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ちょっとした邂逅

 風向きが変わった瞬間、通りにいた人間の半数ほどが一瞬奇妙な反応を見せる。まるで警戒するように目が周囲を探り、そしてすぐに関わり合いを避けるようにうつむいて早足に歩きだす。歩き出す方向はそれぞれだが、ただ一つの方向だけは誰も向かわない。
「なあ、緋月」
「放っておけ」
 そんな流れを横目で見つつ、その誰も向かわない一点に視線を向けた連れを、【クリムゾンレッド(赤い月)】戦原緋月は一言で制した。意見すら聞いてもらえなかった【スカイブルー(希望の青)】星谷遠は、不満そうな顔をする。
「まだ何も言ってないじゃん」
「ここは区画と区画の間に近い微妙な地域だが、ぎりぎり北区に位置する。僕たちの領域ではない。よって、余計なことをするな」
「でも血の臭いがしたぜ?」
「だからだ。これが花の臭いなら止めてない」
「は? 俺、花とか興味ないし」「僕もだ」
 会話終了。沈黙の幕が降りる。
「…………行かないからな。調べにとか行かないからな」
「いや、治安維持は生徒の務め。お前はもうちょっといいと思うよ」
「ただ単に喧嘩に加わりたいだけだろう」
 じろりと緋月は遠を睨んだ。遠はしずかに目をそらす。
「緋月は消極的すぎるんだよ。ほら、誰か怪我してたりとかさぁ」
「遠、お前はどこまで物事を背負い込むつもりだ? すべての人間を助けて回るつもりか? そういうことをしていると本当に助けないといけないものを助け損なうぞ」
「別に俺はそういうつもりないぜ。例えばさぁ、ここから10キロ離れた場所で全然知らない人が殺されかけてるとしても、わざわざ駈けつけたりしない。でもすぐ近くなんだぜ? すぐ近くで誰か死にかけてるかもしれないのにほっとくなんて気分悪りぃじゃん」
「それでお前が死んだらどうする?」
 厳しい態度を崩さない緋月に、遠はへたりと笑ってみせた。
「大丈夫、だいじょぶ。やばくなったらすぐ逃げるし」
「お前は助けに入っておいて逃げるのか?」
「だって」
 遠は笑みを深くした。
「俺が死んだら緋月怒るじゃん」
「…………」
 緋月は深々とため息をついた。そしてゆっくりと方向を変える。遠の顔がぱっと輝いた。
「いいのか?」
「どうせ行くんだろう? 何かあった時に、一人より二人のほうが生存率は上がる」
 風向きと血の臭いでおよその方向の見当はつく。足早に緋月は歩き出した。その後ろから嬉しそうに遠が付いてくる。
「なあ、なあ。喧嘩していいんだよな?」
「できれば捕縛しろ。殺人免許も多用は禁物だ」
 民間軍事会社として実績のあるダイナソアオーガンの一部社員は、殺人行為を合法的に認める許可書を持っている。だが、だからといってすべての殺人行為が見逃されるとは限らない。
「分かってるって。俺は殺人鬼じゃねえんだから気にし過ぎ」
「……そうだったな。ただの喧嘩好きだ」
「喧嘩と花火は江戸の花だぜ」
「ここは学園都市トランキライザーだ」
「二、三百年前は江戸だって」
「では、お前は相当流行に乗り遅れている」
「酷いな」
 喋りながらいくつかの角を曲がった瞬間、唐突にそれは広がった。
「ん? んんん? 誰かと思ったら、篭森んとこの飼い犬じゃねえか」
「おや、こんにちは。お二方ともお散歩ですか?」
 水のように血が窪んだ地面に溜まっている。転がっているのは人間だ。じゃらじゃらと鎖を腰につけていて、よく見ると刃物をつるすホルダも下げている。そこにおさまっていたであろうナイフは、主の身体からやや離れた場所で見事に両断されている。あれでは溶かして再利用でもしない限りもう元には戻らないだろう。もっとも戻ったところでそれを扱うべき人間はとうの昔にこと切れているのだが。
「――――お前たちだったか」
 緋月は目を細めた。
 不死原夏羽と不死川陽狩。学園に6人ほど存在する殺人鬼のうち二人であり、とりわけ戦闘能力の高い獲物を好む戦闘狂である。殺人者でありながらも高い能力故にトップランカーに名を連ね、各地の企業から危険視されている。
「よう」
「どうも」
 にこやかに夏羽と陽狩は笑った。挑発するような態度に、緋月は表情を硬くする。その一方で頭のすみで冷静に計算する。ここで喧嘩になるのは簡単だ。だが、喧嘩をしたところでメリットがない。これが東区内のことだとすれば一応は東王である宿彌の部下である自分たちには、治安維持のために彼らを補殺する義務が生じる。だが、ここは他の区画でしかも相手はてだれである。今まで誰も捕まえられなかった殺人鬼をわざわざ捕まえる義理はない。それに奴らをかりに補殺したところで、学園の治安にはあまり関係がない。むしろ、強敵を追い求める悪癖のあるやつらなら多少野放しにしておいたほうが、結果的に強い犯罪者を狩ってくれるので色々と便利である。
 そこまで考えて、緋月は踵を返した。身構えていた遠が驚いた顔をする。
「どこ行くんだ?」
「馬鹿に付き合う義理はない。帰るぞ」「でも」「帰るぞ」
 再び不満そうな顔をしつつも、すでに生存者がいないことを確認して遠も踵を返す。だが、そこに声がかかる。
「逃げるのか、駄犬。警備保障会社のくせにとんだ腰ぬけだな」
「遠」
 振り向き変えた遠を緋月が制す。
「思うつぼだ」「分かってる……けど」「クリムゾンレッド」
 どこか面白がるような声で、陽狩が緋月のエイリアスを呼ぶ。
「貴方も遊んでいかれませんか? 血の滴る道は貴方の得意なフィールドでしょう?」
「あいにくだが、仕事でない戦闘はしない」
「おや、目の前で人が死んでいるというのにむざむざ犯人を見逃すとは、【イノセントカルバニア(純白髑髏)】もたいした部下をもっていませんね。まあ、本人も快楽主義のできそこない二世ですから、案外とこの程度の部下がお似合いなのかもしれませんが」
 緋月は立ち止った。今度は逆に遠が緋月の肩を軽く押さえる。
「落ちつけよ。社長はあの程度の悪口、歯牙にもかけねえよ」
「そうだな」
 険呑な瞳で緋月は振り向いた。にやりと陽狩は笑う。
「多少はやる気出ました?」
「まったく」
 表情とは裏腹に妙に落ち着いた声で緋月は答えた。
「だが、一つ言わせてもらう。本人ではなく本人の周りを批難するような行為は格を下げるぞ」
「はっ、駄犬二匹がぼんくらお嬢にしっぽ振って餌もらって喜んでるくせによく言いますね。キャンキャン吠えて鬱陶しいったらありはしない。自分で考えることもできない屑に言うだけ無駄だとは思いますがね」
 金属がぶつかり合うような凄まじい音がした。緋月ではない。緋月が動くより先に、遠が勢いよく陽狩に跳びかかっていた。陽狩の構えたフランベルクと呼ばれる並み上の剣と遠の爪がぶつかり合って金属のような音を立てる。陽狩は小さく口笛を吹いた。
「はは、生身の肉体をそこまで強化するとは――トランスジェニックの能力か、それともグラップラーの能力か。どちらでしょうね」「両方だぜ」
 がきんと鋭い音を立てて遠の爪が陽狩のフランベルクを弾く、二人は距離を置いて向かいあった。
「俺の爪は鋼より鋭い。手前のなまくらじゃ切れねえよ」
「そりゃあ楽しみだ」
 隙をついて横に回り込んだ夏羽の手の中で、通常より大きいサバイバルナイフが光った。一直線に首の動脈を狙って突きが繰り出される。だが、それが遠に届くより前に横から伸びてきた金属の塊がナイフを弾き飛ばした。
「――――遠、変われ。陽狩は僕がやる」
「なんだ、緋月もやるのかよ」
「お前の加勢だ」
 コルドンダルジャン――鋼の糸を編み上げて作った金属製の鞭――を握って緋月は答えた。遠は苦笑する。
「へいへい。よろしくお願いしますよ」
「ふふ、嬉しいですねぇ。私もやるなら単純馬鹿より貴方のほうが煽りがいがあっていいと思っていたんです」
 陽狩も武器を構える。夏羽は取り落としたナイフの代わりに、さらに長さのある刃物を腰のフォルダから抜き取る。
「俺は馬鹿でも気にしないぜ。かかってこいよ、星谷」
「俺は馬鹿じゃねえ」
 言いながら遠は腰を落して飛びかかる姿勢になる。そこに向こうでにらみ合いをする陽狩と緋月が口をはさむ。
「そうですね。馬鹿は夏羽です」「遠は馬鹿ではない。純粋なんだ」
「…………陽狩……手前、ぶっ殺す」「……緋月、泣きそうだ」
 ある意味似た者同士である二組は向かい合った。そして、ほぼ同時に動く。緋月と陽狩は建物の上へ。そして、遠と夏羽はさらに絡み合う路地の奥へ。四匹の獣は転がるようにして戦場へ飛び出した。


**


 同時刻。
「――――黒雫君たち」
 名前を呼ばれて、黒雫は視線を巡らせた。さらに数回名前を呼ばれてようやく、相手が自分の立っている路地の横のビルの上にいるのだと気づく。キラキラとした金髪が西に傾きはじめた太陽を映し出す。
「ジェイル先輩……」
 周囲に人がいないのを確認して、黒雫は思いきり助走をつけて飛び上がった。そしてまずビルの裏口の手すりを足がかりに、さらに路地の反対側の壁を蹴りその反動でさらに上へ飛び上る。似たような動作を数回続けて行うと、どうにかビルの屋上まで飛び上がることができた。
「やあ」
 昇ってきた雫を見て、にこりとジェイル・クロムウェルは微笑んだ。その姿はひどく典雅で、そしてどことなく嘘くさい。まるで作りごとのように現実感がない。
「何をしているんですか?」
「獣の喧嘩ですよ。御覧なさい。とても興味深い」
 すっとジェイルはごちゃごちゃした建物が乱立する方向を指差した。
「? 猫が喧嘩でもしているのですか?」
 少し距離があるため、ぱっとみただけでは異常は見受けられない。ふふとジェイルは笑った。
「よく見てください。人に慣れぬ野性の犬と人のために牙を研ぐ猟犬が絡み合って喰らい合っているのですよ」
「悪趣味な見物ですね。先輩」
「そうでもありませんよ。見ておいて損はありません」
 音を立てて何かが飛んできた。反射的に受け止めてからそれが繊細な細工のオペラグラスだと気づく。
「先輩、いつもこういうもの持ち歩いているんですか?」
「ええ。この世に起こりうる美しい奇跡と運命の歯車が交差する瞬間を見逃がさないためにも、人が久遠の彼方を見るために生み出した硝子を持つことは重要です」
「要するに覗きとストーカー趣味のための道具ってことですね。お借りします」
 身も蓋もない結論を出して、黒雫はオペラグラスを覗き込んだ。外見はクラシックだが、それはこの学園の産物。明るさまで細かく調整できる。数回瞬きをして、果たしてそれは見えた。
「へえ…………確かにこれは中々」
「興味深いでしょう?」
 にこりとジェイルは笑った。


**


 走って距離を置くように見せかけて反転して踏み込む。得物の性質上、互いにガードという考えは存在しない。
 空気を割いてコルドンダルジャンが走る。鞭という武器は防御がとてもしにくいため、相手は全身で動いてそれを避けなくてはならない。その分、相手の体力をそぐことができ、持久戦にも向いている。だが、狭いところではその性能を十分には発揮できない。
「コルドンダルジャンは、金属の鞭。ある程度の広さのある場所で、一対多数の場合にもっとも効果を発揮します。狭い場所での一対一には向きませんよ?」
 ほとんど予備動作もなく、軽々と鉄筋の上に飛び上がって陽狩は笑った。何があったのか建設中に放棄されたらしいビルは配線も配管もむき出しで、ところどころに鉄筋がむき出しになっている。空間把握能力が低ければたちまち動きを制限されてしまう空間。だが、狭い所が得意なタイプには何よりの戦場だろう。
「フランベルクは片手剣とはいえ長剣の部類に入る武器だ。それもここでは使いにくい武器だろう?」
 淡々と緋月は答える。長剣は重さと長さから当たった時のダメージが大きいが、自在に操るにはその剣と腕の長さ分の広さが必要になる。広さを確保するためには障壁となるものの少ない場所に戦場を移す必要があり、やはり狭い所では不利になる。
 互いに得意とする得物では不利な条件。そのはずなのにどちらも退く気配はない。
「ふふ、フランベルクばかりが私の武器というわけではありませんよ?」
 ふいに陽狩が微笑んだ。咄嗟に柱の影に回り込んだ緋月の至近距離を投げナイフが通過し、鉄筋に当たって下に落ちる。かすった緋月の袖が切り裂かれた。
「…………服が切れた」
「おや、洋服の心配ですか? 高給取りのくせに器が小さいですね」
「服の事はよく分からない。分かるのは記事のよしあしとドレスコードくらいだな」
 予想通りの無表情で、予想通り本当に興味なさそうに緋月は答えた。その顔が歪む。
「だが、これは珠月様と遠に見立ててもらったものだ。腹も立つ」
「その割には冷静ですね。次のナイフは貴方に刺さるかもしれないのに」
 刃物を隠し持っているとは思えないほど軽やかな動きで、陽狩は間合いを取る。それを目で追いながら、緋月は口の端を釣り上げた。
「武器が一つとは限らない、か。奇遇だな」
 蛇のような動きで鉄筋の間をすり抜けて、コルドンダルジャンが陽狩に迫る。だが、陽狩はあっさりと剣でそれを叩く。陽狩の代わりに剣がコルドンダルジャンに巻き込まれて軋んだ。だが、その時はすでに先端を持っていたはずの緋月はいない。
「俺もそう思う」
 声が聞こえた瞬間、反転しながら身をそらした陽狩の頭部をかすめるように何かが通過する。咄嗟に手を伸ばしてそれを掴みとった陽狩は、空中で大きく体勢を崩しながら後ろに跳ぶ。跳びながらもスローリングナイフで牽制することは忘れない。
 およそ一階分下に足場をうつして着地した陽狩は、手の中のものを見て眉をしかめた。一見すると細い金属棒にしか見えないそれは、飛針と呼ばれる暗器の一種だ。舌さきでその先端を舐めた陽狩は、すぐに唾を吐きだした。そして針を階下へと投げ捨てる。
「毒針。何の毒ですか? 軽く舐めただけで舌がしびれた」
「皮膚吸収性のものにしなかったのが悔やまれるな。あれは手袋の準備が面倒なので、持ち歩いていないんだ」
 平然と緋月は答えた。普段の淡々とした表情が今は酷薄なものに見える。躊躇いというものが一切ない言葉に、陽狩は苦笑した。
「ふむ。カルバニアとスカイブルーにすっかり手懐けられているものだから、てっきりもっと生ぬるい性格だと思っていました」
「残虐趣味はない。被虐趣味もない。人殺しは気持ちが悪いから好きでもない。だが、だからといってできないとは限らない」
 わくわくした様子の陽狩とは逆にげんなりした顔で緋月は答えた。コルドンダルジャンとは似ても似つかない、特徴というものがまったくないような細い刃物を構える。刃の形と幅が独特で、肋骨の間をすり抜けて臓器を狙える作りになっているナイフだ。陽狩は口の端を釣り上げた。
「峡客(刺客)は、普段戦闘を行う場合できるだけ特徴的な武器を選ぶ。それはいざ暗殺を行う時はできるだけ何の変哲もない武器を使い、追及をされれば『それは自分の武器とは傷跡が違う』と言って言い逃れするため。派手で使い手を選ぶ武器と、それとは真逆な暗器。それも妙に使いなれている。奇妙なことですね」
「こちらの武器を誰かに見られたのは久々だ。だいたいは見る前に三途の川を渡っている」
 緋月は不快そうに答えた。陽狩は笑う。
「私たちは暗殺業もやりますが、どちらかというと殲滅屋で戦争屋。ですが、貴方の動きは我々とは違う。貴方、暗殺組織で訓練を受けた人間ですね? それも相当場数を踏んでいるプロとみました。あの毒針も。プロなら自前の特殊な毒薬を持っていて当たり前です」
 緋月は答えない。代わりに不快そうに顔をしかめた。
「実に興味深い。カルバニアは貴方のこと、そこまでご存知なのでしょうか」
「隠しだてすることは何もない」
 慣れた手つきで緋月は武器を構えた。陽狩は笑う。
「なるほど。すべてご存知、と。どのような縁で暗殺者が魔女の使い魔になったのか興味はあるところですねぇ。カルバニアも残虐な小娘だ。暗殺者を飼うなんて。それもごく普通の常識ある人間を」
「別に暗殺者として飼われているわけではない。あの人は弱い人だ。身内に甘い。身内を飼うことなんてできない」
 かすかに声に感情の色がにじむ。緋月はナイフを構えなおした。
「僕には才能がない。僕は何も知らない。それでも何かをしようと思った時、珠月様と遠のために僕ができることが単に家事と殺人しかなかっただけだ」
「それ、前半だけで十分ですよね?」
 微妙な沈黙の幕が下りた。指摘されて初めて気づいたという顔で緋月は考え込む。緊張の糸が切れて何とも言えない空気が漂う。
 人を殺すには空気がある。戦いもそうだ。それが壊れるといかにプロといえども大変やりにくい。
「…………前言撤回。貴方は十分常識からかい離しています。立派な異常者ですよ」
「仲間のいる殺人鬼と同じようなものだろう?」
 話しながら緋月は踏み込む。斜めに跳び下りて、数メートルの距離が一気にゼロになる。思わぬ速さに、陽狩は目を見張った。だが、すぐに納得する。コルドンダルジャンは鋼鉄の鞭だ。ナイフなどとは比べ物にならない重さがある。それを手放した今の動きこそが、彼の本質なのだろう。
「仲間? 私に仲間なんていたことはありませんが」
「夏羽がいるだろう?」
 薙ぐのでは刺す緋月の攻撃に、ときどき冷やりとさせられる。陽狩は笑みを深くした。一撃一撃が当たれば必殺の最少かつ細心の一撃。普通の人間ならそれこそ何が起こったかを理解する前にあの世送りだ。思わぬ強敵に身体の底から歓喜がこみ上げてくる。
「夏羽ですか? あの馬鹿は仲間なんかじゃありませんよ。ただの馬鹿です」
「では何故一緒にいる?」
「決まっているでしょう? ただの一瞬でも彼を殺せるかもしれないチャンスを逃さないためです」
 突き刺すという攻撃はつばぜり合いが出来ない。互いに剣先をぶつけて弾きあう攻防になる。意識だけは手先に集中しつつ陽狩は答える。ふいに緋月が笑った。
「嘘をついたつもりか? それとも自覚がないのか?」
「何の話です?」
「殺したい相手がいるならば、多少は距離があるほうが好ましい。なぜなら近くにいすぎるとかえって相手を警戒させるからだ。相手の近くにいるということは、こちらの様子を相手も見ているということ。長期間になればなるほど手札を見られる危険性も増す。だから相手とは顔見知りくらいの関係を作っておき、相手が油断した瞬間に刈り取るのが定石だ」
 実際自分はそうしてきたと言わんばかりのひどく冷めた様子で、淡々と緋月は言う。
「なのに、何故お前は常に奴と行動を共にする? それではろくに狩りの準備をすることもできない。お前、本当はそんなに殺す気はないんだろう?」
「――――うるさい」
 抉るような斬撃を力任せに弾くと、陽狩は膝を曲げて上へ飛んだ。軽い音を立ててむき出しの鉄骨の上に着地する。緋月もワク組みしかできていない床の上に着地した。
「図星か?」
「魔女の命令を待つだけの使い魔が、見透かしたような言動をしないでいただきたいものですね。下僕の分際で不愉快です」
 陽狩はフランベルクから手を離した。波状の刃はきらりと光って床に落ちる。
「フランベルクの刃は敵を切り刻んだ時に傷口がふさがりにくく、より戦線に復帰しにくくなるように作られています。けれど、欠点も大きい。その独特の形状故に相手の攻撃を受け流したりせり合ったりすることがほとんどできない。あまりは、相手の刃を受ける必要がないほど力の差がある場合にのみ、非常に有効な武器だということです」
 変わりに陽狩がジャケットの下のフォルダから抜いたのは飾り気の欠片もない無骨なナイフだった。緋月のものより刃が太く、全体の長さは短い。
「それが? 僕の質問は?」
「ああ、そうですね。その回答は外れです」
 にこりと陽狩は笑った。
「付け狙って疲弊を待つ持久戦という方法もあるんですよ。『暗殺』者には分からないでしょうけどね」
「分からないな。お前が嘘をついているということ以外は」
 今までは比較にならない重い音を立ててナイフ同士がぶつかった。返す刀で互いに斬撃を繰り出し、競り合いながらナイフをひねって大概の得物を弾き飛ばそうとする。些細な重心のバランスがたちまち命取りになるほどの精密な攻撃だ。
「プロ同士が長期に渡り命の取り合いをする場合、通常力が拮抗しているもの同士がステージを変えながら手を変え品を変えぶつかり合うものだが、お前たちはだらだらとした殺し合いにもならないじゃれあいを続けているだけだ」
「魔女に踏み敷かれて、駄犬につき従って喜んでいる変態は言うことが違いますね。カルバニアはそんなにいいですか?」
「挑発しているつもりか?」
 互いのナイフがすり違うようにぶつかり合い、相手の頬をかすめる。ガードという概念はない。端正と称される顔に赤い線ができる。
「別に。ちょっと気になっただけですよ。そういえば、スカイブルーのほうも面白そうですね。単純だが、タフで勘はいい。切り刻みがいがある」
「――――今すぐここで死ね」
 同時に吹き込んだ切っ先がぶつかり合い、同時に折れた。




 複雑な足場の建築現場を舞台に選んだ二人とは対照に、夏羽と遠はひび割れたアスファルトの欠片が散乱する空き地で対峙していた。角度を変えての立体的な動きや遮蔽物を利用した頭脳戦はできないが、その分足場を気にせずに力を振るえるステージではある。
「はっ、やっぱりトランスジェニックっていうのは頑丈だなっ! 刃物を爪ではじくってどういう身体だよ!?」
「手前こそ、俺の爪でも切り裂けねえってどういう鍛え方してやがる!?」
「なんだ、俺みたいな一流グラップラーの相手は初めてかよ? 外気功で刃を防ぐくらい初歩だぜ」
「手前こそ、屑みたいなトランスジェニックしか相手にしてなかったんじゃねえか? 獣の牙と爪を舐めるなよ!!」
 まるで大振りの刃物をぶつけあったような金属音が響き、獣のような爪と速さに特化するため極限まで細く硬く鍛え上げられた刃物がぶつかり合う。一瞬のち互いに引いて距離を取り、助走をつけて再びぶつかる。ほんの数ミリでもずれれば互いの武器が相手の身体を切り裂くというのに、夏羽も遠もそんなことには頓着せず、むしろ楽しげに笑う。
「はっ、はははは、やばいな、すげえ楽しい。やっぱりろくに抵抗もできない雑魚とは違う」
「俺も楽しいぜ! 訓練と違って全力出せる。緋月も強えけどまっすぐにぶつかってくれねえから」
 まるで遊戯でもしているかのような表情で、凶悪な武器を振りまわす。
「っていうか、これで殺気と悪意がびしばしと上の方から降ってこなきゃもっと楽しいんだけどな」
 面倒くさそうに呟いて、夏羽は左手で上を指した。一瞬だけ視線をそちらに向けて夏羽も苦笑する。まだ更地のここの隣には建設途中で放置された現場がある。そこから断続的に聞こえてくる金属音。そして隠しきれない殺気。すでに日は暮れ始めているが、視界に頼るまでもなく分かる。
「お前の相方、意外と直情径行だな」
 あきらかな二人分の殺気に、夏羽は肩をすくめてみせた。自分に向いているものではないとはいえ、空気がびりびりと震えているのが分かる。これではその辺の実力者が何の騒ぎかと駈けつけてくるのも時間も問題だろう。むしろ、そろそろギャラリーが登場し始めているかもしれない。一応察知できる範囲内に人はいないが、油断はできない。
「もってあと十五分ってところか」
「どっかの誰かさんのせいでな」
「陽狩の責任は俺のせいじゃねえからな」
「緋月の責任だって緋月のもんだよ」
 同じようなことを言って二人はにらみ合った。
「やつらは人殺しが仕事のくせにもっと静かに戦えねえのか?」
 自分のことは棚に上げて夏羽は呟いた。遠も同意する。
「だよなぁ。マジもんの殺気と怒気とたまに謎の叫び声が聞こえてくるんだけど……緋月、いったい何をしてるんだ?」
「想像はつくぜ。陽狩は超絶的に性格悪いからな。馬鹿だよな、あいつら」
「まったくだ」
 同時に武器を投げ出して拳と拳をぶつけ合う。そして、顔を見合わせてにやりと笑った。
「殺し合いはもっと純粋に楽しむものだよな?」
「同感。戦いは楽しむものだぜ」
 次の瞬間、二人は同時に後方へ飛びのいた。直後に巨大な鉄筋が地面に突き刺さった。
「っ!?」「うわぉ」
 一歩間違えば二人とも死んでいた。流石に顔が引きつる。ワンテンポ遅れて、人間がもつれ合いながら落ちてきた。地面にぶつかる数メートル手前で、人影は互いに相手を蹴飛ばしてはなれる。そして見事に着地した。
「貴様、遠まで殺す気か!?」
「いや、普通にスカイブルーを攻撃したんですけど、なんて貴方、私が夏羽を狙ったと思いこんでるんです?」
「順当に考えた結果だ」
「なるほど。納得しました」
「ちょ、手前等!!」
 当然ながら人影は陽狩と緋月である。誰も心配してくれない、むしろ狙われて当然というような扱いに夏羽は顔色を変える。
「なんだ? つまり全員俺の敵って認識でいいのか?」
「あはは、人望ねえな」「黙れ、駄犬」
 げらげらと楽しそうに笑う遠を、夏羽が睨む。陽狩はにやにやと意地の悪い笑みをうかべ、緋月は鼻を鳴らしただけで興味なさそうに虚空を仰ぐ。そして顔をしかめた。
「誰か、見てるな。さっきから」
「邪魔をしないなら観客も悪くないものですよ。だいぶ距離を置いてるみたいで誰かまでは分かりませんが。一人はいますね」
「近づいてもすぐには分からんさ。おそらくはランカーだ」
 緋月は目を細めた。普段は見えない暗い色がその瞳には宿っている。うちに秘めた凶暴さを隠そうともしない態度に、夏羽は思わず陽狩を見た。
「陽狩」
「何ですか?」
「お前、マジで他人をいらつかせることの天才だな」
「褒め言葉と受けとっておきます。ありがとう」「ミジンコほども褒めてねえよ」「ミジンコ以下くらいは褒めているんですね。ありがとう」「もう死ねよ」
 夏羽が陽狩に掴みかかって陽狩は笑いながら避ける。そして苛々した様子の緋月に遠が駆け寄る。
「緋月、動いたら腹減った」
「言っておくが、夕飯が遅れたとしてもそれはお前の寄り道のせいだ」
「腹減った。飽きた。帰ろう」「遠、流石の僕も怒るぞ」
 そう言いながらも張り詰めていた緋月の表情が緩む。遊び疲れた犬のような顔で、遠はふらふらと近づいてくる。
「っていうかさ、なんとなく嫌な予感してきたからマジで帰ろうぜ」
「っ!?」
 緋月の表情が不機嫌から蒼白に変わった。
 【スカイブルー】という遠のエイリアスは、もともと予知能力に近いほどの勘の良さから着いた名前である。快晴の時に雨は降らない。同じように遠が落ち着いているときは悪いことはまず起こらない。だから、青空。そして逆もまたしかり。
「逃げるぞ、遠」「逃がすか、この馬鹿どもが」
 呆れたような声が聞こえたと同時に緋月の姿がかき消えた。ワンテンポ遅れて五メートルほど離れた場所の不法投棄と思しきゴミの山が崩れ落ちる。横殴りの攻撃で吹き飛ばされたと悟るには、さらに少し時間がかかった。
「う……あ…………申し訳ありませんでした!! ごめんなさい!」
 悲鳴のような声をあげて遠がしゃがみこむのより、陽狩と夏羽が血相を変えて逃げ出すのがやや先だった。だが、逃げ切るより前に人影が立ちふさがる。
「貴方たちもですよ? うちの馬鹿が一番問題ですが、貴方たちの行為は十二分に犯罪です。緋月、さっさと起きてください。止めるべき立場の貴方が頭に血を上らせてどうするんですか」
 さらさらと音を立てて鋼鉄製の扇が開かれていく。鉄扇という長さも強度も殺傷能力も剣や銃に比べてあまりにも足りない武器を持っていても、彼女はそう簡単には倒せない。むしろそういう人間だからこそ、手加減のために殺傷能力の低い武器を持っているのだ。
「…………万里小路翔と烏丸倖弥ですか」
 忌々しげに陽狩は呟いた。
 万里小路翔と烏丸倖弥は、共にダイナソアオーガンの取締役の一人であり、緋月と遠にとっては会社の上司に当たる。トップ50に入る高位のトップランカーで、またこの世界の支配者層と言われる『九つの組織』の一つ、に属する。派手な環境と高い地位を持つ人物だが良識的な行動と落ち着いた性格――つまりは積極的に騒ぎを起こしたりそれに加わるタイプではないため、その深い実力は他のランカーに比べると知られていない。
「緋月、さっさと起きろ」
 部下の不注意には容赦がない。倖弥は陽狩を無視して崩れたごみ山に話しかけた。ほどなく、そこから埃まみれになった緋月が這い出してくる。
「頭は冷えました。ありがとう御座います」
「その割にはふてぶてしい」「仕方ないですよ、倖弥」
 微笑をうかべて翔は倖弥をいさめる。
「その子は篭森さんの言うことしか基本的に聞きませんから」
「ならばなおの事だろう。お前の行動次第では珠月の面子が潰れる。自覚しろ。警備保障会社の人間が積極的にストリートファイトに参加するのは好ましい事態ではない」
 小さいがけして聞きとりにくくはない声で、淡々と倖弥は言った。
「遠、お前もだ」
「はいい!! すみませんでした!!」
 その場に土下座しそうな勢いで縮こまっていた遠は、背筋を伸ばして直立不動で返事をした。翔は小さく苦笑し、倖弥はため息をつく。
「というわけで、お前たちは強制送還だ。さっさと東区に帰るぞ。他区で騒ぎを起こしたなんて冗談じゃない」
「はいっ!」
「……了解した。すまなかった」
 倖弥の言葉に遠は身体をこわばらせ、緋月は淡々と返事をした。自分だけ蹴り飛ばされたことに関する不満すらない。
「後、そこの殺人鬼どもは……」「捕縛します?」
 あっさりと翔が尋ねた。おっとりと口にする姿は冗談を言っているようにしか見えないが、陽狩と夏羽は顔を引きつらせて身構える。
「補殺……するべきなんだろうな。学園の治安を考えると」
「でも証拠集めとか裁判とかは手間ですし、物的証拠は乏しく、証人はやまほどいても関わりを嫌がって名乗り出ないでしょうね」
「珠月社長なら、ここで殺すだろう」
「そうですね。幸いというか、私たちは合法的に殺人を許されています。民間軍事会社の一種ですから」
 鉄扇を閉じたり開いたりしながら、翔は答えた。そして、最後にパタンと扇子を閉じる。
「けれど、ここは北区。私たちが勝手に介入していい所ではありませんね」
「ああ、昔から北と東の仲は微妙だしな」
「北と西ほどあきらかに仲は悪くないですけれどね。まあ、仕方がないことです。昔の人は言いました『国境が平和であったことはない』と。なら、まあ区画も似たようなものでしょう」
 翔は手を下ろした。それを合図に張り詰めていた空気が緩む。だが、
「だからこれくらいで勘弁して差し上げましょう」「だな」
 陽狩と夏羽は同時に逆方向に走った。あえて手合わせを避けて撤退に専念する。しかし、それを見こしていたように翔と倖弥はそのすぐ横に立った。
「いってらっしゃい」「さっさとおうちに帰れ」
 バランスを崩した先にはビニールで塞がれただけの穴があった。おそらくは完成した建物を地下へ繋げるための下準備のための穴――――つまりは非合法な地下区画への入り口。
「着地がんばー」
「死なないとは思うのでしばらく地上に出てこないでくださいね」
「……覚えてろ」「ではまた」
 歯ぎしりしそうな顔の夏羽とふてくされた陽狩の姿が消えてから、ぼそりと緋月は呟いた。
「逃げやがったな」
 あの二人ならかわすことは十二分にできる。だが、あえて落されることを選んだ。この場から離れるという意味では賢明な判断だ。
「さて」
 優しげに微笑み、二人の上司が振り向く。遠は引きつった顔のまま後ずさり、緋月はため息をついて虚空を仰ぐ。
「愚かな部下には仕置きがいるな」
「そんなに驚かせては可哀想ですよ、倖弥。悪い子にはお説教、でいいでしょう?」
「そちらのほうが裏がありそうで嫌だ」
 どちらにしても運命は変わらない。
「さてと。この馬鹿どもにはダイナソアオーガン社員規定をもう一度勉強させる必要があるな」
「ですねぇ。そうしないと内部調査事務室失格ですよ? でもまずは珠月さんにご連絡を」
 どんな『お勉強』になるかはだいたい想像がついた。


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「あー、捕まっちゃいましたね。もう少し見ておきたかったのに」
 現場からかなり離れた位置にある雑居ビルの屋上。オペラグラスを手にしていた黒雫は呟いた。うすい笑みを浮かべてじっと暗闇に目を凝らしていたジェイルは「そうですか」とだけ返事する。
「あのまま戦っていたらどっちが勝ったと思いますか? 先輩」
「さあ? その判定は、団栗の大きさを比べるより難しいことだと思いますよ。あの二組は、水面に映った己に吠える犬のようなもの。鏡映しの似たもの同士ですから」
「ふうん」
 興味なさそうな口ぶりで黒雫はまたオペラグラスを覗き込む。
「あの倖弥さんと翔さんはどうですか?」
「どう、とは?」
「強いですか?」
「そうですねぇ。魔法のようなに不可思議で運命のように理不尽な異能という点では黒雫君たちに敵う人はあまりいませんが、純粋な体術ならあのお二人のほうが強いと思いますよ。月の姫よりも強いでしょうね。体術なら」
「先輩よりは?」
 ジェイルはにこりと笑っただけで答えなかった。返答はYesにもNoにも取れる。黒雫は顔をしかめたが特に追及はしなかった。
 沈黙の幕が下りる。ややあって唐突にジェイルは口を開いた。
「獣と獣がぶつかり合う戦場。貴方も参加したかったですか? 争いの宴に」
「…………別に」
「じゃあ、倖弥君や扇の姫君と戦いたいですか?」
「よく分からない」
「でしょうね。あれは素晴らしき貴方が死ぬべき絶望と紅蓮の地獄には程遠い。貴方はもっともっと苦しみ泣き叫び引き裂かれ焼き尽くされ蹂躙され死ぬべきだ」
 酷いことを言っているのにジェイルの声は優しげで、慈しみに満ちていた。雫は返事をしない。ただ、うろんげにジェイルを見た。
「先輩こそ、アレにどんな興味があるんですか?」
「いつか運命の歯車のめぐりあわせにより対峙することがあるかもしれない相手ですので」
 さらりとひどく危ういことをジェイルは言った。一瞬雫はジェイルを見た。瞳が尋ねる。それは『どちら』のことかと。だが、ジェイルは柔らかな笑みでそれを黙殺した。
「さて、あの怖い方々に見つかる前に影のようにひっそりと立ち去ることにいたしましょう」
「ジェイル先輩っていっつも何かたくらんでますよね?」
「気のせいです」
 にこにこ笑いながらジェイルは振り向いた。柔和な笑みは人畜無害の貴公子にしか見えない。それがまた胡散臭い。雫は小さく息を吐いた。
「まあ、僕には関係ないことだからいいですけど」
「黒雫君たち」
 笑みを崩さずにジェイルは言った。
「獣相手に何かたくらむなんて、よほどの馬鹿のすることでしょう?」
「………………」
 何とも言えない顔で雫は黙った。そして、ジェイルが踵を返したのをみて立ち上がる。
「マジで、最低」
 口の中だけでぼそりと呟いて、雫は歩き出した。


おわり