居座るとは思わず招き入れた俺のミスだ。こん畜生。店にいったときに目当ての商品が目の前で売り切れればいい」
「地味に嫌な呪いの言葉吐かないでほしいのですよ。あ、美味しい」
 七輪で焼かれた肉を口にして、契は顔を綻ばせた。
「鴨!」
「鴨肉に塩を振ってネギとショウガと一緒に半日寝かせた。たれをつけなくても肉がうまくなるし、臭みも取れる。醤油に落した卵とからめてもいけるが、俺はそのまま食う。トンタンはひっくり返すなよ? 上に乗ってる葱と大根おろしが落ちる。それはそのまま醤油と酢で食う」
「うにー、余計な油が落ちてさっぱり。幸せ。ご飯ほしい」
「しめはまだ先だ」
 散々文句を言った割には確実にもてなしていることに、深紅は気づいていない。
「はう、深紅のおにいさんは料理人でもいけると思うのです」
「これくらいうちの学校の奴なら相当数が出来るだろうが。商売にはならねえよ。自分だけ食っていくならともかく、金稼ぎたいならなおさらな」
 真剣に肉を見つめながら深紅は答えた。焼き過ぎず生でもない絶妙な加減を見計らって皿に移していく。
「うにゅ、それなら爆弾作ってるほうがお金になるのではないかとおねえちゃんは思うのですが」
「もうそれは卒業した。何もかも木端微塵にしても得られるものは何もない。人間の罪業っていうものは炎くらいじゃ浄化しないって学習したからな。それなら、地道に金稼いで地道にできる範囲でできることをするほうが建設的だ」
「伝説的なテロリストの言葉とは思えないのです」
 深紅は立ち上がった。囲炉裏の側に座り、灰の中に火かき棒を差し込む。
「あの頃は若かった」
「ほんの数年前の話です」
「というか、馬鹿かった。若いうちって本気で何かしらやらかすものだな。恐るべきは中二病か」「中二病で都市半壊の大テロ事件を起こすのは、すでに何か別の域に達していると思うのですよ」「澪漂だって単騎で都市殲滅してるし、四十物谷んとこだって都市壊滅くらいしてるだろうが」「単独、直接戦闘無なのがすごいのですよ」
 深紅はため息をついた。灰をかきわけて中から何かを取り出す。
「今時、テロリストなんてやる連中は中二病の馬鹿か心が弱いくせに中途半端に力持っちまった運のないやつのどっちかしかいねえよ。だってなぁ、どんな劣悪な生まれであってもそいつ個人だけなら能力さえあればいくらでも上にいける時代なんだぜ? 現に俺はいわゆる下層出身だけど今じゃ至高天のパーティに引っ張りだこだぜ?」
 灰の中から出てきたのは新聞紙の塊だった。それを丁寧にはがしていくと葉っぱの包みが出てくる。桑の大きな葉だ。
「でも、自分だけ抜けても意味がないなんだよなぁ。抜け出て他の奴助けても満足できないんだよ。自分の故郷を買い取ってみんなで幸せになろうとしてみたところで、恨みは消えない。むしろ半端に反撃に成功すると、自分たちにも何かが出来る気がして、今度は相手に自分の受けた苦しみの全部を理解させたくなる。難儀だな。だから、超実力主義の現代でも争いごとはなくならない。人がすべての希望と誇りを捨てない限り」
 葉を開けると香ばしい匂いが立ち上った。湯気を立てた肉が出てくる。深紅はそれを大皿にうつした。
「猪肉を味噌につけたものを葉っぱと紙でくるんで灰の中で焼く。うまみと栄養が逃げないからそのままご飯と一緒に食べても酒のつまみにもいい」
「おお」
 あえて重い話には触れずに契は歓声を上げて見せた。気を良くしたのか、深紅は床に手を伸ばす。手品のように床下が外れて食糧庫のような空間が現れる。深紅はそこから大きな瓶を取り出した。
「梅酒?」
「Symphonyさ」
 にやにやと深紅は笑った。陰険な彼が本当に嬉しそうに笑う顔に、契は思わず深紅を凝視する。深紅は気にしない。本当に機嫌がいい。契が料理をほめちぎったのが気に入ったのかもしれない。
「特別に分けてやる」
「交響楽を? それ、どういうお酒なのです?」
 興味津津といった様子を隠さずに契は身を乗り出した。もったいぶった様子で深紅は瓶のふたに手をかける。
「草原心平という詩人がいた。今から2百年以上前になるのか」
「中原中也と雑誌『歴程』を作った詩人さんですね。蛙をテーマにした詩が有名です」
「そいつは『酒味酒菜』という本で酒や肴について書いている。その中の一つがこれだ。焼酎に自分好みの果実やスパイスをつける。減ってきたら焼酎を継ぎ足し、果実を入れ替える。繰り返せば、世界で一つだけの酒になる。まるで交響楽のように色々な味が混ざり、次々と味を変えていく。だから『Symphony』というわけだ」
「深紅のおにいさんは文学もたしなむのですね」
 少しだけ意外そうに契は言った。テロリストが詩集を読むというのは想像できない。
「文学と美食と哲学が俺にとっての一番の贅沢品。人生の初めは生きるのに手いっぱい、途中からは戦うのに手いっぱい。暇になったのは故郷が消えてテロリストを引退してからだ。だからその三つを思いきり楽しむんだ……と、なのにお前が来るから」
 ぶつぶつ言いながらも陶器のぐい飲みに深紅はその『Symphony』を注いでいく。
「飲め。そして酔っぱらっていい夢を見て起きた時にがっかりすればいい」
「どうして一々悲しくなるようなことを言ってくるんでしょうねぇ。いただきます」
 契は一礼してぐい飲みを受け取った。すでに皿にある猪肉と一緒に食べると、ふわりといい香りが広がる。
「最近、梨を入れてみた。いい感じだ」
「ふにゅー、さっぱりしていて飲みやすいのです。おねえちゃんの好みはもっと甘いのですが」「…………グラニュー糖でも放りこんだろうか」「いらないのです」
 再び御機嫌斜めになった深紅の機嫌を悪化させないように、契はさりげなく明後日の方向を向いた。
「うにゅ、深紅のおにいさんの食への執念は分かりました。はい」
「お前はないのか?」
 意外そうに深紅は眉をあげた。ふるふると契は首を横に振る。
「ありますよ? ブランデーを垂らした紅茶。茶葉も産地とメーカーによって違いますし、カカオを厳選したチョコレート、ブラウンシュガーのチーズケーキ、ブラウンシュガーとか茶葉とか素材そのものに近いほど作り手の力が試されるのですぅ」
「嗜好品派か……」
「鴨肉もうまうまなのですよ。脂肪が多いのにしつこくないのが一流品です」
 無言で深紅は焼いた鴨肉を契の皿の上に置いた。
「…………催促してるわけじゃないのですよ?」
「俺には腹を減らしたひな鳥の鳴き声に聞こえたが」
「酷い言い様です」
 ぶつぶつ言いながらも、契はうきうきと箸を勧める。滴る肉汁が炭火で音を立てて、それがまたなんとも言えず食欲をそそる。
「でもこんな美味しいもの食べさせてもらえるなら雛でもいいかもですよ。はうう、幸せ」
「ははは……まずいとか言ったら容赦しないところだった」
 ぼそりと何かが聞こえたが、楽しい食卓のために契は聞こえなかったことにした。
「深紅のおにいさん、御兄弟いたんですか?」
「いや。なんでだ?」
「うにぃ、面倒見がいい」
「ま、弟子がいるからな。住み込みで五人ばかり」
 念のため言っておくと、爆弾の弟子ではなく花火職人の弟子である。しかし、その弟子さえ呼ばずに引きこもって食事にふけるあたり、食道楽の業の深さと根の暗さが垣間見える。
「昔は料理なんてできない連中ばかりで、俺が料理番だったしな」
「爆弾魔の料理番!?」
「文句があるなら肉返せ。俺のだ」「嫌」
 契は急いで皿の上の肉を口の中に避難させた。深紅は契をにらむ。普段から裏世界のつわものと対峙している契には何でもないが、一般人には出せない迫力だ。美人であるだけになおさら怖い。
「若くてちょっと頭が遠くに逝ってた時代には、色々あるもんだ。でも、いい人生経験になったとは思う。小市民がその場限りの抵抗するのは危険。本気で何かしたいなら上から引っ張り上げてみろ、ってな」
「軽く言ってるけど、重いのですよ」
「おおよ。俺の故郷はもうないからな。ぶっ潰されて企業都市になった。その企業は俺がテロでぶっ潰して、それから無政府状態の動乱になって、えーとその辺で正気に返って引退して、そのあとピースメーカーが」「ストップ。そんな知らなくていい情報、おねえちゃん要りません」
 あっさりと深紅は黙った。彼にとってはすでに思い出の中の一枚として完全に消化されているらしい。だが、出るところに出ればまたひと騒動起きる思い出の一ページである。
「……そして何故花火職人に?」
「言ったろ? 人間の罪業は炎じゃ浄化できない。力づくで戦っても益無。国が滅びるわけだ。そう考えたとき、同じ火薬なら焼くためのものではなく照らすためのものを作ろうと思っただけだ。花火は空に咲く花、もう一つの星屑だからな」
 夜空に咲く花を夢想するように深紅は目を閉じた。片手に酒を持ち、ゆったりと天を仰ぐ姿はひどく穏やかだ。春の海のような穏やかさではなく、きっとすべてが洗い流されたタイプの穏やかさなのだろう。
 少しだけ羨ましい。契は小さく笑みを浮かべた。
「ロマンチストです」
「男はいつまでも少年なんだよ。女がいつまでも少女みたいにな」
 深紅は目を開けた。すぐにいつもの面倒くさそうでちょっと陰湿な顔になる。
「それに花火はいいものだ。ぱっと上がって周囲を照らして、潔く散っていく。散りゆく星よりもはるかに潔い。まるで無数の光が闇に焦がれて殉死していくよう」
「おにいちゃん、おにいちゃん。酒回ってる。どんどん台詞が意味不明になってるよ」
「そうだな。うん、色々理由はあるが一番の理由は花火が好きだからだ。流れ星みたいで」
「なら、一言でいいじゃん!?」
「流れ星に三回願い事を言うと願いが叶うらしい」
「それで?」
 至極真面目な顔で、深紅は言った。
「だから、俺のささやかな願いも呟き続ければかなわないかなと」
「あの、『家の水がすべて寒天で固まればいい』とか『寝床がしっとりと湿っていればいい』とか『すべての菓子が湿気てカビが生えればいい』とかそういう地味に性質の悪い願望のことです!? それはお願いじゃなくて呪いっていうのですよ」
「祈りと呪いは表裏一体」
「そんな力強く宣言されると、おねえちゃん返答に困るのです」
 場の空気から逃れるように契はぐい飲みに残った酒を一気飲みした。様々な果実の芳香が鼻を抜けていく。強いのに口当たりがよく、気分がいい。
 契が酒をあおるのを見ながら、肉がほぼなくなったのを確認して深紅は鍋のふたを開けた。とろりとした濁ったスープが弱火で煮えている。具材らしいものは見えない。深紅はそこに御櫃の中のご飯を放りこんだ。
「おじやです?」
「おじやだ」
「何のおじやです?」
「昔の作家に坂口安吾という人がいてだな」「堕落論!」
 契は手を叩いた。
「太平洋戦争直後の日本で、文学や思想に多大な影響を与えた人です。『桜の木の満開の下』とか――」「うん、それ。そいつの書いたものの中に『わが工夫せるオジヤ』というものがあってだな。それが、これ。鶏がら、鶏肉、ジャガイモ、人参、キャベツ、マメなどを原形がなくなって溶け崩れるまで三日以上煮込み続ける。そこにご飯をいれてオジヤにする」
 酒に続いて現れた文士縁の料理に、契は感心する。
「おにいさんは料理と文学に力入れ過ぎだと思うのですよ」
「なら食うな。帰れ」
「食べます。ごめんなさいです。食べさせてください」
 ふんと鼻を鳴らして、木のお椀に深紅はオジヤを装った。木のレンゲと一緒にオジヤが契の前に置かれる。ふわりといい匂いが鼻をくすぐった。
「はうう、何杯でも食べてしまいそうです」「2杯までだ」
 ぴしゃりと深紅は言いきった。契は頬を膨らませてみせる。
「おねえちゃんがどれだけ食べると思っているんです?」
「世の中、人は見かけによらないから」「その警戒心をなぜここで発揮するのかをおねえちゃんは聞きたいのですよ。まあ、いいですけど」
 文句を言いながら契はオジヤを口にする。口に入れた瞬間、溶けた野菜と肉のうまみが口一面に広がる。
「スープで食べたいくらいです」
「坂口はスープではなくオジヤで食べてこそ、これはうまいと言ってる。俺もそう思う。スープにするには味が強い。スープで食べるならせいぜい一日煮込むくらいでやめておくべきだ」
「…………深紅のおにいさんは三日煮込んだんですよねぇ」
 契はオジヤを見つめた。
「素晴らしい」
「普通の勤め人には難しい課題だな。三日煮込む。俺も煮込んでる間は目が離せなくて大変だった。だからここに文机を持ちこんで設計を書きながら煮込みと続けた」
「…………深紅のおにいさんが初めに激怒したわけが分かったのです。横からかすめてすみません。ごめんなさい」
「もう気にしてない。ごくごくたまにならこういうのもいいだろう。お前は篭森や朧寺ほど騒がしくないし、弓納持やピーターと違って俺の癪にも触らない」
 その人たちが何をしたのか激しく気になったが、契は突っ込むのはやめておいた。
「飲むか?」
「ん。おねえちゃんはもうやめておくのですよ。帰れなくなりそう」
「夜道で倒れた場合のことまで責任取らないぞ」
 きっぱりと深紅は言った。言わなくていいところで妙にきっぱりしている。
「別に送れとはいわないですよ。深紅のおにいさんなら無事に送り届けて帰宅することができるとは思いますけど、でもわざわざそこまでさせないですよ」
「俺もしねえよ。面倒くさい。送るくらいなら母屋に泊める」
 契は動きを止めた。深紅はまったく気づかず自分のぐい飲みに新しい酒を注ぐ。
「母屋では二十四時間誰かいるからな。弟子や止まり込みで仕事の連中もそっちで寝起きしてるから部屋も布団も余ってる」
「…………ああ、そういう意味。おねえちゃんってば如何わしい想像をしてしまいました」
「するな」
 顔色一つ変えずに言い切ると、深紅はまた酒をあおった。女性のような顔を線の細さに反して酒には強いらしい。それでも白い肌がうっすらと赤くなっている。
「色っぽい酔い方が羨ましいのです。ぱるぱる」
「何の話だ? そして人語を喋れ」
「深紅のおにいさんが天然誘い受けだという話です!?」
「いつからそんな話になった!?」
 酔いも醒めたという顔で、深紅は身を乗り出した。契は残ったオジヤをかき込む。
「おねえちゃんの脳内的にはそんな感じですよ」
「お前の脳内なんぞ知るか。帰れ。食ったら帰れ」
 手早く食器をまとめると深紅はそれを木箱に入れて部屋から出した。おそらく、使用人の類が回収に来るのだろう。室内は囲炉裏で暖かい。酒と同じように床板をはずして深紅は布団を引っ張り出した。自分は寝るからはよ帰れという意志表示だろう。
「俺は寝る。帰れ」
 口でも言った。そして本当にさっさと布団にもぐりこむ。
「むー、泊まって行けって言ったくせに」
「途中で倒れるか、送らせるならの話だ。元気そうだな。歩いて帰れるな。ではまた。さようなら」
 契を見ようともせず、深紅は頭まで布団に入りこんだ。
「俺は寝る。夢の世界に引きこもる」
「暗い……根が暗いのです」
「それが俺のいい所だ。邪魔するな。泊まりたいなら母屋で使用人に声かけろ。案内するはずだ。お前が悪さしないなら、何してもいい。俺は寝る」
 数秒後、本当に寝息が聞こえ始める。契は怒るよりも前に感心した。たいした肝の据わりようだ。
「おねえちゃん、起きていても深紅のおにいさんくらいなら倒せるのですよ?」
 返答はない。だが、多分殺気の一つでも放ては飛び起きるだろうことは予想できる。だが、あまりにもぐっすりと寝ている様にその気になれず契は布団の塊に近付くと、掛け布団を引っ張った。ほどいた長い髪がつる草のように布団の上を這っている。スイッチが切れたように、深紅は動かない。
「おーい、テロリスト。敵襲ですよ?」
 深紅はぴくりともしない。契はため息をついた。
「おにいさんの贅沢、分かったですよ。文学と哲学と食事と誰にも邪魔されない引きこもり生活ですね? 確かに金と地位と居場所が必要な、最高の贅沢です」
 深紅の寝顔に契はそっと手を伸ばした。


**


「ユーが何をしようと仕事に差し支えないならミーは気にしません。けれど」
 翌日、出勤したら上司の部屋が爆破されていた。原因は契当てに来た荷物が間違って上司である【ベルベットアンダーグラウンド(純益の地下世界)】ディッチーマウス・ザ・オルセンに届いたからだ。
 爆破といっても部屋が吹っ飛んだわけではなく、けたたましい爆発音とともに部屋中に華吹雪と玩具とお菓子が舞い散ったらしい。一見するととてもファンシーで素敵な贈り物に思えるが、部屋中にくまなく舞い散った紙くずや良い香りのする粉の掃除にかかる労力を考えるととてつもない嫌がらせの品だと分かる。
「なんでユーへの嫌がらせにミーが巻き込まれるのですか!?」
「ごめんなさいです。昨夜、某御方に油性マジックで眉毛を書いたことへの報復だと思うのです」
「お前何してるの!?」
「多分、タイプの違う奴があと三日は届くので開封しないようお願いしたいのですよ」
「開封しなくても飛び散ったけどな」
 ぼそりとディッチーマウスの背後に控える【ウィドウメーカー(未亡人製造機)】グーフィス・ルースは呟いた。いつもどおりやる気の欠片もない。
「~~~!! こういう危険物がミーのところに来ないように管理するするのもユーの仕事でしょう!? グーフィス!」
「危険じゃねえし。うざいだけで」
 明後日の方向を向いてグーフィスは大あくびをした。契も遠くを見つめている。
「殺意はないのですよ。悪意があるだけで」
「楽しげな嫌がらせだな。お前、本当に何してんだ」
「無視されたのが寂しかったのですよ。でもこれは予想外。こう来たですか」
「金かかってるよな、これ。この飛び散ったミニチュアの人形とか完成度がすごいぞ」
「すべてリビングデットドールですけどね」
「ユーたち! 話を聞きなさい!!」
 叫び声が地下の王国に響き渡った。


終われ
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