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ある日の葬儀屋

 カーテンの隙間から差し込む光に、女は顔をあげた。薄暗い室内には情事の甘い香りが残っている気がする。男の一人暮らしらしく、我慢できるぎりぎりまで散らかった室内。だが、特定の女の影がないという意味では悪い気はしない。
「――――ジョン?」
 あきらかに本名ではないと分かっていて、女は甘い声で昨夜を共にした男の名前を呼んだ。バーで知り合っただけでどういう人間かもよく知らないが、とにかく一緒にいる女の気分をよくさせる才能があることは確かである。
 だが、隣で寝ていたはずの男の姿はない。気だるそうに身体を起こした女の鼻によい香りが届く。ややあって部屋の入り口にゆっくりと人影が現れた。
「おはよ。珈琲飲む?」
 二つのカップをベッドの横のテーブルに置いて男は微笑んだ。女も満足げに微笑むと、ベッドに座った男にしなだれかかる。
「いい香り」
「インスタントで悪いね。お姫様。次はもっといいのを飲みに行こうぜ」
「次?」「ああ、次に」
 さらさらとこぼれる金色の髪を手で梳いて、男は笑う。指の中で擦れる髪は絹のような音を立てる。
「モデルさんだっけ? 綺麗な髪だな」
「ふふ、商売道具の一つだもの。毎日手入れが大変なのよ。あ、でも男の人には分らないかしら?」
 含み笑いで女は男を見上げた。一つ一つの仕草に艶がある。男は笑みで答えると梳いていた髪をひと房すくってそっと口付けた。
「君に相応しい黄金の髪だってことは分かるよ。蜂蜜みたいで美味しそうだ」
「蜂蜜?」
「そ。黄金の蜂蜜色。俺が一番好きな色」
「あら、貴方の一番好きな色を纏ってるなんて光栄だわ」
 笑いながら髪を口に含んで見せる。
「ほら、蜂蜜より甘い」「やだ、もう」
 口では拒絶しながらも女の目は愉悦で緩んでいる。笑いながら女は男にさらにしなだれかかる。
「甘いのは髪だけ?」「まさか。他はもっと甘い」
 ほっそりした手をそっと持ち上げて、男は指先に口付けた。そして、
 チャイムの音が空気をぶち壊した。
「…………あら、お客さんよ?」
「朝っぱらから何だろうな。でもいいよ。君より大事な客なんていないんだから」
 批難するようにもう一度チャイムが鳴った。女は怪訝そうな顔になる。
「しつこいわね。彼女じゃなくて?」
 嫌味の籠った声にも男は動じない。そっと女を抱きよせる。
「いないよ。多分、会社の同僚。近くに住んでるんだ」
「あら、家の場所を知っているなんて親しいのね」
「勘違いするなよ。男だ。それにこの建物の一部フロアは会社の借り上げ寮になってるんだよ。敷地内の寮じゃ足りなくなってね」
「なるほど、だから貴方は女を引きこめる、と?」
「そうだね。君を引きこんだ」
 再び甘ったるい空気が流れ始める。だが、ジョンと呼ばれた男は何かに気づいたように顔をあげた。ややあって女も気づく。
「扉、蹴られてるわよ? 本当に同僚なの?」
「平気、平気。どうせ突破はできないし、大丈夫だよ」
 直後、ありえない金属音が響いた。鍵が回る音だ。ワンテンポ遅れて、合金の扉が開く音がする。
「…………何が大丈夫なの?」
「悪い。思った以上に凶悪な客だった」「ジョン! 居留守はやめろよ!!」
 甲高い声がして、寝室の扉が開かれた。切りそろえられた髪がさらりと揺れる。その色は死を招くという鳥の羽のように黒く、だが角度を変えると色が見える不思議な色彩をしている。
「…………烏」
 ジョンは小さくため息をついた。室内に半裸の男女がいるのを見て、烏と呼ばれた少女のような外見の少年はかすかに顔を引きつらせた。しかし、普通のように慌てて逃げるとか激昂するようなことはない。静かに二人を見比べて――――いきなり顔を覆った。
「ひどい……酷いよ、ジョン! 女になんか興味ないって言ってたのに!!」
「おい、待て。いきなりありもしない過去をねつ造するな」
 烏の意図を悟って、ジョンは腰を浮かせる。女は逆に身を退いた。
「あることないこと吹き込むな!」「何を言ってるんだ。僕にあんなことをしておいて……女の子とすらしたことなかったのに! なのに……なのに女をつれこむなんて、不潔だ!!」「女の子だったら色々してやってもよかったけど、俺、野郎に手を出す趣味ねえぞ」「裏切り者!!」
 顔を覆って烏は部屋を飛び出した。その口元がつり上がっていたことをジョンは見逃さなかった。再び二人になった室内には微妙な空気が漂う。
「………………どういうこと?」
「いや、あれは烏っていう俺の同僚で……ほら、社員寮だからスペアキーが会社にあるんだよ。それで多分……言っておくが、アレは全部子どもの嘘」
「子どもっていっても十二、三でしょ? 本科生かもしれないし、うちの学園なら子どもには入らないわ」
 そっぽを向いた女性の頬をつついて、ジョンは彼女の気を引く。
「ごめん、ごめん。ほら、こっち向いて」
「ショタ好きの言うことなんて聞かない」
「そんなこと言わないで」
 さりげなく顎に手を添えてジョンが顔を近付けた瞬間、合金の扉を激しく叩く音がした。チャイムを使う余裕がないのが手でばんばんと叩いている気配がする。
「…………何か帰ってきたみたいよ?」
「帰ってきたというか、ラスボスが来たというか」「え?」「何でもないよ、お姫様」
 笑ってジョンは彼女の額に唇を押し当てた。
「ごめん。仕事、俺が言ってやらないとダメみたいだ。仕事いくから、姫はちょっと休んで帰るといいよ。鍵はそのままで」
「あら。帰ってきたら家財道具が全部なくなってるかもよ?」
「姫への献上品なら安いもんだ」
「口だけはうまいものね」
 笑って女も顔を寄せた。だが、その前にばたばたと誰かが入ってくる気配がして、寝室の扉が再び開く。
「ジョン! こっちに烏が来ませんでしたか!? ちょっと大変なんです!」
 飛びこんできたのは先ほどの少女のような少年ではなく、金色の髪の人物だった。ほっそりした体格とゆったりした服のせいで性別はうまく判断できない。色が白く手首は細くいかにもひ弱そうだが、それがなんともいえない保護欲をかきたてる。だが、なにより女の目を引いたのは、
「金色の髪…………」
「え?」
 そこでやっと女性の存在に気づいたらしい乱入者は目を丸くした。そして彼女がほぼ裸なことに気づくと、さっと顔色を変える。
「…………ジョン」
「ん? 何?」
 ロザリオが飛んできた。おそらくはジョンの頭部を狙ったそれは、おそろしく狙いを外れて女性の足元に落ちる。ある意味絶好の位置に落ちたロザリオを見て、ジョンは息を吐きだした。
「ふしだらです!!」
 その間に謎の捨て台詞を吐いて、金髪の麗人は退場した。それを見送って、女性は服を着始める。
「…………ごめんね。うちの同僚、変な奴ばっかりで」
 返事はない。胸の開いたドレスを着こむと、女性は立ち上がった。そして、満面の笑みで振り返る。
「――――何が一番好きな色よ」
「お姫様?」
「そんなに蜂蜜色の髪が好きなら、そういう色の猿とでも結婚すればいいのよ!! もっといい金髪がそばにいるくせに他の女に声とかかけてるんじゃねえ!!」
 そう言って、女性は手を振りあげた。


**


「まー、その程度の愛情だったってことじゃね?」
「ほう、ことの発端が偉そうなことを言うな」
 すっかり陽の登った会社の前庭で、ジョン・ドゥと黒羽烏は向かい合った。周囲には色とりどりの花が咲いている。会社の同僚であり、ここヴィータ葬儀社の中心人物である二人は微妙に仲が悪い。もう一人の中心人物であるジェレミア・ヴァレンティーニは席をはずしている。
「日頃の行いが悪いんだよ。ぼくだってあんな面白場面にい合わせなければあんなことしなかったよ」
「居合わせたとしてもお前以外はあんなことしねえよ」
「でも、とどめ刺したのはジェレミアだろ? 天然のくせにやるよね」
 その名前が出た瞬間、ジョンは一瞬苦い顔をした。だが、すぐに元に戻る。
「初心なお嬢さんだからな、ジェレミアは。刺激が強かったんだろ」
「あれでも、立派な男だけどね」
 すかさず烏が釘をさす。ジョンは天を仰いだ。
「お前、マジで嫌なやつだよな」
「おや、今更気づいたんだ」
「これで女だったら、これはこれで好みの高飛車女になったんだろうけどな」
 しみじみとジョンは言った。そして、懐から潰れた紙煙草の箱を取り出す。
「まったく。彼女は、いい女だったのにお前たちのせいで台無しだ」
「あはは、これを機に禁欲的な生活でもしてみたら?」
「冗談。折角この世に生まれたのに、何が楽しくて快楽を制限しなきゃなんねえんだよ」
「そういう即物的なとこは嫌いじゃないよ」
 けらけらと烏は笑った。そして、「ぼくもお金大好きだからね」と平然とした顔でのたまう。まだ十代になって間もないくらいの年代の少年が言うにはすさんでいる。しかし、この学園ではごく普通のことだ。企業が世界を支配するこの時代、金を稼ぐ人間が偉いのは当たり前のこと。小さな子どもだって知っている。
「でも、禁煙」
 一瞬その姿がかき消える。そしてややあって少し離れた墓の上に再び烏は現れた。手にはジョンの煙草を持っている。瞬間移動ではない。文字通り、姿が消えてそしてまた現れたのだ。
「俺は煙草という癒しすら与えられないのか」
「日頃の行いだよ」
「お前にだけは言われたくないな」
 聖書を開いた形の石像が安置されている墓の上に腰をかけた烏を見て、ジョンは呟いた。当たり前だが、その墓石の下には故人が眠っている。
「僕の事より、ジェレミアへの言いわけを考えておいたほうがいいよ。あの人、清貧を是とする潔癖さんだから。ま、他人に信仰や信条を強要するタイプじゃないけど、ジョンくらい堕落してると、聖書でぶん殴られるくらいはあるかもね」
「あのとろい動きを避けられない人間は、この学園広しといえどあまりいないぞ」
「あはは、いっそ意識が飛ぶほど殴られておけば煩悩が飛ぶかもよ?」
 けらけらと烏は笑った。ジョンは顔をしかめる。
「俺は自堕落的に生きるって決めてるから、そういうのいいの」
「いや、もしくは新しい世界への扉が開けるかもよ?」
「俺は可愛い女の子をベッドでイジメるのは好きでも虐められる趣味はねえ。それに格好いい俺様がそんな趣味に目覚めたら、俺に虐められない女の子が泣いちゃうでしょ」
さりげない仕草でジョンは前に踏み出す。
「ま、お前が別世界みたいって言うなら手伝ってもいいかな。野郎趣味はねえけど、美形だし」
 すれ違い様、完全に油断して雲を眺めていた烏の腕を掴み、もう片方の手で顎を固定する。烏は目を見開いた。
「は、離せ、変質者!!」
 慌てて烏は手を振り払おうとした。だが、人の悪い笑みを浮かべたまま、ジョンは手に力を込める。もともと体格差も体力も歴然とした差がある二人。烏は簡単に抑え込まれる。
「うー……ジェレミアに言いつけてやる」
「お前、そればっかりだな。たまにはもっと面白いことを――――」
 そこでかすかな気配を感じてジョンは振り返った。ジェレミアでも社員でもない。それならもっと早く気づいたはずだ。
「誰だ!?」
「――――――」
 青い顔の女性がいた。両手には花束を持っている。墓参りに来たのだとそれだけで分かった。この葬儀社の南側は巨大な霊園になっており、様々な信仰をもつ故人が眠っている。
「――――――ああ、お気づかいなく」
 大きく一歩、彼女は下がった。口には奇妙な笑みが張り付いている。
「お気づかいなく。私はそういうの差別しない主義だから、どうぞゆるりと」
 訂正する暇もなく、彼女は走り去った。それを見送った烏が大きくため息をついて祈るように空を仰ぐ。
「なんてこったい」
 大げさな仕草で嘆く烏は対照的に、飄々とした態度でジョンは少女が消えた方向を見やる。
「美人さんだったな。こう細い折れそうな体つきとか好みだった」
「滅多なこと言うなよ。刺されるよ」「で、誰だ? 気配感じなかったから、すっかり誤解された」「お前のせいじゃないか」「可愛い女の子に野郎趣味と思われるのは心外よ、俺」「思われてたほうが世のためじゃないのか」
 烏は重たいため息をついた。
「序列249位。単独、しかも完全真っ当な商売で」
「…………へえ」
 ジョンはかすかに目を見張った。この学園の生徒630万にはすべて成績順の序列が割り振られている。それらは単純な学力だけでなく、世界や学園への貢献、稼いだ金銭、世界的に見た知名度、影響力など多角的に判断される。そのため、すべてがある一定以上でき、さらに突出したものもあるゼネラリストかつスペシャリストでなくてはとても三桁などとれない。さらに、上位300位は他の区別してトップランカーと呼ばれ、文字通り明日の世界を担う学園の顔である。
「250番以内に単独真っ当な商売ねぇ。学者さん?」
「商人」「そりゃあ、なおすごい。技術職? 名前は? ついでに彼氏の有無とスリーサイズは知ってる?」
 じろりと烏はジョンを睨んだ。そして人の悪い笑みを浮かべる。
「世界でも十指にはいる鑑定士にして修復師。名前は冷泉神無。彼氏はいないけど、あの法華堂戒と噂あり。あと不死コンビの陽狩のほうと連れ立って歩く姿が度々目撃されている」
「そりゃあ、中々競争率のはげしいことで。刺激的な趣味だねぇ。燃えるな」
「ついでに、エドワード・ブラックシープの取引相手で、篭森珠月や空多川契の大親友。滅多なことすると、軽くて夜道で串刺し刑。最悪、プロの拷問受けたあと悶絶死。それでも頑張ってみる? 骨は拾ってくれるよ。ジェレミアが」
「お前は拾う気すらないんだな」
「だって怖いもん。マジギレしたところなんて過去見たことないけど、できれば一生みたくないもん」
「それもそうだ」
 ジョンは明後日の方向を向いた。学園の生徒なら、今続けて名前が挙がった人物たちの厄介さをとてもよく知っている。関われば脅しでなくわが身が危ない。
「あれ、あっさり引き下がるんだ」
「俺を待ってる可愛い女の子はいっぱいいるんだから、ここで俺に何かあったら一大事だろ?」「よく言う」
 烏はため息をもう一度ついた。
「…………ちなみに、噂の発信源でもあるから色々覚悟しておいたほうがいいよ。明日のライカナールの見出しが見えるね」
「それは困ったな…………」
 ジョンは目を細めて空を見上げた。金色の太陽が雲の切れ間から顔をのぞかせた。


おわり